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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
36/39

#36 三寸金蓮

 明るい日差しのなかで、子どもたちが笑いさざめく。

 年端もいかない女の子らが、歌いながら刺繍をしている。

 5歳になるならずのその子らの足は、さらしでぐるぐる巻きにされている。晒には、爪先などに痛々しく血が滲んでいる。


  わたしの足は、小さくて可愛くて美しい足。

  三寸金蓮、時の皇帝に見初められ、後宮へと上がり、栄耀栄華を極める。

  それはとてもとても光栄なことだけれど、畏れ多い、そこまでは望まない。

  村の品評会で一番をとり、いいところにお嫁に行ければ、それで幸せなの。

  三寸金蓮、それは見果てぬ夢、

  でも私はそんなに多くは望まない、

  たまに父母に会えて、子どもたちに恵まれ、やさしい夫に尽くせれば、それで幸せなの。


 可愛らしい声が響く。その声がわずかに届く屋敷の暗がりに、獣がうずくまっていた。

 獣は足を抱えていた。足を怪我していた。足はずくり、ずくりと脈動とともに痛んだ。

 かなめは獣のうちに囚われていた。どうすれば、この状態から脱せるのかなど、思いもよらない。

 ただ、ひたすらに、獣とともに足の痛みを共有していた。足の痛みは深かった。みずうみの深みからあぶくが上がるように、ずきゅん、ずきゅんと痛む。その痛みには、獣は慣れていた。

 獣は痛みで動けないわけではなかった。ただ、身裡を灼き尽くすような怒りに、留めようもない怒りに魂が焦がされて、ぶすぶすと黒煙が口から出てくるように思えて、身動きも取れないのだった。


 ※ ※ ※


 十年ほど前、獣は愛らしい幼子だった。まだ3歳。あどけなく、愛らしく、父母や屋敷の者に愛され、この世に辛いこと、激しい怒りがあることも知らなかった。お祝いのときに食べられる桃をかたどった饅頭がなにより好きで、あひるを追うのが好きで。猫を撫でるのが、犬を触るのが好きだった。世界は輝いていて、嫌なことは何一つなかった。幼子はにこにこと常に笑顔で、たまに我儘を言う様子も、たいへんに可愛らしかった。

「まあまあ、この子は。すっかり皆に甘やかされて……。先が思いやられます」

 母が言うと、父は「天真爛漫で愛らしいのは、良いことだ。すくすくと美しく成長するとよい」と相好を崩す。が、ややあって笑いを取り去った顔で、

「……日取りは?」父が問うと、「吉日を選び、先生を……」母が言葉少なに答える。

 三寸金蓮サンツンジンリエンというのは、理想的な纏足のことだ。三寸は、わずか9.9㎝。手のひらに指先から踵まで乗るほどに小さく歪められた足。現代では禁じられた行いだが、この時代、この土地の女性は、纏足をしなければ結婚できなかった。結婚できなければ生きていく術がない。生きるために、幸せになるために、少しでも足を小さく、美しく整えるために血道をあげた。


 3歳の娘を持つ母は、纏足を始める数週間前から娘のための靴を作り、心をこめて刺繍を施す。それを家の中の神棚に供え、もち米で赤飯のおにぎりをこしらえて、小脚姑娘シャオジャオクーニャンという纏足の女神に祈る。「どうか、娘の足の骨がおにぎりのように柔らかく、小脚姑娘のように美しい足になりますように」

 誰もが三寸の足になれるわけではなかった。

 その日が来ると、三歳の娘は足を縛られる。第一段階としては、親指以外の四指を足の裏のほうへと折り曲げる。そして、纏脚布と呼ばれる細い布でぎりぎりと縛り上げる。当然、痛い。しかし、我慢しなければいけない。三つ編みを垂らした幼子には厳しすぎる試練だった。

 人間として生まれて最も悲惨なことは、纏足される女子の絶叫である――と、当時の識者が記したが、その痛みは、睡眠もままならないほどであったと言われる。激痛で普通に歩くことは出来ず、昼間は座って出来るような食材の下拵えや、縫い物や刺繍などの仕事をすることになる。そして夜は、痛みで気が狂いそうになりながらも、布を解かないように己を律せねばならない。数日に一度、足を洗うときと、緩んだ布を縛り直すときのみ、布を解くことが許される。

 苦痛のあまり布を解くと、棒で叩くなどの折檻が行われた。纏足を行うのは本人のためであり、それを嫌がるのは我が儘だという認識だったのだ。女性は結婚しなければ生きていかれない当時は、それが普通だった。

 珠蘭シュランの家も、当然のように纏足をする運命を受け入れて、吉日に脚婆を招いて、娘に纏足を施した。脚婆というのは纏足の技術に秀でた女性で、隣町の老女であったが、その噂も高く、珠蘭の家でも礼金をはずんで呼んだのだ。豪商である父親は娘のために金は惜しまなかった。少しでも美しい足を手に入れて、良い結婚ができればという親心だった。


「痛い! 痛い!」

 娘が泣く。我慢しろと親が怒る。

 ――小脚一双、眼泪一缸。纏足をするには、瓶いっぱいの涙を流さなければならないという意味だ。痛みに耐えきれず布を解く娘は多い。纏足を失敗してしまえば、嫁のもらい手はなかった。実家に居続け厄介者扱いされて、針のむしろのうえで余生を過ごすなんて、どんな娘も御免だと思っただろう。どんな娘だって、なるべく美しい小脚になりたいし、母親もそう願う。だから願をかけて靴をつくり、握り飯をこしらえ、神に祈る。それでも、布を解かなくても失敗してしまう娘はいて、布をきつく巻きすぎて足が壊疽してしまったり、敗血症で死んだり、筋萎縮でまったく立てなくなったり、足を失うこともあった。纏足は娘たちの、血と汗と涙と腐り落ちた肉と腐臭で出来ていた。

 伝説の纏足女性は、爪先から踵までが三寸で、男の手のひらにちょこんと乗る大きさで、小さくかぐわしく、金の蓮の上を歩き、あまりの愛らしさに、国を傾けた。

 纏足をする女性は誰でもその伝説を知っていて、必死に祈った。ああ、憧れの三寸金蓮。傾城にまでなろうとは思わない。ただ、町で一番くらいの、村で一番くらいの美しい足になり、よい結婚ができればそれでいい、と。ささやかな夢を、痛みに耐えて寝台に爪を立てながら、呻きながら、泣きながら、見るのだった。


 ひと月に一回、脚婆は珠蘭の様子を見に訪れた。珠蘭は幼いながらも痛みに辛抱強く耐え、足は順調に変化していった。

 親指以外の四指が曲がったなら、次は踵を内側に折り曲げる。最初は緩めに、段階を踏んで、きつく内側に湾曲させていく。四指を曲げるときよりも遙かに激甚な痛みに、どんな娘も悶絶する。泣いて喚いて、もう嫌だ、もうやめるというわずか3、4歳の娘を、棒や鞭で親は殴る。厳しく監視をして、布を解かないように見張る。纏足は、成長しきった足では出来ない。まだ成長期の柔らかい幼子の足でなければ、足を裏側へ二つに折るような不自然な行いに耐えられない。

(三寸金蓮、三寸金蓮……)

 痛くて眠れないとき、辛くて纏足をやめたくなったとき、珠蘭はよく呟いた。三寸金蓮になれますように。それは憧れで、幸せで、栄光に包まれた響き。

(三寸金蓮になれたら、私はきっと幸せになれる)

 何が幸せで何が苦痛なのか、人生において最も耐えがたい苦痛などまだ知らない年齢一桁の娘が、現在の苦痛に耐えるために、ただ呪文のように唱える。


 じくじくと足が熱をもって疼き、腫れ上がり、肉が腐る。血と膿にまみれた足を数日に一度、丁寧に洗い、縛り直すときの激痛ときたら、眠れないどころではなかった。この苦痛はいつ終わるのか、珠蘭はもう一生、この痛みとともに生きていくのかと思ったが、あるとき、すっと痛みが薄らいで、少し楽になった。足が出来てきたのだ。

 年々、楽になり、珠蘭は嬉しかった。もうあまり発熱で寝込まないし、刺繍も出来るし、料理の下ごしらえも出来る。両の足で立つことも、歩くことも出来なかったが、膝立ちでいざったり、座ってやることは何でも出来た。このまま順調にいけば、こんな嬉しいことはないのだが……と誰もが思ったときに、それは起こった。


 その日は、ばたばたと朝から家の皆が騒がしかった。下男も下女も慌ただしい。話しかけても、後でお聞きします、とどこかへ行ってしまう。

 珠蘭は側仕えの女性に「なんなのかしら?」と問うが、もちろん、側仕えの者も事情が分からず「さあ……」と、曖昧に濁した。

 珠蘭は13歳、かなり背も伸びて、年頃の少女らしく、豪商の娘らしく、纏足以外は何不自由なく育った驕慢さと、素直さが混在している。顔立ちも可愛らしく、これで纏足さえ上手くいけば、何の苦労もなかろうと思われた。……が。

「脚婆が行方不明に?」

 ひと月に一度は指導に来てくれていた脚婆の訪れる頻度が、次第に遠のいていき、近頃はさっぱりと姿を見なかった。おかしいと思って家人が調べたところ、有り金を持って逐電したという。そのうち、近隣の村でも同じ脚婆にかかっていた婦女が、纏足が失敗したと騒いでいることが分かった。

 やり方が間違っていた、他の子たちもそうだ、もう取り返しがつかない……という言葉が、両親たちの部屋から漏れ聞こえていた。母は泣いていた。父は嘆息して、もうあれは諦めよう、と言った。立ち聞きをしていた珠蘭は、急いで自室へと戻ったが、呆然とした。

(諦めるって……? なにを……??)

 私の足。いまも痛む、私の足がどうなの。測ると三寸ではないが、これからもっと小さくなると思っていた。もっと小さく。もっと美しく。誰もが羨む存在になり、纏足の品評会である賽脚会に出て、なんて素晴らしい足なんだ、さすがは某さんの娘さんだと――――。

 珠蘭にはよく分からないが、この足はもう、取り返しがつかないのだそうだ。纏足のなりそこない、とても人前には出せない足。醜く大きな足。

(失敗……失敗したの……? あの脚婆はいい加減な女で、お金を騙して適当な施術をして、逃げてしまったの?)

 何が何だか分からないままに、珠蘭は暗闇の底へと放り込まれた。涙がこぼれて、止まらなかった。

(私は頑張ったのに、何が違うの。何がいけなかったの)

 母親も、日頃から珠蘭の足を見て、世話を手伝っていたのに、自身の纏足も人任せであったので、よく分からなかったそうだ。

 誰を恨むかといえば脚婆だろうが、自身の母も父も恨みたい。しかし、それは儒教全盛のこの国で言ってはいけないことだった。親に逆らっては生きていけない。

 珠蘭はもう、一日、泣いて暮らした。誰もが、珠蘭を腫れ物のように、遠ざけた。側仕えの娘だけが世話をしてくれたが、それが尚更、悲しかった。

(私はもう、いらない子なんだ。このまま、歳を重ねて、厄介者として実家で生きていくしかないんだ。たくさんの弟妹がいるもの、妹たちはちゃんとした纏足をするんだろう。私はいちばん年上だもの、もうどうにもならない。やり直しもできない。この先、どうすれば……)

 ふっと、死んでしまおうかと思った。みっともなく生きるよりは、潔く死んでしまうほうが、きっと皆、涙とともに思い出してくれるに違いない。


 珠蘭は満月の夜に、人目を避けて、夜中に部屋を出た。近くの淵に身を投げようと思ったのだ。

 満月の夜だけあって、夜中でも真昼のように明るく、行灯などの明かりは必要なかった。珠蘭の家は豪商なだけあって敷地が広く、屋敷の周囲は畑と森が取り囲み、小さな滝まであった。

 珠蘭はまだ諦めきれずに足に纏足の布をきつく巻いていて、足が痛いので、四つん這いで淵まで行った。滝壺近くの淀みを覗き込み、水面に映る自分を見た。頬を涙に濡らした、悲しそうな顔をしている。まだ若く幼く、人生はこれからで、可愛らしい娘なのに。纏足がうまくいかないから死ぬ。それしかないのか。そんな人生は、悲しすぎないか。

 珠蘭は、やはり死にたくなかった。はらはらと涙を零した。

「誰か……誰か、纏足の神様、小脚姑娘、誰でもいい、私の足をなんとかして……!」

 両の手を組み合わせて、必死に祈った。爪が手に食い込み、血が流れた。

 雲で月が陰り、ふっと暗くなったかと思うと、背後に誰かがいる気配があった。

「なんとか……してあげようか?」

 すこし年上らしき女性の、楽しそうな声が答えた。その声の、なんという艶めいた、色っぽい響き。美しく蠱惑的な響き。優しそうで、意地悪そうな声色。これは、この声は。

 珠蘭が振り返ろうとするよりも早く、声の主が止めた。

「だめだめ、振り返っちゃ。わたしの姿は……ここらでは珍しいもの。あなたは驚いて、小鳥のように逃げてしまうわ」

「そんな……こんなに美しい声の人が? こんな素敵な声、聞いたのは初めて」

「あら……ありがとう。声には自信あるのよ」

 不思議な声だった。高すぎず低すぎず、柔らかく、心に染み入る。きっと優しい人に違いない、と思わせる何か。こんな、人の敷地に無断で侵入している怪しい人間であるとは思わせない何かがある声だった。

「それより、あの、なんとかって……なんとかなるの、この足が? 両親にも見放された、この足が……!?」

 冷たく両親が突き放した、あの言葉を思い出して、ふたたび珠蘭の両の眼に涙があふれた。

(私を怪我をした牛馬みたいに、諦めようだなんて……ひどい! ひどすぎる! 私の見ていた優しい両親はまぼろしだったの?)

 珠蘭の懊悩をよそに、声の主は軽く肯定した。

「なんとかは出来るけど。魔法よ。わたしはね、魔法が使えるの。大した魔法じゃないのよ、あなたと、周囲の認識を変えるだけ。見えるものが変わるだけ。でもそれが……この国では、人には、大きな意味を持つのよね」

 声が大きな愉悦を孕んで、楽しげに震えた。

「魔法……?」

 聞き慣れない言葉に、珠蘭は小首をかしげた。

「あなたに三寸金蓮をあげようか」

 声の主は、驚くべきことを、さも簡単なように提案した。

「えっ、三寸金蓮を……!?」

「せっかくの機会だし、より多くを望んでもいいと思うのよ、この国の人民は婦女子が大それた願望を持つことを喜ばないけれど。フツーが良ければ普通のをあげるけども。わたしはね、最上のものが好きなの。遠慮はいらないわ、さあ……どうするの、普通のそこそこの足になりたいの、三寸金蓮が欲しいの?」

 彼女は果たして、人なのか妖怪なのか。これは夢なのか現実なのか……珠蘭は混乱しながらも、心の底から叫んだ。

「三寸金蓮!」

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