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黄昏と暁のあいだ  作者: 七篠いくみ
永遠の少女と狼の子
14/39

#14

 かなめが穴に落ちる、数日ほど前。

 六月、東京も梅雨入りして、雲は重く低く垂れこめて、雨は降ったり止んだり土砂降りになったりと、陰鬱な季節だ。雨模様に鷹見も鬱々として、とある商店街のはずれの雑居ビルの2階にある事務所で、吉報を待つだけの日々を過ごしていた。

 その、事務所のドアがノックされた。

「こんにちは」

「なんだ、りゅーちゃんか」

 鷹見はちょっとだけ顔をあげて来客を確認すると、すぐにまた机に突っ伏した。

 濡れた傘をドア脇の傘立てに立てつつも、隆一郎は気を悪くするでもなく、淡々と指摘する。

「ここに、俺以外の来客があるんですか?」

「…………ないけどさぁ~」

「木場さんは?」

 事務所の中には、鷹見しか姿が見えない。

 隆一郎が尋ねると、鷹見はつまらなさそうに答えた。

「情報収集という名の飲みにでも行ってるんだろ」

「桜庭さんに会ってきたんですが、伝言を預かってきました」

 桜庭というのは、木場がよく教会で会っている神父の名だ。隆一郎ら三人の上司でもある。

 鷹見は、がばっと机から顔をあげた。

「な、なんて!?」

「上のほうがなんとかなったので、すぐに三人揃って、東北のくだんの学園付近にまで急行するように、と。木場さんの居場所に心あたり……」

「イヤッホウ! すぐに探してくる!」

 隆一郎の言葉を最後まで聞かず、鷹見は事務所を飛び出していった。

「俺なら、臭いで追えるのに……」

 隆一郎はあっけにとられていたが、まあいいかと事務所の椅子に掛けて、ふっと微笑んだ。



 ――――そして、かなめが穴に落ちた後。

 校長室に呼び出されたシスター・テレジアは、豊満な胸をことさら強調するように腕組みして、校長を睨みすえた。

「こんな、日曜の朝なんかに呼び出して、どんな急用なんですの? 朝寝もさせてくれないなんて、ひどいわ」

 休みの日といえど、校長の前に出るからか、シスターらしく修道服を身にまとっている。ベールからこぼれる金髪が美しく波打っていた。

 校長は、媚を売るようにしなを作るテレジアを無視して、紅茶のカップを傾ける。味に満足したように頷くと、ようやくテレジアに視線を向けた。

「休み中のところ、わざわざすまないね。いや、どうも君の5月の連休中の行動に問題があったようでね、とある方面から抗議がきたんだよ」

 校長の言葉に、テレジアは息をのんだ。動揺をごまかすように、微笑む。

「あら……人違いでは? どのような抗議ですの?」

「東京で五人、若い男を殺しただろう? この学園内の生徒ならともかく、外でのことに私の力は及ばない。庇いきれないよ。覚悟を決めてくれたまえ」

「覚悟……?」

 テレジアは呟き、みるみる柳眉を逆立てた。

「覚悟ですって! 何様なの!? 私があんたについてきたのは、一人でいるよりは面白そうだったからよ。あんたの部下でもなんでもないわ。命令なんて、よしてちょうだい。ああ、つまらない男ね……! こんなど田舎の教師に甘んじてきたのも、あんたが色々と融通してくれたから恩義を感じてのことだったけど、もう我慢するのも馬鹿馬鹿しいわ。

 だいたい何なの、五人殺したくらいで。人間なんて下等生物、どうでもいいじゃない。ただの血の詰まった肉袋よ。もう廃棄直前の血液にもうんざり! 新鮮な血液のおいしいことといったら、ヴィンテージのワインにも比べられない。殺すのも面倒だし、少しでやめておこうと思うけど、でもいつも飲み過ぎちゃう。ラスト・ドロップがまた最高なの! その人間の生命力を最後の一滴に凝縮したような、濃厚で芳醇な味わいときたら……思い出すだけで、うっとりしちゃう。……まあ、あんたには分からないでしょうけどね」

 道ばたのゴミでも見るような目で校長を一瞥し、テレジアはきびすを返した。

「さよなら、この百年ほど、それなりに楽しかったわよ」

「さようなら、テレジア。またいつか」

「そうそう、この子は連れていくわ。いいでしょ?」

 脇で控えていたゾラを指す。ゾラはびくりと姿勢を正した。校長は鷹揚に頷いた。

「いいとも、餞別にあげるよ」

「助かるわあ。ま、だめって言っても連れてくけどね。毎日、エサをあげていたのは私だもの。もう、私のものよ」

 テレジアはゾラを手招いて、校長室を出ていった。

 ゾラは校長に申し訳なさそうな顔で一礼し、テレジアの後についていった。ドアが閉まる。

「……生きて、また会えるときが来ればいいけどねぇ。どっちが勝つかなあ?」

 校長は笑いながら、かたわらに控えていたメイドに尋ねたが、メイドは愚問といいたげに微笑んだまま、何も答えなかった。


 手早く荷物をまとめて、トランクひとつで出ていくテレジアを、セシリアが見送った。テレジアは修道服をかなぐり捨て、いつも東京に行くときのように、流行りの華やかな色合いの服を身にまとっていた。ボディラインを強調する、ミニでタイトな、男を惑わすための服だ。ゾラは長い金髪を二つに分けてまとめ、赤毛のアンのような大人しいお嬢さんっぽい服を身にまとっている。ゾラの服はテレジアの趣味なのかもしれなかった。

 セシリアは寝起きだったのか、六分袖の可愛い柄のパジャマの上下だ。テレジアが出ていくいきさつを聞いたセシリアは、困ったような面もちで、てきぱきと荷造りするテレジアを見守っていた。ゾラは顎でこき使われ、あちらこちらへと走らされた。

 職員寮の玄関で、大荷物を背負ったゾラを従えたテレジアは、笑顔でいままでの同僚に別れを告げた。

「じゃあね、セシリア。今までありがとう」

「テレジア……」

「よかったら、あなたも一緒に来る?」

「!」

 いきなりの誘いに、セシリアは目を丸くした。聞かずともセシリアの答えを知ってか、テレジアは苦笑した。

「……なんてね。そんな度胸、あなたにないわよね。東京に行くのも、いつも誘ったって来なかったし……でも、気が変わったら、いつでも声をかけて。私、いい話を知ってるの。今みたいにこそこそ隠れて暮らすんじゃなくて、私たちが人間を支配する、そういう時代を目指してる同志がいるの。私、そこへ行くつもり。素晴らしい時代が来るわ。そうしたら……また、会えるかもね」

 テレジアは手を一度だけ振って、背を向けた。ゾラは慌ててセシリアにぴょこんと頭を下げて、先を歩く主人を追う。セシリアは見えなくなるまで、二人を見送った。


 * * *


 ……何がいけなかったんだろう。

 最初は義母も、優しかった。

「かなめちゃん、よろしくね。無理してお母さんとか呼ばなくてもいいからね。むしろ、お姉さんとか思ってほしいかなあ? なんてね、ふふ。仲良くやろうね」


 かなめはとにかく、気に入られたくて、一生懸命だった。家の手伝いを進んでして、勉強して、あいた時間は図書館で本を読んだ。遊んだりしなかった。


「お友達とかいないみたいなの……。心配だわ」


 義母と義父の話を盗み聞きして、友達を作るようにした。それでも遊ぶのは最小限にして、学校の休み時間に無駄話することで繋がりを作り、放課後は勉強した。


「欲しいものとかないの? お誕生日くらい、わがまま言っていいよ?」


 欲しいもの。たくさんあった。ぴかぴかの自転車。本。新しい机。かっこいい靴もほしいし、かわいい服もほしい。ゲームもほしいし、お菓子も買いたい。しかし、言わなかった。

 

「あの子、わがまま一つ言わないの……。施設で辛かったのかなあ。もう少し、心を開いてくれてもいいのに……。私がまだまだ、緊張させてるのかな……」

 悩む義母に、義父は、君のせいじゃないよと慰めた。

 きっと一緒にいる時間が長くなれば、打ち解けてくれる。そう信じて、二人は頑張った。


 五年が過ぎても、かなめは借りてきた猫のようだった。

 義母はもう、打ち解けることを諦めた。そんな矢先のことだった。

「私、妊娠したみたいなの」

「なんだって。よかったじゃないか」

「よくないよ。どうしよう。だって自分の子が産まれたら、実の子のほうが可愛いに決まってるでしょ? かなめはどうなるの? 産むの怖いよ……今なら、まだ……」

「そんなの……そんなの、産んでみれば、なんとかなるよ。かなめも倍、可愛がればいい。産む前にも、言って聞かせるんだ。やっと出来たのに、諦めるなんておかしい。頑張ろうよ。きっと、いい家族になれるよ」

「…………うん……」


 果たして、義母の懸念は当たってしまった。

 いつまでも心を開かないかなめより、わがまま放題の実の子のほうが可愛かった。愛想笑いばかりの人形のようなかなめより、心から笑って泣く弟のほうが愛らしかった。

 かなめは焦った。弟のようになれたら、と願った。しかし、甘えたことのないかなめには、甘え方など分からないのだった。


 素直に甘えられる弟に嫉妬し、可愛がるどころか邪険にした。ついてくれば振り切って走り、怖い話を教えては泣かせて、ついには義母にも義弟にも、蛇蝎のごとく嫌われた。


 家の中からは、あたたかな光が漏れている。中からは、楽しげな笑い声が聞こえてくる。家の外は吹雪だった。かなめは凍えながらも、招かれざる吸血鬼だったので、中には決して入れないのだった。



 ゆっくりと目が覚める。

 堅いものの上に横たわっていた。頭の下は柔らかいが、何かは見えない。周囲は暗黒だった。じっとりと湿って、淀んでえた空気のにおいがする。

 ここはどこなのか。

 慌てて身動きすると、頭の下の柔らかいものが動き、額に手が触れた。

「慌てないで、かなめ。穴に落とされたのは覚えてる?」

「銀ちゃん」

 幼いながらもしっかりした声に、かなめは落ち着きを取り戻した。今まで、寝ていたかなめに膝枕をしていてくれたらしい。

「落ちたショックで気を失ったのかな……ごめんね」

 起きあがり、手探りで銀子の手を握る。

「手首、縛られてたよね。自力で切ったの?」

「ただの荒縄だったし、手を前にもってくれば噛み切るのは簡単だった。針金じゃなくてよかったよ」

「ここ……なんなの? 出口はあるのかな」

「巨大な迷路らしい。邪魔者を始末するためのものであれば、私なら出口は作らないよ」

「…………」

 身もふたもない意見に、思わずかなめは無言になってしまった。出口がないとすれば、どうすればいいのか分からない。

「じきに、かなめも目が慣れる。常人には暗闇だけど、私とかなめなら薄闇ぐらいだ。どこかから光が漏れてる。上の花畑にも、いつも誰かがいるわけじゃないだろう。あの入り口を壊して出るとか、なにか手はある。諦めるのは早い」

 そう言われて、多少は元気が出てきた。生きていれば、なんとかなる。と同時に、銀子に対して、申し訳ない思いで一杯になる。かなめが巻き込んだから、こんな危険な目に遭わせてしまっている。追ってきてくれたのは嬉しいし、頼もしいが、かなめを追ってこなければ、多少の処罰は受けても、まだ安全な場所にいられたろうに。ついに完全に味方になってくれたのだろうかと思うと、胸がはちきれんばかりに嬉しかったりするのが、逆にさらに申し訳なかった。

「ごめんね、銀ちゃん。私のせいで……」

「まあ……乗りかけた船というか……私もなんで、あのとき、かなめを追って飛び込んでしまったのか、よく分からない。これも何かの縁なんだろう」

 かなめと銀子は、壁を背に並んで腰をおろした。

 かなめは、目の前に手をかざした。暗闇のなかに、うっすらと輪郭が見えてくる。

「目が慣れてきたのかな。すこし見える……」

「じゃあ、もう少ししたら、あちこち見て回ろう。壁の薄いところとかあるかもしれないし」

 かなめは膝を抱えた。

「良子があんな、ひどい死に方をしてたなんて、全然知らなかった……」

「…………」

「まるでモノみたいに、どうしてそんなひどい事が出来るんだろう。あいつ……おかしいよ。銀ちゃんにとっては命の恩人なのかもしれないけど、許せない」

「いや、もう……さすがに恩人とは思ってないよ。あそこまでおかしいとは思わなかった。薄々おかしいと気がついてはいたけど、やっぱりもう、ついていこうとは思わない。だから、これでよかったんだ……と思う」

「銀ちゃん……」

 ありがとう、と呟き、かなめは、ふと級友の二人のことを思い出した。

「やっぱり、港と花子にも言っておけばよかった。そうしたら、私が急にいなくなったら、おかしいと気が付いて、自分たちで逃げることも考えられたかもしれないのに。きっと今回のも、任務だなんだってごまかされるんだろうな……」

 悔しさに、拳を握りしめる。良子もこうして、闇に葬られたのだと思うと、やりきれない。

「かなめ、だったら、なおさら早く脱出しよう。そうしたら、あの二人にも危険を知らせられるかもしれないし……」

「そうだね。うん、そうだ。頑張ろう」

 気合を入れ直した、そのとき。

 少し遠くから、何かの唸り声が聞こえた。グルルルル……という、獰猛な獣を連想させるような喉声。

「な、何かいる、みたい」

 かなめが中腰になると、銀子も素早く立ち上がった。

「聞いたことがある。校長は最初のうち、失敗を繰り返してたって。人を吸血鬼にする実験のことだよ。今は検査で、事前に合うか合わないかが分かるから失敗はないけど、以前はその検査法が確立していなかったから、とにかくやってみて、失敗することも多かったらしい。

 吸血鬼になれなかった個体は、気が狂って死んだり、血を吐いて死んだり、合うように見えても理性をなくして暴れ回ったりしたらしい。その、理性をなくした個体を、校長は面白がって、地下迷路に閉じこめたって。時々、声が聞こえてくるって……単なる怪談だと思ってたけど」

 もしかしたら、本当のことだったのかもしれない、と銀子は呟いた。

「じゃあ……この声は、その人たちなの? ここ、何にも食べ物とかなさそうに見えるけど……どうやって生きてたの? ネズミとか野犬の間違いじゃない?」

「…………徐々に、こちらに近づいてくるよ。正体なら、じきに分かると思う」

 生臭い、不潔な獣のような強烈な臭いが漂ってきた。足音はまったくしない。しかし、気配は確実に近くなっている。

 かなめは後ずさって、壁に背をつけた。銀子はかなめの前に立った。

 暗闇の向こうから、巨大ななにかが近付いていた。

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