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第一話:堕ちてきた天使 その7

「コウジさん、ないですっーーー!!」

 しめじとえのきがあるしスパゲティが一袋あったので、夕飯はキノコパスタにしようと考えていたところに、お風呂場の方から叫ぶ声が聞こえた。

 結局ちろるは家までついて来てしまった。

「救済できたんだから、もう自分の家に帰ろうよ。また今度遊んであげるから」

 という僕の説得に。

「やっぱり信じてないのです、ひどいのです……契約もしたのに……」

 と泣き始めたのだ。

 結局泣きやませるには「一緒に来てもいい」と言うしかなかった。

 僕は家庭の事情で3LDKのマンションに一人暮らしなので、家族に説明するとかそういう面倒がないのは助かった。

 でもこれって未成年者略取誘拐になったりするのだろうか? それともあれは成人が未成年を連れ回した場合だけで、未成年同士だと平気なのだろうか? というか僕が誘ったんじゃなくて、向こうが勝手についてきたのだけれど。

 それにしても何がないのだろう? 石鹸やシャンプーはまだあるはずだし、入浴剤も大丈夫だと思ったけど。

 とたとたとたっとキッチンに駆け込んで来たちろるは体中から水滴をぽたぽたと垂らしまくりで、体を拭いてから出てきてくれないと床が濡れちゃうじゃないか、と思ったけれど、そんなことはとりあえずどうでもよくって、それよりも重大なことはちろるは要するに何も着てなかった。


「キャーーーーーーーーーーー!!」


 叫んだのは僕だ。

 僕には姉妹がいなかったので生の女性の裸というものを見たことがなく、ましてや血縁者以外の女性なんていうものには残念ながら、非常に残念ながらまだ縁がなかった。

 半ばパニック状態で慌てて洗面所に駆け込みバスタオルをつかみ取ると、カルガモのヒナのように後をついて来たちろるを包みこむ。

「女の子が裸で歩き回っちゃ駄目だよ!」

「そんなことよりないのです!」

 そんなことって……。これより大事なことが世の中にあるのだろうか。

「で、何がないの?」

 冷静さを装ってたずねる。

「シャンプーハットがありませんっ!!」

「そんなもんあるかーーーーーーっ!!」

 今この瞬間までそんな物の存在自体を忘れてたって。

「シャンプーハットがないと、か、髪が、うぅっ、えぐっ、洗えないじゃないですかぁ」

「ああっ、泣かないの」

 手で目を拭おうとすとまたバスタオルが落ちるじゃないかあ。必死でそれをくい止めたところで素朴な疑問が浮かんだ。

「ねえ、天上界にはシャンプーハットなんてあるの?」

「ありますよー、当然じゃないですか」

「それって当然?」

「天上界にも物質はあるです。コウジさんは天使が服を着ていたり、剣や弓矢を持っているのは認めるです?」

「うん、それは認めるかな」

 そういうモチーフの絵画は見た事があるし、それにキューピットの矢といえば有名な話だ、お菓子会社のマークにもなっている。

「それじゃあ天使は清潔だと思うです?」

「そう思う」

 言われるまでもない。天使といえば清らかなイメージだ、不潔な天使なんてイヤだ。

「清潔でいるためには当然体を洗わないといけないのです。天使が清潔だということを認めたということは天使が入浴することも認めたということですよね?」

「ま、まあ。そうなる……のかな?」

「天上界の物質の存在を認めて、天使が入浴するのも認めるのに、シャンプーハットの存在は認めないのです?」

「……今後は認めることにする」

 おかしいな。高校に入って僕のディベート能力は少しは磨かれたはずなのだけれど、ちろるを相手にすると調子が狂う。このままだと今までの価値観を全て覆されてしまいそうだ。


 天上界のシャンプーハットの存在はともかく、目下の問題はこのままではちろるが髪を洗えないということであって、結局ちろるにバスタオルを巻いたまま僕が一緒に入り、髪を洗ってやることになった。

 美容院でやるようにちろるを仰向けにして膝枕で支えるようにする。お湯やシャンプーの泡がかからないように顔にタオルを載せた。

 なんで僕は女の子の髪なんか洗っているんだろう?

 今朝の時点では想像もしなかった人生の変転に思いをはせる。

 シャワーで髪を十分に濡らしてから、手でシャンプーを泡立て髪になじませた後、両手の指で爪を立てないようにしながら頭皮をシャコシャコと洗いはじめた。

 うわぁ。女の子の頭ってちっちゃいんだなー。しかも髪の毛がほっそいし柔らかい。……なんだか触ってるだけで気持ちがいい…………。

 はっ! 何を考えているんだ。洗う事に集中しよう。

 そんな僕の葛藤におかまいなく、ちろるはタオルの下から「コウジさんなかなか上手ですね~」「かゆいところがないか、ちゃんと聞かないと駄目なのですよ~」などと言ってくる。

 人に洗髪までさせておいてそういうことを言うか……。

 しかしすでに反論する気力を無くしている僕はおとなしく従う。

「かゆいところはございませんか?」

「せなかー」

「…………」



 お風呂から出て夕飯を食べるとちろるはさっさと僕のベットで寝てしまった。

 パジャマがわりに僕のだぼだぼのスウェットを着ている。

「僕はどこに眠ればいいんだよ」

 誰も聞いていないのはわかっているが言わずにはいられない。仕方なく毛布を引っ張り出してリビングのソファで寝ることにした。

 そういえばこの家には客用の布団はおろか、父さんの布団すらないんだよな……。

 思考が暗い方向に沈みそうだったので今日のことを思い返すことにした。

 長い一日だったなあ。

 そういえば家路に着く際にまた着替え――ちろるに言わせると変身の解除をすることになったのだが、僕はちろるがポリバケツに入る前にメイドのコスプレの下に堕天使の衣装もパーカーも着てないことを確かめ、そしてポリバケツ自体にも何も仕掛けがないことを念入りに確認した。

 ポリバケツから出てきたちろるは、出会った時の薄桃色のパーカーとレモンイエローのキュロット姿で、僕はすぐにポリバケツの中をのぞいたけれどメイドの衣装は見当たらなかった。

 救済を求めていたメガネさんをピンポイントで見つけた事といい、あの変身といいちろるはひょっとしたら本当に……。

「まさかね」

 馬鹿なことを考えてないでとっとと寝なきゃ、明日は学校だ。

 目を閉じて無理にでも寝ようと思った瞬間。

「コウジさん」

 いきなり呼びかけられた。

 ちろるがすぐ脇に正座して僕の顔をじっと見ている。

「ど、どうしたの?」

 びっくりさせないで欲しい、これ以上目が冴えたらホントに眠れなくなりそうだ。

「なんでこんな所で寝てるです?」

「なんでって、ちろるが僕のベッドで寝てるから」

「一緒じゃ駄目なのです?」

「一緒って……」

 ちろるが僕を異性として意識していないんだから一緒に寝ても不自然じゃない、というより一緒に寝ない方が不自然なはず。ってこんなことを考えてる時点で僕はちろるを意識しているってことであって、でもそれはさっき見たちろるの裸がまだ目に焼き付いているから仕方のないことであって――。

 考えれば考えるほどわけがわからなくなって面倒くさくなった。

「いや、僕寝相が悪いし。ちろるはお客様なんだからベッド使っていいよ」

 ちろるはしばらくじっと僕を見つめていたが、てこてことベッドのある僕の部屋へ戻って行った。

「あまり僕の理性を信用しないで欲しいよ」

「何を信用しないで欲しいのです?」

「うわぁ!」

 部屋に戻ったはずのちろるが隣にいた。

 片手に枕をかかえて、反対の手にはタオルケットを引きずっている。

「こ、今度は何?」

「降臨させてもらっているわたしだけがベッドを使わせてもらうわけにはいかないのです。コウジさんがここで寝るならわたしもここで寝るです」

「気にしなくていいから、ベッド使って」

「そうはいかないのです」

 ちろるはそう言うとソファのわずかなスペースで丸くなった。


「こんな狭いところで二人で寝なくても」「落ちるよ」「風邪をひいちゃうよ」数々の説得にもちろるは動かなかった。頑固というか変なところで義理堅い。

 さすがにこんな小さな女の子をソファに寝かせて自分がベッドで寝るのは、僕も一応男である以上プライドが許さない。かといってベッドを空にして二人でここに寝るのも馬鹿らしい。

 残された選択はひとつだった。 

「ちろるが構わないなら、あー、えっとさ」

 何を恥ずかしがっている、これは礼に対して恩で返すだけのことだ。

「――ベッドで一緒に寝ない?」

 ちろるぴょこんと起き上がると「はいですっ」と、うれしそうにこたえた。

 そこで初めて気がついた。

 時計の文字盤の蛍光塗料、電化製品の待機ランプ、カーテンの隙間から漏れる月明かり、それらのわずかな明かりにすら輝く少女の笑顔。

 今日ずっと一緒にいたのに気がつかなかったこと。

 この子、天使みたいだ。



 ちろるは布団を被るとすぐに寝た。神経が太いのか、信用されてるのか、何も考えていないのか。いろいろと思い悩んでいたこちらが馬鹿らしく思える。

 こっちはそう簡単に眠れそうにない。

 ちろるが落ちないように、ベッドの中央へと起こさないようにしながらそっと抱き寄せる。

「コウジさん」

「なに?」

 まだ眠ってなかったらしい。やっぱり少しは緊張してるのか。

 しばらく待ったけれど言葉は続かない。

 ちろるをのぞき込むと目を閉じて寝息をたてていた。

 寝言だったのかな?

 もう遅い。僕も本格的に寝ることにしないと。

 枕に頭をうずめる。


「ありがとうです」


 僕はちろるが堕天使だというのならそれを信じてみようと思った。

 なぜなら。

 そうしないと話は進まないから。

 そしてその物語は誰のものでもない、僕のものなのだ。

 ちろるに布団を掛け直してやりながらそっとささやく。

「おやすみ」

 これは平凡な僕にちろると言う天使が舞い降りて来た話。


                          to be next chapter  



 「討論する堕天使」第一話を読んでいただきありがとうございました。

 第二話は弁論部の先輩たちとの話『先輩と天使との交友事情』です。

 引き続きお付き合いいただけたら嬉しく思います。


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