金魚姫
あるところに『金魚姫』がいました。
見た目はとても美しい人魚でした。
だからみんな彼女のことを『人魚姫』と呼びました。
でも彼女は言います。
「私は金魚姫なのに…どうして認めてくれないのでしょう」
彼女は自分ことを“金魚姫”だと言い張ります。
しかし周りの人魚たちは姫の戯れだと、聞き入れてくれません。
しかし彼女は普通の人魚と少し違うところがありました。
それは彼女の両腕がないということでした。
ある嵐の日。
金魚姫は散歩に出掛けました。
彼女は嵐が好きなのです。
しかし今回の嵐は特に大きな嵐で、彼女は荒波に飲まれてしまいました。
そして次の日。
金魚姫はとある島に流れ着きました。
「ここは一体どこなのでしょう」
辺りを見渡すと、砂浜で何かが動いているのが見えました。
近づいて見ると…
「あなたは…人間!?」
「君は…人魚!?」
お互いがお互いの姿を見て驚きました。
「あなたも昨日の嵐で?」
「はい。君も?」
彼は嵐の中、船で漁をしていて荒波に飲まれてしまったようでした。
気がついたらこの島にいて船はバラバラに砕け散ってしまっていたそうで、僕はかすり傷程度で済んだのだけれど、と笑いました。
「本当に人魚が存在するとは…。しかし君は本当に美しいね。もしかして、君は人魚のお姫様、人魚姫なのかい?」
「違います。私は金魚姫です」
彼女は彼の言葉に被せるように言いました。
すると彼は一瞬驚いた顔をすると、今度は笑いだしました。
「金魚姫!金魚姫というのか、君は。そうかそうか。勘違いしてすまなかった」
「…!認めて…下さるのですか?信じて下さるのですか?」
「本人が金魚姫だと言っているんだから、君は金魚姫なのだろう?」
彼がそう言うと、金魚姫の目からポロポロと涙の粒が溢れだしました。
初めて信じてもらえた。
私を私と認めてくれた。
彼女はこの人間と出会えたことを神様に深く感謝しました。
金魚姫は人間に筏を作るように言いました。
彼女は彼を乗せた筏を自分が泳いで引き、彼の住む島まで連れていこうと考えたのです。
「そんな…それでは君に大きな負担が掛かってしまう」
「気にしないで下さい。私があなたを助けたいだけなのですから」
筏が出来ると、金魚姫たちは島を出発しました。
島を出て2日。
やっと彼の島が見えてきました。
「金魚姫!あれが僕の島だよ!」
「やっと着きましたね」
「君ばかりに負担をかけて本当にすまない…。今度お礼をさせて欲しい」
「そんなお礼だなんて…。私は私の出来ることをしただけです」
2人はすっかり仲良くなっていました。
笑い合っていると、2人の側に1隻の船が近づいて来ました。
「お迎えでしょうか?」
「助けに来てくれるみたいだ」
近づいてきた船に乗っている船乗りの1人が声をかけてきました。
「おぉ〜い!大丈夫かあ!」
そしてその男はあることに気がつきました。
「ん!?お前さん、そのべっぴんさん、人魚じゃないかい!?」
男は目を丸くして叫びました。
金魚姫はしまったと思いました。
彼と話しているのが楽しすぎて、自分が人魚だということを忘れていたのです。
金魚姫はすぐさま逃げようとしました。
しかし突然上から網が降ってきて、金魚姫は動けなくなってしまいました。
「凄いもん捕まえてきたな、お前さん」
「いや、彼女は違うんだ…!」
「これはいい見せ物になるぞう」
船乗りたちは彼の話をまったく聞いてくれません。
「しっかし、本当に美しいな!これは世に言う人魚姫じゃないのか?」
「きっとそうに違いない!人魚姫だ!」
「違います、私は金魚姫です」
金魚姫の言葉も男たちの耳には入りません。
「ん?しかしこの人魚姫、腕がないぞ」
「本当だ。腕がないぞ」
「やめて…やめて…」
「違うんだ!どうか彼女を放してくれ!!」
「そうれ、ひきあげるぞう!」
とうとう金魚姫は船乗りたちに捕まってしまいました。
──生まれた時から私には腕がなかった。
それが私は不思議で仕方なかったのです。
だからお母様に聞きました。
どうして私には腕がないのか、と。
そしたらお母様はこう言いました。
「あなたは金魚姫だから。人魚姫ではないから。金魚姫には腕はないのよ」
「でもみんな私のことを“人魚姫”と呼びますよ?」
「あなたは人魚。そして人魚の姫。でも人魚姫ではないわ。あなたは金魚姫なの。だから腕がないのよ」
そう言ってお母様は私を強く抱き締めました。
幼い私はそれに納得しました。
私は人魚姫ではなく、金魚姫なのだ、と。
でも今なら分かる。
いいえ。
本当はずっと分かっていた。
私はただ障害を持って生まれてきた人魚姫なのだと。
お母様は私にそうだと気づかせないように嘘をついた。
自分は障害を持った不完全な人魚なんだと思わせないために。
人魚の姫として人魚たちの上に立つことが出来るように。
腕がないのは金魚姫だから。
あなたは特別なのよ。
お母様は私にそう嘘をついた。
お母様。
でも私は気づいていたのですよ。
自分は出来損ないの人魚姫だということを。
お母様。
なんで嘘なんてついたのですか。
なんで嘘をついたまま逝ってしまわれたのですか。
私は本当のことを言って欲しかった。
そうすれば、こんな風に腕がないということから逃げようとなんかしなかったのに…!
私は──
「金魚姫!!」
金魚姫は彼の声で目を覚ましました。
彼女は大きな水槽の中にいました。
「ここは…?」
「あぁ…無事でよかった。ここはあの船乗りたちの倉庫だ」
「私はあの人間たちに捕まって…」
「そうだ。それから僕があいつらにしっかり事情を話した。だから、もう大丈夫だ」
彼は水槽に手を当ててにっこりと微笑みました。
「さぁ、行こう」
「…私」
金魚姫はそっと俯くと消え入りそうな声で言いました。
「私はあなたに嘘をついてしまいました。私は金魚姫なんかじゃないんです。私は…ただの…出来損ないの、不完全な人魚姫なんです」
「…」
彼女の涙は水槽の中の水に溶けていきました。
そしてその中に彼女自身も溶けて消えてしまいそうでした。
「私は、ずっと嘘をついてきました。たくさんの方に嘘をついてきました。分かっていたのに、私は金魚姫じゃないって、分かっていたのに…!」
金魚姫は腕がないので顔を覆って泣くことができません。
彼女は縮こまるようにして泣きました。
「私は…なんて…なんて醜い人魚なんでしょう!!」
がしゃあん、と。
水槽のガラスが割れる音が響き渡りました。
彼がガラスを割ったのです。
割れた所から水が流れ出しました。
金魚姫も水と一緒に割れ目に吸い込まれていきました。
水槽から出てきた彼女を彼は全身で受け止めました。
「泣くのなら、僕の腕の中で泣きなさい。泣き顔を隠したいのなら、僕の胸に顔を埋めなさい」
彼は彼女を強く強く抱き締めました。
「あなたは醜くなんてない。出会ったときに言ったでしょう?本当に美しい、と」
「でも…でも私には腕が…」
「神様が意地悪をしたんだ。あまりに美しすぎる君にちょっとした意地悪を。でも腕の有無なんて、君の美しさには関係ないよ」
金魚姫は涙をポロポロと流しました。
「私は、嘘をつきました」
「みんな嘘ぐらいつく」
「私は金魚姫じゃないんです」
「いや、君は金魚姫だ。人魚で、人魚の姫で、美しく完全な人魚姫で、僕の金魚姫だ」
彼は彼女の髪をすくように頭を撫でながら言いました。
「僕は君が泣き止むまで何度でも言おう」
「…はい」
「君は金魚姫だ」
“あなたは金魚姫よ”
──お母様の言葉と重なった瞬間でした──
あるところにとても美しい人魚がいました。
彼女は人魚の姫、人魚姫でした。
彼女は立派な人格者でした。
みな彼女に憧れ、尊敬しました。
彼女はとても強い人魚でした。
しかし、彼女には腕がありませんでした。
でも腕がないことについて彼女は笑って言います。
「神様に少し意地悪をされたんです」
彼女は時々姿を消します。
彼女が一体その時何をしているのか、誰も知りません。
それは『金魚姫』と『とある人間』の2人だけの秘密。
「僕だけの金魚姫」
「私だけの優しき人間様」