3.記者、キツネにつままれる
「……ん!……かさん!…………愛華さん!」
「ん……っ?」
目が覚める。冷たい床の上で冷たい手で頬を撫でられているのを感じる。
目を開けると、心配そうな顔で覗き込む顔つきのいい男子がそこにいた。
「あ……れ……?私どうして……」
「愛華さん術中に気を失っちゃったんですよ。大丈夫ですか?」
「ええ……大丈夫です。それで……」
起き上がると、目の前に本子とセトとは一回り大きな……いやそう思えるのはそれ以外の理由だろう、1人の女性がそこにいた。
頭の左右が獣の耳のように少しとがった黄色い髪、目じりが上がっているがどことなく優しさを感じる瞳、細長い顔、すらっとした手足、そしてゆったりとした腰回りの後ろには1本の巨大な尻尾がふるふると揺れていた。
「これが……死霊魔術によって生み出されたゾン子?」
「はい。2番目に生み出すことに成功したゾン子の……」
「ゆたか、と書いて豊といいますじゃ。よろしゅー」
とよ、と呼ぶキツネのようなゾン子は五芒星におかれた油揚げをひょいと手にとると、おいしそうにむしゃむしゃと食べ始めた。
「……そいで。わっちをここに呼んだ理由は?……もぐもぐ」
「僕の力量と君の存在をこの愛華さんに教える為さ」
「へぇ。わっちが何たる存在がを無視して教えようってかい?」
豊は最後の一切れを口の中に放り込むと、大きく開けた胸元から小さな葉っぱを取り出した。
「まずわっちがどんな偉大なる存在かを教えるのが古鉄ちんの仕事だら?」
「ああ、そうだったね……愛華さん、すみませんがちょっとお付き合いください」
「ええ。構いませんよ」
待つことは構わない。面白そうなネタの匂いがプンプンするからだ。
そんなことよりこの豊とやら、名の通り豊かなプロポーションをしている。
私にその豊かな脂肪を半分でいいから分けてほしい。それほど良い身体をしている。
「ひょっひょ……わっちに触りたいか?」
「は、はい……!」
「ほれほれ」
そういうと豊は背中を向け、私に向かって腰を突出し、ふさふさした尻尾を見せつけた。
髪の色と同じく黄色く輝く尻尾はとても魅力的で、つい手が伸びた。
触ってみると、毛皮やファーなど比にもならない何ともいえない手触りに私は驚いた。
「ひょひょ……意外と激しく掴むんじゃな……」
「だって気持ちいいんですもん……もふもふ……」
「……愛華とやら、お主が持っているものをよく見てみよ」
「えっ?」
豊の言葉にはっとして顔を上げると、私が掴んでいたのは部屋にあった机の脚だった。
状況がつかめないままあたふたしている私を豊、セトが笑う。
「えっ?さっき豊さんのしっぽに……えっ、あれ、あれ??」
「愛華とやら、それがわっちの特技、幻術じゃ。まやかしを見せて遊ぶ。それがわっちの趣味なんじゃ」
幻術。キツネやタヌキの妖怪が人間を騙すアレか。私はまんまとはめられた訳だ……
けらけらと笑い転げる豊をよそに、少し笑いながら古鉄君が私に耳打ちした。
「豊はもともと神様の使いのキツネの化身なんです」
「へぇ、それで……」
「彼女は荼枳尼天と呼ばれる神様が移動するときに使う乗り物のキツネの一族だったのですが、皆毛並みが白いのです。冬のオコジョみたいな純白の。でも彼女だけ黄色い毛並みで受ける扱いが酷く、それが嫌で仕方なく家出……正しくは神社出ですが、そこを飛び出したところ僕の黒魔術を見て呼び出しに応じてくれた、という次第です」
「なるほど……」
一通り笑い終えた豊が目じりに笑い涙を浮かべながらこちらを向き直った。
「ひぃー……楽しかった。それで?その愛華とやらはどうしてここにおるのじゃ?」
「私は新聞部の部員で、学校で掲載する新聞の話題を探していたのです。そこで古鉄君という転校生の話題を聞きつけて、古鉄君について記事を書くに至ったのです」
「ひょ?じゃあわっちらの存在と古鉄ちんの正体を新聞に書くのかい?」
「いいえ、それは古鉄君が記事にしないでくれ、って言うので書きませんよ」
「ひょひょ。そうかい。セトちんはどう思ってるんだい?」
またも胸元から油揚げを取り出し、もぐもぐと食べる。
セトは椅子から放り投げた足を止め、きょとんとした顔で豊を見た。
「ほう、わっちに愛華とやらがどう見えるか、かえ?」
「うむ」
「そうだねぇ……てっちゃんが信じてる、というか信じざるを得ない存在であることは確かだね。だからわっちも見守ることにするよ」
「信じる信じないじゃなくて僕は僕の黒魔術が破れるのが嫌なだけで……」
「でも古鉄様、これ以上愛華様に術を見破られては……」
「そう。そこなんだよ……」
古鉄君は私の目を見て言った。
「愛華さん。僕のインタビューについての記事を書くことは構いませんが、黒魔術、死霊魔術については書かないでください。それと……」
「それと?」
「……に……せてください……」
古鉄君が俯きながら何かを言った。
だんだん声がフェードアウトして最後の方は声が小さすぎて何も聞き取れない。
私より身長は大きいはずなのに、立ち方と猫背のせいで私より小さく見える。
「えっ?」
「……ににゅ……させてください……」
「ごめん古鉄君、もう1度お願いします」
「新聞部に……入部させてください……」
私は目を点にする。私だけじゃない、ゾン子である本子、セト、豊までも目を点にした。
「……はっ?」
ピリリリリリ
無機質な電子音が私のポケットから鳴り響く。石でできた部屋故にその音が余計響く。
暗い所為かいつもより明るく見える画面を見ると、『母』と書かれていた。
「ご、ごめん古鉄君、その話はまた明日以降でいい?」
「はい……じゃあ明日の昼休み、屋上で待ってます。鍵は開けておきますから」
「うん、わかった!ごめんね。おじゃましました!」
母親からの呼び出し電話のせいで飛び出すように古鉄君の家をおいとましたが、古鉄君の最後の台詞がリフレインしていた。
『明日の昼休み、屋上で待ってます。鍵は開けておきますから』
……おかしい。この学校の屋上は昼休みは普段施錠されない。
なのにどうして鍵を開けておくというセリフが出たのだろう……
まぁいい。細かいことを気にしていても始まらない。とりあえず帰ったらインタビュー内容だけを記事にしよう。
外は既に暗く、夏場とはいえ少し冷える。
「噂の転校生、実はとんでもない能力者!?」
もしこれを新聞記事にしたらどうなるだろう。先輩が却下するだろうな。
まぁ、私は約束を守る人間だ。古鉄君がしないでくれって言ったんだから私は記事にはしない。
空を見上げると満天の星空、夏の大三角が目立って見えた。