第一話:堕ちてきた天使 その2
「堕天使?」
まあマンガやゲームの影響で小さい子もいろいろと知識をつけているし、そういう遊びがあるのかもしれない。降臨ごっことか。
どうせならお医者さんごっこをやればいいのに。
小さいうちしか出来ないのに。
積極的にやっておけばよかったって大きくなってから後悔しても遅いのに!
……思わず熱くなったけれど今の問題はこの女の子だ。
むげにあしらうのもかわいそうかなあ、少し付き合って会話をすればすぐにボロが出るだろうし、それを機に切り上げればいいか。とりあえずわかりやすいところから突っ込んでみよう。
「天使じゃなくて堕天使なんだね?」
女の子は「はうっ」と声を詰まらせうつむく。あきらかに落ち込んでいるようだ。
ひょっとしたらいきなり痛い所をついてしまったのかな?
「ほ、ほんの些細なことだったのですよ。天上界で暮らす天使にだってミスはあるのです……」
「ということは天上界に居た頃のキミは天使だったんだ?」
今度は急に機嫌がよくなり、えへん、という感じで腰に手をあてる。
「あたりまえなのです。位階では第六級ですが間違いなく天使なのです」
「ふーん、第六級って偉いの?」
「会社でいうなら係長さんの下でしょうか」
「……それってヒラ社員って言わない?」
「そうとも言うかもなのですが……。堕天使いじめて楽しいのです?」
そんな上目遣いで睨まれても。くるくると表情が変わって、見ていて楽しいけれど。
「天使って頭に輪っかがあるんじゃないの?」
「地上に落とされた堕天使なのですから、なくてあたりまえなのです」
屁理屈の上手な子だなあ。
「で、その堕天使のキミはこんなところで何をしているの?」
「それですっ!」
思い出したようにいきなり大声をあげる。
「堕天使が天上界に復帰する為には地上界で二十二の善行をしなくてはならないのです」
「ほうほう」
どこかの慈善団体のキャンペーンなのかな? 小さい子どもをボランティアに目覚めさせるための。ナイスアイディアかもしれない。
「最初は六百六十六とか百八とか考えていたらしいのですが、さすがにそれは厳しいんじゃない? という脳内編集者の意見なんかもありまして」
「脳内編集者?」
「あ、こっちのことですので気にしないでくださいです」
でも二十二ぐらいなら比較的簡単になんとかなるのではないだろうか? 電車で席を譲ったり、ゴミを拾ったり、道案内したりすればいいわけだし。
一日一善としても三週間ちょっとで天上界復帰できるので、そう聞いてみた。
「そんな人間でも出来るようなことでは駄目なのです。堕天使だからこそ出来るようなことでないと認められないのです」
「じゃあ勝手にやればいいんじゃない? なんでわざわざ人に降臨なんてするの?」
「わかってないですね~」
ちっちっち、というように人差し指を振る。
「神様や天使が降臨して地上界に存在する時は、誰か特定の人間の傍にいないと駄目なのですよ」
筋が通っているような、ただの都合のいい詭弁のような。
「そういうものなの?」
「ベルダンディーもドクロちゃんもラムちゃんもそうだったじゃないですか」
「……ラムは宇宙人だったと思うけど」
「細かいこと気にする人はモテませんですよ」
ほっといて。
マンガの読み過ぎだなこの子。小学生オタクということに決定。それで人畜無害そうな相手――つまりは僕みたいなのを見つけて堕天使ごっこをしていると。
「それでなんで降臨する相手が僕なの?」
「さ、行きましょうか」
肝心の質問に答えずに歩きだそうとする。
そうはいかない、こっちとしては早いところ縁を切りたいんだから。
「ちょっと待った。この質問に答えてくれないと降臨は認めないよ」
女の子は立ち止まりこっちを見る。
「答えれば認めてくれるですか?」
「その説明に納得が出来ればね」
女の子は少し考えてから話しだした。
「走れメロスは読んだことあるですか?」
「え、太宰治の? 一応あるけど?」
「メロスはなぜ走ったです?」
おっと、いきなりの文学論とは。まさかそんな本格的な引用がくるとは。
ちょっと気を引き締める。
「えっと、身代わりになってくれた親友セリヌンティウスとの約束を守るためだったよね」
「あまい、あまいのですっ!!」
いきなり遮ると、びしっと僕の顔に指を突きつける。
「まるでチョコパフェにおしるこを混ぜて練乳をかけたような甘さなのです!」
それは確かに聞いただけで胸やけがする甘さだ。
「違うの?」
「違いますよー」
そこで女の子は宣誓するように胸をはった。
「メロスが走らなかったら話が進まないからです」
「……………………」
深謀な答えが返ってくると一瞬でも期待した僕が馬鹿だった。
「あのさ、そんな大喜利みたいなのが答え?」
「太宰治本人がそう言ったのに信じないのです?」
「……誰がそれを聞いたのさ?」
「それはヒ・ミ・ツ」
そう言いながらウインクしてくるけどセクシーさが足りない。いくら僕でもごまかされない。
「まあ、いいや。それとキミが僕に降臨する理由とのつながりは?」
「だからそういうことです」
「いや、わからないって!」
女の子はさも大儀そうに大きく息をつくと、覚えの悪い生徒に語りかけるようにしゃべりだした。
「じゃあもうひとつの例えです。天空の城ラピュタは観たことあるです?」
「うん」
個人的に大好きな映画だ。
「シータが空から落ちてきたのを見てパズーはどうしたです?」
「受けとめて助けた」
「なぜです?」
「なぜって、空から女の子が落ちてきたら普通は助けるんじゃない?」
「そうです? 『うわっ、キモっ! 関わらないようにしよ』っていう反応の方が正常じゃないです?」
「まあ、そういう反応もあるかもだけど……」
そんなパズー絶対にイヤだ。
「正解はメロスと一緒ですよ~。パズーがシータを助けなかったら物語がそこで終わってしまうからです」
「う~ん」
なるほど。この子の言わんとすることはなんとなくわかったけれど、メロスもラピュタも言ってしまえば創作であって現実に当てはめるのはどうなんだろう。
理解はできるけれど納得はできない。
そんな考えが顔にでていたのだろう、女の子がじっと僕の目を見つめながら話し出した。ふいにその瞳の奥に引き込まれる感じがして少し怖くなった。
「現実も創作も同じことなのです。ボーイミーツガールの物語だとするですよ。少年が一人の少女に出会ったとするです。それがドラマティックな出会いでも平凡な出会いでも、少年がそのまま行ってしまったら何も始まらないのです。そして人は誰もがその少年であり少女であるのですよ。じゃあわたしたちはどうするべきだと思うです?」
ここまで説明されればわかる。
ようするにこの子は、人はみんなメロスでありパズーであれと言いたいわけだ。
メロスになったなら走れと、パズーになったらシータを助けろと。立ち止まっては駄目なのだ。
僕のノンアクティブな性格的にはちょっとキツイんだけどなあとは思ったけれど、答えるのは不思議といやではなかった。
「僕たちは自分の物語を進めるために行動しなきゃいけないんだね。たとえば堕天使に出会ったなら降臨を許すとか」
「よくできましたのです」
女の子は満面の笑みを浮かべた。
う~ん。言いくるめられた気がしないでもないような、それでも別にいいような。。
もちろん女の子が堕天使だというのを信じたわけではないけれど、少なくとも今日のところは彼女が満足するまで付き合ってあげようという気持ちになっていた。