#31
「もう、この星も終わりね」
女が、天を仰ぐ。蹲っていた男は、諦めきれないように目の前の土を掴んだ。しかし生命のない土は、さらさらと、砂のように指のあいだから零れ落ちていく。
「ああ……、あんなにいのちで賑わった星だったのに。どうして。どうして……」
男の目にはみるみる涙がたまり、零れて、乾いた土に落ちていく。しかし吸い込まれる前に、周囲の業火によって蒸発した。
天からは火の雨が降っていた。火山が噴火し、暗雲が天を覆い、昼間でも夜のように暗く、海水は蒸発し、いたるところでマグマが海になって渦を巻く。もはや飛ぶ鳥も、泳ぐ魚も、ねずみ一匹すら、動くものはない。
女は周囲の様子を、静かに見渡した。
「……いつかは火も消えて、溶岩も固まり、雨が降って、また海が出来るでしょう。そして海から生命があらわれるのは……何万年かかるかしら? とりあえず、この星は……しばらく放っておきましょう。また、わたしたちの新たな星を見つけに、旅に出ましょう……」
「…………」
男は、がっくりと項垂れたまま、身動きすらしない。女はため息をひとつついて、手を差し伸ばす。男は女の気配に、涙に濡れた顔をあげ、差し出された手を握り返した。
女に手を引かれ、男が立ち上がる。涙に濡れた頬をぬぐい、ようよう頷く。
「…………うん」
火の雨のなか平然と立つふたりは、どう考えても人ではなかった。
ふたりとも、顔立ちは彫りが深く、造作も美しく整ってはいるが……それが真実の姿なんだろうか? 何かの異形のうえに、人の皮を被っているのか?
ひらひらとした衣装が、火の雨でも燃えないのは何故なのか。熱風のなかでも、滑らかな肌に火傷ひとつなく、髪も燃え上がらず。ふたりは、涼しい顔で業火に巻かれている。その二人の背後に、巨大な宇宙船らしきものが、ぬうと浮上して――――。
※ ※ ※
「――――め」
「……なめ!」
「かなめ、かなめ!」
頬を張られて、痛みに目が覚めた。
かなめが目を開くと、銀子が上から覆いかぶさり、必死の表情で、さらに殴るべきかと片手を振り上げているところだった。解けた髪が銀色の滝のように、さらりと降りかかる。
「銀ちゃん……」
かなめが気が付いたので、銀子は、ほっと息をついて手を下ろす。乱れた銀の髪を、乱暴にかきあげた。
「夢のなかで、眠らないでほしい」
「夢……」
銀子が上からどいたので、上体を起こして周囲を見ると、いつぞやの白い空間だった。
先ほどまで不思議な男女の夢を見ていたはずだったが、起きた今度も、また夢とは。どうなっているのだろう――――と、かなめは首を捻る。悪夢を見て飛び起きたはずが、まだ夢のなかだった、という事はある。それだろうか。しかし、今の光景には見覚えがあった。そして頬の痛みは、かぎりなく現実的だった。
銀子は膝立ちから立ち上がった。服装は、かなめが帰宅した時と同様、長袖TシャツにGパン。無地のエプロンはしていない。しかし、ポニーテールだった髪は、解かれて乱れている。かなめは帰宅時と同じく、いま通っている高校のブレザーの制服姿だった。
「覚えているだろう、あの学園の……あの山を吹っ飛ばしたとき。この空間は、お前が作ったんだ、かなめ」
「…………んっ?」
かなめは思い起こす。吸血鬼のなりそこないの少女たちが襲ってきたとき、二人は絶体絶命だった。なんの武器もなく、なんの能力もなく。ただの一撃で葬られ、化け物の餌になるしかなかった。そんなのは嫌だった。どうか、少し待ってほしい……タイム!! と、思ったのだ。
「ついさっき、敵が来ただろ」
「敵」
頭がぼんやりしている。長い映画を見たあとのような。ゆっくりと、現実へと帰っていく感覚。そして、かなめは思い出した。
※ ※ ※
ゆきとの電話を切るなり、キッチンから悲鳴が聞こえて、かなめはリビングに飛び込んだ。そこには、敵の人狼が立っていた。若い男で、髪は長く、肌は浅黒い。上半身は裸に近く、ほどよく引き締まった裸体を晒している。そして手には青龍刀という、日本刀よりは刃の幅の広い、中国の片手刀を引っ提げている。
リビングの窓は破壊されて、破片が部屋の内側にひろく飛び散っていた。窓から飛び込んできたらしい。そこへ間髪入れず、別な人狼たちが5人、飛び込んできた。双方戦い、瞬時に決着はついた。敵の人狼の振り回した一刀で、取り囲んでいた人狼たちは両断され、吹っ飛んだ。敵の人狼が長い黒髪をなびかせ「弱い弱い!」と勝ち誇ったところに、また新手の人狼が5人来た。また全員、瞬時に両断されたが、ひとり風使いがいたようで、絶命の寸前、男の頬をわずかに切り裂いた。港はそれを見て、何か叫びかけたが、若い男は気にする様子もなく、頬の血をぬぐって、不敵に笑った。そこへまた、新たな5人が――――。5人組は、すべて若いアジア人の男女の人狼で、死をまったく恐れていないようだった。もとは仲間であったろう周囲の死体の山にも、まったく怯む様子もなく、浅黒い人狼に向かっていっては、一刀のもとに斬り捨てられる。男の刀は、柄が自在に伸びるようだった。矛にもなり刀にもなる武器に、5人組の人狼たちは、なすすべもなく倒されていく。男が刀を振るうたび、両断された手が、足が、血と臓物が空を舞った。
リビングは血しぶきと死体の山で、めちゃくちゃだった。港はリビングのソファの陰へ避難して、狼狽え、涙を浮かべ、増え続ける死体に、きゃあきゃあと、ただ悲鳴を上げていた。
銀子は戦いが始まるやいなや、コンロの上の大鍋を火からおろして蓋をして、エプロンを脱いでぐるぐる巻きにして、キッチンの隅に移動したテーブルの下で大事に抱いて守り、かなめは銀子を背後に隠した。銀子が人狼の本分を思い出して、慌てて前に出ようとするのをかなめは阻止して、無言で揉め合い、そうこうするうちに、5人組の人狼は尽きたようだ。
浅黒い人狼は肩で息をしていたが、さほどな傷もなく、大ぶりな刀を一閃して、血を振り払った。普通の刀は二、三人も斬ると血脂でぬめって使い物にならなくなるのだが、男の刀は特殊なのか、いくら切っても新品のようだった。心底くたびれたのか、はーっ、と長い息をつく。
「ようやく、本題か。――――おい、お前!」
かなめと銀子をじろじろと眺め回していた男が、背後の港を振り返る。倒れたソファの陰に隠れていた港は、狼狽した声をあげた。
「な、な、な、なによぉ!」
「お前、こいつらと知り合いなんだろ。諦めて同行するように、説得してくれよ」
「わ、わ、わかった……」
港は、よろよろと立ち上がる。むき出しの手足はガラスの切り傷にまみれ、血が流れていた。周囲には若い男女の切り刻まれた死体がそこかしこに積み重なり、手足があちこちに散らばり、血潮は壁に飛び散り、床には血が池となり、家具は大方が巻き込まれて破壊され、悲惨な有様だった。血と臓物と便が床にあふれて、悪臭に息が詰まる。港は頭から返り血を浴び、谷間も露わな胸元にも血が滴っている。
港はおぼつかない足取りで、かなめらに近寄ろうとしたが、床の血だまりを踏んで転んだ。しばらく、血みどろのまま呆然として身動きもしなかったが、やがて、大声を放って泣きだした。
「うわーーーーっ! もう嫌だぁ!!」
男は辟易したかのように肩をすくめ、ひょいと刀を振りかぶった。
「うるさいよ、お前。役立たずは死ね」
「…………!」
かなめは叫んだ。叫ぼうと思った。待って、と。しかし声は口から出ず、敵の刀は、びっくりしたように目を見開く港の頭上にゆっくりと近づき、背後にかばった銀子の指が、腕に食い込むのを感じ。時間が、酷くゆったりと流れ、このままだと港は真っ二つに両断されてしまうと思い。声が出ないまま、力の限りに叫んだ、つもりだった。
(待って…………!!)
そして、あたりが真っ白になった。
そうして、いま、かなめは銀子とともに『白い部屋』にいる。
「……この白い部屋は、お前が作ったんだ。かなめ」
「マジか」
真っ白な部屋は、ぼんやりと明るく、果てがない。床はたしかに硬い感触で存在しているが、壁がなかった。
「走馬燈、というだろう。死ぬ前の刹那、一生の思い出を見る。絶体絶命の一瞬、お前は時を止めるんだ。……いや、ひどくゆっくりにする、というのかな。我々は普通に話しているつもりでも、たぶん現実の世界では、ほんの一瞬のやり取りなんだ」
いまいち分かっていないのか、かなめは首を傾げる。
「……なるほど?」
「時間を止めたいと思ったのか、相談する時間がほしいと思ったのか……は、私にはわからないが。でも、これが、お前の能力なんだよ」
「これが――――!?」
銀子の指摘は、かなめにはショックだった。
「もっとこう、格好いい能力だったらいいのに。光の剣とか、虎になるとかさぁ。これが……? これ、かぁ……」がっくりと、肩を落とす。
「これのおかげで、我々はあの時、助かったんだろう」
「それはまぁ、そうだけど」
かなめは言いつつ、腕を組む。
「うーん……。これ、便利なのかなあ? たしかに銀ちゃんに相談したいとは思ったけど。世界の時間が止まって、そのなかを自由に動けて、敵にとどめを刺せるなら便利かもしれないけど……。私は、今はただ、港を助けたかっただけだし……あの敵は無力化できれば、殺さなくてもいいんだけど」
かなめの言葉に、銀子が考える。
「殺さないのは、ちょっと難しいかもしれないな。それこそ、時の止まった世界を自由に動けて、縛りあげられたら、可能かもしれないが。この空間に入るには、たぶん接触が必要なんだ。やつをこの中に引きずりこめたら無力化はできるかもしれんが、接触は困難だろうな。かなりの手練れだ。桜庭の手の者が全滅したくらいだしな」
「えっ、あの人狼の人たちって、味方なの?」
今度は、かなめの言葉に、銀子が愕然とする。
「なんだと思ってたんだ?」
「仲間割れかな? って。私たちに一言もなかったし……私たちの安全なんか、考えてなかったよね」
「それだけ、必死だったんだろう。現に、みな死んでしまった」
「……木場さんが来ればよかったんじゃないの?」
桜庭のやりように、そろそろ、かなめも疑問を持ち始めていた。銀子は天を仰ぎ、
「ま、今は来なさそうだから、我々でなんとかするしかない。……巨大な竜になったら、ここ一帯は吹き飛んでしまうな」
「それは絶対ダメ」
一緒に座り込んで、二人は考えた。
「もうちょっと、小さい竜ならいいんじゃないか。かなめ、ちょっと想像してみろ」
「えっ、あの白い大きな竜が、銀ちゃんの本性なんじゃないの?」
「あれは、お前が考えたんだ、かなめ。私には、なりたい物なんかないって言っただろう。お前が考えて、私を変身させた。だから、違うものにもなれるはずだ」
「えぇ……っ!? って、ちょっと待って。だから、その、うーん、私が思ったより色々出来るのは分かったけど、なんで今まで言ってくれなかったの?」
「かなめが当時のことを、良く覚えていない様子だったからな。これ幸いと、ごまかさせて貰った。お前はどう思っているか知らないが、桜庭、あいつとあの組織は、かなりヤバいぞ。今回のこの事件も、やつが仕組んだんだ。我々の警備を手薄にして、敵を誘いこんだ。なんなら、我々の情報もあっちに流しているのかもしれない……港の側に」
かなめは目を丸くして、動揺した。
「な、なんで、そんなこと……」
「狙いは、我々だ。かなめ、お前の本当の力だ」
「本当の……?」
「時間を止めて考えて、山を吹っ飛ばすだけじゃない。考えられるものなら、何にでも私を変身させられる。何でも出来る。知識と想像力さえあれば。死者を生き返らせること以外なら……」
銀子の話は唐突で、かなめはとてもついていけない。
「何でも……と言われても……」
「それでも、お前は不死じゃない。無敵じゃない。だから、桜庭には、かなめの力を絶対に知られたくなかった。あの時は、逃げることは不可能だと判断して、むしろ積極的に協力しているように見えるよう、あれこれ画策したが……」
銀子は、ふっと溜息をついた。
「急な話で、戸惑うだろうな。だが、理解してほしい。ここへ来て、桜庭は敵を誘いこんで、我々にぶつけた。我々が訓練で白い竜にならなかったから、その力を見るためだと思うが……。絶体絶命の状況を作るために、若い人狼25人の命と、我々の命も賭けたんだぞ、あいつは。今までは、紀元前から続く巨大な組織だし、利用できるものなら利用してやろうと思っていたが……かなりまずい。お前が力を使った様子も、監視されているだろうから、両方の組織に知られてしまっただろう」
かなめは急に不安になってきて、自身の胸のあたりの服を掴んだ。
「ど、どうすれば……?」
「桜庭とこの先やっていくのは、かなり難しいだろうな。かなめは最悪、意思を奪われて操り人形になる。それが嫌なら逃げるしかない。巨大な組織だが、十年逃げた者がいないでもない。まぁでも……かなめは特別だからな。たぶん気合の入った追手がかかるだろう。ともかく今は――――この窮地を脱することだ」
かなめは真剣な表情で、頷いた。
「小型の竜を想像してみて、その炎の息で奴を仕留めるにしても、屋内で炎はまずい。下手すると爆発するし、このマンションは燃えてしまうし、ぼやで済んでも放水車で水浸しになるぞ。あと、我々がいた位置を考えると、奴の向こうに港がいるから、直線で攻撃すると、港も下手すると死ぬかもしれん。巻き込みたくないなら、何か方法を考えないと」
「ええっ……急に言われても……」
二人して、座り込んで考える。
かなめは腕組みして唸っていたが、諦めて、ごろんと仰のいた。
「急に名案なんて、出てこないよ~」
「困ったもんだ」
銀子は、深々とため息をついた。
「最強のやつに最強の自覚がないことほど、扱いづらいものはない」
「最強……?」
けげんな顔をするかなめに、銀子は渋い顔をしていた。
「この世で、時を止めるほど最強の能力はないだろう。どれほどの攻撃だろうと、当たる直前で止められる。そして、対応を協議し、反撃できる。それが最強でなくて何だというんだ」
「最強なら、こんな悩まなくてもどうにかしてほしいよ……」
どうすればいい、と、かなめは悩んでいた。
自分たちだけが逃げるなら、なんとかなりそうだった。しかし、かなめは港を見捨てたくない。自分が必要なことを話さなかったせいで酷い目に遭わせてしまった負い目がある。どうにかして、助けたい。そして、港には危険が迫っている。この空間を出たら、瞬時にあの男に攻撃して倒さないと、港は両断されて死ぬだろう。さすがの吸血鬼でも、縦に二つに割られたら、即死だ。
吹っ飛ばす系の攻撃だと、男の至近距離にいる港も巻き込んでしまう。精密射撃でないと……と思い、そこで、はたと思考が止まった。
「精密射撃するにしても……私は、銀ちゃんに変身してほしくないんだけど」
「そこへ来たか」
人狼は、変身するごとに寿命を減らす。かなめは、銀子に長生きしてほしかった。
「この非常時に……しょうがないだろう、生きるためには。それに、あの巨大な竜よりは、寿命が減らないんじゃないか」
「小さいから燃費がいいとか、大きいから消費がでかいとか、そんなの、実証されてないでしょ? とにかく嫌なんだって!」
かなめは吠えるが、
「じゃあ、どうする?」
と銀子に訊かれると、しょんぼりと項垂れる。
「……殺すとか殺さないとか、殺伐としすぎじゃない? 私たち、もっと、愛と平和が必要だと思うんだけど」
「強者の理屈をふりかざすなら、この状況をうまく解決してみろ」
「うう……」
かなめは、頭を抱えて、ごろごろした。そこへ、銀子が容赦ない追撃をする。
「ここは、時間が止まってるわけじゃないぞ。ひどく、ゆっくりなだけだ。あまり悩んでいる暇もない。そろそろ決めろ」
「嫌だ……嫌だよォ~! 一生、ここにいたいよォ! お外こわいよォ! あの怖いお兄さんがいるよォ!」
じたばたと駄々をこねるかなめを、銀子は暴れ馬を扱うように、よーしよしと頭を撫でて、大人しくさせた。
「お前にとっては、あの男も、道端の虫けらなんだろうな。力の差でいえば、人間がアリを見て、踏むと可哀そうだから避けよう、くらいのものだ。我々は桜庭の食客で、奴は桜庭の人狼を25人ほど倒してしまったから無傷で返すというのは、組織としては出来ん相談だが……桜庭と決別するなら、生かしておいても構うまい。お前なら……まぁ、捕虜にも出来るだろう」
「捕虜……」
「となると、瞬時に捕縛することになる。あいつが港に武器を振り下ろす前に。いま、港の頭上ぎりぎりに刀が迫っているのを忘れるな。どんな方法であろうと、反動で港に刃が触れないようにしろ。捕縛……といっても、ロープのようなものを投げていては間に合わないし、反動が残る。硬いものに閉じ込めるイメージがいい」
「うーん……でも、それだと、銀ちゃんに硬い檻的なものに変身させることになっちゃうので却下。というか……檻に変身→上からかぶさる、という2アクションを瞬時にできるのかっていう。というか無機物に変身して、そのままになっちゃったらどうすんの?? 戻せるイメージが湧かないんだけど……」
「それは困るな。それに、檻だと隙間から刃が出てしまって、港が傷つくしな」
「もっと……もっと早い方法ないかな……銀ちゃんを使わない方法で……」
「全く、というのは不可能だと思うが」
銀子は視線をさまよわせた。
「何らかの手段で一瞬だけ接触し、この空間に引きずり込めれば、あとはお前の能力で行動不能状態にできるだろう」
「さっき、接触は不可能とかいってなかった?」
「考えるんだ。方法はある。空気は、すでにあいつに触れている。光、音、空気中の水分……とか。ほんの一瞬で、やつに届くものはある」
「…………」
そうか、そうだ、そうだった。
天啓のように、その考えが閃き、かなめはもう迷わずに銀子の手をとった。
「いくよ、銀ちゃん」
銀子は無言で頷いた。




