#28
「あのさぁ、あんたって処女?」
いきなり港に問われて、かなめは目を剥いた。
「はっ!?」
何の関係が、と言いたかったが、これまでの話と関係はあるのだろう。
(港は毎日、乱暴されてたみたいだし……)
言いにくいが、答えねばなるまい。
未経験というのが何だか引け目に思えて、もごもごと呟くように、どうにか答える。
「ない、けど……」
「だよね。私たち、あんなに毎日一緒に暮らしてきたのに、恋愛だの何だの、そういう浮ついた話をしたことはなかったよね。年頃の女の子なら、男の先輩の誰それがいいの、格好いいだの、アイドルがどうのとか、告白したいけど出来ないとか……騒ぐもんだよね。あの山の上の学校のとき、向かいの棟の普通の子たちが、きゃあきゃあと校長に群がっているの、馬鹿じゃないのって思って眺めていたけど、あれが普通だったんだよね。……私たち、普通じゃなかったから。人じゃなくなって……子供も出来ない体で、生殖とは切り離されて、恋愛もなにも他人事になったと思って……興味もなくなったけど。昔は、好きな人もいたんだけど。でもやっぱ思ったのは、恋愛しといたらよかったな、ってこと。あのねー、処女で吸血鬼なると、すごい辛いよ。私のときみたいに、爆弾の首輪つけられて抵抗もできない状態でされてみなよ。膜が再生しちゃうから毎回痛いし、もうね……拷問だよ。まぁ経験済みでも、十人から相手してりゃ血は出ると思うけどさ。ほんと毎晩、辛くて辛くて……花子と泣いたよ。何で私がこんな目に遭うの? 校長はどこへ行ったの? かなめはどこなの? ……ってさー。それでさ、私たちが苦しんでる間、あんたはのんきに学校いって、狼ちゃんと暮らして、清い体のままで苦痛も知らずに、いいよね。すっごい羨ましい。校長も行方を捜してるけど……まずは、あんたが簡単に見つかったからね」
昏い目をして微笑む港は、かなめを心底恨んでいるだろう。すべて話していたら、港と花子も校長にはついていかず、こんなことにはならなかったかもしれないと思うと、かなめは申し訳なかった。
「港、ごめんね、今まで黙っていて。校長だけど……」
今更ながら、校長の悪行について語る。良子のこと、地下迷路のこと、山を崩したこと。今いる組織のことは、港も知っているだろうが、軽々と話すのは憚られたので、黙っておいた。
「話してくれてありがと。ほんと、今更だけど……。どうして、もっと早く話してくれなかったの? 私たち、家族じゃなかった? そんなに頼りなく見えた? 話してくれてたら、協力もできたし、校長と戦うのも一緒に出来たよ。あんなふうに異国に置き去りにされなくても済んだのに……」
「ご、ごめん、ごめんね……」
かなめは頭をさげた。申し訳なさすぎて、頭を上げられない。がくりと膝をつき、さらに頭をさげる。
「ううん、でも、もう過去のことでしょ。分かってるよ、かなめは私たちを巻き込みたくなかっただけなんだよね? 学校に突入してきた組織とは、その時点では知り合いじゃないし、あんなことになるなんて、思いもしなかったんでしょ。何かあっても、最悪は自分が犠牲になるだけでいい、って思ってたんでしょ?」
分かる分かる、と港はやわらかく微笑んで膝をつき、かなめを助け起こす。怒気のなさに驚いて顔をあげるかなめに、港は提案した。
「ね、今いる組織のこと話して? ってか、そんな組織抜けて私のほうに来ない? 狼ちゃんも一緒でいいからさ。死んだ花子も、そのほうが喜ぶと思うんだ」
邪気のない笑顔で、港は誘う。
かなめの脳裏の奥底で、警戒音が鳴った。
「でも……逃げたら、追っ手がかかるよ。今までも逃げた人はいたけど、皆、捕まって殺されたって……」
「そんなの、簡単だって。こっちのボスのが強いもん。みんな、返り討ちにしちゃうからさ」
ねっ、とかなめの腕を引く。
「一緒にいこ? 私だって、かなめと敵対したくないし」
「…………」
港の狙いは、かなめと銀子なのだろうか。
かなめには組織を裏切るつもりは毛頭なかった。今だって、監視役がついているはずだ。
港に否と言うのは簡単だが、もう少し情報がほしい。かなめは港との唐突な再会に驚いているふりをして、忙しく思考を働かせる。
「そっちのボスってどんな人?」
「ボスっていうか……大ボスではないんだけど。学校でいうと教頭ポジションというか……中ボスというか? でもあの人、すごく可愛いのに、すごく強いの。憧れちゃう。あんな人になりたい。いや、人じゃないか……」
港は笑みをこぼす。
「会いたいでしょ? 会ってみなよ。そうしたらきっと、あの人の素晴らしさも分かるし、強いのも分かる。あんたの組織を叩き壊してあげる。世の中の不条理も、不幸なことも全部ぜんぶなくなるの。私たちの理想郷をつくるんだよ。人間の牧場を作って、管理するの。世の中からは戦争もなくなるし、人はすべて平等に扱われる。理想でしょ! ねっ、狼ちゃんは後で迎えにやらせるし、とりあえず行こう」
港の瞳は、ぎらぎらと熱狂的に輝いている。ぞわりと背筋が寒くなる。
(狂信者の目……)
洗脳されたのかは知らないが、あれほどの苦難から助けられたなら、救世主に思えるのも無理はないかもしれない。
相手の指導者に会ってしまえば、逃げられないだろう。銀子は教会に始末されるか、ほかに利用されるのか。どのみち、銀子を使えるのはかなめだけだし、見せしめとして処分されそうな気もする。
(駄目だ、絶対についていくことは出来ない)
(銀ちゃんのためにも帰らなきゃ)
(どうしたら……)
かなめは勉強は出来るが、機転が利くほうではない。
「もちろん会ってみたいけど、でもそんなことしたら組織に裏切り者だと思われちゃうよ。銀ちゃんが心配だし……今日はいったん帰って、いい方法を考える」
「なんだ、そんな事! 大丈夫、だいじょーぶ」
港は軽く笑い飛ばす。
「ほらっ! あんたのひっつき虫は始末したし~」
さっと港が背後を指で指し示す。かなめが振り返ると、びしゃっと音を立てて、血塗れの監視役が落ちてきた。かなめより少し年下に見える、金髪の少女の人狼。
「…………!」
この少女のことは知っている、山の上の学校で、美貌のシスターに付き従っていた、大人しそうな金髪碧眼の少女。いつも三つ編みを長く垂らして、目を伏せがちにしていた。銀子のことは好きではないらしく、何かと張り合ってくると銀子が零していた。張り切って監視役を買って出たという、少女。いまは目を見開いたまま、瞬きもしない。どう見ても絶命していた。
たった今、誰かが始末して、高所から落としてきたのだ。誰が、と上を見上げるが、電柱と屋根と空しか見えない。
「なんなら、今からあんたんち寄って、狼ちゃんを拾っていこう」
と提案する港は、かなめの監視役が倒されたことも、道ばたの小石を蹴飛ばしたくらいにしか思っていないようだ。
(港。本当に、変わってしまった……)
部屋に迷いこんできた羽虫も、可哀相だと窓から逃がしてやっていた港だったのに。
(人が死んでも、平気なんだね)
顔見知りの死に、かなめは憤りを覚えた。どうにか握り拳を作らないように、ただ戸惑っている風を必死に装う。
(駄目だ。まだ、怒ったら駄目だ。冷静に……)
銀子と合流することで、相手の隙を作れるか。組織が監視役に起こったことに気付いてくれるか。
どうにかそのチャンスがあるよう、今は引き延ばすしかない。
「……じゃあ、銀ちゃんのところ行こう。私が話したら、分かってくれると思う」
「そう? よかった。分かってくれて。私だって、かなめを殺したくないもん」
微笑む港に、ふたたび、内心ぞっとする。怖気を振るう。この残虐さが本来の港なのかも、とすら思う。
(いまの港なら、私を簡単に殺すよね)
(逆に、私は、港を殺せるの……? その力があるとしても、躊躇せずに出来る…?)
自信はなかった。
一応、先に立って案内するが、港はかなめの家の場所も知った風だった。
(銀ちゃんなら、この状況、一目見て分かるかな……どうにか、してくれるかな……いや、そこまで期待したらダメか。相手の虚をついて、私がどうにかしないと……)
マンションのオートロックを解除してエントランスに入り、エレベーターへと案内する。上へと上がっている間も、ごちゃごちゃと、色々な可能性が脳内を入り乱れる。
(あーっ、どうしよう……もしどうにも出来ずに、銀ちゃんも私も連れ去られちゃったらどうしよう……。洗脳されちゃって、過去の仲間を倒しに来る羽目になったらどうしよう……。木場さんに負けそう……。あの隆一郎にだって細切れだよ……。裏切り者だし、即死コースだよ……。てか長寿薬にされそう……。一番あれなのは、港の上司に、私たちが使い物にならないって分かって処分されちゃうことかな……。今だって役立たずじゃん……。どうせ私は何にも出来ませんよ……。本当どうしよう……。てか何で私、こんな弱いの……。吸血鬼なんだから、相手が人間なら素手でも勝てるのに……。吸血鬼同士なんて、どうしろってんだよ。……あーっ、本当、どうしようどうしよう……)
思いが千々に乱れている間にも、エレベーターは目的の階に到着し、足は渋々ながらも自宅前へと進む。
一応、インターホンを鳴らしてから、玄関のドアの鍵を開ける。
(せめて、銀ちゃんが不在でありますように……)
塩を切らすなり味噌を切らすなりして、スーパーにでも買い物に行っていてくれたら。そうしたら、犠牲は自分ひとりで済む。
玄関を開けると、いい匂いがキッチンから流れてきた。銀ちゃんの得意料理のボルシチだ。
(せめて、食べてから死にたかった……)
かなめはもう、死の覚悟をしていた。
港は無邪気に、「いい匂い~! おいしそう!」と喜んでいる。
「かなめ、遅かったな」
銀子がエプロン姿で出迎え、思いがけない客を見て、ちょっと目を見開く。
「お前……生きていたのか」
「久しぶり、銀色の狼ちゃん。私のこと、覚えていてくれたんだね」
港は挑戦的に笑った。




