#34
ダオの生首が転がっていた。胴体は、クオンの身体の下にあった。美しく高価な衣類をまとった女の首なし死体。たぶん、これがダオの身体なのだ。
クオンの両腕は、血に塗れていた。手には鉤爪が、腕には剛毛がびっしりと密生していた。
「こ、これは……これは……!?」
喉には石が詰まったようで、手はわなわなと震えていた。
たまらず吹き出したような、軽やかな笑い声があたりに響く。
髪をお団子ふたつに結い上げた少女が、極限まで短い真紅のチャイナドレスで、すらりと細い足を見せびらかして、心から楽しそうに笑っていた。
「もう~。みんな、人狼っていうと、狼男みたいになっちゃうんだから。あたしはこういうの嫌いだなぁ。もっとスマートでなくちゃ」
少女はクオンに近づく。クオンは最前までの少女とのやり取りを思い出して、慄き、後ずさって距離を取った。
「お前は……いったい、何者だ。そして、ここは……」
周囲を見渡すと、豪奢な屋敷の中庭だった。広大な庭園は綺麗に刈り込まれ、整った美を演出しているが、今はその木のどれにも血や臓物が降りかかり、大勢の命が失われたことを物語っていた。物音ひとつ、声ひとつ、聞こえない。
「ここはダオの夫の屋敷。この町の支配者だもん、一番大きな邸宅だよ。これは全部、あなたがやったの。そしてあたしはあなたの主人だからね、こんど『お前』とか言ったら張り倒すよ」
「主人……」
「そう、あたしが血をあげて、あなたに力を与えた。あなたは私のために、その力で尽くすという――――そういう契約を結んだの。それが血の掟。あなたは絶対に、あたしに、逆らえない」
「契約――――だと。そんなものは……」
知らない、と言いたかったが、ダオの死体と、周囲の酸鼻を極める光景が、クオンの心臓を絞りあげる。クオンは胸のあたりの毛皮を掴んだ。
顔を手で覆うと、顔立ちはまだ人間らしい感触を残していた。
「ダオを俺が殺すはずがない……!!」
「もう~。思い出して! あたしが血をあげたら、あなたは喜び勇んで飛び出して、ダオの匂いをたどって、この屋敷に辿り着き、まずは寝室のダオの夫を。ついで、絶叫に驚いて飛び込んできた使用人たちを。最後に泣きながら懇願するダオの首を引きちぎったんだから。あたし見てたんだからね?」
少女は蹲るクオンの前に膝をつき、手をやさしく重ねた。
「ダオは売女だもん。あたしは違う」
少女は微笑む。
「あたしは絶対に、クオンを裏切らない。あたしの名は……」
そこで少女はふいに、カメラ目線になった。そして怒りをこめて叫んだ。
「ちょっと! 覗いてんじゃねーよッ!! あたしは覗きが世界で一番、キライなんだよ! ちょっ、お前ら、そのままそこにいろよ! 今から目に物見せてやるからなぁ!!」
そして、ぐっと手のひらがアップになり、指先が画面を突き出て、かなめたちの方へと、ずるりと出てきた。
かなめたちは仰天した。今まで、ただの視聴者で高見の見物だったのが、急に当事者へとなった。
「お、お、お、おわ――――!! ぎ、銀ちゃん! なにこれ! どうしよ!」
「これは……! まずい、現実で攻撃されてるぞ」
「えぇ?」
「ゆっくりしている状況じゃなくなった。ということを、我々の深層心理が知覚して画面に投影して教えてくれているんだ。要するに、現実のほうで危険が迫っている。猶予は、ちょうど、この女が画面から出るくらいだな。やけにゆっくりに見えるが、こうしている今も、確実に時間がなくなっていく。もう二の腕が出たぞ。早く対処を決めろ」
「え、え、ええええええ?? 全然わかんないんだけど! じゃあ、過去の映像と今は関係なくて、とにかく現実で攻撃されていて、もうこの部屋でないといけないとか……早く決めろとか……焦るから早く早く言うのやめて!」
「クオンというあの男をこの部屋に引きずり込んだ次の瞬間に来るということは、たぶんその主である少女が助けに来たんだろう。しかし、今は昼のはず……そんなには強くない吸血鬼だと思う。吸血鬼は強ければ強いほど、昼の光に弱い。だから……」
「じゃあ私は!? 強いじゃん! 無敵って言ったじゃん! 無限に考える時間があるからって、でも、もう考える時間がなくて、ここ出て、なんか分からん敵とすぐ戦わなくちゃいけなくて――――うわー無理! 時間制限ないとか本当に無理だよ! なにも考えられない!!」
「考えられなきゃ死ぬだけだ。私は人狼だ、主に従おう。ダメなら共に死ぬだけだな」
「そんな弱気な。それに、あるじ……って、私は」
そういうのじゃなく、銀ちゃんとは対等でいたいんだけど――――という暇もなく。お団子頭の少女の全身が、画面から出る。その白い繊手が、かなめの前にいる銀子に伸びる。かなめは銀子の前に出て、その手首を掴んだ。
「――――――――出るよ、銀ちゃん!」
時がほぼ止まった白い部屋。ここから出ればどうなるのか。今、この瞬間に、赤子の姿のクオンという男を殺しておくべきなんじゃないのか。出た瞬間に、あの少女が待ち構えているのじゃないだろうか。もう、すでに危害を加えられつつあるということは――――。
さまざまな思いが頭を駆け巡るが、ともかくも、かなめは意を決して、銀子とともに白い部屋を飛び出した。




