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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
17/39

#17

 罠によって空中高く吊り下げられた、金髪のおさげ姿の人狼の少女、ゾラは先ほどまで仕えていたテレジアの最期の一部始終を目の当たりにして、ぎゅっと目を閉じた。

 罠といっても、網のロープ自体はさほど強いものには思えない。すぐさま変身して、爪と牙で罠を脱出し、あるじを助けることは出来たかもしれない。しかし、ゾラは傲慢なテレジアの態度を思い出すと、どうしても手助けする気にはなれなかった。

 罠があるのを確信しつつ、ゾラを先に行かせた。ゾラが罠にかかると、嘲笑して見捨てた。そんな主を助けようと思う者がいるだろうか。

 それに、テレジアは強かった。あんな細い、背だけ高いような学生ふぜいに負けるとは思いもしなかった。

 いっそ負けろとも思ったが、そんなわけはない、きっと勝って、あとで自分も助けてくれるだろうと思っていた。悪態をつきつつも、手を差しのべて助けおこしてくれるに違いない、と。

 ――――バッカねえ、ほんとにあんたは世話が焼けるわ。どっちがしもべだかわかりゃしない……などと。

(それなのに……)

 ゾラは唇を噛む。

 テレジアは死んでしまった。あっさりと、倒された。

 次は自分かもしれない、という恐怖もあったが、ゾラはしばし瞑目した。あるじを悼むために。

 ほんの気まぐれにしか、優しくはない主だった。

 ここ数年のつき合いであり、テレジアはあまりいい主人ではなかった。わがままでかんしゃく持ちで、夜中だろうと食事中だろうと用があれば呼びつけたし、東京に遊びに行くときは連れていってくれなかった。罠にかかったゾラを平気で見捨てるような女だ。しかし、美しくて華やかで堂々としていて、どんな相手だろうと臆せず対するテレジアが、ゾラは嫌いではなかった。

(……私だけでも悲しんであげないと、あの人のために泣く人なんて、誰もいないんじゃないだろうか……)

 ゾラはテレジアのために祈った。その魂がすこしでも救われますように、と。

 そして目を開けて現状を思いだし、眼下にぽつんと見える二人連れの男たちに、身を震わせる。今はゾラを見上げて、なにごとか相談しているようだ。

(殺される……)

 ぞっと背筋が寒くなる。早く逃げないと!

 さいわい、鉈を手に握ったままだった。すぐさま、網を切りにかかる。しかし、なかなか切れない。ちゃちな網に見えたが、鋼線を編みこんであるのかもしれない。

(ど、どうしよう……)

 ゾラが変身したとしても、鉈で無理なら獣の牙でも無理だろう。ますます狼狽するゾラの耳に、なにかが聞こえてきた。悲鳴、叫び声、車の発進音。石がぶつかり、砕け、土砂が流れてくる音。

「な、なに……!?」

 山を見上げると、山頂からは、もうもうと塵芥が舞い上がっていた。にわかに空はかき曇り、黒い暗雲が山の上空を渦巻いている。

 ジオラマの山を崩すように、海遊びで作った砂山が崩れるように、山頂から木々が土砂とともに、ゆっくりと流され落ちてくる。山頂部から始まった崩壊は、ほどなく麓のゾラのところまでも達するだろう。

 ゾラは思考停止し、ただ呆然と、自分のほうへと迫る土砂崩れを眺めていた。

 ――――そこへ。

 ひゅっ、と鋭い風が一閃して、ゾラは落下した。

 悲鳴をあげかけるも、がっしりとした腕に抱き抱えられる。顔をあげると、さきほどテレジアを倒した男子高校生が、無表情にゾラを見下ろしていた。間近で見ると、さほど造作は悪くないが、感情が読めないのが不気味だった。

「な、なんなの、あんた! 離しなさいよ!」

 暴れるゾラを隆一郎は前後を逆に肩に担ぎ、山崩れから逃げるように走り出す。

「鷹見さん!」

 呼ばれて、呆然と山を見上げていた鷹見も、慌ててついてくる。目の前にひときわ大きな石が降ってきて、ゾラが悲鳴をあげた。

「お、俺が……もう一回跳ぶよ!」

 鷹見が必死の思いで提案すると、隆一郎は即座に却下した。

「三人連れなんて無理だ、あんたの心臓が持たない」

「…………」

 ふがいない思いを抱えながら、鷹見は隆一郎について走る。少女を抱えているというのに、隆一郎の足は鷹見より速かった。



 地下の迷宮は学園の敷地全体に及んでいたらしく、そこが崩れると、校舎は下に崩れ落ちていった。

 木場は異変にいち早く気付き、急いで待避の指示を出した。少女たちを乗せたバスはもう、ふもとに着いている。それらには、後続の部隊を待たずに目的地へと向かうよう指示を出してある。あとは自分たちの身の安全の確保だった。人狼を満載した車両は各自、急発進した。乗れなかった人狼たちは変身して、山頂を急ぎ離れた。

「な、なんだこりゃあ……地盤沈下が本当になったってか!?」

 木場は悪態をつきながら、車両後部から学園を振り返る。

 もうもうと砂埃が舞い上がり、崩れていく校舎のあいだに、ちらりと白いものが見えた。

 猛スピードで人員輸送用のトラックが列をなして走るも、山頂の崩壊のスピードは、それを遙かに上回っていた。

 土砂が崩れて、木々が揺らぎ、流されてくる。道路は埋まり、車が立ち往生する。そして落石が雨あられと降ってきた。

「車を捨てろ!」

 木場が号令すると同時に、車両後部や窓から、さまざまな獣や鳥や生き物が、ぱっと飛び出した。その一瞬後、ひときわ巨大な岩が車両を押しつぶした。

 ほかの車両の者たちも、木場に倣って車を捨てることにしたらしい。落石のなかをかいくぐるように、逃げる獣たちの姿があった。

 本来、山に住んでいた鳥獣たちも混じってはいたが、この山にはいないはずの動物たち、虎に象にヒグマに狼にシベリアタイガー、さらに現実ではとうてい見ることのできないはずの幻獣たちーーーー鳳凰や麒麟やペガサス、ユニコーンなどなど、見るものがいれば夢のようにも思えたかもしれない光景を繰り広げていた。


 山のふもとからも遠く離れた、害の及ばないあたりまで逃げ延びた者たちは、呆然と山を眺めていた。

 なにしろ変身は魔法ではない。服を持ってくる余裕もなく、持てるような形態でない者たちは皆、人に戻ると全裸になってしまうので、やむなく変身したままだった。そして変身していると、言葉が話せないというのが最大の不便なのだった。

 ちゃっかり一人だけ服を持ってきた木場は、ひとりだけ人間の姿に戻ったものの、さすがにサングラスは忘れて、これだけは人のものに戻らない、猫科の黄色っぽい色の眼を晒していた。その目を眇める。

「なんだ、あれ……どうなってんだ」

 木場は山頂から、白く巨大ななにかが生まれようとしているのを見た。



「な、なんなの、あれ……」

 ゾラは最初は、下ろせと抗議して隆一郎の肩や頭をぽかぽか叩いていたが、すぐにそれどころではないと気付いて、おとなしくなった。下手すると、土砂崩れに巻き込まれる。

 前後逆に抱えられていたせいで、遠ざかっていく山の景色がよく見えた。そして、離れていけばいくほど、様子のよく分かる山上の光景に釘付けになった。

 山頂の校舎が、なくなっていた。内部へと崩れ落ちたのか、反対側へと地滑りしたのか、あとかたも見えない。

 木々や土砂が流れ落ち、山頂から中腹までは地肌が見えている。その山頂から、白く輝く巨大なものが翼を広げて、低く垂れ込めた暗雲へと吸い込まれていくのを、ゾラは見た。

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