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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
21/39

#21

「本当に? 本当に、わたしと一緒に来てくれるの……後悔しない?」

 不安そうな少女に、素直な目をした少年は安心させるように微笑む。

「きみと一緒なら、後悔しないよ」

「嬉しい。……夢みたい」

 少女は涙ぐみながら、ナイフを取り出して指先を切る。

 しゅっと疾った紅い傷跡から血がほとばしり、地面に滴る。

「この血に誓って。わたしを守るって。わたしだけの人狼になるって。……ずっと、一緒にいるって」

 少年は騎士のように跪き、少女の手を押し戴く。

「この血に誓うよ。きみを守る。きみだけの人狼になる。ずっと、一緒にいるよ」

 少年は少女の指先を口に含んで、血を飲み下す。少年が口を離すと、少女の指先の傷はすでに塞がって、跡形もなかった。二人はそれに、驚く様子もない。

 少女は少年に立つように促すと、花がこぼれるように笑った。

「よろしくね、わたしの狼さん」

「こちらこそ、よろしく。今更だけど……」

 少年は照れくさそうに、はにかんだ。

 美しい少女と、凛々しい少年。

 手を取りあい微笑みあう二人は、似合いの一対だった。

 ――――そんな二人がいたことを、いまはもう誰も知らない。



 美しい少女だった。黒髪は艶があって長く、ゆうに腰まで届いている。セーラー服の似合う、清楚な少女だった。凛とした眼差しとぴんと伸ばした背筋は、なんらかの決意を秘めているかのようだ。彼女が歩くだけで、空気が変わる。周囲の視線を集める。それでも彼女はそんな視線など蚊ほどに感じないのか、自然体で歩いていた。

 かなめは雑踏のなかで、ふと目を奪われたこの少女に目が釘付けだったが、やがて少女が目当ての人物を見つけたのか、ぱっと笑顔を浮かべるのを見た。人形のようだった無表情が、生気を取り戻して、くるりと変わる。

 中年のさえない男に少女が腕を巻き付け、甘えた声を出す。その様子はどう見ても親子ではなく、かなめはかなりがっかりした。

「どうした、かなめ」

 緊急の呼び出しで同行していた銀子が振り返る。

「ううん、なんでも。……あとで話す」

 かなめは気持ちを切り替えて、足を急がせた。


 ラブホテルで中年サラリーマンの失血死があったこと、その犯人を見つけるべく街中を捜索することを鷹見に伝えられ、かなめと銀子はその割り当ての地区に向かった。

「夜じゅう、探すわけでしょ? 明日、起きられるかなあ……」

 かなめがぼやくと、銀子がにらんだ。

「学校の心配なんぞ、してる場合か? こいつ程度捕まえられないようでは私たちの存在理由がない、よって生かす必要もないということにならないよう、全力を尽くして、捕まえること以外は考えるべきじゃないんじゃないか?」

「ええっ……!? 存在理由って、そんな」

 かなめが顔色を変えると、銀子がたたみかける。

「ともかく、見つける。必ず、見つける。それ以外は今は考えない。いいな」

「アッ、ハイ……」

 かなめは悄然とうなだれ、銀子はせかせかと目的地に急いだ。


 かなめらの割り当ては、失血死のあったラブホテルより少し離れた駅前だった。日本でも有数の繁華街で、駅前の交差点では大勢がいっせいに歩きだして交差するのに、まったくぶつかる様子もないという動画が、外国でも人気である。若者で賑わう街だった。駅前には若者向けのファッションビルが建ち並ぶ。そのうちのひとつのビルの二階にある喫茶店の窓際の席に、かなめと銀子は腰を落ち着けた。

 眼下には、楽しげに闊歩する若者たちがいる。

「ここで、こうやって見下ろして、私たちに何が出来るの? ……私には同族のにおいなんて、よく分からないし、第一、こうやってガラスで隔てられてて、あんなに離れてちゃ、分かるものも分からないような」

「まあ、文句をいうな。強力な助っ人が来てくれる」

「助っ人?」

「来たようだ」

 窓際にいる二人が振り向くと、そこには隆一郎が立っていた。かなめは無愛想な隆一郎が苦手だったので、いくぶん腰が引けた。

「よろしくお願いします。……なんと呼べば?」

 今までは事務所で見かけても挨拶だけで、隆一郎と会話したことのなかった銀子が相手に問う。

「敬語はいらない。リュウとでも隆一郎とでも、好きに呼べばいい」

 ガラスのように感情のない目をした隆一郎が、かなめは苦手どころか、もしかしたら嫌いなのかもしれないと、なんとなく考えていた。

「ここで問題ないか?」

「犯人のにおいなら、覚えてきた。この程度の距離なら、駅から出てきたところでも分かる。君らは俺が見つけたら指示するから、追跡と捕縛を」

「頼もしいな、なあ、かなめ!」

 銀子が破顔するのに、かなめはぎこちない笑みを浮かべて頷いた。


 銀子となら、何時間一緒でもいっこうに苦にはならないのに、ひとりの異分子がいるだけで、空間がとたんにアクリル樹脂で満たされたように息苦しくなる。

 かなめはこの間ペットショップで見た、小さなグラスに入ったカラフルな熱帯魚を思いだしながら、苦痛に満ちた時間を少しでも緩和すべく、話の種を探す。

 同じ高校生だし、いくらでも会話のしようもある気がするが、隆一郎には会話を続ける気がないようだった。学校生活や部活について、勉強やその他のことなど、気まずさをなくそうとかなめが頑張って話そうとしても、そっけなく「まあ」「別に」しまいには無言で返されて、話の継ぎ穂がなくなってしまう。

 極めつけには、「少し集中したいから、黙っててくれないか」ときた。

 かなめは、せっかく気を遣ったのにと、むっとして、それからは隆一郎の邪魔にならないよう、小声で銀子と会話した。

 数時間して、日が沈んで、ネオンが輝き出す頃には、誰もが疲れきって、会話もなく、空いたカップを眺めていた。窓の下は、夜になってますます賑わう駅前の光景がある。

 あんなにたくさん、どこから来て、どこへ行くのか。

 自分もふつうの高校生だったら、放課後を楽しみにして、友達と繁華街を楽しそうに歩いていたんだろうか。

 かなめが自分の物思いに沈んでいると、ふいに銀子が「あっ……!」と声をあげた。

「どうしたの、銀ちゃん!」

 犯人でも見つかったのかとかなめが慌てると、銀子はふいに目をそらし、「人違いだ、すまない」と顔を伏せた。

「ええ……ちょっと、人騒がせな……」

 かなめががっくりと肩を落としたとたん、隆一郎が指さした。

「いたぞ。……あの女だ」

 大勢の人で賑わう雑踏を指でさされたって分かるわけがない、とかなめは言いたかったが、吸血鬼の視力が、指の先の先を捉えた。

 先ほど見た、あの美少女が、そこにいた。

「血の臭いがする。……さらに一人、殺されたみたいだ」

 かなめは猛然と店を飛び出し、走り出していた。


 銀子が慌てて追ってくるのを背中で感じながら、かなめは走った。

 ただの通りすがりに、一度見ただけだったけれど。あの少女がそんなことをするようには見えなかった。何の苦労も知らず、ただ微笑んでいるのが似合うような、その年頃の少女だけが持つような清純さが形になったかのような、汚れなんて少しも知らないかのような。

(……でも、中年男と腕を組んで歩いていた)

 かなめはあの光景を振り払うように、ぶんぶんと頭を振る。

 話したい、彼女と。どんな人かなんて、話さなくては分かるはずもない。

 少女は歩いている、かなめは走っているのに、雑踏が邪魔でなかなか追いつかない。

 少女が角をまがる。かなめは急いで後を追う。すぐ後ろに銀子がいる。

「……なんの用?」

 少女は尾行に気がついていたらしい。

 角を曲がったところで立ち止まり、かなめ達を待ちかまえていた。

「あの……えっと……」

 かなめは、何と説明したものか分からず、往生した。

「追われる心当たりはあるんだろ、あんた」

 追いついてきた隆一郎が、口を挟んだ。

「とりあえず、人気のないところへ行く? そのほうが、あんた達も嬉しいでしょ」

 少女の落ち着きは、見せかけではない。鼓動も体温も変わっていないのが、かなめには分かる。しかし同時に、いましがた人を殺したのも分かってしまう。自分のものではない、濃い血の臭気をまとっている。

 虫も殺せないように見える、こんなに美しい少女が、男を何人も殺してきたんだろうか。

 かなめは信じられない思いで、目の前の少女を見つめていた。

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