#21
「本当に? 本当に、わたしと一緒に来てくれるの……後悔しない?」
不安そうな少女に、素直な目をした少年は安心させるように微笑む。
「きみと一緒なら、後悔しないよ」
「嬉しい。……夢みたい」
少女は涙ぐみながら、ナイフを取り出して指先を切る。
しゅっと疾った紅い傷跡から血がほとばしり、地面に滴る。
「この血に誓って。わたしを守るって。わたしだけの人狼になるって。……ずっと、一緒にいるって」
少年は騎士のように跪き、少女の手を押し戴く。
「この血に誓うよ。きみを守る。きみだけの人狼になる。ずっと、一緒にいるよ」
少年は少女の指先を口に含んで、血を飲み下す。少年が口を離すと、少女の指先の傷はすでに塞がって、跡形もなかった。二人はそれに、驚く様子もない。
少女は少年に立つように促すと、花がこぼれるように笑った。
「よろしくね、わたしの狼さん」
「こちらこそ、よろしく。今更だけど……」
少年は照れくさそうに、はにかんだ。
美しい少女と、凛々しい少年。
手を取りあい微笑みあう二人は、似合いの一対だった。
――――そんな二人がいたことを、いまはもう誰も知らない。
美しい少女だった。黒髪は艶があって長く、ゆうに腰まで届いている。セーラー服の似合う、清楚な少女だった。凛とした眼差しとぴんと伸ばした背筋は、なんらかの決意を秘めているかのようだ。彼女が歩くだけで、空気が変わる。周囲の視線を集める。それでも彼女はそんな視線など蚊ほどに感じないのか、自然体で歩いていた。
かなめは雑踏のなかで、ふと目を奪われたこの少女に目が釘付けだったが、やがて少女が目当ての人物を見つけたのか、ぱっと笑顔を浮かべるのを見た。人形のようだった無表情が、生気を取り戻して、くるりと変わる。
中年のさえない男に少女が腕を巻き付け、甘えた声を出す。その様子はどう見ても親子ではなく、かなめはかなりがっかりした。
「どうした、かなめ」
緊急の呼び出しで同行していた銀子が振り返る。
「ううん、なんでも。……あとで話す」
かなめは気持ちを切り替えて、足を急がせた。
ラブホテルで中年サラリーマンの失血死があったこと、その犯人を見つけるべく街中を捜索することを鷹見に伝えられ、かなめと銀子はその割り当ての地区に向かった。
「夜じゅう、探すわけでしょ? 明日、起きられるかなあ……」
かなめがぼやくと、銀子がにらんだ。
「学校の心配なんぞ、してる場合か? こいつ程度捕まえられないようでは私たちの存在理由がない、よって生かす必要もないということにならないよう、全力を尽くして、捕まえること以外は考えるべきじゃないんじゃないか?」
「ええっ……!? 存在理由って、そんな」
かなめが顔色を変えると、銀子がたたみかける。
「ともかく、見つける。必ず、見つける。それ以外は今は考えない。いいな」
「アッ、ハイ……」
かなめは悄然とうなだれ、銀子はせかせかと目的地に急いだ。
かなめらの割り当ては、失血死のあったラブホテルより少し離れた駅前だった。日本でも有数の繁華街で、駅前の交差点では大勢がいっせいに歩きだして交差するのに、まったくぶつかる様子もないという動画が、外国でも人気である。若者で賑わう街だった。駅前には若者向けのファッションビルが建ち並ぶ。そのうちのひとつのビルの二階にある喫茶店の窓際の席に、かなめと銀子は腰を落ち着けた。
眼下には、楽しげに闊歩する若者たちがいる。
「ここで、こうやって見下ろして、私たちに何が出来るの? ……私には同族のにおいなんて、よく分からないし、第一、こうやってガラスで隔てられてて、あんなに離れてちゃ、分かるものも分からないような」
「まあ、文句をいうな。強力な助っ人が来てくれる」
「助っ人?」
「来たようだ」
窓際にいる二人が振り向くと、そこには隆一郎が立っていた。かなめは無愛想な隆一郎が苦手だったので、いくぶん腰が引けた。
「よろしくお願いします。……なんと呼べば?」
今までは事務所で見かけても挨拶だけで、隆一郎と会話したことのなかった銀子が相手に問う。
「敬語はいらない。リュウとでも隆一郎とでも、好きに呼べばいい」
ガラスのように感情のない目をした隆一郎が、かなめは苦手どころか、もしかしたら嫌いなのかもしれないと、なんとなく考えていた。
「ここで問題ないか?」
「犯人のにおいなら、覚えてきた。この程度の距離なら、駅から出てきたところでも分かる。君らは俺が見つけたら指示するから、追跡と捕縛を」
「頼もしいな、なあ、かなめ!」
銀子が破顔するのに、かなめはぎこちない笑みを浮かべて頷いた。
銀子となら、何時間一緒でもいっこうに苦にはならないのに、ひとりの異分子がいるだけで、空間がとたんにアクリル樹脂で満たされたように息苦しくなる。
かなめはこの間ペットショップで見た、小さなグラスに入ったカラフルな熱帯魚を思いだしながら、苦痛に満ちた時間を少しでも緩和すべく、話の種を探す。
同じ高校生だし、いくらでも会話のしようもある気がするが、隆一郎には会話を続ける気がないようだった。学校生活や部活について、勉強やその他のことなど、気まずさをなくそうとかなめが頑張って話そうとしても、そっけなく「まあ」「別に」しまいには無言で返されて、話の継ぎ穂がなくなってしまう。
極めつけには、「少し集中したいから、黙っててくれないか」ときた。
かなめは、せっかく気を遣ったのにと、むっとして、それからは隆一郎の邪魔にならないよう、小声で銀子と会話した。
数時間して、日が沈んで、ネオンが輝き出す頃には、誰もが疲れきって、会話もなく、空いたカップを眺めていた。窓の下は、夜になってますます賑わう駅前の光景がある。
あんなにたくさん、どこから来て、どこへ行くのか。
自分もふつうの高校生だったら、放課後を楽しみにして、友達と繁華街を楽しそうに歩いていたんだろうか。
かなめが自分の物思いに沈んでいると、ふいに銀子が「あっ……!」と声をあげた。
「どうしたの、銀ちゃん!」
犯人でも見つかったのかとかなめが慌てると、銀子はふいに目をそらし、「人違いだ、すまない」と顔を伏せた。
「ええ……ちょっと、人騒がせな……」
かなめががっくりと肩を落としたとたん、隆一郎が指さした。
「いたぞ。……あの女だ」
大勢の人で賑わう雑踏を指でさされたって分かるわけがない、とかなめは言いたかったが、吸血鬼の視力が、指の先の先を捉えた。
先ほど見た、あの美少女が、そこにいた。
「血の臭いがする。……さらに一人、殺されたみたいだ」
かなめは猛然と店を飛び出し、走り出していた。
銀子が慌てて追ってくるのを背中で感じながら、かなめは走った。
ただの通りすがりに、一度見ただけだったけれど。あの少女がそんなことをするようには見えなかった。何の苦労も知らず、ただ微笑んでいるのが似合うような、その年頃の少女だけが持つような清純さが形になったかのような、汚れなんて少しも知らないかのような。
(……でも、中年男と腕を組んで歩いていた)
かなめはあの光景を振り払うように、ぶんぶんと頭を振る。
話したい、彼女と。どんな人かなんて、話さなくては分かるはずもない。
少女は歩いている、かなめは走っているのに、雑踏が邪魔でなかなか追いつかない。
少女が角をまがる。かなめは急いで後を追う。すぐ後ろに銀子がいる。
「……なんの用?」
少女は尾行に気がついていたらしい。
角を曲がったところで立ち止まり、かなめ達を待ちかまえていた。
「あの……えっと……」
かなめは、何と説明したものか分からず、往生した。
「追われる心当たりはあるんだろ、あんた」
追いついてきた隆一郎が、口を挟んだ。
「とりあえず、人気のないところへ行く? そのほうが、あんた達も嬉しいでしょ」
少女の落ち着きは、見せかけではない。鼓動も体温も変わっていないのが、かなめには分かる。しかし同時に、いましがた人を殺したのも分かってしまう。自分のものではない、濃い血の臭気をまとっている。
虫も殺せないように見える、こんなに美しい少女が、男を何人も殺してきたんだろうか。
かなめは信じられない思いで、目の前の少女を見つめていた。




