#10
とある商店街の外れにある雑居ビルの2Fには、あやしげな名称の事務所がある。その扉を躊躇なく開ける者がいた。ちなみに、木場が出て行ったあと、2時間ほど経っている。
「……こんにちは」
竹刀を抱えた男子高校生。制服は詰襟で、こんなボロい事務所には不似合いなほど、真面目そうに見える。清潔、清廉、潔白という言葉が似合いそうだ。竹刀は、大切そうに竹刀カバーにくるまれている。
「りゅーちゃん! 早いね、今日、剣道部いいの?」
チャラい見た目の若い男は、男子高校生に笑顔を向ける。
「今日は部活ないんです。大会のあとだし」
「じゃ、じゃあ……今日、手伝ってくれるかな? 山のように資料が届いて、大変なんだよ」
若い男が泣きそうな顔で、山と積まれた段ボール箱に視線を向けると、高校生もそれを見て、頷いた。
「夕飯の時間までだったら、いいですよ。7時には帰りますけど」
「それでも助かるよ! やっぱり隆一郎くんは頼りになるなぁ~」
相好を崩す男に、隆一郎は無表情に、ぽつりと呟く。
「鷹見さんも大変ですね」
「分かってくれるのは君だけだよ……」
ビデオデッキとモニターは複数、用意してある。鷹見と隆一郎は、ビデオテープの山に手分けして取り組んだ。
「コレがソレだってよ」
鷹見は隆一郎に、一枚の写真を渡す。隆一郎は受け取った写真を、よく見た。かくし撮りのような、斜め上方からの微妙なアングルで金髪美女が写っている。
「被害者のマンションのエントランスのカメラの絵だってさ。ちょっと不鮮明だけど、となりの男が被害者。女は、男をナンパして相手の家にまで行って、血を一滴残らず吸い取っていったらしい。せめて400ミリリットルくらいにしとけばいいのにさあー」
「死体を始末しないなんて、大胆ですね」
「東京駅から東北地方行きの新幹線に乗ったところまでは分かってる。下りた駅が分からないんだ。その日の東北地方の駅のカメラのテープを全部見るしかない」
「この写真じゃあ、顔立ちがよく分かりませんよ」
そこで、木場が帰ってきた。
「そう言うと思って、鮮明なやつを手に入れてきたぞ」
何枚かの写真を机に投げ出す。鷹見が見て、驚愕の声をあげた。
「すごい美人だ……! もったいない」
「美人でもバケモンだからな。人を殺したやつの末路は似たようなもんよ」
「この写真、どうしたんです?」
「ゲンさんからだ。凄腕の情報屋なだけ、あるだろ? じゃあ、あとは任せた。俺はまた情報を集めてくるからよ」
木場はまたすぐに出て行った。鷹見が呼び止める暇もない。
「ああーっ、もう……手伝ってもらおうと思ったのに。こんなたくさん、二人だけじゃあ何日かかるか……」
隆一郎は写真を一瞥して机に戻し、テレビ画面に向かっていた。早送りで黙々と見ていく。
「……そんなんで見れてんの? すごいね」
「俺の目は特殊なんです」
「……美人にも興味ない?」
「俺んち、両親が事故で死んでるんです。だから、せめて孫の俺は、爺ちゃんたちが死ぬまで生きていようと思うんです。それが命令だったら、美人だろうがなんだろうが、何だって殺しますよ」
「…………」
いくぶん引き気味の鷹見は、「さーて、仕事仕事……」と呟いて、単調な確認作業に戻った。
そして3日後。
「わかりました!」
ほとんど隆一郎のおかげで作業が終わると、戻ってきた木場に鷹見が報告した。
「ビデオに女はまったく写っていません、ということが……」
がっくりと肩を落とす鷹見に、木場はからかいの言葉を投げた。
「本当か? 居眠りぶっこいて見落としたんじゃねぇのか?」
「本当です」
少なくとも自分が見た分は、と隆一郎が言い添える。木場が頷く。
「まあ、そんな気はしてた。想定内だ。途中下車、つまり飛び降りたんだろう。相手は人間じゃないし、それくらいお茶の子だ」
「ハリウッド映画だったら、別な行き先のに乗り移ってるかもしれないですね」と、鷹見が苦く笑う。
「まぁ、どっちにしろ、東京から上の地方に行ったのは間違いない。東京に戻ってきた形跡はないからな。あとは車やなんかで移動したにしろ、臭いは残る。お前にゃ無理だが、隆一郎なら追える。家のほうには地方の大会ってことで手を打つから、明日から出張してもらう。鷹見は保護者役をよろしくな。俺は引き続き情報収集しとくから、何かあったら、ここに電話してくれ」
「えーっ……」
面倒事を嫌う鷹見が嫌そうな顔をするのとは対照的に、隆一郎は淡々と了承した。
「わかりました。鷹見さん、明日からよろしくお願いします」
* * *
「おっ、髪切ったんだー!」
花子がかなめを見て、歓声をあげる。
土曜の町で、かなめは突然、美容室に行きたいと言った。花子と港は、予定どおりに映画を観にいった。カフェで待ち合わせして、現れたかなめの変貌に、花子は大喜びだ。
かなめは髪を長ったらしい三つ編みにしていたが、思い切ってショートカットにした。伊達眼鏡も、やめた。
「うわっ、思い切ったね。失恋ってわけでもないだろうし……」
港が、まさか校長じゃないよね、と呟く。
冗談じゃないと、かなめは慌てて否定した。
「失恋じゃないから! なんていうか……心境の変化っていうか……」
「いいじゃん、いいじゃん! やっぱメガネなんていらないよねー。美人度あがったし! かっこいいかんじ! お姉さまステキ! とか下級生に告られそう!」
「ないない」
はしゃぐ花子に、かなめは苦笑する。それもこれも、戦いの準備だった。長い髪は邪魔だし、敵に掴まれると面倒だ。眼鏡も激しく動くには、ないほうがいい。もう、意地を張っている場合ではない。
山奥の秘密の吸血鬼学校で、かなめはたった一人で、戦い始めている。
(一人で、勝てるかな……)
(花子と港にも、全部話そうか)
(でも、良子が死んだっていう確証もないし……)
迷い続けて、まだ何も話せていない。
港と花子のふたりの話題は、吸血鬼と人狼の伝説のほうに移っていた。
「そういえば、シスター・テレジアに聞いたんだけど。吸血鬼が血を与えて人狼にするには、同性じゃないとダメなんだって。異性だと気が狂っちゃうらしいよ。それで、この学校を脱走した女子高生が、それを知らなくて、好きな男の子に血をあげて、人狼にして、ずっと私を守ってねとか言ってたらしいんだけど……。男の子が気がつくと、目の前が血だらけで、女の子は首を噛みちぎられて死んでたらしいよ。男の子は、自分がやったって気づくと、泣きながら、その場を逃げ出したんだって。今も町を彷徨って、愛する人を殺してしまった自分を呪っているとか……」
いちおう声を潜めての港の話に、花子は小さく声をあげる。
「うわっかわいそー! でもなんだか、美しい悲劇だよね。その少年って、今も町を彷徨っているのかな?」
「どうなんだろうねえ」
「でも、私たちの血って、薄くて人狼は作れないんでしょ?」
「そう聞いているけどね」
「やってみる?」
「まさかまさか……バレたら懲罰もんでしょ」
肩をすくめる港に、花子はつまらなそうな顔をする。
「むーっ。あとさあ、生き血って、おいしいのかな? せっかく……なったんだもん、いっぺんくらい飲んでみたいよねえ」
「自分のは?」
「飲んでみたけど、おいしくない。人間のじゃないと駄目なのかなあ?」
「ダメだよ、それこそ懲罰もんだって!」
(生き血……)
港と花子の会話をぼんやりと聞いていたかなめは、ふと、昨夜のアルとの会話を思い出す。
この頃は戦闘の訓練ということで、体育教師のシスター・ムジカの許可をもらい、夕食後に体育館で、堂々とアルと会っていた。組手もするが、小休止して会話する時間のほうが長かった。
「シスター・テレジアに気をつけろ。あいつ、都会で人を殺してきたみたいだぞ」
「えっ……」
かなめは柔道着姿で、アルはTシャツにスパッツだった。この日はまだ髪を切る前なので、かなめは長い髪を結わえている。アルは自然に下ろしていた。
「気をつけろっていっても……」
「血液には白血球がいる。人間社会にも、そういう組織があって、殺人をするような異物を排除する。たぶん、じき追手が来るぞ」
「ええっ……!?」
かなめは動揺した。
「わ、私も殺されちゃう?」
校長を倒す前に死ぬのだろうか、とかなめは悔しくなる。せめて、良子がどうなったのかを知りたい。
「分からない。それは校長の対応次第だ。……ただ、私は以前、校長のせいでどうなろうとも覚悟の上だとか言ったが、今はなんというか……その覚悟がなくなった。あんなアホなシスターが仲間にいたら、命が百個あっても足りない。逃げ出したい気が、ひしひしとしてきている」
「だ、だったら……!」
私の味方になってよとかなめが言う前に、アルがぶったぎって言う。
「それもこれも、お前が校長より強ければ、だ。かなめ」
「…………」
「この学校の警備は厳しい。私が仮にかなめの味方になっても、狼の子はあと3人いる。追撃を私だけで振り切るのは不可能だ。……かなめがもうちょっと戦力になれば、なんとかなるかもしれないが……」
「ならなくて悪かったね」
かなめは仏頂面になる。
組手をしているので、かなめの戦闘能力はアルには分かっている。かなめの体力、筋力は人間以上とはいっても、しょせんは戦闘の素人だ。夜は吸血鬼の能力のほうが上回るといっても、経験で勝るアルには勝てない。
「まあ、かなめが校長に勝つとしたら、不意打ちしかない。あとは、同級生のふたりを仲間に引き込めれば、また違うだろうが」
「…………でも……」
良子がどうなったのかは、今のところは推測だけで、決定的な証拠はない。それなのに、巻き込んでいいのか。
「ちょっとーかなめ、聞いてるの!?」
ぼんやりと回想にふけっていたかなめは、花子の声で現実に引き戻された。
「ご、ごめん……ハックション!」
慌てて詫びてる最中に、くしゃみが出る。首が寒いせいかもしれない。
「やだー、風邪?」
「いきなり髪を短くするから……」
「せめて、あったかいもん飲みなさいよ」
港がほがらかに笑い、花子が偉そうに忠告する。朝から晩まで一緒の、家族のようなこの二人を、自分は守れるのだろうか。守る力があるのか。
かなめはその場をごまかして笑い、ぬるくなったコーヒーに口をつけた。