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親の心、子は知ってる

作者: 志内炎

この小説は完全なフィクションです

 夏休みだというのに、朝七時過ぎの電車に揺られていた。

(そろそろ通勤ラッシュなのかな)

 乗り換えの時、ちょっと混んでいて、ちらほら立ってる人もいる。私はなんとか座れた。

 制服姿は私だけ。みんなこれからお仕事でしょう。

(ご苦労様です)

 座っているのはちょっと心苦しい。一時間以上乗ってなきゃいけないのに立ってるのは辛い。お弁当箱が中でかたかたいってる二年半使って、こなれてきたビニールの鞄に目を落とす。

(今日は特別なんで……許して下さい)

いつも鈴なりについているキーホルダーも、今日はない。

 膝の上に置いた鞄は、いびつに盛り上がっている。バドミントンシューズだ。鞄の上から手で押さえてみる。

 去年の夏、部長になって頑張ったけど、中学最後の試合も一回戦で負けてしまった。日本代表が銅メダルをとった新聞記事を思いだす。

(日本代表かぁ……)日本代表どころか、ダブルスの選手の座を後輩に奪われてしまった。

(ま、もう引退したし。私なりには頑張ったもん)

 そうは思いながらも、『持ち物』の体育館シューズにバドミントンシューズを持ってきた。

「もっと頑張れたんじゃないの?」私の中の私が言う。

「じゃあ、明日の二回戦、見に行くね」

 送り出してくれた時のママの声を思い出す。プレッシャーだったけど、励ましてくれたんだ。

 私はママが二十歳の時の子供で、さらにママは若く見えるから、友達のママたちより断トツに若い。そのぶん、ちょっと自慢で、友達のように

「親に参観とか来られるのは嫌だよね」とは思わない。むしろ、来て、と思う。

 結局、最後の試合をママに見せられなかった。

(ごめんね、ママ)

 今日も明け方ちかくから、起きていた。私はお風呂に入っていたから、台所で水を出すたび、シャワーの水圧が下がって迷惑だったけど、お弁当を作ってくれた。

 間隔の長い駅の間を走り、やっと三つ目の駅にたどり着いた。ドアがあき、サラリーマンやOLの人達が乗り込んでくる。

(あ……『ギ』の臭い)

 おじさんの汗とおじさんがよく使うミント系のコロンが混じって、苦い臭いが微かに漂う。一文字で表現すると『ギ』って感じ。ちょっと鼻にくるけど、これくらいなら我慢出来そうだ。それでも、

(誰だろう)と周りを見渡してしまう。

 男の人は苦手だ。うちには男はいない。ママとおばあちゃんだけ。

 ほんの小さい頃はママの弟と暮らした事があるらしいけど、覚えていない。おばあちゃんが来る前、しばらくママのその頃の彼氏がいたけど、それももうあんまり覚えていない。パパとは暮らした事はない。

 そもそも、パパとママは結婚していない。パパには二回程、会った事がある。それも写真があるから知っているだけで、記憶しているわけじゃない。写真の中のパパはサングラスをかけていて、ママに似ていない目元が、果たしてパパ似なのか、判別はつかない。

 ママは今でもパパの事は、

「尊敬している」という。

「でも恋愛感情はない」らしい。今はどこでなにをしているかも知れないけれど、

「元気で幸せだといいね」なんて言ったりもする。私たちは貧乏だし、ママはたらふく酒を飲むような仕事に従事しなくてはいけなくて、よく便座とお友達になっているのに、全く、人がいいのか何なのか。

 ただ『絆』なんて御大層な名前を私にくれて、何かのたびには

「生まれてくれてありがとう」

 なんてウルウルしながら言うママを見ていれば、ちょっと欝陶しいけれど、愛されている事は伝わって来る。時々ママがするパパの話はみんな笑い話だし、ママ同様、私もパパを怨んでなんかいない。

(それなりに幸せでいればいいんじゃん)てところだ。

 向かいの座席に座っているOLさんのスカートの裾から、下地がはみ出している。OLさんは気付かずに、一心不乱に携帯電話のボタンを押している。

(携帯電話、欲しいな)

 校則で、学校や学校関係の行事での外出に、携帯電話の携帯が禁止されていて、ママは買ってくれなかった。

(中学卒業したら買ってくれるかな)

 心配症で、子離れできてないから、きっと買ってくれそうな気がする。

(それにしても……)

 眉根を潜めて、すごいスピードでボタンを押している。ママみたいに、画面を見ながらニヤニヤしているのも怖いけど、このお姉さんみたいなのも怖い。

(カレシとメールしてるのかな……だったら余計やだな)

 太ってないし、ちょっとなんとかっていう、よく二時間ドラマに出てる女優さんに似てるから、綺麗だと思う。

(でも、ママの方がモテそう)

 ママは、そこそこモテる。小さい頃は、たくさんのお花やプレゼントが職業がらのなせる業だと気付かなくて、

(うちのママはすごい美人なんだ)と誤解していたが、今はそうでもないことは理解している。

 お料理はまぁ上手だけど、掃除は苦手で部屋は散らかっている。話は面白いけど、興味がないことは聞いていない。利発的っぽいけど、私に文句を言えないくらいぼぅっとしている事が多い。

 どんな魅力があるのか、理解しがたいところもなくはないけど、たいてい彼氏がいる。今の彼氏もまだ会った事はないけど、写メールを見る限り、毛深そうだけどちょっと男前で、話を聞く限り単純でいい人だ。

 だけど結婚はしていない。

 そんな話がでないわけでもなさそうだけど、前の彼氏も長く付き合っていたのに別れてしまった。

(やっぱり私のせいかな)

 ママは、

「お母さんのせいよ。この歳でババ付きじゃあね」という。私の面倒をみてくれてるからっていう事もあるけど、なんだかんだいって、離婚していて独身のおばあちゃんも扶養してる。二人は表面上喧嘩しないけど、実はあんまり仲良くない。

「小さい頃からの確執がある」らしいけど、私としてはあまり喜ばしい状況ではない。

 ママは自分の恋愛に関して、私の事を愚痴った事はない。それどころか、ママの彼氏たちは、私のご機嫌をとりたがる。それはママが彼氏たちにいかに私を大切にしているかを話してるからに違いない。

(でもなぁ……)

 浮気者に見せ掛けて、彼氏がいるときは他の男の人の話は一切でてこない。というより彼氏の話しかしない。あんまり出かけるのも好きじゃないし、一人でお家で過ごすのも得意だ。実は編物が趣味だったりして、私もベストやマフラーや作って貰って、冬にはヘビーローテーションするくらいにプロ級の腕前。

 お仕事もちゃんとやってるし、休みの日にも電話がかかって来て出勤したり、

「部長と飲んでた」なんて言ってたりするから、頼りにもされてるんだと思う。でも、いわゆる家庭に入る方が向いてると思う。

(やっぱりちょっとは妨げてるよね……)

 駅に電車が停まると、お姉さんは、凄い勢いで携帯電話を閉じて

「はあ」と呆れたようなため息をついて、降りていった。ちょっと怖かった。

 私の隣に座っていた人も降りて、少しわかめのサラリーマンが座った。ヘッドフォンからちゃかちゃかとリズムパートが流れてくる。やたらと大きな鞄の端が私の鞄を押す。全然気付いていないみたいだ。別にへんな人じゃないけど、やっぱり男の人は苦手だ。

 同級生の男子は、得意って程ではないけど、そこまで苦手じゃない。あんまり進んだことや、映画やテーマパークみたいなデートはしたことないけど、一緒に帰ったり勉強したりする彼氏は今まで二人いた。他の男子とも普通に話す。

 だけど先生は苦手。先輩も苦手かも知れない。

(年下は大丈夫かな……)

 ボーダーラインは自分っぽい。

 隣のサラリーマンは新聞を折りたたみ、読み始めた。

(やっぱり大人って大変……)

 ニュースを見るのは嫌いじゃないけど、新聞は裏から読んでしまう。新聞を前から読む姿を見ると、子供っぽいママも大人に見える。

(やば……眠くなって来た)

 降りる駅まではまだ三十分以上ある。だけど終点じゃないから、眠るわけにはいかない。

(絶対遅刻できないし……)

 そう思う程、レールの継ぎ目を渡る振動が心地よくなってくる。サラリーマンの新聞の『食品』という文字が目に飛び込んでくる……

 一番始めの将来のユメは『レジをうつ人』だった。ママとスーパーに行った時、ピッピッと音を鳴らしながら、手際よく籠に詰めていく姿がカッコイイと思った。ママは大笑いして、

「そっか」と言った。

 次になりたかったのは『宝塚の男役』。おばあちゃんに連れていってもらって、カッコイイと思った。ママは苦笑いして、

「あなたには大きくなる血統がないのよ」と言った。予言通り、ほとんど成長が止まった今も、学校中で一、二を争うほど背が低い。

 その次は学校の先生。

「他人様の子供の人生を預かるなんて」

 その次の介護福祉士は、

「激務だし、死に直面するんだよ」という理由で反対された。


「絶対普通科行くからね!」

 頭の中でした、自分の怒鳴り声にがくんとなって、目が覚めた。慌てて外を見る。

(ほ……まだまだだ)

 怒鳴ったのは一ヶ月くらい前の朝。ママは酔っ払っていた。翌日、ママの薦める専門学校の学校見学だった。

「高校に行って何がやりたいのよ」

「バドミントンがやりたい」

「大してうまくもないのに?」

 ――ひどい。私なりには一生懸命やったのに。下唇を噛む私に

「結果が全てなんだよ」と冷たい声で追い討ちをかける。

「その後はどうするのよ」

「大学に行きたい」

「なんのために?」

「……勉強」

「なんの?」

「まだわからないけど……」

「大してうまくない部活となんのためにかわからない勉強のために、ママは後七年も授業料を払い続けるの?」

「……バイトするよ」

「運動部でバイトして大学受験が出来る程賢いの?」

 ぐうの音も出ない。私は涙が出た。悔しい。初めて貧乏な事に心の底から腹がたち、生まれて初めてパパを怨んだ。

「専門学校受けなさい」ママも泣いていた。

「難関だから受からないかも知れない。でも受けなさい」泣くなんて……大人のくせに泣くなんてズルイ。

「わかったよ……受けるよ……でも絶対普通科行くからね!」

 怒鳴って、台所を抜け、五メートルも離れていない隣の部屋でふて寝した。

 ママにあんなに強烈に反抗したのは、初めてだった。おばあちゃんとはよく言い合いをしたけど、何となくママとは言い合いにならなかった。顔を合わせる時間が短いのもある。酔っ払ってダメダメの時もあったけど、ほぼ毎日お弁当を作ってくれる。ちょっとくらいうざくても、許せた。

 駅に着いてドアが開くと、そばつゆの匂いがした。

 内心、

(どうやって仲直りしよう……)って思ってた。昼になって起き出したママは、まるで何事もなかったように、

「お昼、蕎麦と素麺どっちがいい?」とパンパンに腫れた目で聞いた。

「素麺」

 私もパンパンに腫れた目で答えた。案ずるより産むが易し。

 ドアが閉まっても、美味しそうな蕎麦つゆの匂いが、車内に充満している。

(うう……お腹空いた)

 お腹の虫が鳴かないか、心配になる。

 ママのいう事もわかる。

 ママの薦める専門学校に行けば、卒業後すぐから、キャバクラ嬢もめじゃない給料が保障されてる。技術が身につくから、一生食いはぐれないだろう。

 本当はそれだけが理由じゃない。

 体が小さい方が有利だ。ちびといじめられた時、

「小さい事に誇りを持ちなさい」と言われた。経済的理由も、本心だと思う。専門学校だって、私立の高校よりも授業料が高い。それでも高校大学の七年間で払うより、これから三年で払ってしまった方が楽なんだ。夜のお仕事は若さも大切ってことくらい、わかってる。

「結果が全てなんだよ」

 あの冷たい声は、もしかしたらママ自身に向けられていた?私が飛び込もうとしているのは、結果をだせば、生涯消える事なく、積み重なっていく。生まれも育ちも学歴も関係ない世界だ。

 降りる一つ前の駅で、中学生らしい男子が乗り込んできて、目があった。

(あの子も受けるのかな)

 背も高くなく、華奢だ。

 男子はすぐに目を逸らして、ドアの側に立った。色が白く、細い指がかろうじて吊り革を掴む。

 勉強は好きだ。まだまだいろんな事を知りたい。私はまだ中学三年生、十四歳だ。この夏で一生が決まってしまうなんて。その上、男子が圧倒的に有利でしかも全寮制。三年間、苦手な男子の仲で過ごす事になるかも知れない。

 次の駅で、やっぱりあの男子は降りた。私も後に続く。

 改札を出て、あまり人が流れていかない方へ歩く。男子との距離は三メートルくらい。私より十センチくらい背が高い。遅れをとらないように、でも速足にならないように大股で着いて行く。男子も心なしか、私を気にしている。

 券売機の前で男子は脚をとめ、料金案内を見ている。

(ふん、私、知ってる)五駅しかないのに五百円もする切符を買って、男子を置いて改札を通った。

 すぐにホームに滑り込んできた電車に乗り、悠々とシートに座る。男子は駆け込みで、同じ車両の離れた扉から乗り込んだ。

 ママの『結果』はなんだろう。

 なんにせよ、恐ろしく単純で欝陶しいくらい真っ直ぐにしか生きられないママは、押し付けるようにではあるけど、今私をこの電車に乗せる事に成功した。

 本当は好きにさせたかったに違いない。私はママの宝物だ。

(あの涙は……謝罪か)

 思いかえせば、切羽詰まったような顔をしていたのはママの方だ。

 ほんの小さい頃、明け方にママがいない事で不安になって、家の外にでた事がある。

「駅前までママを迎えに行こう」その冒険は見事に失敗し、迷子になった。

 寝間着のまま、放浪していた私を見つけて、心配してくれたのだろう。知らないおじさんが話かけてくれていた。

「お嬢ちゃんどうしたの?」

「ええとね、昨日の夜、ママが急にお仕事でね……」

 一から話す私の話は支離滅裂。

 すごく早い足音とともに、

「絆!」というママの声で振り向いた。

 ママはひどく怖い顔をしていた。

「あ……」

 バチーン……

 おじさんも呆気にとられる勢いで頬を殴られた。そして痛みを感じるすきもなく、ぎゅうっと抱きしめられた。

 たいしたことない部活だの賢いのかだの、泣きながらけなされた時の顔は、殴られた時の顔と同じだった。そして今朝、玄関で見送りながら、

「気をつけてね」とだけ言った顔は抱きしめられた時と同じだった。

(ああ……)

 青々と繁った木々が窓の外に見える。電車はスピードを落として、到着駅に滑り込もうとしている。

(私、迷惑なくらい愛されてるなぁ……)

 肩に鞄をかけ直す。お弁当箱がかたかたなる。

 ゆっくりと開いたドアから、ぽんとホームに降り立つ。さっきの男子の後ろ姿の他にも、制服がちらほら見える。

(……受けるからには誰にも負けるもんか)

 真っ青に澄み渡った空に、目玉のように二つ穴の開いた。雲が浮かんでいる。

「別に……ママのためじゃないからね!」

 その雲に向かい小さな声で悪態をつき、イーっと歯を剥き出してから歩き出した。

 もう背中に汗が滲んでいる。今日も暑くなりそうだ。

 

二十歳になった時、「二十歳ってもっと大人なはず……」と思いました。最近は学生を見ると「十代ってもっと子供なはず……」って思ってしまいます(笑)

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― 新着の感想 ―
[一言] シビアですね。 でも、これからはリアルでこういうお話が 増えるんだろうなと思いました。 ママも若さゆえの間違いを 色々後悔しているんだろうな。 シビアですね。 でも、これからはリアルでこう…
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