#37 三寸金蓮(2)
その日から、全てが変わった。
その年の纏足の品評会で珠蘭は一番になり、記念品や近所からのお祝いの品々を山ほどもらった。
女たちは、普段は足先まで衣で隠している。品評会は、よその家の若い女の足を見まくれる滅多にない日で、誰もが楽しみにしていた。娘たちは家の玄関先で、足首まで布を垂らして、顔を見えないようにしている。足だけを見て、人々は、ここの家の娘の足はどうだ、形はこうだと言い合いながら、どの娘が一等かを投票する。一等は大変に名誉のあることで、どの娘も、それを夢見て、文字通り身を削ってきたのだった。品評会の結果が結婚相手に直結する。よい結婚ができるできないは、この時代の女性には死活問題だったのだ。
一等をとった珠蘭は鼻高々だった。足は素晴らしく小さく、ちんまりと整っていた。足の裏は美しいカーブを描いて、小さな靴に収まっていた。先から踵まで三寸。手のひらに載るほどの大きさに、人々は驚嘆の声をあげた。
「これこそが三寸金蓮」
「なんて小さい」
「美しい」
口々に褒めそやされて、珠蘭は少しばかり、後ろめたい思いがないでもなかった。それは、実力で手に入れたものではなかった。
魔法だった。
※ ※ ※
「あのね……わたしのこの魔法は、見る者の認識を変えるだけなの。本当に変わってしまうわけではないのよ」
あの日、珠蘭が身を投げようとした日に出会った女性は、そう念を押した。
そう聞いて、珠蘭は少なからずがっかりしたが、それでも、この窮地を脱せるなら、ありがたいことだと思い直した。
(何でもいい、結婚できれば。見た目さえごまかせれば、なんとでもなるわ)
そう思い、あ、と声をあげた。
「でも、家族は私の纏足が失敗したことを知っている……おかしいと思うのでは?」
「それはわたしのほうでやっておくから、大丈夫。心配しないで」
女性は簡単に請け負った。
「人間はいつだって騙されたいものなの、幸せな嘘を信じたいの。あの家の人々に、あなたの纏足は上手くいったし、何の心配もないし、未来はバラ色であるという夢を見せるから。そうしたら皆、笑顔で明日の朝を迎える。そういう風にしておくわ」
「…………」
私も、この女性に騙されているんだろうか。珠蘭は一抹の不安を抱いたが、背後を振り返るのを、ぐっと堪えた。この窮地を救おうという者が、悪い者であるはずがない。満月に照らされて輝く川面を見ると、揺れる水面に、自分の背後が映る。ゆらりと揺れる水面越しに、すらりとした女性らしき姿と、ふんわりと豊かな赤毛が目に入り、もしかしたら水面越しに見るのもいけないかもと珠蘭は慌てて目を閉じたが、美しい女性であるらしいことは分かった。この大陸で赤毛は珍しいが、魔物であるはずがない。南方のほうの出か、神々の眷属か。きっと神仙だ、そう思いたかった。
「あの、あなた様は……仙女さま? 何とお呼びすれば?」
相手は楽しげに、喉で笑った。
「わたしの本当の名は、あなたには発音が難しいかもね……。それに名前なんて知らなくても、わたしはいつだって、あなたを見守っているわ、珠蘭。人一倍、頑張り屋さんなあなただもの。理想の足を手に入れたら、怖いものなんてない。また何かあれば、来るわ。その日まで励みなさい。あなたなら、后妃だって夢ではないのよ」
びょうと一陣の風が吹き、背後の気配が失せた。
「仙女さま」
恐る恐る呼びかけても、もう、いらえはない。振り返って、珠蘭は誰もいない空間に残された馨しい香りを受け取った。やはり、あの方は人ではないのだ。そして私は、選ばれたのだ。と、珠蘭は自身の足を見下ろす。幾重にも足に巻かれた血の滲んだ布を解くと現れたのは、三寸金蓮。小さく光り輝く、完成された美しい足。もはや痛くもなんともない。苦痛からも解放されて、珠蘭は天にも昇る心地だった。
(ずるでもどうでも……いいじゃない。私の嘆きを天が聞いて、救ってくださったのだから。私は、特別なんだ。ここで死ぬ運命ではなかったのだ。なら、どこまでもどこまでも……出来るかぎり高みへと昇るべきよね。だって私は、そのへんの家の妻に収まる器ではないのだから。そう、あの方の言うように、后妃だって望めるのかもしれない)
珠蘭はそれまで大それた野望などなかったが、急に目の前が開けたような高揚をおぼえた。
村の纏足の品評会で一位になり、町でも評判で、噂が噂を呼び、ついに珠蘭は宮廷へと招かれた。
父に付き添われて、珠蘭は帝の前に跪く。父は豪商でそれなりの胆もあったはずだが、さすがに帝の前に出たことはなかったらしく、緊張して、がちがちに固まっていた。珠蘭はそんな父親を見て、苦笑を隠した。
「ああ、こんな日が来るなんて。お前は私の誉れだ、珠蘭よ。どうか粗相のないようにな」
控室で浮足立つ父に珠蘭は微笑んで、頷いた。父よりは珠蘭のほうが、よほど落ち着いていた。
(帝の前に出るなんて、普通は震えて動けもしないだろうに、どうして、私はこんなに平気なんだろう。なぜか、ずっと前から、この日が来るのが分かっていたような……それはそう、だって私の足は三寸金蓮なのだもの。この足ならば何でも叶う、そう約束された足なの)
そして今、帝に目通りしようとしている。
「珠蘭。前へ」
珠蘭は側近に呼ばれて進み出て、玉座の前に跪いた。側近が帝に耳打ちする。
「珠蘭でございます」
拝跪しているのだから顔も足元も見えないはずだが、帝は満足そうに頷くと、側近を見やった。側近は一礼し、珠蘭へと声をかけた。
「珠蘭よ、身の回りを整え、来月より後宮へと入るように。陛下の思し召しである。吉日に迎えの車を手配しよう」
町はお祭り騒ぎになった。この町から後宮入りする娘が出たのだ。素晴らしい名誉であった。現代で言うなら、ミスユニバースになったとか、甲子園で優勝したようなものなのだ。
たくさんの人々が珠蘭の家にお祝いに来て、父親にお祝いを伝え、贈り物を渡していった。女性は人前には出ない時代なので、珠蘭は自室で荷物の整理をしていた。小間使いがせかせかと立ち回り、誰が来て、どういう品物を贈ってきたのか教えてくれる。若い娘らしく、小間使いははしゃいで、笑い声をたてた。珠蘭ももちろん、嬉しい。しかし、ふわふわと気持ちが浮き立つでもなく、珠蘭の内面は落ち着いていた。
(なんでかしら。私が選ばれた娘だから、これくらいは当然のことだから、かしら。田舎出の娘が下位の女官になり後宮入りしても、後宮にはすでにたくさんの妃がいて鎬を削っているという。それから后妃に、一位になるには、この足だけでは難しいのでは? きっと、苦労するだろう……でも、私にはあの方がついているもの。今も、どこかで見守ってくれている、そんな気がする。私はひとりじゃない、だから大丈夫)
痛くもない足を撫でると、不安が霧散した。
珠蘭は微笑み、小間使いの娘と笑いさざめきながら、身の回りの品の整理を続けた。




