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第二話:先輩と天使との交友事情 その3

 ……えーっと。

 副部長は栞を抜き取って本のページを開く。既にちろるのことは眼中にない。

 ちろるは固まったまま動かない。ただブツブツと何か呟いているので耳を近づけてみた。

「ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽ」

「ぽ?」

「ポリバケツーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 叫ぶなり廊下に走り出ようとする。

「待て待て待て、待ちなって!」

「放してくださいーっ!」

「落ち着きなって!」

「イジメです! セクハラです! 法廷侮辱罪です! 公的資金投入なのですーっ!」

 泣き叫ぶ耳元にささやく。

「救済する時以外に変身したら駄目でしょ。それに変身しても何か特別な力を使えるわけじゃないんだから」

 ちろるは涙目で「うー」とうなりながら副部長を上目遣いに睨んでいる。

 副部長はそんなちろるに悠然と近づくと目の高さを合わせるように屈みこむ。

「そんなに泣いていたらせっかくの可愛い顔がだいなしよ」

 そう言いながら高級そうなハンカチで優しく涙を拭いてやる。ちろるは不信を抱きつつも取りあえずされるがままにしている――とハンカチごと副部長の指がちろるの鼻の穴に突っ込まれた。

「あら、ごめんなさい。あんまり低いから鼻だってわからなかったわ」

 妖艶な笑みを浮かべながら言い放つと椅子へと戻っていく。

 ちろるは鼻にハンカチを入れた状態のまま、永久凍土に氷付けにされたマンモスのようにピクリとも動かない。

「ち、ちろる?」

 目の前で手を振るが反応がない。

 ぺちぺちと軽く頬をたたくとやっと反応が戻ったが、とたんに泣きわめく。

「コウジさん放してくださいです! あの鬼女に天誅を加えるのです! 武士の情けです! 斬り捨て御免です! 尊王攘夷です! 生類哀れみの令なのですーっ!」

 取り押さえてなだめるのが一苦労だった。

 副部長は何事もなかったように優雅にページをめくる。

 部長は一度も顔を上げずにずっと新聞を読んでいた。

 なんで僕だけこんなに疲れなきゃいけないのだろう……。


 ようやく泣き止んだちろるは、わざわざ副部長の正面の席に座り、できうる限りの眼力を総動員して睨みつけていた。

 先程までとは攻守交代だが、いかんせん副部長のようなプレッシャーには程遠く、おやつを取り上げられた子供が拗ねているようにしか見えない。

 副部長はミジンコほどの脅威も感じていないといった様子で、悠然と本を読んでいる。

 埒があかないとみたちろるは行動に出た。

「鬼女。上履きを脱ぐのです」

「なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ」

 副部長は本から顔を上げずにこたえる。

「ふふふ。怖いのですね?」

 ちろるはあからさまに挑発的な口調だった。

「わたしにはこっちに来いだの回れだのと散々命令しておいたくせに、自分の番が来るとさっさと尻尾をまいて逃げ出すとは、小さじスプーンにも満たない器なのです」

「それで挑発してるつもり?」

「客観的事実を言ってるだけですよ~。軍隊なら敵前逃亡は銃殺刑なのです~。平々凡々な高校生でよかったですね~」

 顔を上げた副部長とちろるの視線が激しくぶつかり合う。

 あー、マンガとかでこういうシーンでバチバチと擬音がするのをよく見かけるけど、あれってホントなんだ……。 

 僕は二人を止めるきっかけをつかめないでそんなことを考えていた。部長は我関せずを貫いている。この人だったら喜んで見物しそうなのに不思議だった。

 先に視線を切ったのは副部長で、大げさにため息をつく。

「はいはい、わかったわよ。あんたみたいなお子ちゃま相手にムキになっても仕方ないものね。ほら脱いだわよ」

「そうしたら両手を上履きに入れて、胸の高さで靴底を向かい合わせにするようにして距離は肩幅で待機するのです」

 副部長が不承不承指示に従う。

「いちにのさんの合図でそれを打ちあわせるのです。わかったですね?」

 何が始まるのだろう? 僕は固唾を飲んで見守る。

「いち」

 ちろるのカウントダウンが始まった。

「にの」

 部室内から一切の音が消えて。

「さん!」

 掛け声と共に副部長がヤケクソとばかりに上履きを打ち合わせた。


「ジャンククラーッシュ!!」


 ちろるの声が響き渡り、そのエコーが部室に反響する。

「ちろりん」

「はい、おししょー様」

 満足そうなちろるに部長が声をかけた。

「良い攻撃だったが、いかんせんその技は三十路(みそじ)を過ぎた男子にしか効かないという致命的な弱点がある」

「ええっ、そうなのですかっ!?」

 確かに僕にはなんのことやらわからなかったのだが、副部長は耳まで真っ赤になってわなないている。

「……あの、効いてるみたいですよ」

 部長が副部長のことを見る。

「神宮寺。おまえそうだったのか?」

「わ、わたしじゃないわよ! 叔父が好きなのよ!」

「そういうことにしておいてやろう」

 副部長は屈辱に耐えるように震えていた。

 よくわからなかったが第二ラウンドはちろるが制したようだった。


「なかなかやるわね」

 強靭な精神力でわずなインターバルで平静を取り戻した副部長は、微笑みながらちろるの両肩に手を置く。

「わたしあなたみたいな元気な子って大好きよ。御褒美に今からお姉さんが良いモノを見せてあげるからよーく見てるのよ」

 そう言いながら手に力をこめて強引にちろるをしゃがませる。

「ほら、私って足が奇麗でしょー。手入れするのが大変なのよー。将来のためにあなたにも後で教えてあげるからー」

 副部長なんだか棒読みなんですけど。

「特に太ももってセルライトがたまりやすいからマッサージが欠かせないのよ。ほら、よーく見て」

 副部長はちろるの視線を確認するようにゆっくりとスカートをめくり上げていく。

 あ、まずい。

 僕はそこでようやく副部長の意図に気がついた。

「ちろる見るなっ!」

 僕は叫ぶなりちろるを目隠ししようとしたが遅かった。

 副部長は既にスカートを豪快にめくり上げており、ちろるはその目の前でスカートの中を凝視していた。

 そしておとずれる静寂。

 さっきが冷凍マンモスなら、今度はメドゥーサを見て石化してしまったかのごとくちろるは固まっている。

「ち、ちろる?」

「お、お、お、お、お」

「お?」

「おいなりさんがーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

「ちょっ」

 慌ててちろるの口をふさぐ。女の子がそんなことを言ってはいけない。

「パ、パンツの両脇から、お、おいなりさんがーーーっ!」

「言うなあ!」

 僕は必死になってちろるを恐慌状態から落ち着かせようとした。

「神宮寺。君は脇からタマ(・・)がはみ出るようなそんな過激な下着を履いているのかね?」

 ……部長、あなたはどこまで冷静ですか。

「そんなわけないじゃない、普通にボクサーパンツよ。今は食い込ませただけ。あなたも見たいの?」

「いささか興味はあるが遠慮しておこう」

「あら残念」

 この人たちって……。


 やっぱりちろるにはあらかじめ言っておけばよかった。

 副部長は性別でいうなら間違いなく男である。本名は神宮寺務(じんぐうじつとむ)

 オカマは禁句、言ったが最後コルホーズ送りになって一生帰って来られないという噂だ。流行りの男の娘もNG。副部長は伊達や酔狂で女装をしているわけではない。

 性同一性障害。

 外見はどこからどう見ても女性である、それくらい完璧な美貌だった。

 僕自身について言えば、最初に会った時に確かに奇麗だとは思ったけれど、だからといってどうにかなりたいとかは思わなかった。個人的好みから言えばもう少し柔らかい感じの女性がタイプだったし、何よりも自分の身の程をわきまえていたからというのが大きい。

 もっとも世の中には身の程知らずな連中が大勢いたし、中には百戦錬磨の女たらしで勝算ありと思って挑んだ人間もいたことだろう。

 もちろん全員玉砕した。

 副部長はあっさりと、自分は戸籍上はまだ男だとカミングアウトしたからだ。

 フラれた人間の反応はさまざまで、言葉を失って卒倒したり、人間不信になってカウンセリングを受けた者もいた。夕陽にむかってバカヤローと叫んだり、盗んだバイクで走り出した者もいるという。タチが悪い人間は逆ギレして殴りかかってきたし、何をトチ狂ったのか「それはそれでおっけー!」と襲い掛かってきた猛者もいたそうだ。

 副部長はその全てを無視、もしくは返り討ちにした。

 うちの先輩は二人とも完璧パーフェクト超人なのである。


 結局その後は副部長の一挙手一投足ごと、それこそ脚を組みかえただけでも、ちろるは過敏に反応し、その様子を見て副部長は満足そうな笑みを浮かべ、ちろるは涙を堪えつつ怯えながら過ごした。

 こうして竜虎の格付けは決着したのである。



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