#22
目の前には、夕暮れの空を背景に、墓標がずらずらと並んでいる。
「オマエと、こいつが殺した数だ」
背後に立つ木場に言われて、かなめは膝から力が抜けていくのを感じていた。すぐ傍らに控える銀子の労わるような視線を、痛いほどに感じていた。
それはとある秋の日、かなめと銀子がいつものように、事務所の掃除に励んでいたときだった。
「掃除はもういいからよ。乗りな」
木場が顎で階下を示した。おんぼろの軽が待っていた。どこへ行くとも教えてくれずに、かなめと銀子が後部座席に並んで乗り込むと、木場は車を出した。
土曜日だった。午前中で学校は終わりで、銀子と待ち合わせてハンバーガーを食べてから、事務所へ向かい、掃除していたのだった。何もすることがないときは、事務所の掃除をすることにしていた。
事務所には、ほかに誰もいなかった。いつも掃除はしているので、今回も一時間もかからずに終わりかけた頃に木場がやってきたのだった。
「どこ……向かってるんですか」
かなめの問いにも、木場は「行けばわかる」としか答えなかった。
高速に乗り、地名表示を見ているうちに、かなめには目的地が分かってきた。
何度かサービスエリアで休憩し、夕方前には見慣れた場所が見えてきた。
「銀ちゃん」
心細くなり銀子の手を握ると、しっかりと握り返される。顔を見合すと、銀子は頷いた。学校のあった場所だ。
しかし、学校のあった山もふもとの町も、何もない。瓦礫と土砂のあいだの細い道を走り、やがてたどり着いたのは、埋め立てた土の上にどこまでも広がる墓地だった。
「ようやっと、最近けりがついてな。行方不明者もあらかた見つかったんで、片付いた。お前らも手ェ合わせな」
「これって……」
一面の墓標に、かなめはたじろいだ。
「いくつあるんですか……」
「何人死んだんだったかな? ざっと二千人ってところか? うち、一般人が大体1700で、200が学校の関係者、狼も100くらい死んだんだっけな」
「そんなに……」
かなめが言葉もなく戸惑っていると、木場が、なんの躊躇いもなく言い放った。
「他人事みたいな顔してるが、お前が殺したんだぜ」
「えっ…………!?」
「正確には、お前と銀子が。だな」
銀子は、拳を握りしめて項垂れている。
「山ひとつ崩したんだ。こうなるってことくらい、分かってただろ?」
「そ、そんな……そんなこと、あの状況で」
がくがくする足で、大地を踏みしめる。この下に、瓦礫と土砂に大勢が埋まって、それを掘り出す役目を木場がつい最近までやっていたので、事務所にあまりいなかったのだということを、かなめはようやく理解した。
「私たちが……何もしないまま、死ねばよかったんですか!? こんなことになるなんて……あの時は分からなかった! 必死だった! ただ、どうにか脱出したかっただけなのに……私たちが悪いの!?」
「悪い悪くないで言えば、悪いに決まってんだろ」
木場の言葉は、容赦がない。ただ、淡々として、どこか突き放していて、責める口調ではない。
「上のやつが言うように、自在に、なれる形を選べるってのが本当なら、あんなでかい山を崩すような竜じゃなく、もうちっと小さいのにしとけばよかったんだよ。ただ、まあ、二人とも力の行使は初めてで無我夢中だったのなら、選ぶ余裕なんかなかったんだろう。それはしょうがないし、互いに不幸なことだったとしか言いようがない。ただ――――」
木場はサングラスを外そうとしかけて、かけ直し、狼狽してうずくまるかなめを、かなめを心配して寄り添う銀子を見下ろした。
「お前らは自分が力を使った結果がどんなことになったのか、知るべきだ。……次に力を使うときは、ちっと考えろよ」
「………………」
かなめはしばらく、その場を動けなかった。
その時のことが、いま、なぜか強く思い出される。
路地の角をまがった途端、ぼたり、と腕が落ちた。男の腕だった。正確には、隆一郎の右腕だった。肩口からすっぱりと切り落とされたそれを、かなめは茫然と見下ろしていた。
「かなめ!」
銀子が立ちつくすかなめを押しのけ、背後にかばう。
かなめらの前にいた隆一郎の背は丸くなり、だくだくと血の吹き出る右肩を押さえて、膝をつき、地に伏した。
「うめき声ひとつ上げないなんて、なかなか見上げたものじゃない?」
振り返った少女が黒髪をひとふさ摘まんで、血潮を払った。
何が起きたのか、かなめには分からなかった。いつの間にか、腰がくだけてへたりこんでいた。かなめをかばう銀子の背が、大きく見えた。
「……この男は、誰の狼なの? あなたの?」
少女はここに至っても、かなめには親しげに微笑を向ける。
かなめは少女の真意が分からず、恐怖に混乱したまま、かぶりを振った。隆一郎は桜庭直属の人狼である。いったい桜庭が何人の人狼を抱えているのか、かなめには見当もつかなかったが、かなめには銀子ただ一人だった。
「じゃあ……その子が、あなたの人狼」
薄く笑む少女が次に何をするのかなんて、かなめは考えたくもなかった。ただ、這いずるようにして銀子の前に出る。
「銀ちゃんには何もしないで! 何かするんなら私を……でも、私たちは何の力もないの。何もできないの」
だから見逃してほしい、とまでは言えなかった。最初の一回以降、銀子が変身できたことはなかった。何度、訓練しても。あれは一回きりの僥倖だったのか。仮に今できたとしても、こんな街中で巨大な竜になってしまえば、以前の学校の規模ではない大きな被害が出るだろう。こんなにたくさんの人で賑わう街をひとつ吹っ飛ばしたら、死者は何万人になるのか。そう思うと、試そうという気にもならなかった。学校の跡地で見た、たくさんの墓標を思い起こす。
苦痛に転がる隆一郎と、落とされた腕を見ると、がくがくと震えが止まらない。
「かなめ! 下がって!」
銀子に揺さぶられても、その場を動かなかった。いや、体が竦んで動けないだけかもしれない。少女の顔もまともに見れない。恐ろしくて――――弱い自分が情けなくて。涙がにじむ。
(誰か……助けて! 助けて! たすけて……!)
こんなことになるなんて、思ってもいなかった。隆一郎は強いと信じて疑わなかった。なんの危険もない手伝いだと、軽く見ていた。
少女はしゃがんで、かなめに安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、あなた達には何もしないから。ただ、呼んでほしいの。あなた達の責任者を。……あとは、たくさんの人狼を」
公園の片隅の電話ボックスで、かなめが通話を切ると、少女はのんきにぶらんこを漕いでいた。人気のない小さな公園だった。すでに夜のとばりは降り、あたりは暗くなっていた。四隅のライトが公園を照らしていた。
自身のシャツを割いて肩口を手当てした隆一郎は、まだどうにか生きてはいた。横たわって、苦しげに浅く呼吸していた。意識は朦朧としているようだ。
かなめは銀子のもとに戻ると、隆一郎から離れずに、少女の動向を見ていた。
たった今、少女の命令で桜庭に電話した。現在地と隆一郎のケガ、少女のことなど、包み隠さず報告した。もうじき、応援が来るだろう。どれほど少女が強かろうと、大勢の人狼に取り囲まれ、物量で少女は倒されるだろう。自殺行為としか思えなかった。
「どうして、あなたは、こんな……」
かなめはなるべく相手を刺激しまいと思っても、どうしても疑問が口をついた。少女は小柄で、愛らしかった。艶やかな黒髪はさらさらとして、美しかった。人も殺せないような可憐な少女が、どうして吸血鬼になって、そして人を殺すようになり、追われて、今、自滅しようとするのか、考えても分からなかった。
「別に、大したことじゃないわ。ただ、生き飽きたっていうか……最後に、でっかい花火でも上げようかな? って思っただけ」
互いをかばいあう銀子とかなめの姿に何を思ったのか、少女は、ふっと微笑した。
「私にもねぇ、あなたみたいに、私だけの狼がいたこともあったのよ」
その脳裏には、ずっとずっと昔の思い出が、おぼろげに映し出されていた。




