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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
26/39

#26

 今日も、電話の着信音が遠く聞こえる。

 マンションのエントランスに駆け込んだかなめは、人外の聴力で、それをかすかに捉えながら、エレベーターなぞ待つ余裕もなく、非常階段を駆け上がり、自宅の玄関に飛び込む。電話が留守電に切り替わる一瞬前に、受話器を取り上げた。

「はいっ……! かなめ、です」

『かなめちゃん……』

 受話器からは、ゆきの元気のない声が、細々と聞こえる。

『遅かったね』

「そ、そう……? 夕飯の材料買いに、スーパー寄ってて……」

『自炊してるんだ。えらいね。一人暮らし、なんだっけ。私なんて、おばさんに任せきりで……家のこと、何もしてないの。お風呂掃除くらいかな』

「それだって偉いよ!」

『…………かなめちゃん』

「な、なに?」

『こんなに毎日、電話して……迷惑じゃない?』

「そんなことない! 私だって、ゆきのこと心配してたし……話せて嬉しい」

『うそ』

「……!?」

『私のことなんか……この間、会うまで思い出しもしなかったでしょ?』

「…………」

『そうなんでしょ!?』

 だんだんと、ゆきの声がヒステリックになっていく。いつものことだった。

「忙しくて……ごめんね。東京に来れたから、探さないと、と思っていたけど……住所も電話番号も知らなくて……本当にごめんね……」

 ゆきが怒り出すと、かなめはひたすらに、なだめるしかない。

 かなめが平謝りになると、ゆきの怒りもそのうち静まり、今度は自省モードになるのだ。

『かなめちゃんが悪いんじゃないのに……私って、なんでこうなんだろう……本当に嫌な性格してるよね……ごめんね……かなめちゃんも私のこと嫌いになったでしょ……ごめんね……本当にごめんね……』

 ぐすっぐすっと啜り泣く声が続く。

 今度はかなめは、ひたすらにゆきを慰める。

 1時間ほどで、通話は切れる。

 そして夕飯も終わり、風呂も上がって寝る時間あたりになると、また、ゆきから電話がかかってくる。うっかり用事があって留守電に切り替わってしまうと、メッセージもなく即、切られる。その場合は、かなめの方からかけ直す事になるが、何をしていたのか、忙しいのか、忙しいときにごめんねなどと、殊勝な言葉の裏には恨み言がたっぷりとこめられて、いつまでもいつまでも責められることになる。

「かなめ……大丈夫か」

 げっそりと疲れた様子のかなめに、銀子は一応、心配はしてみるが、すぐに前言を翻した。

「まぁ、吸血鬼は、睡眠不足でも死なない。よかったな」

「…………」

 ぐったりとはしていても、かなめの目の下に隈はない。ないけれど――――どうしようもない徒労感が、背中にのしかかる。


 前回、銀子と話しあったとき、かなめは懸念を三つほど抱えた。

 ひとつは、銀子のこと。力を使えば使うほど、人狼は寿命を縮める。それを知って、かなめは銀子に「力を使わないでほしい」と言ったが、取り合っては貰えなかった。

「最初の一回以来、使えたことはない力だけど、今の我々は桜庭に世話になっているだろ。生活費も貰っている。どうすれば力が発現するかの実験などに協力しないわけにはいかない。それともお前、私を連れて逃げるつもりか。あの二人の二の舞になりたいか?」

 あの二人、というのは、この間、倒された女吸血鬼のことだろう。十年ほど前に人狼の恋人を失い、組織を恨んでいたという。かなめは組織から逃げる勇気もないし、逃げ切れる自信もない。けっきょくは今のまま、時を過ごすしかないのかもしれない。

 できれば、銀子が出来るだけ力を使う羽目にならないように、かなめ自身に力が欲しい。そう思って、話し合いのあと、隆一郎を見舞った。


 病院の屋上で、隆一郎はかなめと話した。もうすでに傷は治っているそうだが、手術後一日で退院するわけにもいかず、とりあえず一週間は入院となるそうで、退屈そうだった。個室だそうだが、部屋に出入りする看護師などに聞かれたくなかったのか、屋上へと誘われたのだった。

 腕利きの医師のおかげで、すぐ腕はついたそうだが、医師がいなくても、切り口を合わせていれば、時間はかかっても治るとかで、さすがは人狼というべきか。かなめはその生命力に呆れて言葉もなかったが、気を取り直すと、頼み事をした。

「よかったら、剣を教えてほしい」

 必死のかなめの頼みに、隆一郎は淡々と問い返す。

「なぜ、俺に?」

「そりゃ、全国大会に出るくらい強いし……」

「剣道と実際の戦いは違う。俺のは光の剣の力に依るところが大きいし、その力もたぶん、剣道を心の拠り所にしていたからだ、と思う。あんたは剣道の経験は?」

 かなめは、俯く。

「ない……」

「じゃあ、まず、自分に何が向いているか、色々やってみることだ。俺の腕を落とした、あの女吸血鬼」

 かなめは、その場面を思い出して、顔を強ばらせたが、隆一郎は腕を斬られたトラウマもないのか、飄々と言葉を続けた。

「吸血鬼ってのは、ふつう狼に身を守らせるから、それに甘えることが多い。が、あの女は狼を早くに亡くして、自分で自分の身を守る必要があったからか、自身の髪を操って、硬質化したり、それで物を斬ったりするなど、特殊な能力があった。あんたも必要に迫られれば、そういう能力が現れるかもしれん。俺に弟子入りするより、まずは色んな武術でもやってみることだ。自分に向いたものがわかるだろう」


 かなめは渋々、とりあえずは学校の部活を体験してみたりもしたが、一通り回る前に、ゆきの問題が持ち上がった。

 渋谷で再会し、連絡先を交換してからというもの、とにかく、しょっちゅう電話が来る。たわいない世間話、悩み事、泣き言、恨み言。長電話に付き合わすことで、ゆきはかなめを束縛していた。

 体験入部どころではなくなり、かなめはゆきの電話に忙殺された。銀子は心配したが、かなめはゆきに、とことんまで付き合うつもりだった。吸血鬼なら眠らなくても死なないし、病気にもならない。今回ばかりは、人外の身がありがたい。


 正直いって、かなめは、ゆきを山中の学校で見送ったとき、二度と会うことはないだろうと思っていた。

 あれだけ、夜は悪夢にうなされ、かなめを心の頼りにしていた、儚げな少女を、どこか突き放して考えていた。自分は人外になってしまったから、と。もう人生が交わることはないだろう、と。ゆきの人生を、軽く、遠く考えていた。

 今も、ゆきは苦しんでいる。虐待してきた義父にぶつけられない怒りをかなめにぶつけ、学校の友達には話せない悩みをかなめに話し、暗く淀んだ感情を、吐き出す場所を探している。自分を傷つけ、汚し、泣き喚き、あらん限りの力で暴れながら、どぶ泥の底から抜け出そうと藻搔いている。

 ゆきのことを、あっさりと忘れていた自分への罰なのかもしれないと、かなめは悔いていた。数年もすれば、ゆきも立ち直り、花のような女子大生になり、新卒で就職し、好きな人が出来て、結婚して、子供ができて……いつかは、苦くとも、おぼろげな記憶になる。そう、かなめは信じたかった。

 ゆきにかかずらって一杯一杯のかなめを、銀子はさりげなくサポートした。家事はほとんど銀子がやったし、学校の宿題も一緒にやってくれた。勉強はゆきが眠っているあいだに済ませるしかなく、学校以外の時間のほとんどは、ゆきとの電話に占められた。

 ゆきも、いつかは落ち着くだろう。

 かなめは祈るようにゆきの電話に付き合い、たまにはゆきと直接会い、励まし、そうこうしているうちに冬が来て、春が来た。


 * * *


 その日も、かなめはゆきの事を考えていて、ぼんやりと家路を辿っていた。と、肩が誰かにどん、と当たる。

「すみませ……」

 かなめは振り返って、はっと身構えた。

 相手に、がっと肩を掴まれる。ぐいと引き寄せられ、ぎゅうと抱きしめられた。

「かなめちゃーん! 久しぶり!! 元気だったー?」

 目の前に、港が立って微笑んでいた。以前とまったく変わらないように見える。顔形も、容姿も。しかし、どこか狂った目をしていた。

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