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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
15/39

#15

 その日は日曜だったので、シスター・ベルナデッタは、のんびりと朝寝を決め込んでいた。

 肉をたらふく食べることと酒を浴びるように飲むこと、そして惰眠を貪ることこそが、ベルナデッタの生きる糧なのだ。

 しかし、今日は昼まで寝ることは叶わなかった。

 どかどかと、闖入者たちの大きな足音が学園内に入り込み、そこかしこで大音声で告げた。

「皆さん! 避難してください! ここは危険です!」

 寝起きの悪いベルナデッタも、さすがに目を覚まして跳ね起きた。

「な、な、な、何事だぁ!?」

 Tシャツに短パンというだらしない姿で、腹のあたりをぼりぼりかきながら管理人室のドアを開けると、目の前を走り抜けた迷彩服姿の男が立ち止った。

「職員の方ですか? 私は陸自の者です。急いで避難してください」

「何事ですか?」

「は、実はこの山、地下水の影響で近日中に地すべりを起こすという予測を地質学者が立てたとかで……避難指示が出ているのです。外に移動用トラックを用意しておりますので、手荷物は最小限にして、急ぎ避難してください。ここは危険です」

 あたりを見回すと、きゃあきゃあと騒ぎながら急いで避難する生徒たちと、避難に駆り出された消防士らしき者たち、警官らしき者たち、自衛隊らしき者たちが忙しげに動きまわっていた。少女たちも朝いきなりのことで、避難もスムーズにはいかない。泣いたり喚いたりぐずったりと、どうも、かなりの混乱をきたしている。

 やれやれ、とベルナデッタは頭をかき、腹を決めた。

「わかった、あたしも職員のはしくれだ、逃げ遅れがないように見まわってくるよ」

「は、助かります。よろしくお願いします。……ところで、この学園の責任者の方は?」

「校長だけど、校長室はあっちの棟なんだよ。私は寮母みたいなもんだから、この棟に生徒たちと住んでいるけど。教員棟はね、あっちの角を……」

 ベルナデッタが説明するのを、陸自の者と名乗った男は、目を光らせて聞いた。



 少し前に、ふと嫌な予感がして、車道を避けたのがよかったのか。

 テレジアとゾラは、苦労して山の斜面の林の中の道なき道を下りながら、山上を仰ぎ見た。学園の周囲を、ぐるりと人狼が取り巻いているのがわかる。

「すごい数の狼だわ……こんなの初めて」

「私たち、包囲を抜けたんでしょうか?」

 ゾラが不安そうな顔をする。テレジアは楽天的に笑った。

「ちょうどいいときに、暇をもらってよかった。きっと、私たちのことなんか、気付いてもないわ。でも、おかしい! あの校長でも、こんなヘマをするんだ。ざまぁみろってかんじ。私を切り捨てたバチが当たったのよ、せいぜい酷い目にあってればいいんだわ」

 鼻のきく人狼なら、テレジアたちの存在にも気が付くだろうが、追ってくる気配はない。

 まあでも、とテレジアはゾラに命じた。

「ね。先を歩いてくれない? 笹で足が切れちゃって辛いわ。鎌で切りながら先導してよ」

「はい」

 すでに傷だらけの足を見せると、ゾラは素直に応じて、草刈鎌を振って先行した。二人ともスカートなので、草で足を切り放題にしていた。山道を下りるとわかっていれば、こんな恰好はしなかったのに、とテレジアは内心、ほぞを噛む。

 しばらく無言で山を歩き続け、どうにかふもとまでたどり着いたとき、ゾラが歓声をあげた。

「やったぁ、どうにか山を抜けましたよ! ……えっ、キャア!」

 振り向いたゾラの笑顔が一瞬にして掻き消えた。

「なるほどねえ。油断大敵、と」

 テレジアは上空を仰いで、頷く。

 ゾラはトラップを踏んだのだ。頭上高く伸びた竹から、網に絡めとられてぶら下がっているらしく、哀れっぽい泣き声が響いてくる。

 山の裾野をぐるりと取り巻くには膨大な人員が必要だが、トラップを置くだけなら最小限の負担で済む。テレジアは罠を警戒して、ゾラを先に行かせたのだった。

「追ってくる気配がなかったから、たぶんこういうことだろうと思っていたわけ。予測が当たって嬉しいなっと」

 そして罠が発動した場所なら、なんの心配もなく進むことができる。

 ゾラは最初から、捨て石として連れてこられたのだ。

「じゃあね~♪」

 これほどに距離が離れていても、小声でも、ゾラの耳にはテレジアの声が聞こえているのだろう。救助をあきらめたのか、ぴたりと泣き声が収まった。

「人狼ってのはねえ、ほんとはもっと役に立つものなんだけど。あんた程度なら、しょせんこの辺が身の程ってことよ」

 テレジアは鼻で笑って先に進んだが、ぎくりと身を強張らせた。

 目の前に、人狼がふたりいる。一瞬前まで周囲1キロ以内に誰もいなかったのに。まるで突然、現れたみたいに。

「どういうことなの……」

 テレジアは、目の前の二人を睨みつけた。



 校長室の扉を前にして、木場は校長になんと言ってやろうかと楽しみにしていた。

 陸上自衛隊の迷彩服に身を包み、制帽を深くかぶった顔はなかば隠れていたが、こんな中でもかけているサングラスだけが異様に浮いていた。いっそアメリカ兵の扮装のほうがよかったかもしれない。

 とにかく、木場の知っている校長というのは、鬼畜のなかの鬼畜だった。吸血鬼のはずだから人ではないが、それにしても知る限りのなかで最高の人でなしだった。

 なんの罪もない娘たちから素材をえらんで吸血鬼にし、生き血を絞って権力者どもに不老長寿の妙薬だと売り渡していた。

 木場にも中学生の娘がいる。なので、他人事とは思えなかった。とどめをさすなら、ぜひ自分の手でと思っていた。

 生徒たちの避難は済み、校長室の前は、木場を先頭に、腕に覚えのある人狼たちが取り囲んでいる。

 しかし――――変だった。大勢の吸血鬼と人狼がいると聞いていたのに、いままで一人も出くわさない。

 避難に加わったシスターたちは、皆、人間だった。

 そして、校長室の中には、なんの気配もなかった。

 それは皆も感じているのか、不安が徐々に広がっていく。

(おかしい……包囲する前には、たしかに気配があったのに)

 木場は皆がざわつく前にと、思い切ってドアノブを回し、ドアを開けた。

「あっ……!?」

 そこには、誰もいなかった。がらんとした校長室の中は、家具だけがそのままで、机の上のメモにはフランス語の走り書きで「また今度」と書いてある。

 かなめらが落とされた穴のある花畑へと通じるドアの向こうは壁になっていて、行き止まりのドアを開けた者は、なんのためのドアだろうかと腑に落ちない顔をした。

「鷹見みたいな能力のやつはそうそういないと思ってたが……くそっ!」

 木場はやり場のない怒りを拳にこめて、机に叩きつけた。



 テレジアの目の前に立ったのは、隆一郎と鷹見だった。

 隆一郎はいつもの通りの学生服、鷹見も普段通りの服で、陸自だったり消防士だったりはしない。茶髪に長髪ときたら、できる服装は限られる。

「本当の目当ては校長なんだけど、あんたが出て行って油断したところを狙おうって作戦でね。あんたについては、俺らが担当ってわけだ」

 鷹見はしんどそうに荒く呼吸しながらも、得意げに説明した。

「あんたの校長はいままで、でかいバックがいたおかげで好き勝手に女子高生を殺してたけど、その後ろ盾も失脚したんで、この学園はお取りつぶしの運びになったってわけだ。そして、あんたについては、あんたが殺したやつに代わって、俺らが成敗……」

 言葉が切れる。ぜいぜいと息を切らして膝をついた鷹見を、テレジアは無遠慮に指さした。

「……瞬間移動の能力ってわけ?」

 隆一郎は、無言でテレジアを見返す。

 鷹見の能力は、一度行った場所に瞬時に移動できる、というものだ。だからわざわざ前日に、山の周囲を歩きまわった。そして同時にトラップも仕掛けていった。

 耳のいい隆一郎がトラップの作動音を聞き、鷹見に場所を指示して、二人でその場所に移動して、とどめを刺す。そういう作戦だったが、鷹見の能力は、もともとは一人用だった。

 自分ひとりが限界なのを、無理をしたので、体に負担がかかっている。心臓が爆発しそうなのを抑え込むように、鷹見はその場にうずくまった。木場が無理に命じたわけではなく、少しでも作戦の役に立ちたくて志願したのだった。

 隆一郎は、鷹見をかばうように、前に一歩出た。手には剣道の竹刀ではなく、鞘に入ったままの真剣が握られている。ぐっと柄を握りしめた。

 テレジアが緊張感を壊すように、笑い出した。しかし、その笑いは強張っていた。

「あははっ……なんなの? そんなので私を倒せるとでも?」

 隆一郎は無表情に、テレジアを見る。今まで、テレジアを見る男たちは、賛美やら欲望やら、だいたいは好意的に見るものが多かった。こんな、路傍の石でも見るような目では見なかった。それが、テレジアには腹立たしい。

「……やれるものなら……やってみなさいよ!」

 テレジアは高く跳躍して、相手に向かっていった。



 ぴちょん、と、どこかで水滴のしたたる音がする。

 地下の迷路はじめじめと湿気がひどく、埃と泥で床はひどい有様だった。銀子は、その中でも比較的乾いた場所を探して、かなめを横にしてくれたらしい。かなめのいる場所は、ぬかるんではいなかった。埃はひどいが、銀子の膝枕でかなめが気持ち良く眠れたのも、銀子の心配りのおかげだろう。

 害虫やねずみはいるにはいるが、ちょろちょろと視界の隅を横切る程度で、思ったほど多くはない。それらが少ないのも、獣になった子らが食料にしているせいなのかもしれなかった。

 今日は日曜だったので、かなめは制服ではなく、普段着の長袖のTシャツとデニムパンツだ。

 迫ってくる獣におびえて、銀子の後ろに隠れていたが、これでいいのかと疑問に思う。震える足をなんとか前に踏み出そうとすると、小声で銀子が指示を出す。

「かなめ、背を低くして、すみっこにいて。決して立たないで」

「で、でも……」

「いいから」

 かなめはしぶしぶ従い、壁際近くで身を屈めた。

 獣の気配が近づいてくる。ハッハッという息遣い。汚れた毛皮の悪臭。

 警戒しているのか、すぐには近づいてこない。遠くから様子を見ているようだ。

「ぎ、銀ちゃん…………」

 がたがたと体が震える。どうすればいいのか分からない。

 銀子はかなめに微笑み、すっくと立ち上がった。修道服を脱ぎ捨てると、いつもの訓練のときのように、タンクトップとスパッツの姿があらわれた。

「……人狼について、私が言ったことは覚えてるか? いろんなものに変身するって」

「う、うん……」

 銀子は自分がどんなものになるかについては内緒だと言っていたが、かなめは教えてくれるのを楽しみにしていた。

「人狼っていうと、狼に変身するものと思ってしまうけど、私たちは吸血鬼の守護者ガーディアンとして、様々なものに変身するって言ったよね。多くは、その人がなりたいもの。強いもの、美しいもの。憧れているもの……」

 かなめは、想像した。銀ちゃんなら、どんな姿がふさわしいだろう?

 今だって、可愛いけれど。とても美しくて強いものに違いない。鱗がひかる巨大な竜もいい。毛並みが艶やかな一角獣もいいな。

「獣のような姿に変身するとは限らない。透視、発火能力、瞬間移動、そういう能力を持っている人狼もいる」

「……銀ちゃんは、変身系ではないってこと?」

「私は……変身しないし、特殊な能力もない。つまり……私は、落ちこぼれってこと。なりそこないの人狼なんだよ」

「えっ」

 驚くかなめに、銀子は悲しげに微笑んだ。

「人狼は守りたいもののために、なりたい姿になる。でも私は……守りたいものもなかったし、なりたいものもなかった。自分なんて、もうどうでもいいと思ってたし、一日も早く世界が終わればいいと思ってた。校長に救われて、役に立ちたいとは思ったけど……私は何にもなれなかったんだ」

 でも、と言葉を継ぐ。

「今は、かなめを守りたい。私が囮になるよ。二匹いるみたいだけど、私がいけば、私に群がると思うから。かなめはその隙に、落とされた縦孔を登って。かなめなら出来る」

「えっ、銀ちゃん!」

「ごめんね。今まで、言うに言えなかった。私が役立たずなんて。……でも、今だけは役に立つよ」

 銀子は、爪で自身の腕を抉った。数条の傷が走り、たらたらと血が流れ出す。

「これで、奴らを引き付ける。……お別れだね」

 思いを振り切るように走り出す銀子の足に、かなめはとっさにしがみついた。

「ダメだよ銀ちゃん! そんなのダメ!!」

「ばか! かなめ!」

 二人はもつれあって、床のうえで団子になった。行こうとする銀子と引き止めようとするかなめで、揉み合いになった。

 血の臭いにつられて、獣になった子らが寄ってくる。

 ルルルル、という喉声が、ぞっとするほど近くから聞こえてくる。

 銀子は焦ってもがき、叫んだ。

「早く離せ!」

「いやだ! 銀ちゃんが死ぬなんて絶対に嫌だ! なんで死ななくちゃならないの!? 考えてよ、二人とも生き残る道が、かならずあるはずだよ!」

「全員を救おうとして全員を死なすばかだ、お前は!」

「私は銀ちゃんを囮にして助かるくらいなら一緒に死んだほうがいい!」

「…………」

 さすがに銀子は、困った顔をした。

「……どうしてそこまで、私のことを考えてくれるんだ?」

「さあ……」

 二人は、困った顔を見合わせた。銀子は、かなめに呆れた。

 地獄のような窮状から救ってくれた校長でさえ、聖人君子ではなく、ただ銀子が手駒として適当だったから、役に立ちそうだから拾ってくれたというだけだった。

 こういう場面があれば、喜んで見捨てる人間だというのも分かっている。

 良子以外にも、何人も、何十人も、苦しんで死んでいるということも、見て見ぬふりをしてきた。

 それなのに、そんな価値もない人間だというのに、このかなめという人間、いや吸血鬼は、少々おかしい。

 銀子は、ため息をついた。

 かなめは自分に言い聞かすように、大声を出した。

「とにかく、私は一緒に助かりたい! 考えて!!」

「分かったから、かなめも考えろ!」

 銀子に言い返され、かなめは、はっと気が付いた。

「そうだ、銀ちゃんが変身すればいい!」

「そんなの……」

 なれるものならとっくになっている、と言いたげな銀子の反論を無視した。

「なりたいものがなかったから、なれなかったんでしょ。私が考えるよ!」

「えっ……」

 銀子は、かなめのそのあまりな前向きさに、思わず唖然としてしまった。

 ひたひたと迫る獣の足音に、焦りながら問い返す。

「な、何に?」

「……ドラゴンとか?」

「こんな狭い地下で火なんか吐いたら、全員黒焦げになる!」

「えっ、えっ、じゃあ……」

 シャァッ、という威嚇音が聞こえる。ついに視界に姿を現した獣たちが、じりじりと周囲を歩き回りながら、距離を詰めてくる。狼、などというものではなかった。大きさでいえばヴェロキラプトルという恐竜に似ている。鼻面は長く狼に似ていて、目は爛々と光り、前傾姿勢で後足で歩き、手足が長い。前足の鉤爪は驚くほど長く鋭かった。ごわごわとした毛皮は不潔そうだった。歩き方はリズミカルで素早い。襲う気になられたら、ひとたまりもないだろう。

「お、大きい……どうしよ。あれに勝つ動物って……」

「かなめ!」

 もう時間がない、と銀子が振り返る。天啓のように、かなめの脳裏でイメージが走る。

 獣たちが跳びかかってきた。

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