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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
5/39

#5

 寮は、校舎と一体になっている。1、2階が教室で、3階から上が寮として使われている。3、4階は二人部屋の寮室が並び、TVのある談話室と大浴場、洗濯室などは5階にある。

 夜10時すぎ、人の少ない時間に、ゆきは一人で大浴場に入っていた。体を洗って、ゆっくりと湯船に浸かり、窓からの眺めを楽しむ。外は暗いので、室内の明かりが反射してよく見えないものの、闇の向こうに体育館がうっすら見える。体育館には明かりがついていて、いまだ誰かが運動しているようだった。

 この学校には、運動部というものがない。次の施設が決まるまでの仮の学校であり、身元を公にはできないため、公式試合も他校との練習試合もできない。身元を公にできないのは、虐待する親ほど、子どもを血眼になって探し求めるからだ。居場所が見つかったら、ただでは済まない。そのため、ちゃんと安全な引取り先が決まるまでは、友人知人に連絡してはいけない決まりになっている。

 そういう訳なので、運動や懇親のため、もしくは知識を深めるためなどに放課後に1時間ほど楽しめる運動系や文化系のクラブというものはあり、自主的に参加できるものの、気合いを入れて夜まで練習するような者たちはいない。

(じゃあ、あの体育館を使っているのは……特別クラスの人たち?)

 ゆきの脳裏に、特別クラスに行ってしまった元同室の友人、かなめの姿がうかぶ。すらりと背が高く、きりりと黒髪を編んだかなめは、最初こそとっつきにくかったが、ゆきの事情を知ると、すぐに親身になってくれた。眠れないゆきに朝まで話につきあってくれたり、クラスが移動してからは多少疎遠になってしまったが、昨日も眠れないゆきを心配して、おおきなぬいぐるみをプレゼントしてくれた。


「これ、抱きぐるみっていうらしいんだけど……」

「わあ、柔らかいね」

 くたくたと柔らかい生地で、触りごごちのいい犬のぬいぐるみをくれたとき、かなめは照れ隠しなのか、仏頂面だった。

 かわいらしい垂れ耳のゴールデンレトリバーで、かなり大きい。抱きごたえがある。しっかりと綿がつまっていないのは、抱きしめるのに丁度いいように調節してある、そういうぬいぐるみらしかった。

「あれこれ試して、いちばんいい抱き心地のを選んだんだ」

「かなめちゃんが……」

 かなめは私服がボーイッシュなものが多い。長身で凛々しいかなめが、可愛い抱きぐるみをあれこれ抱っこして、一番気に入ったのを探す様子を想像して、ゆきは吹き出しそうになってしまった。

「なに笑ってんだ」

 赤くなるかなめに、ゆきは泣き笑いで微笑んだ。

「ううん、頑張ってくれたんだね。ありがとう、すごく嬉しい」

 正直に言うと、かなめも多少は機嫌を直したのか、微笑した。そして、言葉を探すように、視線があちこちをさまよう。

「これ、抱いて寝たら……ちょっとはいい夢みれる、かもしれないし……だから、その……」

 最後のほうはもごもごと口中に消えて聞こえなかったが、がんばれ、とか、負けるな、とか、そういう励ましなのだろうと、ゆきは察した。

「ありがとう、かなめちゃん。私……きっと、幸せになるよ。お父さんとお母さんの分も生きたいから」

 そして最後に、もっとも言いたくなかった報告を続けた。

「あのね、かなめちゃん……私、受け入れ先、決まったんだ」


 ゆきは、湯気のなかで目を閉じる。あのとき、かなめは、そうか、頑張れ、と短く返しただけだった。が、言わなくても伝わるものはある。

(私が、ここにいられるのも、あと二週間)

(かなめちゃんは、大丈夫かな……)

 ゆきは気がかりそうに、ガラスの向こうにうっすら見える体育館の照明を見つめた。



「お前たちは雌豚だ! 訓練を終えるまでは何の役にも立たないゴキブリだ! 分かったか! 返事!」

「サー、イエッサー!」

 その頃、かなめらは、ゆきの心配通り、体育館で特別授業を受けていた。

 教師は、熱血でうざいと定評のあるシスター・ムジカだ。燃えるような赤髪をショートカットにした、緑色の瞳と笑顔がチャーミングな健康的な美女だ。引き締まった体をジャージに包み、片手にはなぜか竹刀を携えている。

 かなめたちは半袖にブルマで直立不動の姿勢を保っている。この時代、ハーフパンツなどというものは、まだ体操服として市民権を獲得していなかった。

「なぜ夜に特別授業を行うか! 理由は言うまでもないが説明してみろ、港!」

「はっ、はいっ、サー、吸血鬼は昼間は常人と同じ体力のため、体力測定を行う場合は夜間にしないと意味がないからです!」

「そうだ、改良に改良を重ねて昼、太陽の下でも動きまわれる代わりに、お前たちは昼間はほとんどクソの役にも立たない枯れ木の山なのだ! 次、良子!」

「ひゃ、ひゃ、ひゃいっ、サー!」

「なのになぜ昼間も体育の授業があるのか、その意味も教わっただろうな!」

「え、えええ、えーと……」

「遅い! 腕立て五百回! 花子!」

 即座に腕立て伏せをはじめる級友を横目に、花子は冷静に答えた。

「体力増強なら昼間でも効果あり、だからです、サー」

「その通り。そういうわけで、これからお前たちには一通りの測定のあと、持久走をしてもらう。楽しみだろう、かなめ!」

「サー、イエッサー」

「声が小さい!」

「サー、イエッサー!!」

「まったくもう……やってらんねっつーの」

 花子のぼやきが耳聡い体育教師の耳に入り、シスター・ムジカは竹刀で床を打つ。

「よし、お前たち連帯責任で腕立て伏せ千回だ!」

 うげえ、という悲鳴を飲み込み、なかばやけくそで声をはりあげる。

「サー・イエッサー!」

 そんなこんなで、かなめたちの夜は更けていった。

 ゆきとの別れのほかに、もうひとつ、別れがあるなどと思いもしないまま。

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