第二話:先輩と天使との交友事情 その2
放課後になるのを待って飲み物をおみやげに部室へ行く。
昼休みの別れ際があんなだったからちょっと心配したが、ちろるはすっかり元のペースに戻っていて安心した。
僕が買ってきたミルクセーキをおいしそうに飲む。とことん甘党らしい。
当たり障りのない話をしながら一時間程過ぎた頃、扉が開いて背の高い男子生徒が入って来た。海堂部長である。
世の中全ての少人数弱小文科系部活の部長がそうであるように、目の前にいる我らが部長も超絶的に天才であり、無意味に二枚目であり、傍若無人に行動力があり、それらのエネルギーを使うベクトルが一般人には到底理解不能な人間だった。
そういう人間が部長になるのか、部長になるからそういう人間になるのかは非常に興味深い。研究して発表したらそれなりの賞を獲ることができるんじゃないかと思う。
「すまない、今年度の部活動予算の割り当て会議があった」
「そういえばそんなこと言ってましたね。お疲れさまでした」
「おつかれサバンナ~」
「うむ、おつかれサバンナ」
部長は一瞥しただけで、遠野の旧家には座敷わらしが居て当然というように、そこに居るちろるの存在を容認した。
「……部長、あっさり順応しないでください。それになんですその挨拶は?」
「なんだ、高橋君は知らんのかね。おつかれサバンナというのはロディニア大陸に住む小数部族の挨拶だぞ」
「ウソをつかないでください」
「本当だ。オツ・カがたくさんという意味の最上級で、レサが祝福を表し、バン・ナが勇者にという意味で、狩りや戦いに赴く者をたたえる言葉だ」
「……じゃあちろるはデタラメに言ってたんじゃなかったんだ」
「嘘だ」
「は?」
「今言ったのは全部デタラメだと言っている。そもそもロディニア大陸というのは十億年前の古代大陸の名前だぞ、猿人どころか恐竜が生息するよりもはるか以前だ。もっと知りたければググってみたまえ」
部長は涼しい顔で定位置のパイプ椅子に腰を下ろす。
片手にはいつものように学校前のコンビニで買ってきた扇情的な見出しが売りの夕刊紙を持っている。
出会った当初に「なんでそんなモノを読むんです?」とたずねたことがあった。
「君はMIBを観てないのかね?『タブロイド紙にこそ真実がある』とKも言っていただろう」
眉ひとつ動かさずに答えが返ってきたものだ。
「コウジさん、あの方は何者なのですか!?」
ちろるはなぜか興奮している。
「ああ、部長だけど」
「織天使様でしょうか? 智天使様でしょうか? やっぱり堕天使となって地上界にいるのでしょうか!?」
「いや、絶対違うと思うよ」
悪魔の可能性は否定しないけど。
「おししょー様!」ちろるは部長の元に駆けていくと「弟子にしてくださいっ!」と頭を下げる。
いきなり何を言い出すんだこの子は。
「ふむ。名前は?」
「ちろると言いますです」
「よしわかった。認めるとしよう、ちろりん」
「ちろりん?」
「うむ、君の愛称だ」
「……ちろりん。ちろりん、ちろりん、ちろりん~♪」
くるくると踊りだす。
部長に降臨してくれればよかったのに……。
ちろるが回りながら嬉しそうに踊っていると、クールビューティーという言葉が超絶的にぴったりと似合う神宮寺副部長が入ってきた。
そのルックスは容姿端麗などという陳腐な表現では絶対的に言い足りなくて、長くて艶やかな黒髪はワカメの過剰摂取を心配するほどであり、完璧なスタイルは繁華街を歩けば各種スカウトが行列をなし、冷やかな双眸から発せられるプレッシャーはシロッコ並だった。
「下駄箱掃除をしていたから遅くなったわ」
ちなみに副部長の言う下駄箱掃除とは文字通りの意味ではなく、下駄箱に入っていた副部長宛てのラブレターに対する事後処理をしていたということである。
といっても全部が全部、甘ったるい内容なら問題はないのだが、嫉妬に狂った女子生徒からの不幸の手紙や、カミソリ入りの封筒だったり、フラれて逆上した男子生徒からの脅迫状まがいの物まであるらしい。
美しすぎるのもいろいろと大変だと思う。
「この時期でもまだいるのかね?」
紙面から顔を上げずに部長がたずねる。
「遅い方が免疫がない分、始末に終えないわよ」
すでに四月も終わりだ。
在校生は以前から副部長を知っているのだから、今アタックをかけているのは当然新入生ということになる。中学でそれなりの恋愛経験をしてきた者は駄目で元々とさっさと告白するが、一目惚れで生まれて初めて恋に落ちました、なんていう人間は簡単に告白なんかできない。結局ずるずると一ヶ月が過ぎたということだろう。
「いつも大変ですね」
「おつかれサバンナ~」
副部長はちろるに気づくと部長とは違いごくごく一般的な反応をした。
「なに、この子?」
しまった。副部長にそう聞かれるまで、僕はちろるに関して他人にどう説明するかということを全く考えていなかった。
室内が一瞬のうちに静寂に包まれ変な緊張感が流れる。
窓の外からはそんなことには一切構わずに野球部がノックをしているのんきな掛け声が聞こえてくる。僕は自分の緊急対応能力の低さを呪いながら必死に考えた。
部長は助けてやってもいいが事態をさらに紛糾させてやるぞという悪魔の笑みを浮かべていて。
ちろるは即答こそしなかったものの答えたくてうずうずしているのがみえみえで。
副部長はそんな僕たちをアジアンな屋台で売られているロレックスのごとく、胡散臭げに睥睨していた。
見つめられた者はあまりのプレッシャーに精神が崩壊するという副部長伝家の宝刀である。
緊張が臨界点に達した時「カキーン!」という、バットの芯でボールを捕らえた気持ちの良い音を合図にしたように三人同時に口を開いた。
「この子は僕の母方の遠い親戚でクォーターの帰国子女です」
「彼女は異界形成知識、特殊言語センスともに抜群の我が弟子だ」
「昨日からコウジさんに降臨させてもらっている堕天使です~♪」
副部長は静かに鞄をテーブルに置くと一言、
「ナメてる?」
……め、めちゃくちゃ怖い。
蛇に睨まれた蛙ってこういうことを言うんだ。実体験で知りたくなかったけど。
「何を言う。俺は真実しか話していないぞ」
「わたしも、わたしもです~」
「この二人の与太はどうでもいいわ。高橋君説明してくれる?」
一人目を逸らした僕に副部長は聞いてきた。
肉食獣は本能で確実に弱い獲物を狙う。なので僕に目をつけた副部長の判断はまったくもって正しいと思う。だけど今回に限って言えば僕以外の二人が言ったことが真実なんです……。
他に良い考えも浮かばなかったので、僕の家でしばらく預かることになった親戚の子、ということで押し通してちろるを紹介した。
ちろるはその説明に不満そうにしていたし、副部長も明らかに納得していないようだったが、それ以上の追求はしてこなかった。
部長は場が収束してしまったとわかると「つまらん」と呟いて新聞に目を戻す。この人の人生哲学は『おもしろくさえあればそれでよい』だ。
ちなみに弁論部の部員はこの三人で全てである。廃部にならないのは文化的かつ堅そうなイメージのおかげと、歴代部長の口のうまさによるものらしい。
副部長は椅子に腰を下ろして優雅に脚を組むと、頬杖をついてじっとちろるを見る。
何だろう?
最初は単に物珍しいから見ているだけかと思ったのだが、それにしては随分と長いこと視線を逸らさない。副部長はどちらかというと人にも物にも執着がないタイプの人間だと思っていたので、この行動は不可解だった。
当のちろるは部長の隣でパイプ椅子に座り、足をぷらぷらさせながら一緒になって新聞を覗き込むように見ている。しかし徐々に副部長の視線に耐えられなくなってきたのか、落ち着きがなくなりそわそわしだした。
そのタイミングで副部長が声をかける。
「ねえ、あなた。ちょっと立ってみてくれない?」
ちろるは僕を見て、隣の部長を見て、それから思い切ったように椅子から立ち上がる。
居心地悪そうにもじもじしながら立っているちろるをしばらく眺めていた副部長が次の指示を出す。
「ゆっくりと回ってみて」
ちろるは目をぱちぱちさせた後、言われるままにゆっくりと回りだす。
一回転したところで「ありがと、わかったからもういいわ」と、声がかかった。
ちろるがまるで呪縛から解き放たれたように大きく息をつく。
それにしても何がわかったのだろう?
部長にはあっさりと懐いたちろるだが、どうも副部長のことは苦手らしい。本人に直接聞く勇気がないのか、僕の方をちらちらとうかがう。僕としても興味があった。
「副部長、何がわかったんですか?」
まさかちろるの正体とか?
「ん。ああ、たいしたことじゃないわよ」
副部長はもう興味を失ったように自分の鞄から文庫本を取り出した。
「たいしたことないなんて言われると余計に気になりますよ。教えてください」
「そんなに知りたいの?」
「是非」
「仕方ないわねえ。わたしは本当は言いたくないんだけど、高橋君のたっての希望だから教えてあげるのよ?」
副部長はちろるに向かってこっちに来るようにと手招きする。
「あなたって」
目の前で緊張した様子で気を付けの姿勢をとったちろるに対して、聖母のように優しく微笑みかけながら副部長は一言。
「寸胴」
ちろるは絶対零度で固まった。




