御伽
これはひとつの、御伽噺。
第終話 御伽集 御伽
其ノ弌
あの電話を受けてから僕は一旦家に帰った。
それにしても、僕の父親の情報が入ったって、どういうことなのだろう。
僕の父親は生きている、ということは知っている。行方不明だということも。
だとすると、行方が分かったということなのか?
考えていても、僕には全くわからなかった。
この後、疎が来てくれることになっている。その時に事情を説明してもらえばいいだけだ。
「にしても、落ち着かねえ……」
何なんだか。
最後の神剣も見つからないし、妖怪の出処も不明だし、挙げ句の果てに、父親のこと。
「天と�には言えねえな……」
元々巻き込むつもりはないけれど。でも、父親のことも言うことはできないだろう。
「まだかな……」
言った時、携帯電話が鳴った。
「もしもし?」
疎だろうと思って、すぐに電話に出た。
『九十九先輩!今すぐ彩砂先輩の家に来い!』
「え?」
『彩砂先輩が倒れた!だから、早く』
疎が言い終わる前に、僕は電話を切って家から飛び出した。
新しい自転車にまたがり、ペダルを漕ぐ。
「何だよ……」
倒れたって何だよ。
何なんだ今日は。
嫌な予感しかしない。冷や汗が背中を伝う。
数十分で御巫の家に着いた。
鍵はかかっているだろうと思ったのでインターホンを鳴らす。するとすぐ疎が出てきた。
「九十九先輩、こっちだ」
「ああ」
促されて、疎と共に御巫の部屋に入った。
中には、ベッドで眠っている御巫がいた。疎は少し落ち着いて、僕に言う。
「さっきは慌てて言ってしまったが、たぶん疲れのせいだと思う。そこまで大事ではない……だろう」
「……そうか。なら、いいんだけれど」
御巫が倒れるなんて、思いもしなかった。
僕は安堵のため息を漏らす。
「……あれ?」
疎がふと、疑問そうな声を上げる。
「九十九先輩、どうやって来た?」
「あ?」
「ここに来るのに」
僕はその質問に、内心首を傾げながら答える。
「自転車だけれど」
「いや、そういう意味ではない。……一人、だよな?」
「そりゃ、まあ……」
誰かを呼ぶ暇と余裕が全くと言っていいほどなかったから、当たり前だ。
「表裏結線を超えたのか?」
「…………」
僕は沈黙する。
そういえば、表裏結線は僕一人では越えられるはずがない……のだ。なら、どうして僕は御巫の家に来れたのだろう。
「でもこの前……鈴河の時も、越えられたような」
「最近の九十九先輩は記憶力がいいのか?」
馬鹿にされてる!
僕は無駄なことは覚えていられるんだ!つまり勉強は覚えられない!
「自信満々に言うことでもない」
「口に出してない!」
「そんなことはどうでもいいのだ。ついでだ。先ほど電話で言ったことを話そう。実は、私は彩砂先輩には違う話をしに来たんだが……」
「違う話?」
「そう。これは九十九先輩には関係のない……いや、関係あるのか。神剣の行方の話や、歴史的な話だ」
「歴史的……絶対覚えられねえぞ」
「では関係がないな」
「いや、聞かせてくれてもいいけどな?」
疎が悪そうに笑う。久しぶりに見る笑顔だった。
「金を払えば話してやらんこともないですよ?」
「じゃあいい」
「ノリが悪いなあ、九十九先輩は」
覚えられない話を金で買うとか、無理だ。
もったいない。
「じゃあ仕方ない。それは後で話してやろう。とりあえずはあなたの父親のことだ」
「……おう」
少し覚悟ができていなかったのだが、ここまで来たら仕方が無い。覚悟を決めよう。
「あなたの父親はーーー裏世界にいる」
「……は?」
何だって?
裏世界にいる?
「あくまでも、予想、だが」
「じゃあ、違う可能性もあるんだな?」
「だが、その可能性が一番高いんだ」
「何を根拠に……」
疎は近くにあった鞄から、一冊のノートを取り出した。
「ええと?」
「さすがに覚えてないか。九十九先輩の父親の日記。借りたんだよ、いつだかに」
そうだったっけ?……覚えてないな。
「この中には、表世界ではあり得ない、存在しないものの物質名、場所が書かれていた。しかも、後の方のページにはこう書いてあった」
疎は至って真面目な顔つきで言った。
「『私は彼女達を置いて、裏側に行く』と」
「嘘……だろ」
「見てみるがいい」
手渡されたノートをぱらぱらとめくると、一箇所だけ、この古ぼけたノートに真新しい付箋が貼ってある。
そのページを読むと、比較的綺麗な字でこう書いてあった。
『十二月二十日。私の妻と、三人の子供の安否に気が引けて、これまで裏側に行かないようにしていた。だが、錦はもうすぐ六歳になる。天津と炫は四歳だ。私の血が濃いあの子達なら、もう大丈夫だろう。妻には迷惑をかけるが、それも仕方の無いことだと自分に言い聞かせる。私は彼女達を置いて、裏側に行く。時期を見て、結線を超えよう。』
僕の名前、天津と炫の名前がそれぞれ入っているということは、やはり父親のノート、日記なのだ。
僕は当然、六歳前後の記憶をはっきりと覚えているわけがない。てっきり、もっと前にいなくなっていたと思っていた。
「結線、というのは、表裏結線だろうと思う」
と、疎は言った。
「そうだろうな……。じゃあ、やっぱり裏世界にいるのか?」
言いつつ僕はページをめくる。
「その可能性が高いだろう。日記は、十二月の最後あたりで終わっているはずだ」
最後に書いてあった日記は、疎の言うとおりだった。十二月三十日。
「今日……結線を超える」
僕は印象的なその一文を読み上げた。
『十二月三十日。今日、結線を超える。私の愛する家族が、幸せに健康に過ごせるように、いつまでも願おう。』
次の一文に僕は、驚きの声を漏らした。
「どうした?」
疎もそこまで詳しくは読んでいなかったのだろう、僕が驚いたところがわからなかったようだ。
僕は読み上げた。
「『例えいつか、自分の子供と敵対することになろうとも。』……って、最後に」
「それって……」
僕にはわけがわからなかった。
何故父親は裏世界に行ったのか。しかも、行く寸前に書いた日記には、子供と敵対することになるなどと嫌な予想までしている。
「……悪い、九十九先輩」
「え?」
「今から最低で最悪の、私の予想を言う。覚悟しろ」
「…………」
返事はしなかった。
最低で最悪の予想だなんて、言われたら。息を飲んで待つしかない。
「あなたの父親はーーー妖怪じゃないのか?」
僕は、その言葉に笑ってしまう。
本当に。
最悪じゃねえか。
其ノ弍
「……あくまでも予想だし、私個人の意見だ。あまり、気にすることではないのだが……」
「……そう、なのかな」
果たして。
疎の言うことが真実なのかどうのかはわからないが、何故だか合っている気がしてならない。
「九十九先輩の父親が妖怪だとすると、九十九先輩が一人で表裏結線を超えることも可能のような気がするんだ」
「僕も……そう思うよ」
「すると九十九先輩は、彩砂先輩のように半妖ということになるな」
そういうことだな、と僕は言った。
「天津ちゃんも炫ちゃんも、神剣を上手く使えることも頷ける」
「……上手く?」
疎は頷く。
「彩砂先輩に聞いたのだが、九十九先輩の妹君が神剣光冥と闇冥を取ったのだろう?取る時に、まず光冥を見つけ、闇を払ったと聞いた」
「そんなことしてたのか、あいつら」
それは初耳だった。御巫には話していたのだろうか。
「斬るくらいなら意外に誰にでも出来る。だが、闇を払うなど巫女の域に達するだろう」
「じゃあ、やっぱり疎の言ったその可能性が高い……な」
信じたくはないけれど。
「ただ、信じられないのはどこにも体に妖怪らしい目印がないことだ……」
「目印っていうと御巫みたいな青の髪とかそういう?」
「そうだ。だが九十九先輩は普通の人間らしい見た目だ」
「なあ、僕の父が限りなく人間に近い見た目、もしくは人間と同じ見た目っていうのはあり得ないのか?」
疎は考えるように腕を組み、やがて口を開いた。
「あり得ないとは、言い切れない。だがそんな例証があるかと言ったら心当たりがない」
「そうか……」
「いや、もしかしたら見つかっていないだけかもしれない。人間と同じ見た目なら、ばれにくい」
疎は御巫を見やる。
御巫は相変わらず眠っていた。
「彩砂先輩がいつ目覚めるかわからないしな……本来なら、九十九先輩のことだし、あまり彩砂先輩に協力を求めるべきではないのだが……」
「そういえば、どうしてそんなことを言ったんだ?」
裏世界のことだとしたら、御巫に訊いた方が早いだろうと思う。
「おいおい、九十九先輩。彩砂先輩は神剣探しに妖怪の発生源を調べに歩き回ったりしているんだぞ?そこにあなたの父親捜しをさせる気か?」
「……そういうことか」
僕もなかなか、気遣いが足りないようだった。御巫の恋人だというのに、情けない。
「しかし、今日はもうお開きか?一応九十九先輩への用は済んだからな……」
「だけど、御巫は?」
「それについては心配いらない。私が見ている」
「だったら僕も」
「九十九先輩は帰った方がいい」
疎は残ろうとする僕を制止した。
「でも……」
それでも僕は残りたかったのだが、疎は断固として首を縦に振らなかった。
「ご家族が心配するだろう、あなたの家は」
「……それは、そうだけれど」
「だから帰った方がいい」
「…………わかった。でも何かあったら、連絡しろよ。夜中でも来てやる」
「ありがとう、九十九先輩」
疎は笑顔で返し、僕は渋々御巫の家を出た。
それにしても、まさか僕の父親の妖怪疑惑がかかるなんて。
「でもなあ……」
父親は、表裏結線を越えることができたみたいだし、その挙句僕も一人で越えられるのだから、間違っていないような気がする。
自転車を走らせ、表裏結線を問題なく越える。
「……普通に越えられるんだよな」
今までは御巫と一緒じゃないと越えられないと思っていたが。
僕は一度、今通ってきた見えない表裏結線を一瞥し、家に向かった。
「……あ、朱雀」
途中で、朱雀が歩いているのを見つけた。
「あ、九十九くん。やっほー」
笑顔でひらひらと手を振る朱雀の横に、自転車で止まった。
「どこ行ってたの?御巫さんのお家?」
「……まあな。朱雀は家に帰ってる途中か?」
「んーん。これから塾」
「塾か……大変だな。頑張れよ」
あはは、と朱雀はいつも通り笑う。
「そんなに大変じゃないけどね。まあ九十九君が言うなら頑張ろっかな。……はあ」
「何?」
「いや、まだまだ割り込みできる隙がないなーって思ってさ」
朱雀は残念そうに肩をすくめた。
……あー、そういう意味か……。
「まあ諦めないけどね?覚悟しとけよー、九十九君」
あの朱雀蘿の騒動から、朱雀は大分人間らしくなった。いや、元から人間なんだけれど。
そんな彼女が、僕が半人半妖だということを知ってもなお、僕のことを好きでい続けてくれるだろうか。
「九十九君?何かあった?」
相変わらず、勘も鋭いし。
「なあ、朱雀……」
「ん?」
「僕がさ……半分妖怪だったとしたら、どうする?」
「…………」
朱雀は僕の言葉を聞いて、うーんと考えた。
しばらくすると、朱雀は口を開いた。
「どうもしないよ」
「どうも……?」
「うん。きっとそうだったとしても、私は九十九君が好きだよ。ていうか、そうだったら、九十九君のお父さんかお母さんが妖怪ってことでしょ?」
「……そうだな」
「だったら結婚できるじゃない」
その言葉に、僕は不覚にも笑ってしまった。
「そうだな」
「結婚する?」
「いや、しないけど」
ダメかー、と朱雀は笑った。どさくさに紛れてプロポーズしやがったぜ。
「突然、そういう真実でも伝えられたの?」
勘の鋭い彼女はそう訊いてきた。
僕は一瞬、言うべきか戸惑ったが、ここまで言っておいて答えないのもなんなので答えることにした。
「まだ、確定はしてないけれど。そうかもしれないって……だけで」
「そっか……でも、九十九君は九十九君だよ」
「え?」
「今言ったことが本当だったとしても、これまで生きてきた九十九錦っていうことは変わらないよ」
「……それもそうだ」
なんだか、どうでもよくなってきたな。
妖怪とか人間とか、どうでもいいか。
僕は僕だ。
「朱雀、ありがとな」
「どういたしまして。お礼にキスしてくれてもいいよ?」
「それは遠慮しとく」
蘿と人格が混ざってから、積極的すぎないか、朱雀?
まあ……本来はこの性格なんだろう。
そう思っておこう。
「じゃあね、九十九君」
「おう。またな」
言って、僕はペダルを漕いだ。
其ノ参
家に帰ると、僕は真っ先に父親の部屋に向かった。
扉を開けると、本だらけの、人がいない空虚な空間に出る。
「……暗いな」
冬ということもあって日が落ちるのが早く、部屋の中はもう暗い。僕は電気をつけて、本棚を漁った。
僕は疎に貸していた日記(ついさっきまで忘れていたのだけれど)を見て、まだあるんじゃないかと思った。だから、普段近づかないこの部屋に入ったのだ。
もしまだあるとしたら、中には僕のことや、妹達のことも書いてあるかもしれない。
そう期待を込めながら。
「……ったく、疎はどの棚から取ったんだ?」
この部屋にある本棚はザッと数えただけでも六個以上ある。本棚自体も段が付いているし、その段の中に本はぎっしりと詰まっているのだから、これは予想以上の時間がかかりそうだ。
僕は嘆息しつつ、とりあえず本の背表紙を見ながら探していくことにした。
「ーーーん?」
しばらくして、僕は一冊、背表紙じゃない方向に入れてある本を見つけた。
僕は不審に思って、それを取り出す。
「……ダイアリー」
そう書かれた表紙を見て、ため息をつく。
「これか」
呟き、ページをめくる。
「……錦?」
と、突然母の声がして、僕は咄嗟に後ろに日記を隠した。
「な、何?」
「やっぱり錦か。明かりが漏れていたから、誰かと思って」
……ばれてはいないみたいだ。内心安堵しつつ、僕は謝る。
「ごめん、ちょっと用があってさ」
「調べ物?」
そんな感じ、とはぐらかす。
「…………錦」
それまで苦笑していた母の顔が固く変わる。
「何か、気づいたの?」
慎重に言葉を選ぶように発されたその声は、僕の心臓を高鳴らせるのに十分だった。
母は僕に近づいてくる。
「何かって、なんだよ」
自分の声が震えていないか不安だったが、そうでなくても、彼女はこちらに近づいていただろう。
「……見せなさい」
僕の後ろに隠していた日記を、母は取り上げた。
ばれていたようだ。僕は息を飲む。
「これ、桐羽の……日記?」
「桐羽……?」
「お父さんの名前だよ」
僕の父親の名前……。
母は、咲埜さんは知っているのだろうか。僕の知りたいこと……重要なこと。
「咲埜……さん。訊いてもいいかな」
母は少し困ったような笑みを見せたが、やがて頷いた。
「父さん……桐羽さんは、人間だった?」
「ーーーいいえ」
僕は、言葉を失う。
しかし彼女は続けた。
「人間ではなかった。けれど、限りなく人間に近かった」
「……それはどういう意味?」
「見た目が人間だった……」
鼓動が早くなる。意識しなくても音が聞こえるくらいに、緊張していた。
「そうよね。もう、錦には言ってもいい時期か……。そのうち話すつもりだったよ、そのうちね」
母は言って、父親のだったはずのベッドに腰掛けた。
「錦も座れば?」と、手招きをされ、床に座っていた僕も彼女の隣に腰掛ける。
「どこの誰から聞いたのかは知らないけれど、桐羽は人間じゃない……俗に言う、妖怪みたいなものだった」
「妖怪……」
「信じられるかはわからないけれど」
僕は何も言わなかったが、既に妖怪に何度か関わっているので、信じられないわけはなかった。
「でもね、悪い妖怪じゃなかったよ。優しかった……とても」
「……咲埜さん、僕は本当にあなたと、桐羽さんの子供なのか?」
「そうよ。それは断言できる。天津も炫も、そう」
少しだけ僕は安心する。
実は母の子供ではないのではないかと思ったりもしたけれど、そんなことはないようだった。
「行方不明って言ったけど……本当は場所知ってるの。彼がいる場所」
「えっ?」
予想外のことに、僕は驚きを隠せない。
「これも信じられないと思う。裏世界というところがあってね。そこにいる」
「……今も?」
僕の問いに母は静かに頷いた。
「そうか……」
「錦は……」
母は言う。
「錦は、何を知ってるの?」
それは、僕が答えにくい質問だった。
どこからどこまで言っていいのだろうか、そもそも、言ってもいいのだろうか。
僕が迷っていると、彼女が少しため息をついた。
「表裏結線、知ってる?」
「……うん」
「裏世界があるというのは?」
「……知ってる」
そっか、と頷いた。
「驚かないわけだ」
「別に隠してたわけじゃ、ない」
「うん。えーと、はい」
母は僕に日記を差し出した。
「読んでもいいのか?」
頷く彼女を見て、僕は日記を受け取った。
「……ありがとう」
「ひとつだけ約束して」
きつい口調で、彼女は言った。
「命だけは大切に」
「……わかった」
答えると、母は微笑んで、部屋から出て行った。
僕は日記を開く。
内容的には、疎が持っていたものより前の日付のようだった。
ぱらぱらとめくり、一ページだけ目立つところがあった。
「なんだ、このページ」
字が赤で書いてある。
ペンが赤しかなかったのか、それとも違う理由なのか。
僕は内容を読む。
『十月九日。十二月には家を出よう。家族というものが暖かすぎて、つい長く居てしまったが、もう限界だ。私は元々、善良な妖怪ではない……禍々しい、不吉な鴉なのだから。ここに居てはいけない。』
「鴉……」
大分前に、炫は妖怪化しなかっただろうか。その時に、鴉のようではなかっただろうか。確かではないけれど、そうだった気がする。
僕はまたページをめくった。
『十月十二日。御巫鳴波がしつこくも表まで追ってきた。神剣というものは厄介すぎる。どうにかして奪えないだろうか。』
僕はそれを読んで、息を飲む。
御巫鳴波というのは、御巫の親族だろう……おそらくは巫女だ。
僕は緊張で疲れてきていたが、それでも読み進めることしか、できなかった。
『十一月一日。神剣について分かったことがある。それは神剣が主と認めたものの力を増幅するということだ。ということは、私が主と認められれば、絶対に私は妖怪の中で頂点に立つことが可能だろう。ここまで生きてきて、今更そんな夢ができるとは思わなかった。神剣を奪えるのはきっと、巫女の代が変わる時だろう……鳴波も若くはない、辛抱強く待てば機は訪れる。』
「……っ!」
僕は日記を床に落とした。
ーーーまさか。
「まさか、神剣を表世界に流したのは、父親なのか……?」
……信じたくない。
信じたくないが、日記からすると、そんな気がしてしまう。
でも今は父親は裏世界にいるはずだ。表世界に流す意味はないだろう。
それに父親の手の中に神剣があったとしたら、今まで見つかったのはおかしい。
僕は真実を確かめるために、日記を拾い上げ、次のページを開いた。
「……あれ?」
ページが破れている。それも一ページどころではない。
残されたページには、こう書いてある。
『錦へ。』
「……僕?」
僕の名前が、書いてある。続きを読んだ。
『お前はいつか、御巫鳴波の娘にでも会って、関わることになるだろう。そして私の情報や何やら知ることになるだろう。その時にこの日記を見つけ、読むんじゃないか?今これを見ていたら、当たりだな。錦、お前は特別だ。特異的存在だ。決して普通の人間だなんて思うんじゃない。
もしも何か手がかりをと思ってこの日記を探し当てたなら、残念だったな。お前のことも、他のことも、最重要なことは教える気はない。精々裏世界にでも来て、頑張って探すんだな。』
僕は呆然とする。
予想されていた?このことを?
僕が御巫と出会ったこと……否、御巫が僕に助けを求めたこと、僕が父親の行方を捜すこと、何もかもが予想されていたというのだろうか。
僕が混乱してきた時、携帯電話の音が鳴り響き、びくっと体が反応する。
「……御巫?」
携帯電話の画面に表示された文字は、御巫と書いてあった。
其ノ肆
『やっほー九十九君。元気ー?』
「いや、むしろお前が元気なのか?」
『え?あー、まあまあ。元気は元気でもげんって感じ』
それは、全快ではないという意味でいいのだろうか……。
「で、どうした?」
『やあねー、九十九君、急かさないでよ。せっかく恋人から甘いモーニングコールがきたというのに』
「今は朝じゃないぞ……」
どちらかというと夜だ。
じゃあイブニングコール?
『まあまあ、甘いというより嫌がらせコールなのだけれどね』
「そんなの恋人からの電話じゃねえ!」
悪魔の囁きだっつーの。呪われるのか、僕は。
御巫は電話の向こうで笑っている。
『九十九君の誕生を祝う代わりに呪うってのもありかもね』
「ありじゃないし!僕の誕生日はもう過ぎてるから!」
『それもそうね……ねえ、今からうちに来れない?疎は帰っちゃったし。つまらないのよ』
「いや……休んどけよ……!」
また倒れられても困るって。
『……寂しいなー。寂しくて死んじゃうかも』
「兎か!」
『ぴょんぴょーん、寂しいぴょーん』
「確実に鳴き声じゃねえからそれ」
あー、もう、楽しいぜまったく。
父親の正体とかもうどうでも良くない?
目的とかもはっきりしないけど、僕一人で考えなくてもいいじゃん、別に。
『で、来てくれるでしょ?』
「ーーー当たり前」
僕はノートを片手に立ち上がって、とりあえずはコートを羽織り、外に出た。
『きゃー、九十九君やっさしい。惚れちゃう』
「棒読みなのは気のせいか……?」
ていうか御巫は僕に惚れてるんじゃないの?まさか違うのか?それは酷い。
「じゃあ急いで行くから待ってろよ」
『一秒で来てね』
「いや、それ人間業じゃない……」
お前か疎じゃないと無理だ。
『僕つくもん。今お前の後ろにいるぜ、ふへへへくらい言いなさいよ』
「御巫、それただの変態だからな?」
御巫の中の僕のイメージがこんなだったら泣ける。しかもつくもんって。名前が可愛らしすぎだから。
『じゃ、待ってる』
「おう、後でな」
そして通話は切れる。
僕は携帯をポケットに入れ、自転車に乗って御巫の家に向かった。暗くなった道を自転車のライトが照らす。
彼女の家に着いた頃には時間は七時をまわっていた。
僕は優しいので、着いた時にメールで『今お前の家の前にいるぜうへへへ』と送っといてやった。
「すぐに返信来たけどな……」
呟いて、文を思い出す。
『私はあなたの後ろにいるわ。ほら、今も……』という文面で、少し後ろを振り向いたのは内緒。
僕はため息をひとつついて、御巫の家のインターホンを押した。
「へーいっ」
「うお!?」
後ろから攻撃された!
驚いて振り向くと御巫が立っていた。
本当に後ろにいたのかよ!怖いよ!
「親がいます」
「唐突に何!?」
「プロポーズしてもいいのよ?」
「この状況でか!」
「ほら、ダイヤの指輪とかくれていいのよ」
「バイトもしてない僕に何を求めるっ!」
「はいはい、ちょっといいかな?」
と、聞きなれない声がする。声の方を向くとそこには笑顔の女性が立っていた。
「お母さん」
御巫が言う。
まじで……?若くないですか?
「えーと、九十九……錦君だよね。どうも」
「あ、どうも。初めまして」
御巫の母は、黒髪で背は少し高め。疎と同じで瞳が青かった。
「御巫鳴波です」
「……あ」
そうか。彼女は、僕の父親と会ったことがあるのだ。日記にはもう若くないと書かれていたが、見た目は十分若い。
「どうかした?」
「あ、いえ何でも」
そう、と鳴波さんは頷いて、僕と御巫を中に促した。
御巫の部屋に入り、鳴波さんがお茶を持ってくると言って別れた。
「で、何かあったのか?御巫」
「何かないと九十九君に会っちゃいけないのかしら」
「そういうことじゃないけど。お前親がいる時に僕のこと呼び出すことないだろ」
四月からの付き合いで、僕は今の今まで御巫の母親に会ったことはないのだった。
「……お母さんが九十九君を呼んで欲しいって言ったのよ」
「え、あの人が?」
御巫は頷く。
「二人で話したいんだって。大事なこと言わなくちゃいけないって。ねえ、九十九君は何なの?」
「何って……」
「疎から聞いたの。九十九君一人でも表裏結線越えられるんでしょ?ていうか、現に超えてきたものね」
御巫は訝しげに僕を見る。
僕は少し迷ってから、心を決めて真実を伝えた。
「父親が妖怪らしい」
御巫は声こそ出さなかったが、驚いた様子だった。
「しかも神剣のことも知ってるし、もしかしたら……」
神剣を表世界に流したのも、父親かもしれないと言おうとした時、鳴波さんが部屋に入ってきた。
「そのことで九十九君とお話ししたいのだけれど」
「あ」
「え?」
僕らは驚いた。
その話なのか……。
たぶん、彼女は真実を知っているのだろう。当事者なのだから。
「彩砂、ちょっと出ててくれる?」
御巫は嫌そうな顔をしたが、何も言わずに部屋から出て行った。仮にも今日倒れた人を部屋から追い出す(しかも御巫の部屋)のは気が引けたけれど、鳴波さんは部屋を変える気はないようだった。
「えー……っと、どこまで知ってる?」
鳴波さんは言った。
「父親が妖怪らしい……ってことと、神剣に関係があること、あと、今裏世界にいるということ、ですかね」
「思ったより知ってるね」
と、鳴波さんは頷いた。
「ま、妖怪らしいじゃなくて、妖怪だし……。真実かどうかわからないからこういう言い方なのかな、九十九君」
「そう……です。信じたくないというのもありますけど、少し」
「そうだよね。神剣に関係がある……っていうのはどのくらい知ってるの?」
「ええ、と……」
僕は日記の内容を頑張って思い出そうとするけれど、そういえば鞄に日記が入っていたことに気づいて、鞄から日記を取り出した。
「ここに書いてあること、だけです」
鳴波さんは日記を受け取って、中をぱらぱらとめくる。
「…………ふむ。この赤で書いてあるページ以外は読んだ?」
「いえ……。赤のページだけが目に着いたので、そこしか」
「そう。だったら今日にでも全部読め」
「え?」
いきなり命令された!
「赤だけが大事だと思えない。それに……あれだ、気を逸らすには十分だし」
「気を逸らす……?」
「んーと……最初から全部読もうとする人ももちろんいるだろうけど。九十九君が急いでいて、且つ情報が欲しいなら全部は読まないと踏んだんじゃない?めくって、目立つところだけ読むと思ったのかもしれないね。まあ、当たってるみたいだけれど」
と、鳴波さんはくすっと笑った。
「だから普通のペンで書いてあるところに大事なことが書いてあったりするかも……ね」
なるほど、そういうことか……。
だとすると、やっぱり僕が見ること前提で日記をつけていたのか?
「わかりました。後で、読んでみます」
「うん。あ、彩砂ー」
と、呼びかけると、御巫がすぐに部屋に入ってきた。
「何よ」
心なしか表情がむすっとしている。
「謝らないの?」
「何が?」
鳴波さんはにっこりと笑った。
「怒るわよ?」
僕に向けて言っているわけではないけれど、何故か寒気がした。鳴波さん怖い……。
「……盗み聞きしてごめんなさい?」
「疑問形なの?」
「…………ごめんなさい」
「はい」
盗み聞きしてたのか御巫。いつもほぼ謝らない御巫が素直(?)に謝るとは。鳴波さん恐るべし。
さて、と鳴波さんは僕の方を向く。
「九十九君、神剣探しを手伝ってくれてるのよね」
「あ、ええ。特に何もできていませんけど……」
「そんなことないわ」
と、御巫は言った。
「そうね。そんなこと、ない……彩砂とは違う意味で」
……それはどういう意味なのだろう?
「……また何かあったら、言ってね。出来ることは協力するわ。特に、あなたのお父さんのことは」
「ありがとうございます」
鳴波さんは笑って立ち上がり、部屋の入り口に向かう。
「じゃ、後は彩砂にバトンタッチ。ラブラブを邪魔するなんてことしないので、安心してね」
言って、ひらひらと手を振り彼女は部屋から出て行った。
「……知られてたのか」
「言っちゃった」
「言ったのかよ!」
「九十九君に会った日に」
「早すぎる!」
何?出会った瞬間に付き合うとか思ってたの?予知ですか?
「嘘よ」
「……まあそうだよな」
本当だったら驚きだよ。
「ていうか、御巫は何で僕を呼んだんだ?」
まさか本当に寂しいからとかいう理由ではあるまい。
御巫はため息をついて、腕を組んだ。そして、真剣な口調でこう言った。
「ーーー最後の神剣のことよ」
其ノ伍
「最後の神剣……っていうと」
「御伽、ね。そういえば私、九十九君にあまり神剣のことについて詳しく話したことがなかったわね……」
「名前と……神剣の色くらいしか聞いてないな」
今更だが、名前と見た目の色を聞いただけで、よく協力してこれたな。協力と言っても、僕はほぼ何もしてないけれど。
「あまり話したくなかったのよね……九十九君信用ならないから」
「信用してくれよ!」
まさかまだ信用されていないなんてことは……ないよな?それとも今の話なのか?
そうだったら悲しすぎる。拗ねるぞ。
「神剣っていうのは、一本一本に役割があってね」
「話してくれるんだ……」
「まあ、害があるようなら記憶消すから。生前まで」
「生前まで!?」
「むしろ前世まで消してあげる」
「僕の前世が何なのかわからないのに!」
何か、ツッコミするのも久しぶりだなあ。たぶん久しぶり。最近シリアスな雰囲気しかなかったからな。
「で、水祀は水の神様。主に防衛。炎尾は炎。主に攻撃。光冥は光、闇冥は闇。こちらは難しくて……まあ明るさ調整だと思って頂戴」
「神様に向かって、明るさ調整って……!」
なんかチープな表現だな。
「緑狩は木とか……ポケモンで言う草タイプね。補助系」
「確かになんだか分かり易いが、ポケモンでわざわざ言わなくていい!」
御巫はため息をついた。
「ちょっと黙っててくれるかしら。九十九君のツッコミのせいで話が進まないじゃない」
「…………」
「どうしてもツッコミをしたいというのなら、そうね、二酸化炭素を吸って酸素を出すくらいのことはしてちょうだい」
「なんかデジャヴ!」
昔こんなこと言われたような……。
僕は植物じゃないっての。
「御伽は……全て」
御巫が静かに言った。
僕はその言葉に首を傾げる。
「全て?」
「ええ。御伽なくして他の神剣はない。つまり御伽は全ての神剣の母というか……その一本で他の神剣の代わりが出来ちゃうくらいの代物なのよね」
「それって……それがまだないってことは」
「かなり危ないわね……」
「やっぱり?」
そういえば、御巫に父親のこと言わないといけない。可能なら、協力してもらわないと僕だけではきっと見つけられないだろう。
「あのさ、御巫……僕の父親がさ」
「妖怪なんでしょう?」
「まあそれはそうなんだけど……何て言ったらいいのかな。神剣に関与しているというか……」
「どういうこと?」
御巫は眉間にしわを寄せて、僕を見た。
僕は、日記に書いてあったことを思い出しながら話す。
「まず神剣は主と認めた人の力を増幅したり……とかするか?」
「するわね。神剣に認められれば、持ってるだけで私の……九十九君でいう超能力かしら。それの使える範囲、強さとか、増すから
。……って、こんなこと九十九君に言ってないわよね?」
僕は頷く。
「父親の……この日記に書いてあったんだ」
父親の日記を御巫に見せると、御巫は手にとって中を見る。
「父親は御巫の母親も知っているみたいだ。あと……神剣を手に入れようとしている。だからもしかしたら御伽を持っているかもしれない」
「このページね」
御巫は僕が言ったことが書いてあるページを読む。
「……お母さんから私に代わった時……今年の春ね。ということは、大分前からの計画だったのかしら」
「たぶんな……。それ、僕が六歳だか七歳だかの時の日記だし」
「ふうん……ほとんどの神剣は見つかっているのに御伽だけ見つからない。つまりあなたの父親が持っている可能性は……まあ高いわね」
「だよな……」
もう父親が何もしていないという希望を持つのはやめたほうがいいのだろうか。
身内である以上、あまり疑いたくはないのだけれど。
「私のお父さんなら何か知っているかしら……」
「御巫の……お父さん?」
「ええ。私も半妖だし、お母さんは人間。だとすると、お父さんは妖怪でしょ。もしかすると妖怪の、九十九君のお父さん……お名前は?」
「母は、桐羽って言ってたな」
「桐羽さんのこと、知っているかもしれないわ」
「そうかな」
「妖怪仲間かもしれないし」
言って、御巫は立ち上がった。僕も来いと言うので、僕も立ち上がり、一緒に部屋を出る。
相変わらず御巫の家は広く、豪邸と言っていいような大きさだった。僕は何回も御巫の家に来ているが、客間と御巫の部屋くらいしか入ったことがない。
御巫の部屋より奥に進むと、御巫はある部屋のドアをノックした。
「…………お父さん?」と、彼女が呼びかけるが、返事はない。
御巫がちっ、と舌打ちをして呟く。
「たぶん書斎ね……」
「書斎もあるのかよ……」
どんな広さだ。
「こっちよ」
御巫は下の階に降りる(彼女の部屋は二階にある)。
少し進むと、御巫は扉を開けた。
「お父さん」
中には、細身の男性がいた。
御巫の声に振り向いたその人は、髪と瞳が綺麗な青で、切れ長の眼をしている。
「ねえお父さん、桐羽さんっていう妖怪知らない?」
「何だいきなり」
御巫の父親は首を傾げる。
「……桐羽は知り合いだけれど……、その人は?」
彼は僕を不思議そうに見た。
「初めまして……九十九錦です」
桐羽の子供です、と言おうとしたが、御巫の父親に遮られた。
「ああ、桐羽の……。じゃあ、桐羽を捜してたりするのかな?」
彼は優しく笑った。
「ええ、まあ。会いたいんです……それと、神剣のことを確認したくて」
「神剣のこと……」
不思議そうに首を傾げたが、御巫がそれを補足した。
「御伽を、九十九君の父親が持っているかもしれないのよ。だから、返してもらわないといけないの」
御巫の父親は少し考えるようにしたが、やがて口を開いた。
「悪いけれど、最近のことについては全く。昔のことならわかるけど……ごめんね、錦君」
「いえ……」
申し訳ない、と頭を下げる御巫の父親に、僕は首を振った。
「ただ……ひとつだけ、いいかな」
御巫の父親は頭を上げると、真剣な表情で僕に言った。
「たぶん、桐羽は神剣を持っていない」
「ーーーえ?」
それはどういうことだ?
「お父さん、何を言っているの?」
御巫も怪訝そうに尋ねた。
「ここ最近になって、御伽の情報も気配も全くないのよ。他の真剣は見つかってるのに。しかも桐羽さんが、神剣を集めようとしてるっていうのも彼の日記に書いてあった。それなのに……」
「桐羽が神剣を手に入れているなら、妖怪達の中でも色々変化がある。なのに、今はそれがない」
「でも!夏頃から妖怪が多いわ。しかも悪質な奴らよ」
僕も、御巫に同意する。
「確かに多いです。夏に、僕は実際に体験しました」
御巫の父親は腕を組む。
「それは……俺にはわからないけれど。でも、神剣が妖怪の、しかも桐羽の手に渡っているなら裏世界や、表世界にも影響が出ているはずだ。だから少なくとも今は……彼の手中にはあるはずがないんだ」
御巫はまだ不服そうだったが、ため息をついて、
「……わかったわよ」
と言った。そして僕の方を向いて、肩を竦める。
「ということらしいわよ九十九君。どうする?」
「どうするって言われてもな……」
一番のアテがなくなってしまったわけで、これからどうすると言われても、思いつかない。
「とりあえず、部屋に戻りましょう。邪魔してごめんなさいね、お父さん」
「嫌味っぽい口調で言われても謝られている感じがしないな……」
御巫はそんな言葉に振り向きもせず、部屋から出て行った。
僕も一礼をして、部屋を出ようとする。
「錦君」
「はい?」
不意に呼び止められ、僕は足を止める。
「……君は自覚があるのかい?」
「自覚?」
どういう意味だ?
少しの間の沈黙の後、御巫の父親は横に首を振った。
「いや、分からないならいい。あまり役に立てなくて悪かったね」
「いえ……ありがとうございました」
今度こそ僕は、書斎を後にした。
「…………自覚なし、か」
彼のそんな呟きは、僕には聞こえなかった。
其ノ淕
御巫と一緒に御巫の部屋に戻ると、紅茶が置いてあった。恐らくは御巫の母親だろう。そういえば、さっきはお茶を入れると言っていたのに持っていなかったな。
「さて、本当にどうしましょうか」
紅茶を啜りながら、御巫は言った。
「とりあえずは、日記を読もう。黒の鉛筆で書かれているところ」
言って、僕は日記をめくる。
最初の方は、特にとりとめもないことだった。
「……本当に重要なことなんて書いてあるのかしら」
「わかんねえけど……暗中模索な今、手がかりがあるかないかはともかくとして、これしか可能性のあるものないだろ」
「それはそうだけれど」
肩を竦める彼女を無視し、僕は読み進める。
それから一ページずつしっかりと読んだが、どれも重要とは言えない文ばかりだった。
「もうすぐ赤のペンで書いてあるページだな……」
ここに何もなかったら本当に手がかりがなくなる……。
「赤のページの手前で何か書いてあったりするのかしら」
「わかんねえ……」
少しの期待を込めてページをめくる。
「…………御巫、これ!」
「何?」
御巫は僕が示したページを見る。
『伊楼羽神社は、かなりいい場所だ。裏世界の妖怪の集会場のようになっている。神社として機能もしておらず、強力な妖怪でもいられる。巫女は神社には妖怪は入れないという先入観を持っている。しばらくはここに』
「……途中で途切れてるし日付もない。けれど、これだと裏世界の伊楼羽神社にいる可能性は高いわね」
「そうだな……最後の最後に重要な情報があってよかった」
いや、よかったと言っていいのかわからないけれど。
「……とりあえず、私はお風呂入ってくるわ」
「え、じゃあ僕帰るよ」
「嫌だ」
ええ?嫌だって言われた。
「泊まればいいじゃない」
「いいじゃないって言われても……連絡もしてないし、いきなりだし」
「問答無用。手足を縛ってでもここに残らせるわよ」
「……わかったよ、お世話になりますよ。とりあえず着替えとか持ってこないとな」
僕が立ち上がろうとすると、御巫が僕をベッドに蹴り飛ばした。
「…………」
しばし沈黙。いや、何が起こったのかわからなかったのだ。
「……………ふぅ」
「……ふぅじゃねえよ!びっくりしたよ!ベッドじゃなかったら確実に怪我してたよ!何なんだよ!」
「まあ落ち着きなさいな九十九塵」
「塵と書いてゴミと読む!それが僕九十九塵だ……じゃねえよ!」
「素晴らしいノリツッコミをありがとう。あとでお礼に床に蹴り飛ばしてあげるわ」
「そんなお礼いらねえよ!」
「着替えはお父さんの貸してあげる。貸付利子付きでね」
「なら貸さなくていい……帰る」
「えっ!?ご、ごめんなさいごめんなさい!マジでごめんってば!帰らないで!貸付利子は取らないから!」
「仕方ない、そこまで言うならいてやろう」
ふっ、勝ったね。
初勝利だぜ。
「大体何で今日はこんなに粘るんだよ」
言うと、御巫は寂しそうな顔をする。
「みかな……」
「九十九君、私裏世界に住んでいるのよ」
「……知ってるけれど」
今裏世界にいるし。それがどうしたっていうんだ?
「そう。じゃ、私お風呂入ってくる」
御巫は言って、部屋から出て行った。
僕にはさっきの言葉の意味がわからず、内心首を傾げていた。
しばらくしてから、御巫が戻ってきて、御巫の母親の許可を得たらしい。父親の許可は、と尋ねると「あんな男の許可なんていらないわよ」とのこと。あんな男って酷いぞ。次に僕もお風呂に入らせてもらって、着替えは無利子で御巫の父親のものを貸してもらった。無利子で。
僕の記念すべき初勝利の無利子で(しつこい)。
そして再び御巫の部屋。
「さて、明日はどうする?九十九君」
「どうするって言われてもな……学校あるし」
「学校とお父さん、どっちが大事なの!」
「ええ…………っと、学校?」
蹴られた。
「お前の蹴り軽くでも痛いんだからやめろよ……」
「知らないわよ。お父さんに決まってるでしょう」
決めつけられた。
だって忘れてるかもしれないけれど、僕頭悪いんだよ?進級できなくなったらどうするんだよ。
「大丈夫よ、九十九君が進級できなかったら、私が先輩として勉強教えてあげるから」
「なんか嫌だ……」
まだ朱雀に勉強は教えてもらってるけれど、時々朱雀からのアピールが来てきつい。
九十九君はどんな髪型が好きなの?とか。
九十九君って結婚するなら何歳がいい?とか。
ウェディングドレス着たいなあ、九十九君の横で。とか。
「……一番きつかったのはあれか……」
御巫さんとキスはしたの?デートしたの?え、まだ?じゃあ私が奪っちゃおうかな。ファーストキス。ほら九十九君、目閉じて。ちょ、逃げないでよ!もー、照れ屋さんなんだから!
みたいな。
すっげえ恥ずかしい。思い出すだけで恥ずかしい。あの後追いかけ回された気がする。
「とりあえず伊楼羽神社に……って九十九君聞いてる?」
「ん、ああ。聞いてる聞いてる」
少し適当な返事に御巫は怪訝そうに眉をひそめるけれど、続けた。
「とりあえず裏の伊楼羽神社に行って探しましょう。いなかったら仕方ないからーーー」
「その必要はない」
聞きなれない声が窓の方からして、僕らはハッとそちらを見る。
そこには。
黒い羽を広げて、窓枠に立ち、僕らを見下ろしているーーー鴉のような。
禍々しく、不吉な、鴉のような。
「ーーーよう、久しぶりだな……錦」
「…………桐……羽さん?」
彼の名前は九十九桐羽。
正真正銘、疑いようのない、
僕の父親だった。
其ノ質
「あ?名前知ってるのか」
「ええっと……咲埜さんに聞いたので」
不思議そうに言った桐羽さんに僕は答える。
「ふうん。ま、いいけどよ」
こうして見ると、彼は随分と妹達に似ている。というか、妹達が彼に似ているのだろう。
「初めまして、九十九君のお父さん。私、九十九君の嫁の御巫彩砂っていうの」
「嫁?」
「嫁!?」
いつ決定した!?聞いてないぞそんなこと!
何気にプロポーズなの?それともただ言ってみただけなの?
「御巫……御巫か。じゃあ、鳴波の娘だな?」
「そうよ」
「今いくつだよ、錦」
桐羽さんは僕の方を見て笑う。
「十七歳……ですけど」
「でかくなったなー。敬語要らないし」
仮にも父親なんだけど、と彼は言う。
なんだか親しみやすい感じだけれど、僕はそこまで馬鹿じゃない。
彼が神剣を狙っているんじゃないかと思うと、僕はあまり警戒心を解くことはできない。
「何の用ですか、突然」
敬語をやめずに、僕は訊いた。
「まあそう急ぐなよ、久しぶりなんだし」
「急ぐ必要はないのかしら。さすが妖怪ね、寿命が長い。余裕綽々でむかつくわ」
御巫は嫌味っぽく言う。
「でもね、生憎私は人間なのよ。早くしてくれないと死んでしまうわ。九十九君もね」
「それはどういう意味かな、鳴波の娘」
「そのままの意味よ。私が死んだらあなたを倒す人がいないじゃない」
「だとよ、錦」
何故ここで僕に振るのだろう。
「あなたが……神剣を使ってよからぬことを企んでいることは知っています」
言うと、桐羽さんは頷いた。羽ねをはためかせながら、彼は言う。
「やっぱ日記読んだのか。日記というより、ヒントかな」
「ヒント?」
「満載だっただろう」
妖しい笑みを浮かべながら、馬鹿にしたように僕や、御巫を見る。
「そうね、満載だったわ。伊楼羽神社に行く手間も省けた。どうもありがとう。それで、早く要件を言って欲しいのだけれど?」
「鳴波みたいだな、お前は。せっかちだ。仕方ない、言ってやろう」
僕は息を飲む。
ここで御伽以外の神剣を奪われたらたまったもんじゃない、そう思いながら、拳を握った。
「錦、お前は自覚したか?」
「え?」
それは……さっきも、御巫の父親に言われた言葉だ。
「何の……」
「日記にも書いただろ?お前は普通じゃない……特異的なんだって」
「何?それ」
御巫が怪訝そうに僕を見る。
御巫も日記には目を通したはずだ。なら読んだはず……。
「錦以外には見えないようにしてあったんだよ、鳴波の娘」
「九十九君、何が書いてあったの?」
「えっと、それは……」
思い出しつつ言おうとする僕を遮って、桐羽さんは言った。
「錦は普通の人間じゃないって書いてあったんだよ」
「そうなの?」
どうも御巫は彼を信用していないようだ。
「あ、ああ……」
「普通じゃないってどういうことよ」
厳しい口調で、桐羽さんに問い詰める。
「言っていいのか?」
「言いなさいよ、ねえ九十九君?」
「……気になるけれど」
聞くのも怖い。
僕は正直、あまり聞きたくない。だって聞いたらーーー。
「まあ、私の目的でもあるから。言わない訳にはいかないな」
「焦らすわね。早く言いなさい」
「………………」
聞いてしまったら。
僕が僕じゃなくなってしまいそうで。
「錦はなーーー人間じゃない」
「……どういう」
「やめろ!」
僕は叫ぶ。
「九十九君?」
「やっと自覚したか?都合のいい記憶力だな……自分が何なのか忘れるなんて」
「……うるさい」
自覚という意味が、やっとわかった。わかってしまった。
「何なの、九十九君……」
「僕は……」
その後の言葉が紡がれない。
言ってしまったら、今までの自分がなくなりそうだった。だから嫌だった。
「錦はなーーー神剣なんだよ」
桐羽さんは笑いながら、御巫に言った。
御巫は目を丸くして僕を見る。
「……本当?」
「……そう、だよ。僕は神剣だ。ずっと、忘れていたけれど」
ずっと忘れていたかったけれど。
「じゃあ……九十九君が、神剣御伽……?」
僕が返事をする前に、僕は宙を舞って、壁に叩きつけられた。
「……っ」
痛みに悶えながら、桐羽さんの方を見ると、彼は手に持っていた。
「私の目的はこれだけだ」
「ーーー返せ」
彼は御伽を手に持っている。
僕と一体であり、僕と異なる存在であり、守ってきた御伽は。
こうも容易く奪われてしまうのか。
「……じゃあな、錦」
「返せ!」
叫んだ僕の声は、桐羽さんのいなくなった窓の外に、虚しく吸い込まれていった。
「九十九君、待って!」
部屋を出て行こうとした僕を御巫は呼び止める。
「お願い、待って。話がわからない。落ち着いて話して」
「でも、御伽が」
「御伽は必ず取り返すわ。でも今はその時じゃない。こちらも万全な状態で挑まないといけない。もともと勝ち目のなかったこちらが、さらに勝ち目がなくなった今……返り討ちになるだけ」
御巫は珍しく落ち着いていなかった。
僕は今すぐにでも取り返したかったけれど、一度深呼吸して、落ち着いた。
「……わかった」
そう返事をして、部屋の扉から離れた。
「九十九君は……神剣なの?それとも、神剣の守護者なの?」
御巫は、静かに僕に問いかけた。
「どちらかと言えば……守護者、かな。でも神剣と一体だったのは、確かだ」
「そう……」
「……僕も、今さっきまで忘れてた。いや、忘れられてたというべきか」
「九十九神と呼んだのはあながち間違っていなかったのかもね」
「……付喪神、の本来の字が僕の名字だったな。僕の場合だと……どっちがどっちに憑いているのかわからねえけど」
「そうね……」
僕は俯く。
僕は確か、最初からこうじゃなかったはずだ。いつからか、御伽を守っていた。
僕はいつから、九十九錦だったのだろう。いつから、御伽として生きていたのだろう。
今も、九十九錦なのだろうか。
『九十九錦』として、存在しているのだろうか。
其ノ捌
「九十九君は……いつから御伽を守ってるの?」
御巫が僕に言ったが、僕は首を横に振る。
「わからない。ずっとな気もするし……つい最近のような気もする」
「本当に十七歳?」
「それは……」
本当だと言おうと思ったのだが、自信がなくなってしまう。でも、咲埜さんは、僕は彼女の子供だと言っていたし。それに、
「桐羽さんも……そうだって言っていたから、たぶん間違いない」
「ふうん……ねえ」
「ん?」
「あんな奴に、さん付けしなくていいわよ」
「あんな奴って……」
仮にも父親なのに。
でもあの人も少し嫌がっていたような。
「……ってそんな話している場合じゃない」
「明日か、明後日にしましょう。御伽を取り返すのは」
「明日はわかるけれど、明後日は遅くないか?」
御巫はため息をついた。
「私が今から呼び出す人達の都合によるわ。早ければ明日だし、遅ければ明後日」
それ以降もあり得るけれど、と言う。
僕は一刻も早く御伽を取り返したいのに。
「今行っても無駄。急いてはことを仕損じるって言うでしょう」
「……そうだな」
僕はなんとか自分を納得させて、深くため息をつく。
とりあえず今日は寝ようという話になり、僕は空いている客室のような部屋に寝ることになった。
その部屋にいると、突然、ノックの音がする。
「失礼するよ。ごめんね、寝る前に」
扉の向こうから顔を覗かせたのは、御巫の父親だった。
「いえ……あの、自覚っていうのが、何かわかりました」
彼は部屋に入り、扉を閉める。僕の言葉に振り向いて、優しく微笑んだ。
「そっか。でも遅かったね、少し」
その言葉には、何も言えなかった。
確かに気づくのは遅かった。自分の記憶力にも呆れる。元々記憶力はないけれど。
「君は、十七歳で彩砂と同い年だよね」
「あ……はい、たぶん」
これについては、先ほど同様自信がないのだけれど。
「たぶん?」
「いつから御伽を守っていたのか……わからなくて。だから本当に十七年前に生まれたのかも、定かではないっていうか……」
曖昧な説明をしつつ、俯きがちになってしまう。そんな僕にくすっと御巫の父親は笑い、静かに言った。
「これはあるおとぎ話なんだけれどね」
「え?」
驚いて、彼を見る。
「昔むかし、あるところにひとりの男の子がいました。その子は、大事な大事な、一振りの剣を持っていた」
僕は、静かに聞く。
「ある時その子は死んだ。けれど何年か後に、別に……その子とは何の関係もない子だ。そんな子が生まれた。しかしその子は、同じ剣を一振り持っていた」
そこで、彼は話を止め、僕を見る。
「どうしてだと思う?」
「……それは、偶然じゃないですか。もしかしたら、前の持ち主のものが、偶然、その次の持ち主のところにあったとか……」
僕の答えに、頷きはしたものの、彼はこう言った。
「でもその次も、その次の次も……だとしたら?それはただの偶然かな?」
「…………それは」
偶然?
いや、むしろ必然かもしれない。
「こうは思わないかなーーー最初の男の子の生まれ変わりだと」
「生まれ変わり……」
「男の子は元々、剣を持っている運命で、宿命だったんだ。だから生まれ変わって……転生輪廻してもその剣を持っている」
「なるほど……そういう考えもあるんですね」
「ま、考えは人それぞれだ。これは俺の考え。そして意見」
「意見……」
「君は鈍いから直接言った方がいいかな?」
「にぶ……っ!……いえ、大丈夫です」
鈍いとか初めて言われた……。
さすがに僕もわかった。御巫の父親の言いたいこと。
「つまりいつからか僕は神剣御伽を守りながら、輪廻転生とやらをしている、ということですよね?」
「うん。そういうこと。推測だし、意見だけれどね。答えはないと思うけれど」
「ありがとうございます」
僕は苦笑しながら、礼を言った。少しだけど、今いる僕はちゃんと九十九錦として生まれたんじゃないかと思えた。
「役に立てたなら光栄だよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
そう挨拶を交わして、彼は部屋から出て行った。
僕はベッドに体を沈め、目を閉じた。
疲れていたのか、何かを考える間もなく眠りについた。
翌朝、御巫に起こされ、僕は朝食やその他いろいろ頂いてしまった。前に御巫が行っていたように、朝食は和食でおいしかった。
そして顔を洗ったりさせてもらい、今現在は御巫の部屋にいる。
「昨日の夜、疎と……天津と炫ちゃんに連絡したわ」
「え?天津と炫?」
「素質はあるわよ。少なくとも光冥と闇冥は使えると思う」
「あいつらがか?」
御巫は頷いたからできるのだろうけれど僕はそうは思えなかった。
「今は……九時ね。もうすぐ来ると思う」
言った瞬間、扉が唐突に開いた。
「「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーんっ!!」」
うるさい妹達のお着きだった。
「いらっしゃい」
「おー、錦ちゃんもいるじゃんか!」
「お泊りしてたの?エロいねー、エロエロだねっ!」
「いや、意味がわからねえよ!」
エロエロな展開は待っていないし、そんな空気じゃなかった!今この瞬間まではな!
「いやあ、なんだか久しぶりだなあ」
「そだねぇ。それで、みかちゃん何の用?」
どうやら用件は説明していないようだった。身を乗り出して、天津と炫は御巫に問いかける。
「あなた達前に光冥と闇冥の声を聞いたんだっけ?」
「あー、そんなこともあったか?炫」
「うん。まあ、たぶん光冥の声だけだと思うけれど……」
そう、と御巫は頷いた。
「実はね、あなた達のお父さんが見つかったのよ」
「「えぇっ!?」」
二人は目を丸くして驚く。
そんな二人に御巫は簡潔に、昨夜の出来事を話した。しかし、僕が神剣を持っていたということは伏せて。
話を聞き終えた二人は、難しい顔をして腕を組んでいる。
「それで、お父さんから御伽を取り返すのに、あなた達に手伝ってもらいたいのだけれど」
「うーーーーーん」
「むーーーーーん」
「別に殺せなんて言ってないのよ。いえ、ころ……消しても構わないのだけれど、それじゃあ九十九一家も悲しむだろうし」
御巫がこんなに(空前絶後と言っても過言ではない)頼んでいるのに、二人は考え込んだままだった。
「……人出が必要なのよ。九十九君を助けると思って」
僕の名前が出ると、ぴくりと二人が反応した。
「錦ちゃん、困ってるのか?」
「え」
「お困りなの?」
答えに戸惑っていると、御巫が威圧的な視線を送ってきた。かなり怖い……。
「こ、困ってる……めちゃくちゃ困ってる。人生一番の困難だ、お前らが手伝ってくれたら解決するかもしれないなあ」
若干棒読みだった。けれど、天津と炫の二人は目を輝かせ、握り拳を天井に突き上げた。
「錦ちゃんがお困りならば!」
「天下のブラコン天炫が!」
「「錦ちゃんのためにお手伝いさせていただこうじゃないですか!!」」
「ありがとう」
燃えている二人をよそに、素っ気なく礼を言う御巫。
天下のブラコンって何だよ……。あんまりかっこ良くないぞ?あんまりっていうか、全然かっこ良くない。
「遅れてすまない!」
またも扉が唐突に開き、そこには疎が立っていた。
「いやはや、途中で捕まってしまってな」
彼女は言って、後ろに視線を送る。
「やっほー、皆」
疎の後ろには、朱雀が笑顔で立っていた。
「朱雀?何で……」
「ん?何か役立つことあると思って。それに、仲間外れは嫌だよ、九十九君」
少しだけ寂しそうに肩を竦める彼女は疎と共に部屋に入り、床に腰を下ろした。
「まあ……今回はいいわ。人出が多い方が私も九十九君も助かるから」
「よかった。ありがとう御巫さん」
「よし、じゃあ作戦会議か。だいたい事情は把握している。朱雀先輩にも言ってあるぞ」
「「よっしゃー、頑張るぞー!」」
「初めましょうか」
御巫は静かに笑って言った。
其ノ玖
「基本、一人一本神剣を持ってもらうのだけれど」
言って、御巫は朱雀を見る。
「朱雀さんは……神剣を使えるかしら」
「うーん……私は、わからないなあ。使えないと思うけれど……」
「…………」
御巫は何のために来たの、と呟いたが、朱雀は特に気にしていないようだった。
「……まあ、配分としてはこうね」
水祀、槌鋸は御巫。
炎尾は疎。
光冥は天津。
闇冥は炫。
そして何故か緑狩が僕だった。
「僕も持つの?僕戦えないぞ……」
「何を言ってるのよ。守護者のくせに」
「ええ……」
そんな無茶な。守ってただけだっていうのに。
「御伽を守ってたっていうことは、御伽に認められていたと同義よーーーだから他の神剣だって認めてくれるわよ」
御巫は小声で僕に囁いた。
確かに御伽は七本の中で他の神剣をまとめたりとかしていたみたいだけれど……だからと言って僕なんかが他の神剣を扱えるのか?
「基本は私と九十九君と疎でやるけれど」
「何故主要メンバーに僕が!」
初めてなのに!絶対無理だって!
「九十九先輩、人生とはそんなもんだ」
「何だよその諭し方は!」
「「天炫隊はどうすればいいの?」」
「二人は危なくなったら……というか、たぶん雑魚妖怪を扱ってくると思うから、それの掃討かしらね」
「りょーかいっ!」
「前みたいな感じでやればいいのかな?」
「そうね。必死になれば応えてくれるわよ、きっと。たぶん」
たぶんかよ……。妹達が死んだら僕も死ぬぞ。身投げするぞ。
「私は……どうしよう」
朱雀が困ったように眉を寄せる。今のところ言っては悪いが朱雀が何もしていない。
「じゃあ天津ちゃんと炫ちゃんのサポートはどうだ?」
「そうね……よろしく」
「……うん!」
疎と御巫の言葉に、嬉しそうに朱雀は頷いた。
「いい?危険だと思ったら神剣に守ってくれるようにお願いするなり、逃げるなりしてちょうだい。逃げる時は間違っても神剣を捨てちゃだめよ。取られちゃうから」
一同は頷いた。
「おそらく伊楼羽神社にいるはず。行きましょう」
皆立ち上がって、御巫の家を出た。
外は少し曇っていて、冬らしくかなり寒かった。冷たい風が木々を揺らす。
御巫の家から伊楼羽神社までは、そう遠くない。
僕らは少し緊張しながら歩いた。
「あれ?」
伊楼羽神社に通じる石段がある場所まで辿り着いたのだが、そこには何もなかった。
あるはずの石段はなく、ただの獣道。しかも枯れ木や枯れ草が茂っていて登れそうもない。
「ここ……だったよな?」
疎が不思議そうに首を傾げる。御巫も辺りを見回すが、やがてため息をついた。
「道は間違っていないはずだけれど?」
「どうゆうことなのー!」
「おーのーっ!」
こんな時にも妹達はうるさいだけだった。
僕も疑問に思い、周りを見る。そこで、何か考えている様子の朱雀が目に入った。
「朱雀?どうした?」
「ん?うーん……ちょっと待ってね」
よくわからなかったが、朱雀の言葉通り少し待った。
他の皆も朱雀に注目している。
「あ、わかった」
やがて、晴れやかな表情で朱雀は言った。
「ズレてるんだよ。表世界と裏世界は」
「はぁ?」
「んーと、御巫さんの家基準なのかな……基準がどこかはわからないけれど、どこからか少しずつ座標がズレてるの」
朱雀の言葉に、僕らは首を傾げたが、疎が声を上げた。
「ああ、なるほど。つまり表世界と同じ場所にあるとは言っても、ズレているから裏世界の伊楼羽神社は場所が違うのだな」
「そうそう。それに周りの景色も少し違うから……」
そんなことを言った時、唐突に地面が揺れた。
「何だ?」
「「地震っ!?」」
地震かと思われる揺れと同時に辺りがいきなり暗くなった。黒い雲に覆われている。
僕は嫌な予感がした。
それは御巫も同様のようで、彼女は叫んだ。
「朱雀さん!神社の場所はわかる!?」
「……うん!こっち!」
朱雀は来る時にずっと考えていたのだろうか。朱雀が僕らの前を走る。
やがて地震はおさまったが、太陽が隠されたせいで道がかなり暗くなってしまった。きっと、桐羽さんのせいだろう。そうとしか考えられない。
「ここだっ」
朱雀が止まったところには見覚えのある石段があった。
「早く行きましょう」
御巫が登ろうとした時、不意に後ろにいた天津が叫んだ。
「みかちゃん!妖怪がぁぁっ!」
「後ろから来てるよぉっ!」
炫も叫んでいる。
「神剣を抜いて戦いなさい!」
御巫が言うと、慌てながらも神剣を抜く妹達。その先に妖怪が見える。
「朱雀さん……頼んだわよ」
言って、御巫は朱雀に槌鋸を渡した。
その行動に朱雀は驚いている。
「えっ……でも!」
「大丈夫。きっと協力してくれるわ。出来なくても斬るくらいなら出来るから……」
困ったように朱雀は御巫を見上げたけれど、覚悟を決めたように神剣を受け取った。
それに御巫は少しだけ微笑んで、僕を呼ぶ。
「私と九十九君と疎は神社に行くわよ。あの子達には雑魚の掃討。早く!」
僕は正直、妹達と朱雀が心配だったが、そんなこと言っている暇もなかった。
僕ら三人は石段を駆け上がる。
息を切らして境内に入ると、そこには漆黒の翼を広げている、僕の父親がいた。
御伽を持って、嘲笑いながら、僕らを待っていた。
「錦、鳴波の娘……それにお前は?」
「燈梨疎という。巫女だ」
ふうん、と興味なさげに彼は疎を一瞥した。
一筋の風も吹かない気持ちの悪い境内で、僕の父親はーーー九十九桐羽は、御伽の鞘を抜いた。
「私がお前達に勝ったら、裏世界も表世界も、私の思い通りだな」
そんなことを言いながら。
「負けるわけないじゃない」
「そうだぞ。正義は勝つからな」
御巫も疎も、神剣の鞘を抜く。
「ーーー僕も、負けない」
呟いて、緑狩に願った。
ゆっくりと、鞘を抜く。
これが、最後の御伽噺。負けるわけにはいかないんだ。
其ノ拾
「とぉっ!」
一方、天津や炫は石段の下で妖怪を斬り払っていた。
「キリがないなぁ、もう」
「みかちゃんだったらばーっとやるんだろうけど……」
息をつく暇もなく、妖怪は現れる。天津と炫、そして朱雀だけでは少しだけきつい状況だった。
「ばーっと?」
朱雀が訊くと、天津と炫は頷く。
「なんていうか、こう……」
「こんな感じでっ!」
炫が御巫の真似をしながら神剣を縦に振ると、神剣から光の鎌鼬のようなものが出て、目の前にいた妖怪を切り裂き、消し去った。
それに呆然とする。
一時の間の後、炫は驚きのあまり大声を出す。
「え、えぇぇっ!?何か出たぁっ!」
「炫すげぇ!」
「え、えーっと、こういうことかな?」
朱雀が槌鋸を振ってみると、若干弱いが同じようなものが出る。
「私にも出来る……」
「……何か、一大事だからって。光冥が言ってるよ」
炫の言葉に天津も闇冥を振り下ろしてみる。
「出ないっ!」
「信仰心が足りないんだよぉ、天津は」
「んなわけないよっ!」
言いながら横に斬る。
「えぇー?出ないよ出ないよー!」
そんなことを言っている間に妖怪は現れる。
「ていっ!!」
光冥から出た鎌鼬は妖怪を斬る。
幾分楽になった戦いで、少しだけ安心できた。
「うー、何であたしだけ……」
「んー、何でだろうね」
朱雀も炫も首を傾げる。
その後も妖怪が現れるたびに神剣を振り、消す。その繰り返しだった。
「天津ちゃん、ちょっと貸してもらっていい?」
「え?うん、いいよ」
朱雀に闇冥を渡し、槌鋸を受け取る天津。
朱雀が横に振っても縦に振っても鎌鼬は出ない。
「ん……人のせいじゃないね、やっぱり」
「何でだろー」
「じゃあ……こうかな」
朱雀が暫く静止していると、闇冥の周りに闇色の光が集まる。
「ええっ!?」
それを見て朱雀が闇冥を振るとその光は前に飛んだ。
「なるほど。やっぱりねー」
「わ、わかってたの?」
「わかってたっていうか、天津ちゃんが静止している時にちょっとだけ陽炎みたいのが見えたんだよ。でも、天津ちゃんすぐ動くから、見間違いだと思ったんだけどね」
と、朱雀は笑う。
闇冥を再び手に取り、天津も試すと、朱雀と同じことが出来た。
「やったー!出来たーっ!!」
「よし、このままがんばろう」
「「うん!」」
三人は神剣を構えた。
「九十九君、父親だからって、神剣を使うのを渋っちゃ駄目だからね」
御巫が真剣な口調でそう言った。
「わかってる……」
不穏な暗闇に覆われた境内で、僕、御巫、疎は僕の父親と対峙していた。
緊張の糸が張り詰め、まだどちらも攻撃に出ずに均衡の状態が続いている。だけれど、いつこの均衡が崩れてもおかしくない。
「……そっちからかかってくればいい」
桐羽さんは言った。
「それはどうも」
御巫も疎も動かない。
どれくらいの時間が流れたのかはわからないが、桐羽さんが先に動いた。
彼は御伽を勢いよく振り下ろす。そこからは衝撃波のようなものが現れ、御巫の方に向かっていた。
「くっ……」
御巫は神剣の力でバリアを張り、なんとか防いだ。その瞬間に疎が駆け出す。
「無駄だ」
彼は低く呟く。御伽と炎尾は交わるが、炎尾を持った疎があえなく弾かれた。
「さすが、と言うべきかな……」
「でも負けるわけにはいかないのよ、疎」
「そうだな。九十九先輩……」
「……わかってるよ。でも、やっぱり」
怖いものは、怖い。
御伽を取り戻すためだとはわかってる。だけれど、実の父親を攻撃することに躊躇う。
「九十九君!」
御巫の声に我に返ると、目の前に桐羽さんがいた。間一髪、僕は神剣で防御する。
「錦、お前は私がこの世界を支配してもいいというのか?」
「……っよくない」
「だろうな」
意地悪く彼は笑って、僕を弾き飛ばした。
「先輩、平気か?」
危ういところを疎が受け止めてくれたので、傷は負わなかった。
「平気だよ……ごめん」
「謝ることはない。私も父親を斬れと言われたら、躊躇うからな。無理なら緑狩を貸せ」
「でも」
「せっかくの神剣が台無しだ」
彼女はふっと笑って、僕の手から緑狩を取った。
「御巫先輩、本気を出すか」
「そうね」
二人は頷いて、桐羽さんに向かって駆け出した。
攻撃や防御により出る神剣の光が、暗闇に包まれた境内を舞う。
激しい攻防が繰り返される中、僕は何も出来なかった。
「錦ちゃーん!」
不意に名前を呼ばれ、振り向くと、妹達と朱雀が駆け寄ってきていた。
「あれ、みかちゃん達……?」
炫は御巫達の方を見て言う。
「ああ……」
三人は少し疲れの見える顔をしていた。妖怪と戦っていたのだろう。……何もしていないのは、何も出来ていないのは、僕だけだ。
僕は、覚悟を決めた。
桐羽さん……いや、桐羽は、父親じゃない。敵だ。僕らの住む表世界と、御巫達の住む裏世界を支配して、めちゃくちゃにしようとしている、どうしようもない敵だ。
御伽を取り戻さなければなければ。
「朱雀」
「何?」
「神剣を貸してくれ」
「え……でも、九十九君」
動揺する朱雀に、僕は言う。
「この状況は僕のせいでもある。僕がやらなくちゃいけないんだ、だから」
「…………わかったよ。私は何も言わない。たぶん、今ここで私は役に立たないね」
寂しそうに笑って、朱雀は槌鋸を僕に渡した。
「ありがとう」
僕も笑って、鞘を抜きつつ御巫達の方へ向かう。
「御巫先輩!危なーーー」
「……っ九十九君?」
僕は桐羽と御巫の間に入り、攻撃を防ぐ。
「ごめん御巫」
言って、桐羽の攻撃を弾き返した。
「もう、躊躇わないよ」
「九十九君……」
「錦も本気を出すってことか。面白い」
桐羽は僕を見てにやりと嗤った。
「……九十九先輩、頼んだぞ」
「任せろ。あいつのことを父親なんてもう思わない」
「そうか」
「いくぞ」
桐羽は小さく呟いて、こちらに向かって飛ぶ。
僕は神剣の能力で、防御した。
同時に攻撃しても、避けられてしまう。三人でやっても同じだった。飛べないこちらに対して、向こうが上空に避けられると追撃が出来ない。
鎌鼬を出しても、弾かれて終わりだった。
「くそ……」
「錦ちゃぁぁん!達!目閉じてっ!」
炫の声がして、僕は咄嗟に目を閉じた。
目を閉じていても眩しくなったのがわかる。
「くっ……」
桐羽が呻く声がして、目を開けると、暗闇が晴れ、光が瞬いている。光冥の力だろう。
「今だぁ!錦ちゃんやっちまえっ!」
天津が叫んだ。
まだ少し光に慣れていないが、見えないと言うほどではない。僕は走り、桐羽に斬りかかる。
「ーーーごめん、桐羽さん」
呟いて、境内の地面に、光冥の光によって落とされた桐羽さんの背中に槌鋸を突き立てた。
「……まさか負けるとはな」
生粋の妖怪だ、神剣に斬られて平気な訳はないのだが、彼は笑う。
「妖怪が持つべきじゃないんですよ、特に御伽は」
僕は言う。
「他の神剣の親みたいなもんなんですから。どっちが悪かなんて、分からないはずがない」
「結局認められてなかったと言いたいのか?」
「認められる訳がない」
僕だって認めない。
桐羽さんの身体から、煙がもうもうと上がる。神剣によって浄化されているのだ。
「九十九君、ちょっといいかしら」
御巫が僕のそばに来る。
「やっぱり巫女じゃないと、浄化の能力は低いみたいね。守護者とはいえ」
彼女は、槌鋸に手を触れ、目を閉じた。すると先ほどよりも浄化の進みが早い。
「錦ちゃん……」
振り向くと、後ろに炫や天津がいる。
「お父さん……」
「消えてほしくないよ、錦ちゃん」
悲しげに言う二人に御巫は言った。
「それは無理なお願いだわ。浄化を途中でやめるわけにはいかないの」
「そんな……」
「天津と炫か。でかくなったな」
横目で妹達を見ながら、桐羽さんは呟いた。
「錦、天津、炫。咲埜にはこのこと言うなよ?」
「何で今そんなこと……」
僕は訊く。
「咲埜が悲しむだろ」
「……そうだな。わかった、言わないよ、桐羽さん」
もう彼が消えてしまうことには変わりないのだ。なら、彼の言うことを聞いてもいいだろう。僕としても、咲埜さんを悲しませたくはない。
「ありがとな」
桐羽さんは言った後微笑んで、それから一分も経たずに、浄化された。
「御巫……」
御巫は、地面に刺さった槌鋸を引き抜いて、御伽を拾い上げる。
天津と炫は静かに涙をこぼしていた。
「ありがとう九十九君。おかげで全部集まったわ」
御巫は何故か寂しそうに笑った。
そして彼女は泣いていた炫から光冥を受け取った。光冥は境内しか照らしていなかったため、御巫は暗闇に覆われた空を元に戻すのだろう。
光冥の光は暗闇を突き破り、辺りを明るくした。
昼の光が、閑散とした境内に差し込んだ。
其ノ終
あの後一度、僕らは御巫の家に帰った。天津と炫が泣き止んだ後に妹達と朱雀を疎が表世界に送っていくと言って、今は僕と御巫だけが、御巫の部屋にいる。
「……終わったわね」
「そうだな」
長いようで、短かったと思う。
「御伽は九十九君に返した方がいいのかしら」
「ん?いや……元々、御巫に預けるつもりだったから、いいよ」
御巫なら信用できるし。問題はない。
御伽も認めるだろう。
「そう……ねえ、九十九君」
「何だ?」
「言ってないことが……あるのよね」
少しだけ御巫は、言いたくなさそうな顔で僕を見た。
「……お前が寂しそうにしてるのはそれか?」
御巫は頷く。
「私……ほら、元々裏世界に住んでいるでしょう?表世界にいたのも、その……神剣を探すためだし、表裏結線を元に戻すためだし」
彼女はしばし躊躇った後、覚悟を決めたように、真正面から僕を見つめた。
「ーーー私、九十九君ともう会えないかもしれない」
「え?」
僕は驚きを隠せなかった。
何でそんな……。
「神剣の守護者だったとはいえ、今はもう違うし、それに……今までは表裏結線が弱かったの。だから九十九君も通れたんだと思う。だけれど、七本で今度は結線を張る……つまり、強力になるのよ……表と裏の境界が」
「それで……僕は越えられないって?」
「ええ、まあ……」
「でも、会えない……のか?御巫は超えられるだろ?」
「……超えられるけれど。でも、無理よ」
「何でだよ」
「両親が許してくれないわ。元々……表世界に行くのは駄目だったんだもの」
「……駄目って?」
御巫はため息をついた。
「裏世界の人間が……表世界に介入するのはあまり良くないのよ。妖怪がそっちに流れる恐れもあるし。巫女として仕事があるし」
「どうしても駄目なのか?」
「何よ九十九君、寂しいの?」
「当たり前……っ……だろ」
言ってて途中で恥ずかしくなってしまった。普段こんなこと言わないのに。
「一応、僕はお前のこと好きなんだぞ?」
「一応?」
「……お前のことが好きなんだぞ」
御巫は嬉しそうに笑う。絶対僕をからかって遊んでるだろ。
「私も九十九君が好きよ」
「ぐっ……」
この上なく恥ずかしい……。照れるというか、何というか。
「遠距離恋愛どころじゃねえだろ……表世界と裏世界って」
異次元恋愛?
いやいや、ジャンルとしてあり得ねえ。
「別れたくないわね……」
そう呟く御巫に僕は真剣に言う。
「もとより別れるつもりもねえけどな」
「きゃー九十九君かっこいい。惚れ直しちゃう」
「棒読みだ!」
「きゃー九十九先輩かっこいい。惚れちゃう」
「う、疎……!」
声がして慌てて扉の方を見ると、疎が笑顔で立っていた。完全に僕で遊ぼうとしている顔だ。
「で、何の話だ?正直私には九十九先輩がかっこよくは見えないのだが」
「直球だなあ、ストレートだけどデッドボールだぜ!」
「あまり上手くないな」
くっ……ちょっと自信があったのに!
「確かに疎、九十九君はあまりかっこよくはないけれど、ツッコミは一流なのよ」
「御巫まで!この野郎!」
「ツッコミだけか。まあ立派な取り柄だな、褒めてやろう」
「上から目線!」
こんなギャグっぽい雰囲気じゃなかったはずなのに……!
「……ってそうだ、御巫。疎に頼めばいいんじゃないか?」
「何を?」
「話が見えないぞ九十九先輩」
首を傾げる御巫と疎。
僕はふと思いついたことを説明する。
「巫女仕事というか……そういうのは疎に任せて表に来るとか」
「利己主義ね」
「自己中心的思考だな」
「う……言われればそれまでだがな……」
駄目かな、やっぱり……。少しだけ期待してしまった。
「ああ……なるほどな。御巫先輩が目的は達成したが、その後は、という話をしていたのだな」
疎は得心いったというふうに一人頷いた。
「そうよ、疎。それにしたって九十九君の考え方は……」
「ああいうのがのちにファシズムなんていう独裁者になるのだ、御巫先輩。今のうちに諦めた方がいいのでは?」
「お前ら最近空気が張り詰めてたからって、僕を傷つけていいかと言ったらそうじゃないんだぞ?」
わざとか?わざとなのか?
それとも疎はヤキモチを焼いているのか?僕と御巫の相思相愛具合に。
「九十九先輩黙れ。心の中が煩い」
「精神の自由奪われた!?」
「生命の自由も奪われればいいのよ」
「御巫、遠回しに僕を殺そうとするな!」
「いっそ全ての自由と平等を奪われればよいのだ」
「日本国憲法台無しだー!!」
日本国憲法(九十九錦を除く)みたいなもんだ。いじめだろ、これ。
「でも疎。九十九君のあの利己的発想を飲んでくれたりは……しないわよね」
「…………」
疎は僕と御巫を見て、肩を竦める。
「……ここで駄目だと言ったら、色々な人に文句を言われるのだろうな。全く、世の中というのは本当に不平等だ」
「じゃあ……」
「いいだろう。引き受けよう」
疎は優しく笑った。しかしすぐに真顔になって、僕を指差した。
「ただし九十九先輩!御巫先輩に手を出したらどうなるか分かっているな?」
「手なんか出さねえよ。お前じゃあるまいし」
「それは心外だ。前言撤回しようか?」
「いえ、嘘です疎様。あなたは素晴らしいです、はい」
「疎……ありがとう」
「何てことはない。先輩のためならそれなりに何かするさ」
それなりなんだ……。
とにかく、僕らは引き離されずに済むようだった。
「ネックは両親が許すかどうかなのよね……」
「あ」
すっかり忘れていた。疎が許しても御巫の親が許可出さなきゃ駄目じゃん……。
「そういえば九十九先輩、先輩の母親がひどく心配していたぞ」
「え、本当か?」
「せっかくなので家まで送ったのだ。そうしたら、錦はまだなの?と言っていた」
「妹達が僕らの件に絡んでることバレてる……?」
もしかして妹達が言っちゃったのか?馬鹿なのか?……言ってないことを願おう。
「だったら九十九君、一旦帰った方がいいわ」
「え、でも」
「こちらのことは私と疎がやっておくから」
「そうだぞ。任せるがよい」
二人がそう言ったので、僕は少しだけ不服だったが、家に帰ることにした。
もういない父親の日記が入った鞄を持って、御巫の家を出、表裏結線を問題なく超えた。
もうここを通るのは最後になるのかもしれないと思いながら、僕は家に着く。
「錦」
「……咲埜さん」
自転車を停めていると、咲埜さんが庭に出てきていた。心配そうに、だけど安堵したように僕を見ている。
「ただいま」
「……おかえり」
彼女は笑った。
咲埜さんは僕に何も聞かなかったし、僕も特に彼女に話さなかった。
ただ、夜ご飯を食べた後に、天津や炫がいないところで僕だけに問いかけた。
「お父さんはいた?」
随分と答えにくい質問をされたものだ。だけれど、僕は、
「見つからなかったよ」
とだけ言った。
それからは何を言われるでもなく、僕は父親の部屋に入る。
日記を元の場所……は覚えてなかったので、適当な場所にいれた。ふと思ったのだが、父親が海神の卒業生というのは、やはり嘘なのだろうか。学校に行っていそうではないが。
僕らに彼が妖怪だと思われないための、嘘か。
まあ今となってはーーーどうでもいいのだけれど。
僕は自分の部屋に戻り、かなり疲れていたのですぐに寝た。御巫のことに不安を感じながら。
「錦ちゃーん!!起きろ!」
「起きやがれー!」
なんだか久々に妹達の声で起こされたような気がする。
「起きろや」
「ぐふっ」
炫に鳩尾を蹴られて飛び起きる。
「お前なあ、何なんだよ、御巫か?お前は御巫なのか?」
「中々起きないからだよぉ。朝ごはん食べちゃうぞ!じゃない、冷めちゃうぞ!」
「何気に僕のを食べようとするなよ」
言いながら一階に下り、朝食もそこそこに、僕は再び部屋に戻って制服に着替えた。よく考えたら今日は学校なのだ。いつが終業式だったか、忘れたが。
その他諸々した後、家を出た。
「きゃー九十九君だわー。逃げろー」
相変わらずの棒読みで、しかも逃げなかった彼女。
「御巫」
海神の制服を着た彼女。御巫彩砂はそこにいた。
「許可出たわよ」
御巫は微笑んでそう言った。
「本当か!?」
僕の言葉に、御巫は頷く。
「ええ。まあ、一人暮らしをする羽目になったのだけれどね」
「そうか、気をつけろよ。僕のような輩がストーカーするかもしれないぞ」
「というか、それは九十九君じゃないの?」
「何を言うか。僕は変態じゃないぞ」
「……ふーん」
訝しげな視線を僕に寄越したが、僕はスルーしておいた。
いや、でも嬉しいのは本当だ。ストーカーはともかく。
「表裏結線はもう張ったのか?」
「ええ。疎がね。私はもう巫女じゃないというか……ね。力は使えるけれど、半妖なのは変わらないから」
「もしかして僕ら、疎に会えないのか?」
今更気づく。疎はたぶん、表世界には来ないだろうし。
「基本は会えないわね。会おうと思えば、私と九十九君が裏世界に行けばいいんじゃないかしら。それなら、きっと大丈夫」
「そっか」
僕一人では表裏結線はもう越えられないだろうしな。少しだけ安心した。あれだけ関わった人に会えないというのは、結構寂しいものだ。
「九十九君」
「ん?」
「これからもよろしくね」
「ーーーこちらこそ」
御巫と一緒に笑って、僕らは学校に向かう。
「とりあえずはデートね」
「先延ばしになってたからな」
なんてことを話しながら。
僕がこの一年間で体験したことは、実に荒唐無稽で、夢のようで、御伽噺のようで。今振り返るとあり得ないようなことばかりだったけれど。
それでもそれが、単なる御伽噺で終わらないように願おう。神様にでも願っておこう。
これはひとつの、僕らの物語。
御伽集 御伽 終幕
御伽集 完
どうも、あまひら。です。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。
実を言いますと、この御伽集、昨年思いついたネタでありまして、昨年も書いていたのですが、その時は途中で挫折……しかし九十九君や御巫さん達に思い入れがありましたので、もう一度最初から書き直しました。
まさか完結するとは……!
矛盾点などお見苦しいところがたくさんあったかと思いますが、非常に思い入れのある作品になりました。
ありがとうございました。