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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
30/39

#30

「桜庭ぁ!!」

 アポイントメントがないと通せないと慌てる秘書を押しのけ、やたら重厚な執務室のドアを開けると、桜庭は、慌てるでもなく木場に微笑を見せた。

「どうした、そんなに急いで」

 身振りで、秘書に下がるよう伝える。女性の秘書は一礼して退室し、室内には静けさが戻る。

 どっしりとした執務机に、いかにも高価そうな革張りの椅子に背を預けた桜庭は、神父服ではなくスーツ姿で、高級官僚か、若き経営者のように見えた。

 オフィス街に建ち並ぶ高層ビルのひとつ、そのビルが丸々、「教会」のものであると知っている者は限られる。ビル名もテナントも「教会」とは無関係だが、ビルの上層は「教会」関係で占められている。

 そのビルの最上階。最奥の執務室で、木場は桜庭と対峙していた。木場はいつもの黒いスーツに黒いサングラスで、どこからどう見ても極道だった。その握られた拳は、怒りで震えていた。

「今回の作戦……。どういう事だよ」

「あぁ」

 桜庭は事もなげに、手の上で万年筆をくるりと回した。

「かなめ君のところに来たヤツの対処のことか。5人一組で当たり、ダメだったら次の組が当たる。とりあえず、弱めなほうから6組ほど揃えたが……あちらも、かなり強い人狼を用意したみたいだしな。まぁ、3組目で退治できれば良いほうか?」

「…………ッ」

 ぎりり、と木場が歯を食いしばる。

「お前……今回で、何人使い潰す気だ。人狼は、使い捨ての道具じゃねぇんだぞ」

「いや、使い捨ての道具だろ?」

 木場の怒りを押し殺した声にも、桜庭は淡々と返した。

「契約しただろ。ある者は健康な体を……老いない体を。金を、力を。欲する者に与えるかわりに、力と寿命をもらう。命をかけて、戦ってもらう。分かっていただろ、こっちはボランティアじゃない」

「だからって……これは、酷すぎる。最初から強いのを当てりゃいいじゃねぇか。なんだって……」

「弱いほうから当てるのは、実力を知りたいからだ。弱いといっても戦闘タイプなんだから、ある程度は戦えないと困る。無駄飯食いはいらない。平和だったこの数十年で、けっこう増えてしまったしな、こういう機会に多少はリストラしておかないと。……まぁ、去年の初夏の山崩れで、二百人だったか? いなくなったがな」

「……てめぇ」

 木場がサングラスをかなぐり捨てる。それだけは人のものに戻らない、虎の黄色い瞳が、ぎらりと光る。

「変身して爪で引き裂くまでもねぇ。お前みたいなクソ野郎は、いつかこの拳で、しこたまぶん殴らねぇとな、と思ってたんだよ」

「ほうほう」

 桜庭は面白そうに、席を立った。

「私を殴れると?」

「俺には吸血鬼の魅了は通じんぜ」

 木場が拳を構える。

「また、都合よく忘れてるようだな。ま、それがお前の望みでもあったんだが……思い出してみるか?」

「? 何を……」

「娘さんは元気か?」

「……」

 一瞬にして、木場の拳から怒りが抜ける。

「元気に決まってるだろ……。この春から中学生だ。いや、去年……?」

 娘は、いつから中学生だったろう。何歳だった? 何年生まれ? 妻は……妻の顔が、ぼやけて思い出せない。娘の笑顔も、霞んでいく。

「娘さん、なんて名前だったかなぁ?」

 桜庭のにやにや笑いも、ピントが合わなくなっていく。名前、名前……。忘れるはずもない、その名前。木場は焦りながら、必死で思い出そうとする。

(いや、名前なんて……なかった)

(なぜなら……)

(生まれる前に……)

 大きいおなかを抱えて、幸せいっぱいの妻の笑顔。ちょうど予報どおりに振り出した大雨に、傘を忘れた木場が立ち尽くし、コンビニで傘を買うか、いや走って帰るかと迷っていたら、臨月の妻が傘を持って迎えに来てくれて。

 車道の向こう側で、男物の傘を手に、きれいなパステルカラーの傘をさしていて。目が合って、慌てて手を振った。木場の姿を求めて、きょろきょろ見回していた妻が気付いて、笑顔になる。そこへ。

「トラックが……だっけ? しかも、運転手の過失ではなかった。居眠りでも何でもなく、トラックの製造時の機能の欠陥で……車軸が折れたんだったか? せめて、娘さんか奥さん、どちらか助かったら良かったのになぁ?」

「…………」

 がんがんと、割れ鐘が鳴っている。頭が痛い。喋り続ける桜庭の、滴るような悪意のこもった声が、耳にねっとりとまとわりついて、鬱陶しい。

「先天的人狼……っていうやつだな。人狼は子を作れる。先祖に人狼がいたんだ。そして形質を受け継いだ。しかし、まぁ……それが発現したのが、妻子を亡くしたショックで、とはね。しかも死んだ瞬間じゃなくて、葬式を執り行ってから、というのが義理がたいね」

 桜庭の声は楽しげですらあった。

「運転手は、通夜に来たんだろう? しかも、行ってもいいか、喪主にお伺いまで立てて。土下座したんだってな。そして、お前は許した。あなたのせいじゃない、とか何とか……恰好つけて。その後、覚えてるか?」

「その後……」

 週刊誌の記者が葬式に来て、線香をあげさせてくださいと言ってきた。そこで何か無神経なことを言われ、木場は、かっとなった。殴ってはいけないと思ったが、目の前が真っ赤になった。

(その後……)

 その後のことは、まったく覚えていない。

 木場はふと気が付くと、ごく当たり前のように、桜庭の部下として、「教会」の日本支部の人狼のリーダー役として振舞っていた。

「百人くらい殺したんだ、覚えてないのか?」

「ひゃく……」

「葬式の弔問客、僧侶、手伝っていた町内会の人々。発端の週刊誌の記者も、だし……あと、通りすがりのまったく無関係の人々。全然、罪のない人たちを……。いやぁ、酷かった。血まみれだった。尻ぬぐいが大変だったな。あれは……動物園から虎が逃げた、って事にしても、それはそれで狙撃隊とかで大事になりそうだったし、結局はテロってことにしたんだったかな?」

 どくどくと、こめかみが脈打っていた。目の前が真っ白に変わっていた。木場はいつしか、膝をついて頭を抱えていた。

「現実から逃げ出して虎になるとか……。まるで山月記だなと面白かったよ。けっきょくは私が上から申しつけられて、虎退治したんだ。あの時は、久々に草臥くたびれたよ」

 桜庭は、朗らかに笑っている。ぐるぐると景色が回転して、ついに木場は蹲る。その姿が急激に膨れ上がり、服が弾けとんで、虎へと変貌する。

 残骸と化した衣服の上で、虎は落ち着いているようだった。

「ようし、よし……」

 桜庭が毛皮を撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らすところは、まるで大きな猫だった。

「いちいち、面倒くさい奴だよ。お前は黙って、言う事を聞いていればいいんだ」

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