第一話:堕ちてきた天使 その4
『メイド喫茶ぱすてる』
雑居ビルのやたらめったらスピードの出ないエレベーターを降りると、目の前にあるガラス張りの扉にはそう書かれていた。
「ちょ、ちょっと待った。ここに入るの!?」
「ですです。ここから救済を求めるエナジーが感じられるです」
メイド喫茶かあ。存在は知っていたけれど、まさか堕天使のコスプレ少女と同伴で入ることになろうとは。知り合いに会わないことを祈ろう。
ちろるはさっさと扉を開けて店の中に消えてしまう。観念した僕が後に続くと、
「おかえりなさいませご主人様ぁ」
メイドの格好をした店員さんが、奇麗にユニゾンした声で出迎えてくれた。
うわ、ホントにこんな挨拶をしてくるんだ。
店内は想像していたよりも広い。ファンシーで華やかで普通の喫茶店とは雰囲気が違う。空席はほとんどなく、繁盛しているのが一目でわかる。
客層は二十代のいわゆるアキバ系の男性が中心だけれど、ちらほら女性客もいたりする。
場所が場所なだけに、ちろるの格好もそれほど違和感がないのはラッキーだった。新橋のルノワールじゃこうはいかない。
「御二人様でしょうかぁ?」
「あ、はい」
ニコニコと微笑みかけてくるメイドさんに、営業スマイルだとわかっていても思わずドキドキしてしまう。
しかしちろるはそんなやりとりに耳を貸さずに店内を見回すと、案内を待たずにずんずんと窓際のテーブル席に向って歩きだしてしまう。僕は仕方なく店員さんに曖昧な笑顔を見せながら後に続いた。
ちろるが向った席には、窓の向こうの大通りをぼーっと眺めている一人の男性客がいた。
「救済を求めてますですね?」
いきなりそう声をかけられて、その人は驚いたように振り返る。
大学生だろうか。中背の痩せ型、メガネをかけていて少し気が弱そう。これといって特徴のない、失礼だけれど存在感の薄そうな人だった。
ちろるはメガネさんの返事を待たずに向かいの椅子に腰を下ろしてしまい、僕もあやふやな挨拶をしながらその隣に座った。
すかさずメイド姿の店員さんがお水とメニューを持って来てくれる。
「ご注文は何になさいますかぁ?」
「『お疲れの御主人様にお薦め。金魚鉢に入った特性パフェの盛り合わせ』をくださいです~♪」
「えっと、アイスコーヒーで」
「かしこまりましたぁ」
……金魚鉢に入った特性パフェの盛り合わせ??
見回すと壁に『当店イチオシ!』の文字といっしょに、可愛らしいイラストで金魚鉢に入っているパフェが描かれたメニューが貼られていた。でもこれって普通のパフェ五人分って書いてあるんだけど……。
値段は三千七百五十円。まさかこれを一人で食べきるつもりなんだろうか?
ちなみに支払いは誰がするんだろ? ちろるはどうみてもサイフを持ってなさそうなんだけど……。
「……あの、何でしょうか?」
メガネさんが恐る恐る声を掛けて来る。出来れば関わり合いになるのは避けたいといった様子が見てとれる。その気持ちは誰よりもよくわかる。
すでに青春の貴重な数時間を搾取されている身としては「今のうちに逃げた方がいいですよ」とアドバイスしたいところではある。
搾取している元凶はいたってマイペース。
「あなたを救済する為に来た堕天使なのです」
「救済? ボランティアか何かの方々ですか?」
複数形にしないで欲しい。僕は無関係だ。
「そのようなものなのです」
「はあ、それはどうもお疲れさまです」
「おつかれサバンナ~」
「は?」
メガネさんは訳の分からない言葉にどう対処したらよいものか戸惑って僕の方を見る。助けを求められても僕にだって説明できない。仕方ないから本人に聞く。
「ちろる、なにそれ?」
「ロディニア大陸に暮らしている少数部族のあいさつですよ~。知らないのです?」
知るわけがない。
僕は傍観者になることを決めると、さっきまでメガネさんがしていたように窓の外を眺めて過ごすことにした。
大通りに面しているので視界が開けていて眺望は悪くなく、夕暮れ時のネオンは、夜の闇に浮かんでいる時ほどにはどぎつさを感じなかった。
ちろるは床に届かない足をぶらぶらさせたまま黙っている。
さっさと救済とやらをはじめればいいのにと思ったが、急かすようなことはしなかった。僕はとことん付き合うと腹を決めていた。
沈黙に最初に耐えられなくなったのはメガネさんで、落着かなげにそわそわしていたが、やがて泣きそうな声で聞いてきた。
「あの、それで何なのでしょう?」
「さっき言ったですよ、救済です~」
ちろるはそれだけ言うと、また足をぷらぷら。
「しゅ、宗教の勧誘か何かでしょうか? それなら間に合っていますので」
やっぱりそう考えますよねえ。彼にシンパシーを感じた。
「いいえ、わたしは堕天使なのです。ちなみに特別サービスで教えちゃいますけど神様は存在してますよ。だからめったな事を言ったらダメなのです」
まあ天使がいるのなら神様がいてもおかしくはない。
「寄付するお金なんて全然持ってないんです」
「当然無報酬なのです」
無報酬は自由だけれども、パフェ代は自分で払って欲しい。
再び気まずい沈黙が流れ、それを破ったのはメイドの店員さんだった。
「お待たせしましたぁ。特性パフェの盛り合わせとアイスコーヒーですぅ」
「お待ちしてましたです~♪」
うわ。ホントに金魚鉢に入ってる! 見てるだけで気持ち悪くなってきた……。
ちろるは当然のように三本ついてきた細身のスプーンのうち二つを手に取ると、宮本武蔵よろしく両手に持ち「いただきますです~♪」とあいさつだけはきちんとしてから、一週間獲物にありつけなかったハイエナですらもう少し上品なのではと思える勢いで食べはじめた。
金魚鉢からはみ出すようにてんこ盛りになっているフルーツや生クリームやアイスクリームがあっという間に浸食されていくのを見て、僕もメガネさんもドン引きである。
実はこの子、これを食べたいがためだけに僕を引きずり回したんじゃないだろうな?
それにしてもこの小さな体のどこに収まるのだろう。後でおなか壊さなきゃいいけど。
その見事なまでの食べっぷりに周囲の注目が集まる。本人は意に介していないのだがこっちが恥ずかしい。せめて行儀だけでも良くさせようと「落ち着いてもっとゆっくり食べよ」とか「ほら、こぼしてるよ」などと注意してみたのだが全く聞こえていないようだ。
しばし考えてからぽつりとささやく。
「太るよ」
ぴたっ! と動きが止まった。
効き目抜群、やっぱり女の子だったらしい。これで行儀よく食べるようになってくれればそれで文句はなかったのだけれど、今度は止まったまま動かない。
窓から見える交差点の信号が二回変わってもちろるは固まったままで、ついにはパフェの底のアイスが溶けはじめ、スプーンを持ち上げたままの二の腕はぷるぷると震えだした。
別に食べるなとは言ってないんだけどな……。
可哀そうなので解放してあげた。
「ちろるはまだまだ成長期だから平気だよ、今日は歩き回ってカロリー消費も多かっただろうしね」
それを聞いたちろるは目を輝かしながら、首がもげるような勢いでぶんぶんと激しくうなずく。
そして止まっていた分を取り戻すかのように、さっきよりも激しく食べはじめた。
……もう何も言うまい。
メガネさんは僕たちのそんなやりとりを黙って見ていたが、そわそわと時間を気にしはじめた。
確かに僕たちが来てからでもそれなりの時間がたっている。
こっちは暇な身だがいつまでも彼を拘束するわけにもいかないだろう、でもその前にいくつか確認しておきたいことがある。
「すみません。この子とは知り合いですか?」
「いえ、初対面ですけど」
その表情は本当に困惑している感じで、嘘をついている様には見えない。ちろるとメガネさんが組んで芝居をしているということはなさそうだ。
「今日この時間この店にいることをあなた以外の誰かに教えましたか?」
「いえ、誰にも言ってませんが」
これも嘘じゃなさそうだ。ということは当然ちろるにも、彼がここにいることは知りようがなかったということになる。
「それじゃあ、さっきこの子が言っていた事なのですけれど、何か救済が必要なことがあるんですか?」
そうそう救済なんてものが必要な人間がいるわけがない。
これが否定されれば、ちろるの言っていることはでまかせということになる。
「救済という程には大げさなものじゃないんですけど、確かに困っている事はあるんです……」
あるんだっ!?