#23
(みづきちゃーん! 待って、まってぇ)
泣き虫で弱虫で、いつも後ろからついてきて。鬱陶しいこと、この上なかった。
(遅いッ、ゆうた! 早く来ないと置いてくからね!)
水月と侑汰は幼馴染だった。家が隣で、母親同士の仲がいい。同い年で、幼稚園も小学校も一緒だった。
気が弱い侑汰は、いつも水月の後ろにくっついて歩いた。
めんどくさい、うざい、とろい、遅いと罵倒しながらも、水月は侑汰の面倒をよく見た。侑汰をいじめるものがあれば蹴飛ばし、いじわるをする者がいれば砂をぶつけ、教師に告げ口し、ありとあらゆる手で侑汰を守った。侑汰は水月を慕って、水月はボスのようにふんぞり返る。水月は要領がよく、成績も教師からの評判もよかったので、表立って水月を悪くいうものはいなかった。
そんな二人の関係も、小学校高学年のころ、侑汰の突然の引っ越しによって終わったかに見えた。
「ごめんね水月ちゃん。手紙かくから……!」
意地で見送りに出なかった水月に、侑汰は玄関先で叫んでいた。
(バカじゃないの、アメリカとか……遠すぎなんだって。手紙なんてめんどいし……)
何通か来た手紙にも返事はせず、いつしか手紙も来なくなった。
どう返事をすればいいのか、照れ臭くて、迷ううちに時間だけが経っていった。
(私のことなんて、薄情だのなんだの思って、もう忘れちゃったかな……)
母親同士はやり取りをしているようで、いま侑汰はどうしているかは、ときどき聞くことが出来た。
高校生になり、となりの一家がアメリカから戻ってくると聞いて、水月は動揺した。
どんな顔をして会えばいいのか。
(いやでも、アメリカの高校でいじめられまくってたみたいだし、ひょろひょろガリガリの弱そうな……)
しかし、引っ越しで戻ってきた日に、垣根ごしに見た幼馴染は、予想をおおいに裏切っていた。優しげな面差しはそのままだったが、意思の強そうな目をしていた。背は水月を追い越し頭ひとつぶんは優に高く、肩幅もそれなりにがっしりと、すらりと伸びた長い手足は大人の男になりかけていた。
もう守る対象ではなくなった幼馴染に、水月は戸惑い、素直に接することができなかった。
「アメリカで肉ばかり食べてきたわけ? 無駄にでかくなっちゃって」
小馬鹿にする態度をとると、相手は気にした様子もなく、微笑んだ。
「水月ちゃんはきれいになったね。驚いたよ」
いささかの照れもなく言い放つ幼馴染は、なかなかに整った容姿もあいまって、どこかの王子様のように見えた。
アメリカで女たらしになったのか!? 女を何人こましたんだ!? と、水月は相手の襟首を掴んでガクガクと揺さぶった。
* * *
(あのまま、何事もなかったら、恋人として付き合ったり、結婚したり……してたのかなぁ)
水月は遠い目をして、夜の公園を眺める。昼とはうってかわって子供の声のしない公園は、寂しげだ。住宅街の一角の、緑で囲まれた小さな土地に、ぶらんこと滑り台、ばねのついた乗り物だけがある。ジャングルジムや雲梯も以前はあったらしいが、土台だけが残されている。怪我人でも出て、撤去されてしまったのだろう。
水月はぶらんこを揺らして、終わりを待っていた。終わりはなかなか、来なかった。
「遅いねぇ……なにやってるのかな? そこのお坊ちゃんを足から刻んだら、急いで来てくれるかな?」
さきほど腕を飛ばした若い人狼は、公園の奥で転がって、瀕死の呼吸で喘いでいる。水月が戯言を口にすると、少女が血相を変えた。
「やめてよ! 私たち、何もできないんだから……大人しくしてるから、もう何もしないで。お願い!」
必死に懇願している少女は、かなめと呼ばれていた。水月よりも背の高い、きりりとした少女だ。そのかなめが銀子と呼ぶ小さな狼は、主人を守ろうとしてか、常に背後にかなめをかばっている。少年の狼の片腕を水月が斬り飛ばしたときも、驚いてはいたが、動揺することもなく、水月が次にどうするかを、じっと観察していた。
「さっき、最後に花火を打ち上げたいと言ってたが……死にたいなら一人で死んだらどうだ。なぜわざわざ、大騒ぎになって痛くて辛いような方法を? 本当は静かに一人で死にたいんじゃないか?」
銀子が淡々と問う。死ぬなとも、どうしてなどと綺麗事を言わない銀子に、水月は少し気が楽になって微笑した。そんなことを言うのは、あの幼馴染だけでたくさんだ。
「静かにひとりで死にたくったってねぇ、分かってるでしょ。私たちは、手首を切ったって、首を吊ったって、電車に飛び込んでも死ねない。昔の吸血鬼映画みたいに、日光を浴びた程度でも死なない……。首を落としてもらわないと」
「切れ味のいい長い刃物があれば……日本刀を持ってきてもらうか」
銀子が思案していると、かなめが面食らって止めた。
「ちょ、ちょっと……! そうじゃないでしょ。どうしてそんな……死にたいなんて。生きていれば、もっと、何かいいことが……」
必死に言い募るかなめの表情に、水月は吹き出した。
困惑するかなめに、なだめるように教えてやる。
「あなたは……新米なの? なりたてみたいだけど……中身が、見た目どおりくらいでしょ」
吸血鬼として、と問われたのだと気付いて、かなめが頷く。
「そ、そうですけど……」
「私はもう、あんたの倍以上は生きてるの。外見が変わらないから、化粧したって同じところには数年も勤めていられないし。いろいろ苦労して……けっきょく、楽なほうに流れちゃったけど。これだけ生きたら、もういいかって」
楽なほう、と言われて、かなめの脳裏に、中年男と腕を組む少女の姿が思い浮かぶ。咎めたいと思うが、自分だって桜庭の世話になっていなければ、どうなっていたか分からない。それを思うと、なんと言っていいのか分からなくなった。
「さっき……あなたにも狼がいたって言ってましたけど……その人は……」
聞くのが怖いようにかなめが尋ねる。水月はもう、血を吐くような思いも、絶望も悲しみもなく、淡々と答えられる。それだけの時間が経ってしまった。
「ああ、うん。死んだ」
「…………」
申し訳なさそうに俯くかなめに、笑いだしたくなる。
「私はある日いきなり黒いバンにさらわれて、山の中の学校みたいなところに連れてこられたの。注射されて、熱だして、寝込んで起きたら、もう私は人間じゃなくなってた。なんとかそこを逃げ出したけど……追われて、つい幼馴染の子を巻き込んじゃった。私の狼になってもらった。ふたりで逃げていた間は楽しかったけど……」
楽しかった。二人は好きあっていた。何を話しても、どこへ行くのも楽しかった。……追われていなければ。
追われる生活は存外きつく、侑汰は次第に衰弱していった。最後は、水月をかばって死んでいった。
(水月ちゃん。生きてよ! 僕のぶんまで。そしたら……)
それが、最後の言葉だった。
水月は大都市に逃げ込んだ。女子高生ひとりなら、そう目立たないのか、追手は来なかった。いろんな職を転々としたが、どれも長続きはしなかった。水月はどう化粧しようと、大人のふりをしようと、せいぜいが二十歳に見えるくらいで、一ヵ所に長くはいられない。疲れて、そのうち出会い系で男をひっかけて、相手がシャワーを浴びている間に金品を盗む「枕探し」になった。買春するようなやつなら盗んでもいいだろうと思ったから、罪悪感はまったくなかった。
しばらくは良かったが、そのうち噂が広まり、被害者から依頼を受けた裏稼業の男たちに捕まって、ひどい目に遭った。それで懲りて、以降は体を売るようになった。ギブ&テイクなら、誰も怒らないし、痛めつけられることもない。最初は抵抗があったが、一回やってしまえば、こんなものかと楽になった。人間じゃないから妊娠することも病気になることもない。見た目は若く美しいままだから、買い手がつかないこともない。
年数が経つにつれ、幼馴染の姿はどんどんぼやけて、思い出す回数も減っていった。
ある日、事が終わってから、客が笑いながら言った。
「あんた、ぜんぜん変わらんねぇ! 十年前とおんなじだ」
水月のほうはまったく忘れていて、その場は人違いでごまかして逃げた。走って走って、街を見下ろす小高い丘で、月を見上げたときに、ふと空しくなった。
(私は……十年も、なにしてんだろ)
幼馴染の顔すら、もう思い出せない。町の片隅で、汚れに汚れて、まだまだ生きていくんだろうか。そう思うと、涙があふれて止まらなかった。
こんなことになったのも、あいつらのせいだ。自分をさらって人外にした奴ら。追ったやつら。せめて追われていなければ、見逃してくれたら、二人でひっそりと暮らせていたかもしれないのに。
憎い。腸の底から血がたぎるように、マグマが煮えるように、憎くて憎くてしょうがない。
(どうせ……どうせ死ぬなら、なるべく大勢を。たくさん地獄に道連れにしなきゃ――――)
幼馴染に合わせる顔がない。
幼馴染を思えば思うほど、目の前の二人が鬱陶しかった。
かなめと銀子。お互いをかばいあう二人。ふと皮肉な気分で、軽口をたたいた。
「あんたはその狼ちゃんを大切にしてるみたいだけど……狼なんて消耗品よ? だってねぇ……」
「かなめ、聞くな! でたらめだ」銀子が遮り、
「? 消耗品って……」
かなめが聞き返したそのとき、水月がびくりと反応した。
髪のひと房を長く長く伸ばして、公園の周囲に張り巡らせてある。誰が立ち入ろうと、分かるようになっている。その髪の毛の一本が、ぷつりと断ち切られた。
ついに来た、と水月は息をのんだ。




