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第一話:堕ちてきた天使 その6

 メガネさんのバイト先は僕も知っている有名なホビーショップだった。

 先程の会話にも出てきた事務所なのだろう、店の入り口とは別の扉からメガネさんは中へと入り、当然のようにちろるも後に続き、仕方なく僕もそれに続く。

「お疲れさまです、休憩戻りました」

 メガネさんが事務所にいた二人の人間に挨拶をする。

「おう、おかえり」

「お疲れー」

 彼らが話に出てきた先輩だろうか? 二人とも私服に店のエプロンをしている。

 大柄な方はダンボールを開けて中の商品を検品していて、もう一人の長髪を後ろで縛っている方はパソコンに向かって何やら入力をしているようだった。

「おつかれサバンナ!」

 その先輩たちにむかって、ちろるが高圧的にお得意の挨拶をする。

 二人は手を止めて関係者以外立ち入り禁止の空間に堂々と侵入して来たコスプレ少女を見つめた。

 僕は軽く会釈をして、なるべく隅の方で存在感を消して立っていることにする。

 先輩たちはメガネさんにアイコンタクトで「この子なに?」と聞いている。

 メガネさんとしては曖昧に笑うしかない。

 何とも言えない微妙な空気になったところで、ちろるは左手を腰にあて、右手を前に伸ばし、人差し指をピンと立てると、その指をびしっと先輩たちに突きつけた!

「あなたたちですねっ! この人に無理難題を押し付けて退職に追い込もうとし、さらにはメイドさんたちにセクハラで訴えられるように仕向けたのはっ!」

「はあっ!?」

 先輩たちとメガネさんと僕、四人の声が奇麗にハモる。

 ちろるは何を聞いていたんだ。退職に追い込むとかセクハラで訴えるとか、話がやたらと大きくなっている。

「シラを切っても無駄なのです! ネタは全部あがってるのです!」

 いやそれじゃ刑事ドラマだし。

 先輩たちは目をぱちくりさせながら顔を見合わせ、メガネさんを見やり、最後にちろるに視線を移す。

「ひょっとして、領収書のこと?」

「それです! ついに認めたですね。さあ、なぜあんな凶行におよんだかを白状するのです!」

「なぜって言われても」長髪さんが代表するように話す「度胸試しとユーモアセンスを競い合うっていう程度の話なんだけど」

 うんうんとうなずきながら、検品をしていた大柄さんも会話に加わる。

「飲みに行った時とか、その話題で盛り上がるからすぐ打ち解けられるし」

「今日は彼の」メガネさんを指さし「歓迎会だしね」

「うちの店の伝統みたいなもんなんだけどなあ、俺たちもやったし」

「おまえ何て書いてもらった?」

「貧乳はステータス一般普及委員会」

「うわ、さいてー」

 先輩たちは屈託なく笑いあう。どうやら別に嫌がらせやイジメでやっているのではないらしい、ちょっと雲行きが変わってきた。

「でも、でもっ。メイドさんが嫌がりますっ。セクハラなのです!」

「いや、笑いながら書いてくれるよ」

「そうなんですか?」

 ちょっと意外だったので僕は思わず横から口を出す。

「うん。あの手の店でバイトする女の子は精神的にタフだよ~。そうじゃないとああいうお店は勤まらないんじゃないかな」

 確かに客層を考えてみるとそうかもしれない。

 思い返すとちろるの堕天使コスプレにも、パフェを食べ尽くした奇態にも、当然聞こえていただろう怪しげな会話にも、全く動じた気配がなかった。周囲のお客はガン見していたのに。

「そ、それでも嫌がってる人に無理やりやらせるのはいけないことなのです!」

 ちろるはまだ食い下がるが、勢いが削がれているのは明らかだった。

「まさか。嫌だったら無理にやらなくてもいいよ、さすがに代金は返してもらうけどね。もっともタダでお茶できておもしろいからって、何度もやりたがるヤツの方が多いけど」

「ほとんどたかりだよなー」

 ひとしきり盛り上がると大柄さんが、壁にかけてある時計を指さす。

「おい、そんなことより休憩時間終わってないか。早く戻らないと店長に怒られるぞ」

 やりとりを呆然と聞いていたメガネさんはその言葉に我に返ると、慌てて彼のであろう真新しいエプロンに手を伸ばす。

 しかし、ちろるがその手をつかんで強引に引っ張った。

「ちょ、ちょっと」

「すみません、もう少し彼を借ります」

 あっけに取られている先輩たちを残して僕たちは事務所を出た。



 ちろるは力のない抗議の声をあげて抵抗するメガネさんを完全に無視して、その手を引きながらずんずんと大股で歩いて行く。

 その異様なコスプレ姿に驚いたのか、それともちろるのただならぬ気配を感じたのか、対向者が慌てて道を開けていく。

 ちろるが何をしようとしているのかが、僕には不思議とわかったので、二人の後を黙ってついて行った。

 ちろるはコンビニエンスストアの前で止まると、

「ここで待つのですっ!」

 そう言って店の中へと消えて行く。

 メガネさんはすぐにでもバイトに戻りたそうだったが、僕からも「すぐ戻るからここに居てください」と頼むとうなずいてくれた。

 僕もちろるを追ってコンビニに入る。

 ちろるは飲み物が並んでいる冷蔵ケースの前を行ったり来たりしながら、ひとつひとつを真剣に吟味していたが、最終的にコーヒー牛乳のパックを手に取った。

 続いて文房具コーナーの棚の前に屈み込んでノートを一冊手に取ると、レジの方へ向かいかけてから慌てて引き返してボールペンを付け足す。

 僕はさりげなく棚の一角を指さす。

 ちろるはノートを元の位置に戻すと『それ』を手に取り、今度こそレジに向った。

 僕は後に続いて黙って会計を済ませた。


 ちろるはコンビニでの買い物を済ませるとメガネさんにさらに待つように言い置いて、裏路地に駆け込んで行った。僕も遅れないようにそれを追う。

 ちろるは躊躇なくポリバケツに潜り込むとふたを閉めた。

 凄い勢いで跳ね回ったポリバケツが静止すると、中からはメイド姿のちろるが登場した。


 メガネさんはわずかな時間でメイドの格好に着替えて戻ってきたちろるを見て驚いている。

 ちろるはそんなメガネさんに向かって満面の笑顔であいさつをした。

 「おかえりなさいませ、ご主人様ぁなのです」

 それでなくとも目立つ格好の上に大声でそんなことを言うものだから、当然注目を浴びて人が集まってきた。なかにはデジカメでこちらを撮っている外国人観光客までいる。

 せめてもう少し人のいない所でやればいいのにと思ったが、ちろるはそこまで頭が回っていないのだろう。顔は笑っているが目は怖いくらいに真剣だった。

 メガネさんもそれを感じたのだろう、羞恥で顔を真っ赤にしながらもその場を動かない。

「ご注文は何になさいますかぁ?」

「えーと」

 困っているメガネさんに僕は助け舟を出す。

「ここのお店はコーヒー牛乳がお薦めらしいですよ」

「じゃあコーヒー牛乳を」

「はい、少々お待ち下さいませぇ」

 ちろるはさっき買ったコーヒー牛乳にストローを挿して差し出す。

「お待たせしましたぁ」

 メガネさんはコーヒー牛乳を受け取るとストローに口をつけた。

 周囲に人垣ができている真ん中で、メガネさんがコーヒー牛乳を飲み終わるのを、ちろるはメイド姿でじっと待っていた。


「お名前はどうしましょうかぁ?」

 ちろるは空になったコーヒーパックを受け取ると、代わりにボールペンを握る。

 そのまま文字を書く態勢でしばらくうつむいていたが、顔を上げると一気にまくしたてた。

「ここはメイド喫茶だから、ズルしたことにはならないのです!」

 さっきまでの笑顔は消え、ちろるの顔は今にも泣きだしそうだった。

「それにわたしはプロフェッショナルなメイドさんだから、どんなこと言われたって恥ずかしくないのです!」

 その声が震えている。

「あの人たちが驚いてオシッコちびるような、独創的でエキセントリックで、なおかつ破廉恥な名前を書いて見返してやるのです!」

 今まで我慢していた涙が頬にこぼれた。

 メガネさんはそんなちろるをしばらく見つめていたが優しい声でたずねた。

「そういえばまだキミの名前を聞いてなかったよね?」



「いってらっしゃいませ、ご主人様ぁ」

 周りの注目など全く気にせず、ちろるは笑顔で思いっきり手を振る。今度は心からの笑顔だ。

 見送られるメガネさんも、走りながら、それでも何度も振り返って手を振りつつ人波に消えて行った。

 彼はコーヒー牛乳代をちろるに払い、遠慮する僕にお礼を言いつつ必要経費を払った。

 救済は出来たのだと思う。

 きっとメガネさんは今晩の飲み会で、先輩たちと今日の出来事について語るのだろう。ひょっとしたら話さないで自分の心にしまっておくのかもしれない。どちらにしろ彼らなら打ち解けることが出来るだろう。

 ちろるは間違いなく彼を救済したのだ。

 そしてメガネさんも、自分自身の先走りと勘違いに泣くほど腹を立てていたちろるのことを、ちろるに付き合ってあげることで救済してあげたのだと思う。

 今は僕の手の中にある、二度と使うことがないであろう余りまくった領収書の、一番上の控えにはこんな文字が並んでいた。



          領収書

  ちろるちゃんみたいな優しい子を応援する会

      コーヒー牛乳代105円

     若葉のまぶしい春の終わりの日

             『メイド喫茶ちろる』



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