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人間と云うものは何故、緊急時に冷静な判断が出来ないんだろう。
家から必要最小限のものを持ち出して来たつもりだったが、毛布とちょっとしたナイフと空の水筒と……此処までは良い。何故か重ねて収納出来る十個組杯は一体何で持って来てしまったのか。大体二人しか居ないのに杯が十個も有ったって仕方が無いだろうに。それに、今一番必要な食べ物は何ひとつ持って来なかった。
パタパの街はほんの少し歩けば着く、街に行けば食べものを買える。しかしだ。
「えっ、デルメク、お金持って来なかったの?」
いや、持って来なかったと云うより元々持っていない。インチキ薬やインチキ魔法で稼いだ金は師匠が全部押さえて、その大部分は呑み代に消える。
「そういうレオナはどうなんだよ」
「私はあんたの師匠の作ったインチキ薬買ったからすっからかんよ。あれ、三万Gもしたんだから」
うわー、師匠思いっきりふっかけたなー。いや、ふっかけたのは薬屋の方か?
「おなかすいたー」
レオナが野太い声で駄々を捏ねる。だーかーらー、その腹を満たす食い物を買う金が無い話をしているんだ。俺だって昨日から何も食っていない。心だけでも女だと云うのならダイエットか何かだと思って我慢出来ないものか? しかし、そう心の中で毒づくも、俺も腹が減って仕方が無かった。あまりに腹が減り過ぎて、折角のデカイおっぱいが萎みそうだ。
「じゃ、私、街に着いたら家に寄って、母さんにお金貰って来る」
「だーっ!」
それが出来ればこのオカマ……いや、レオナは俺と一緒に居る意味が無いじゃないか。いやもうそのまま家に帰って、家族と仲良く暮らせばいいじゃないか。そうしてくれ、是非そうしてくれ、それが出来ればの話だが。
「“だーっ”て何よ? 解ってるわよ、自分の状況ぐらい。ジョークよ、軽いジョークよ。ユーモアの解らない男なんてつまんないわね」
いや、ジョークに聞こえ無かった。
しかも見た目が男のレオナにそんな事云われてもなあ。
「とりあえず水でも汲んでくるか……水筒は有ることだし」
「水で飢えを凌ぐわけね」
いちいち言葉にトゲのあるオカマだ。
ああ、もうどうとでも云ってくれ、金はどうあれ食料を全く持って来なかった俺が悪いんだから。トーラス山が高いのも酒場のオバチャンのパンツが赤いのも全部俺が悪いんだ。
ここオーベルチュールはあちこちから綺麗な水が湧き出すので水には困らない。
ほら、此処にも湧き水の泉が在る。
……て事は水筒も必要ないんじゃ……
銀製の無駄にデカくて重い水筒を見て途方に暮れていると、泉の脇に“ある物”を見付けた。
ああ、コレか……と、何気なくそれを見詰めていたらふと良い考えが浮かび、レオナを呼んだ。
「何よ?」
「いいから手伝え」
俺は薄紅色の筒状の花が咲いている蔓草を指差してレオナに見せたが、奴は俺が何を云いたいのか解らないらしい。と、云うかこの花が何なのか解らないらしい。
「見てろよ、こうするんだ」
上を向いて咲いている筒状の花を下に向ける。すると透明な液体が流れて来てそれを水筒に受ける。
「この液体をなるべく沢山集めるんだ」
甘い香りが辺りに漂う。そう、この液体はこの花の蜜だ。
そうして水筒一杯に蜜を集め終わるとレオナは
「ねえ? これをどうすんの?」等と訊く。
「まだ解んないのか? オマエ、それでも元女か?」と、云いながら蜜を少し杯に入れて差し出してやった。
「元は余計でしょー? 元は」
空腹のあまり怒る気力もなくなったレオナは、おそるおそる杯の中の蜜を舐める。
「え……? これって」
「やっと解ったか」
蜜の正体が解ると、貪るように飲み干し、それでも足りないらしく杯を舐め出した。
「おいしー! これメリルシロップだ!」
さて、では、集めたメリルシロップをレオナに飲み干されないうちに街へ行かなくては。
メリルの花から採れる蜜―メリルシロップ―は甘い花の香りと、果物のような味わい、それにスーッと清涼感のある後味で、水やミルクで割ると若い女の子に人気の飲み物になる。ちなみに、水やお湯で割ったのが“メリルエード”ミルクで割ったのが“メリルミルク”だ。
メリルの花自体はそんなに珍しい物でも無いのだが、蜜を集めるのが大変で結構な値段になる。
五倍ぐらいに水で薄めたものが街では九百Gで売られたりする。飲み物としてはかなり高い。
「メリルエードはいかがー? 濃くて美味しいよー一杯五百Gだよー」
あの無用の長物だった杯にメリルエードを満たし適当な塀の上に布を敷いて並べておくと女の子がわんさか集まって来た。
「メリル? まさか十倍ぐらいに薄めて砂糖で誤魔化した粗悪品じゃないでしょうね?」
気の強そうな赤毛の女の子が訊く。うん、勝ち気そうだけど可愛い。
「とんでも無い。ウチのは三倍だよ。嘘だと思うんなら飲んでご覧」
赤毛ちゃんは杯を手に持つと暫く匂いを嗅いで、そーっと口に含む。
ああ、その口に俺のも含んで貰いたい。いや、何を? って云われても困るけど。と云うか無いけど。
「本当だ! 濃くて美味しい! ちょっと、みんな、コレ美味しいよ!」
赤毛ちゃんがそばに居た女の子達に云うと
「私にも頂戴」
「私も」「私も」
と、女の子が群がって来た。女の子の腕や胸に揉みくちゃにされて俺、幸せ。なんかオカマがそんな俺の事を蔑むような目で見てるけどそんな事気にしない。幸せー!
杯は十個しか無いので洗っては使い洗っては使いの繰り返しで、それでもあっと云う間に完売した。
「ええと……ひいふうみ。凄い。2万Gも売れた」
「本当? 凄い!」
レオナは目を輝かせて手を胸のところで組んでいる。女の子がよくやる“おめめキラキラポーズ”らしい。
「とりあえず腹ごしらえに行こう。何食いたい?」
そう云いながら杯や水筒を片付けていると
「メリルエードを売っているのは此所ですかな?」と、声がした。
あれ? この声何処かで……
振り向くと、兵士が居た。
まさか此所でメリルエード売っちゃいけなかったのか……?
と、てっきり怒られると思ったら
「おお娘ご! また会えるとは! 火傷は良くなりましたかな?」
えっ? 火傷? じゃあこの兵士はあの時の?
「いやあ……恥ずかしながら自分は甘い物に目が無くて……美味いメリルエードを売ってると聞いたものですから。しかし、その様子では売切れのようですな」
兵士は赤い顔をして照れながらそう云った。
何だ、怒られるんじゃないのか。
「奇遇ですわ、まさかあの時の兵隊さんにまた会えるなんて……本当にありがとうございました。お陰で火傷もすっかり良くなりました」
早くどっか行ってくれとも云えず、助けを求めるようにレオナの方を見ると……ええっ?
何でレオナ、目がハートマークになってんだ?
「自分の名はゲオルグと申します。オーベルチュール王立軍のパタパ地区隊長を勤めさせて貰ってます。あの……あの……あなたのお名前は?」
相変わらず赤い顔の兵士。名前か……何だこれ、職務質問ってやつか?
「私の名前はデ……」
「デ?」
「デラと申します」
「おお、なんと愛らしいお名前。あちらは?」
ほんのついでの様に兵士はレオナの方を向く、目がハートマークになっているのは気付いてないようだ。
「えっと……あれは……そう、兄です。兄の……レオ……です」
うーん。オカマだとバレたら怪しまれるかなあ? 別にオカマは犯罪じゃないよな?
「おお、兄上でございましたか、ずいぶん逞しいお体をしておられる。是非入隊して頂きたいものですな」
逞しいのは事実だが、これは社交辞令だろう。しかも泣き虫でなよなよしてるレオナが軍隊なんて……
「喜んでっ!」
えええっ?
ヤバい、目がハートマークどころか、ハートマークが飛び散っている……て事は、もしかしてレオナ、こいつに……




