#32
刀を振り下ろそうとした刹那、背後で突風が巻き起こり、思わず振り返った。
視界が光で満ちる。まぶしい。温かい。
すべてが白く染まり、そして……。
※ ※ ※
「クオンー!」
幼馴染の少女が手を振って、駆け寄ってくる。
クオンは少女に手を振り返した。
「ダオ」
りんごのように真っ赤な頬の少女ダオは、クオンと並んで羊を追った。希少な毛が取れる羊で、その毛を脱脂して紡ぐと、高く売れるのだった。とはいっても生活はぎりぎりで貧しい。親類縁者で助け合って、どうにか日々を暮らしていた。
ふたりは山岳の少数民族だった。高原の清涼な空気。厳しい寒さ。貧しさ。それでも若い二人は幸せだった。二人は婚約者だった。
あと半月もすれば、秋が来て、ささやかな祭りがあり、二人は結婚する。
物心ついた頃から二人は二人でいるのが当たり前で、周囲も結婚するのが当然と思っていた。ダオは素直で愛らしい少女で、クオンは真面目で働き者の少年だった。ふたりは15歳だった。
※ ※ ※
「じゅうごかぁ……」
かなめが、渋い顔をする。
「この時代の、この民族では普通のことだ。お前の国だって、13やら15やらで結婚する時代もあっただろう」
銀子が指摘すると、かなめは唸る。
「平安とか戦国時代とか、あのへんかな…? でもさぁ……早すぎる妊娠は未成熟の母体に良くない。最低でも二十歳とか……」
かなめはぶつくさ言うが、銀子は無視してリモコンの再生ボタンを押す。
ふたりがいるのは、白い部屋だった。
先ほど、この空間を出て、銀子を光に変えて、刀を振り回す危険な青年を捕縛した。ほんの一瞬で、勝負はついた。
そして、この空間に入ると、浅黒い赤ん坊が産着にくるまれて、ばぶばぶと蠢いていた。
「こっ、これは……!」
かなめが驚愕すると、銀子は淡々と説明した。
「先ほどの刀男だな。この空間で、刀を振り回されたくなかったんだろう、それは分かる。分かるがしかし、敵を無力化するのに、もっとも無力な赤ん坊にするとは……。かなめ、お前に慈悲はないのか」
「……えっ、なんで私が責められてるの!?」
かなめは狼狽する。
「今回はうまくいったが、調子に乗らないようにな。お前とて無敵じゃないんだぞ。背後と睡眠中には気をつけろよ」
「……銀ちゃんが気を付けてくれないの!?」
銀子は赤子を見下ろした。赤子は泣きもせず、仰向けのまま、無邪気に手足を蠢かしている。食欲も睡眠欲も排泄欲もない、時間のほぼ止まったこの空間ならではの理で、とくに不満を感じないのだろう。かなめも赤子を見下ろし、困った顔をした。
「……これ、どうすればいい?」
「どう、とは? 殺すか? この空間で殺せば、精神が死んで、現実では廃人となるのかもしれないが……」
かなめはさらに狼狽し、あわあわと両手を無駄に動かした。
「そ、そんな! そうじゃなく! もっと穏便に!」
「そうだな。弱みを掴んで、手下にできればいいんだろうが……」
「そ、そうかもしれないけど……この外国人ぽい人がなんで日本にいるのか、なんで港についていたのか、敵のボスはどんな人なのか、まず、なにか情報を取れたらと思うんだけど……」
「なるほど。情報を得てから殺すのか」
「銀ちゃん! 魚捌くみたいに言わないで!」
ツッコミ疲れで、かなめは肩で息をした。
「……とにかく。殺す殺さないは置いておいて、どうやって情報を抜いたらいいかな」
「脳みそに手を突っ込むか? それとも」
銀子は屈むと、赤子の産着をひらいた。ぷくぷくした腹の中央に、へそではなく端子を差し込むジャックがある。
「……おぉ!?」
「これは……ああ、あった」
銀子が指さす先には、いつの間にやらプロジェクターが存在していた。コードで赤子とプロジェクターを接続する。
照明を落として、いつの間にやら都合よく現れた白い壁に映像を投影すると、ほどなく、画面を覗き込む老女が映る。皺深いその顔は、日本人ではない。浅黒く、理知的な瞳をしていて、画面はがくがく揺れた。
「お、これは産婆だな。産まれたところからか。ちょっと早回しするか。リモコンは……と」
「銀ちゃん、これって、この人の人生覗いてるの?」
「投影機械を出したのはお前だ、かなめ。せっかくだし、ソファとか出してくれないか」
「そ、そんな。人のプライバシーを娯楽みたいに……」
もごもご言いながらも、かなめも外国人青年の人生に興味があり、二人はゆったりしたソファに並んで座って、鑑賞した。
銀子はどこからかポップコーンまで用意して、摘まんでいる。他人様の人生を娯楽のように扱ってはいけないのでは……と言いながらも、かなめも摘まむ。塩味のきいたポップコーンだった。
画面の赤ん坊は早送りで幼児になり、少年になり、許嫁である幼馴染と結婚式を挙げた。村人は皆、参列し、祝福した。その日は3件ほど同時に結婚式があり、人々はご馳走を食べ、飲んで、歌って、踊った。
「合同結婚式かぁ」
かなめが物珍しそうに呟くと、銀子が解説した。
「貧しい暮らしでは、よくあることだ。毎月、ご祝儀やご馳走は出せないからな。半年とか年1回とか、まとめてやるんだ」
場面が変わり、村は炎に包まれていた。抵抗する人々は殺され、若い女は攫われ、男は連れていかれた。クオンは最後までダオをかばって逃げていたが、捕まって殴り倒され、気絶したクオンは兵士に引きずられ、ダオは泣き叫びながら引き離された。
クオンは髪を剃られて、服を剥ぎ取られ、眠らされた。起きたときにはすべて、終わっていた。股間の激痛の訳も分からないまま、収容所の一室に戻される。呆然としているクオンに、見知った顔の男が呟いた。隣村のフンだ。
「断種だよ」
「断種……?」
「民族浄化。女はやつらの子を産まされ、男は断種される。もう、その民族の子は産まれない……。一族の言語も使用を禁じられ、文化の継承も出来ず、俺たちの歴史は消えていくんだ」
「…………」
「よくある事さ。本当に、よくある事だ。俺のかかあも、子どもも親戚も、皆、殺された。俺たちは強制労働に駆り出され、病気になれば捨てられる。けど、もう……どうでもいい。もう守りたいものも、大事なものも、何もないしな……あとは死ぬだけだ」
フンは、うつろな目をしている。
大勢の親戚で助け合って生きてきたクオンも、もう一人の親戚も、たくさんいた祖父母に親兄弟もいないこと、自分に子どもが出来ないことが辛くて、寂しくてならない。ダオとはまだ一人の子も成していない。このまま、呆然と孤独のまま死ぬには、クオンは若かった。胸に滾る怒りが彼を突き動かした。
「俺は……妻を探す。きっと生きている」
「…………」
フンは何も言わなかったが頷き、脱走を手助けしてくれた。
嵐の夜に、クオンは脱走した。追手がかかったが、どうせ、もう迷惑をかける親戚もいない。クオンは逃げ切って、故郷の山へと戻ってきた。
故郷は、ひどい有様だった。羊は散り散りに逃げたのか、捕まえられたのか、一頭も残っていなかった。焼け焦げた原、略奪され焼かれた家々を見て、野ざらしにされていた親や親族や村人の亡骸を埋めた。両手を合わせて祈りながらも、妻であったダオのことを考えていた。
きっと、どこかで生きている。噂では、若い女は皆、やつらの国へと連れていかれて、ひどい目に遭っているはずだった。
「俺が、ダオを助けないと」
りんごのような真っ赤な頬っぺたの、きらきらした目をした愛らしい新妻。結婚して、さほども経っていなかった。新婚の楽しい時期を踏みにじられ、クオンの胸中は怒りに滾っていた。
(ダオ……!!)
親兄弟に親族も死に絶え、残る気がかりといえば花嫁のことだけだった。
クオンは身なりを変え、敵国の言葉をおぼえ、身分を偽って働き口を探して糊口をしのぎ、泥を啜るようにして必死に生きて、ダオを探した。
敵国は広かった。ダオの手掛かりは、ほとんどなかった。
女たちが連れていかれるのを見たという人に方角を聞き、その方向に歩き、村があれば、また尋ね。
それらしき女を訪ねていくと別人であったり、もう居場所を変えていたりした。
何年も探すうちに、もう生きる理由がダオを探すことになり変わっていた。
十年もすると、もう生きているのか死んでいるのか。本当にこれがダオへの道しるべなのか。分からないまま、少しでも手掛かりを探し、何かあれば足と時間と金を使って、探しにいく。
情報が本当なら、彼女は最初は貧民窟の一番下等な売春宿へ売られたようだった。そこに一年はいた。払う男がいたのか貯金したのか分からないが、金を払って奴隷から一般市民へとなる。それでも女郎の身分はなかなか抜けられないようで、少しは高級な売春宿へと移った。そこに数年。彼女は結婚して、街を出る。娼婦はやめたようだ。その後の手掛かりがなかなかない。娼婦から抜けるときに名を変え、結婚で姓も変われば、見かけしか手掛かりがない上に、十年も経ってしまえば、クオンとて見て分かる自信はなかった。それでも、一目でいい、彼女に会えれば。彼女が幸せだと分かれば、それでいいと、休日に探すのは、もはや日常の域に入っていた。
周囲の者は、堅実に働くクオンに結婚や見合いを勧めた。しかし、ダオのことが気になるし、クオン自身は子を成せない体なので、そういう話には積極的になれず、そして休日はダオの影を追い求めるのだった。
さらに3年も経った頃、本屋で何気なくめくった雑誌に、ダオにそっくりな女性が載っていた。
富豪の夫人が国際文化交流に尽力、という内容だったが、ダオに似た女性は、あれから13年経過したと思えば、30前とは思えぬ落ち着きのある顔をしていた。しかし、その輝く瞳だけはダオのままで、これがダオでなければ自分は何を信じればよいのかとクオンは苦悩するのだった。
クオンは悩み、考えを振り絞り、出版社経由で夫人に宛てて手紙を書く。記事の内容にたいへん感銘を受けました、十三年前を思い出します。自分には妻があり、離れ離れになってしまった。ずっと探し続けていたが、幸せであればいいと思います……。
夫人が別人である可能性も考えて、ダオであれば知っているキーワードをちりばめた。それでも、どっちにしろ返事は来ないだろう。今が幸せであれば過去のことは捨て去りたいだろう、売春婦であったのだから、なおさら。そう思っていた矢先に、返事が来た。夫人からだ。「宜しければ、お会いしましょう」という。
「これって、会いに行ったら始末されるんじゃ……」かなめが慄くと、
「どうして、お前はそうなんだ」と、銀子が嘆息した。




