#13
――――舞台は5月中旬に戻る。
「……というわけで! 犯人はどうやら某県の山の上の全寮制の学校にいるようでして……」
「分かった、上に報告すっから、ちょっと待ってな」
鷹見が事の次第を木場に説明すると、そう言うなり電話は切れてしまった。
ため息をつきながら電話ボックスを出て車に戻り、コンビニのサンドイッチをかじる。
隆一郎は助手席で、竹刀を抱いて、じっとしていた。
一時間ほどして、電話ボックスの電話が鳴る。
鷹見が急いでボックスに入って受話器を取ると、木場からだった。
「いったん撤収だ。上からのお達しでな、そこの施設は手出し無用って話だ。どうも、どっかから圧力がかかったらしい。そのへんはお偉いさんがた同士でなんとかするだろうから、とりあえず戻れ。今んとこ逃亡の線はないようだし、結論が出るの待ってたら月が変わっちまうぜ」
「……へーい」
鷹見は肩を落として、車に戻った。
「撤収だってよ。せっかくここまで追ってきたってのに……しまらない話だよなぁ?」
不満たっぷりに愚痴ると、隆一郎は淡々と返す。
「しょうがないです」
「クールだよなあ……」
言いながらも鷹見は、隆一郎が竹刀を力いっぱい握りしめているのに気付く。
隆一郎はいつも冷静な態度だが、悔しくないわけがない。
「…………」
鷹見は、ふっと息を吐いて、のびをした。
「あーあ、温泉入りそこねた!」
「鷹見さんは入っていけばいいですよ、俺は新幹線で帰りますから」
「出張費で入りたかったんだよー待機だと思ってたのにさあ」
「泊まりにならなくてよかったです。祖父母が心配しますから」
「あーあーあーあ、うまい酒に女の子が……」
「さすがに芸者は無理だったと思いますけど」
ぶつぶつ言いながら、鷹見はハンドルを握り、東京に戻る道へとUターンした。
次に来るときは、あの女と決着をつけるときだろうと思いながら。
――――そして、時は進んで6月。
かなめは両脇をがっちりと狼の子らに挟まれ、校長室へと連れていかれた。
(計画が全部おじゃん……!)
混乱のあまり、悲鳴をあげたい。
(銀ちゃんが裏切った)
心の中は、それでいっぱいだ。でも、と思う。
(そんなの、わからない。違うかもしれない。そうでないかもしれない)
(そうでなかったとしたら、私が疑ったことを知ったら、銀ちゃんは私に失望するだろう。完全な味方ではなくても、少しは味方する気になってたかもしれないのに、そんな気持ちも吹っ飛ぶだろう)
(もし、銀ちゃんが裏切ったとしても、私が信じている姿を見れば、多少なりとも罪悪感を抱くはず。そこにつけこめれば、勝機はあるかも)
(つまり、私は、どっちにしても、銀ちゃんを信じる。もしくは信じている様子を演じる)
いろいろと用意していた武器も、今はひとつも持っていない。
(油断してた……でも、まだ諦めるもんか)
校長室の前に着いた。どっしりとした扉を、黒髪の狼の子がノックする。
「かなめを連れて参りました」
ドアが開いて、メイドが顔を出す。黒髪を肩で切り揃えた、とても可愛らしい子だった。見た目は16歳程度、すらりとした身体にクラシックスタイルなメイドドレスがよく似合っている。東洋人に見えるが、さだかではない。
「どうぞ、お入りください」
完璧な微笑で促され、おそるおそる校長室の中に入ると、まず立派なデスクの向こうにふんぞり返っている校長の姿が目に入った。見た目は美麗な白人青年ではあるが、尊大な目つきが気に食わなかった。その横に、修道服姿の銀ちゃんこと銀子と、金髪の狼の子。銀子は後ろ手に縛られているようだった。赤毛と黒髪の狼の子は、一礼して去った。
拷問→自白、の構図が目に浮かぶ。目立った傷痕は見えないが、ありとあらゆる拷問をされる情景をありありと想像してしまった。
「銀ちゃん……!」
思わず呼ぶと、校長が眉をひそめた。
「なんだい、その名前は?」
「……私がつけた名前です」
しまった、と思いながらも答えると、校長が嘲るように、ふはっと鼻息を荒くした。
「それはアルのことかね? 私のつけた名前のほうが、ずっとセンスがいい。アルゲンテウス、ラテン語で銀白色のことだよ。美しい響きじゃないか?」
「わ、私は自分のつけた名前に満足してます!」
かなめの反論もどうでもよさげに、校長は顎を撫でて、舌打ちする。
「日本人のセンスというやつは、どうも……安直だ。ひよこだったからヒヨちゃん、子犬ならコイちゃん。白い犬ならシロ、黒い犬ならクロで、あとはタロとかジロとか……。三毛猫ならばミケ、あとはタマ。馬はアオでヤギならユキちゃんとでも名付けるのだろう。アルゲンテウスのことも、髪が銀色だから銀ちゃんとでもいうのだろうが……」
「それだったら、あなたの名付けの理由だって髪の色じゃないですか」
かなめがすかさず突っ込むと、校長はムキになった。
「私のはラテン語だろ! 崇高じゃないか、お前にラテン語がわかるのか!?」
「…………」
(この人はダメだ、ダメそうな大人だ。とりあえず、言い返さないでおこう)
呆れたかなめが黙っていると機嫌が直ったのか、校長は椅子から立ち上がり、さらに続けた。
「まあ、そんなことはどうでもいい。お前を今回読んだのは、なにやらコソコソ企んでいる、という話を聞いたからだ。なあ、アル」
かなめが銀子を見ると、銀子は(私じゃない!)と叫ぶように、必死な顔でかなめを見つめ返した。
(銀ちゃんじゃない、きっと……壁に耳ありってやつかな)
銀子が裏切っていない、という確信に、かなめは微笑んで、銀子に頷いてみせた。
「あーもーそこ、目と目で会話しない! そう、お前らの企みなんぞ、私には筒抜けだったのだ! 残念でしたー。私はそういうやる気あふれる青少年の絶望顔を見るのが大好きでね。
裏切りの代償として、当然アルにはお仕置きがあるが、お前はどうしようかな? 今、死にそうな要人もいないしね。ただで死なすのも、ちょっともったいない気もするかなあー」
死って。死なすだって。殺されるんだ、私。なんの用意もないのに。どうしよう。
……って、なんだって? 要人って?
思考が混乱の渦に落ちる前に、かなめは校長の話を聞きとがめた。
「死にそうな要人がいたら……どうするんですか」
「うーん? 答えてもいいけど。死ぬ前にひとつだけ答えてやる質問を、それにしちゃっていいのかな?」
かなめは考えて、質問を変えた。
「じゃあ……良子がどうなったのか教えて」
「良子? って誰だっけ?」
メイドが校長に近寄って、耳打ちすると、ぽんと手を打った。
「ああ! あの子か。そうそう、こないだ、要人が死にそうになってね。薬を出した。君たちは薬の材料になるんだよ」
「薬……!?」
「吸血鬼の眷属にする技術がまだ未完成でね。吸血鬼になりたくても、体質に合わないと死んでしまったり、死ぬより悪いことになっちゃったりするわけだ。普通の人間が不老の化け物になるくらいに体を作り変えるんだから、劇薬というのか、合う合わないがあるのは仕方ないことなんだよね。でも、あれだよ、権力者の夢は昔から不老長寿だから。でも彼らって体質が合わないことが多くて。
しかぁし! 私は研究の末、ちょっぴり寿命がのびる薬を開発したのだ。さすが大天才ともいうべき私だけあって、私だけがなせる偉業とでもいうのか。世に発表できないことが残念だが……。
早くいえば君ら吸血鬼の体で出来る薬だ。吸血鬼は死ぬと灰になるんで、死なない程度に足の先から擂り潰してミンチにして、それを濾して上澄みを分離して、その先は企業秘密なんだけど。丹念に精製すると、常人でも飲めば万病がちょっと治り、ちょっと寿命が延びる、そういう薬が出来る」
「薬になったっていうの……良子が……?」
信じられない思いで呟くと、校長はさらに得意げに説明した。
「死ぬ前に分離した部分は、吸血鬼が死んでも残る。第一世代というか長老クラスだとまた別なんだけど、霧にも蝙蝠にもなれない君らレベルだからこその特色というか、たとえば、死ぬ前に腕を切って、その後に本体を殺すと、腕は灰にならずに残るんだ。これで君らも人のお役に立てたってわけで。誇らしいだろう? なにせ、そのお方がいないと、この学校は成り立たない。普通の施設ではありえないほど、毎月の潤沢なお小遣いも、キミらのためだけの町も、誰がお金を出しているって思ってるんだ? そういうの、まったく考えたこともないだろう? これだから、バカな女子高生の相手は疲れるよ」
校長は、やれやれというように盛大なため息をついた。
愚弄されたことも気にならない。
頭の芯が痺れたようだった。
良子が。
良子がミンチになった。どこかの老いぼれた権力者の薬になった、だって。
かなめは、地を這うような声で問う。
「良子は……どうなったの。生きてるの」
「はぁぁー? 話、聞いてた? 生きてると思う? なんで、そんな半死半生の吸血鬼なんか、飼わなくちゃいけない? ……あ、そうか、なにか実験には使えたかも……?」
考え込む校長に、たまらず叫ぶ。
「良子は……! 良子はいい子だったのに! どうして、どうして良子が……」
いつか、聞いた話が思いうかぶ。
大人しそうだし、ポニーテールよりは下し髪のほうが似合うのではないかと話した。
良子は恥ずかしそうに笑った。
「あのね、少女まんがなんだけどね。その子は大人しい子なんだけど、勇気がほしいときや気合い入れるとき、ポニーテールにするの。きゅって縛りあげて、可愛いのに格好よかった。私って大人しいというか、すぐ流されちゃうほうだから、しっかりしたくて、ポニーテールにしてるんだ」
照れ臭そうな笑顔が、とても可愛らしかった。
変わりたいからと吸血鬼になった。
国のために働きたい、と言っていたのに。
せめて苦しまずに死ねていたらいいけれど、この校長のことだ、きっと微塵も配慮せずに、信じられないほどの激痛のなかで人生を終えたのだろう。
「どうして、どうしてって。皆、同じことばかり言うなあ、本当につまらない。良子って子も、どうしてって繰り返していたよ」
校長が呆れたように笑う。
「どうしても何も、契約したでしょ? 国のために役立てるよう頑張りますって言ったよね? 女子高生ひとりの命と要人の命、重いのはどっちかと言えば、分かりきってるでしょ」
かなめは泣いていた。どうしてこんなゲス野郎のせいで、良子が死ななければならなかったのか。
こんなことになると分かっていれば、誰も契約などしない。皆、騙されたのだ。
(だったら! 私が全部、終わりにしてやる。こんな学校、なくなってしまえばいい)
かなめは涙を振り払って、拳を握る。
はらわたが煮えるほどに校長が憎い。
目の前が真っ赤に見えるほどだった。
(……冷静にならなきゃ……でも、そんなの……無理)
校長とかなめの間には、メイドが控えている。銀子の横には、金髪の狼の子がいる。黒髪の子と同じぐらいに、銀子よりも年上にみえる。銀子の後ろ手をがっちりと掴んだその手は、容易なことでは離れそうにない。
校長との距離は、絶望的にまで遠く感じた。
(でも、やるしかない……)
「……命に重いも軽いもないでしょ」
タイミングをはかりつつ話しかける。校長は鼻で笑った。
「あるでしょ? 貧乏な人は具合が悪くなっても、すぐに病院にいけない。検査を受けたときはもう手遅れ、とかね。いい病院でいい治療をするにも金がかかる。僕の大切な人も……そうだった」
いきなり話が変わって、かなめは面食らった。
「な、なんの話?」
「流行り病だよ。気付いたときには手遅れだった。死んでしまった……。でも僕は諦められなかった。遺体を保存して、どうすれば生き返るか、研究に研究を重ねてきた」
そこで校長はデスクを叩いた。
「そして! ついに! 病を治療して、蘇生したんだが……どういうわけか、目を覚まさない。眠り姫のように眠ったままなんだ。どうすればいいのか、皆目わからなかった」
校長は首を振り、つと壁際に向かった。本棚を動かすと、そこに扉があらわれる。
「特別に見せてあげよう。来なさい」
一同は扉の奥に向かった。
扉の奥は、別世界だった。
「な、なにこれ……!?」
青空が広がり、その下には花畑が広がっている。風は芳香をはらんで、まるで夢のようだった。
もしかして、もう自分は死んでいて夢でも見ているんだろうかと、かなめは頬をつねった。
(痛い……)
はるかかなたには古城が見える。崖っぷちに建つ西洋式の城で、尖塔がいくつもそびえていた。
(夢だ……夢! 夢!)
まわりを見ると、校長とメイドは先に立って歩き、真ん中に自分、後ろのほうから、銀子をひったてて金髪の狼の子がついてくる。
銀子も、あたりの景色を見て、驚いた顔をしていた。金髪の子は内心はどうか知らないが、冷静そのものだ。
「ほらほら! 我が婚約者様だ」
校長が指し示すところ、女性がひとり、横たわっていた。
若い西洋人の女性で、昔風のドレスを着ている。長い金髪が広がり、眠り姫のように美しかった。が、周囲の花々は、血のように赤かったり、どす黒いもの、青いものなど、どうにも禍々しい色合いのものが多かった。
「すごい……綺麗な人だけど……」
生きていて、眠っているようにしか見えない。一回死んで蘇生したなど、本当のことだろうか。
校長は悲しげに、項垂れた。
「どうやっても、起きてくれない。きっと、深く眠りこんでいるんだろう。頬をはたいても無駄だった。こうなったらショック療法しかないと思ってね。君にも協力してもらうから、無駄死にじゃないから、安心して死んでほしい」
「…………はっ!?」
いきなりの話に、かなめは戸惑った。
「分かりやすくいうと、キミら僕の手製の吸血鬼には、心臓のところに種を植えてある。といっても物理的なものじゃないから、手術ではとれないよ。君らが胸を震わすようなこと、嬉しいこと悲しいことを、そのまま婚約者の彼女に夢として伝えるんだ。とびきりショッキングであれば目が覚めるかなーと思っているんだけど……なかなか目を覚まさないんだよね」
校長は、困ったように笑う。
かなめは話についていけないというよりは、理解しがたくて苦悩した。
「えっ……それって……薬にする必要がない子でも、けっきょくは死なないといけないってこと?」
うんうん、と校長は頷く。
「まあ、信じたくないのも分かるよ。でも考えてみてほしい。毎年だよ、4人とか5人の吸血鬼を作って、それが不老不死で、全員生きてたら、何十年もしたら大変な人数になるだろう?」
「それは……危険な任務とかで……減ってるのかと……」
「実際には、吸血鬼とか作るのにはすごく面倒くさい手続きが必要だし、人数は厳密に管理されている。でも僕は婚約者のために種を植えられる吸血鬼が必要だった。普通の人間には種は植えられないからね。僕は吸血鬼が必要で、要人のお方は長寿の薬が必要でってことで、お互いの利益が一致して、この学校が出来たんだ」
「…………」
かなめは混乱のあまり、もう返事ができなかった。
「魔術的に種を作成して、ふたつに割って、片方を君たちに、片方をここに植える。君たちが死ぬと、その命で花が咲く。この花畑は、みんな死んだ子たちのだよ。きれいだろう?」
花畑はあたり一帯に広がっていた。どこまでも、どこまでも続くようだった。
「死ぬときの心理状態で、恨みがあると、どす黒く、悲しみがあると青っぽく、怒りで赤く。黄色は……なんだっけ? そうそう、この白いのが良子ちゃんだったと思うよ。純粋無垢っていうのかねぇ。わけもわからず、みたいな心理状態だと、こういう色になるみたいだね。どうして、って繰り返してたし」
かなめは、その花を見て立ち尽くした。
白く繊細な花弁が、風に揺れていた。
「正直いって、女子高生に不老長寿なんか、豚に真珠なんだよね。ノーベル賞受賞者とか外科医にやるほうがよっぽど意味がある。女子高生なんて吸血鬼にしたって、数年もすれば後悔して、数十年もすれば、呪いの言葉を吐きながら、こんなつもりじゃなかったとかいって、ほとんどが自殺しちゃうんだよ。そういうのを有効活用してあげてるだけなのに……」
もう耐えられなかった。
かなめは、校長に跳びかかった。
その、足元に穴が開く。
一指も校長に届くことはなく、かなめは落ちた。
「かなめ――――ッ!」
金髪の狼の子を振り切って、両手を後ろ手に縛られたまま、銀子も穴に飛び込んだ。
蓋が閉まると、花が何事もなかったように揺れた。
「やれやれ、これだから女子高生ってやつは……」
校長がせせら笑うと、メイドが校長に尋ねた。
「アルはいかがしますか」
「ほっといても、二人とも死んじゃうでしょ」
メイドは同意し、金髪の狼の子に指示した。
「ゾラ、シスター・テレジアを呼んできて」
ゾラと呼ばれた金髪の狼の子は頷き、すぐさま部屋の外に出ていく。
「この用事がなければ、あの子も、もっと酷い目に遭わせてあげられたのに。残念なことだよ」
「テレジアが来る前にお茶を淹れましょうか?」
「そうだね、頼むよ」
先に部屋に戻るメイドを後目に、校長は名残り惜しそうに、花々に囲まれる婚約者を一瞥した。