第五話
ルーイ:音楽の国ユーフォニア王国王子。引きこもりの人間嫌い。
ユーノ:騎士の国ゲイルシュタイン王国第二王子。別名「紅剣の黒い悪魔」
ヒューズ:ユーノの有能な右腕。
ロブ:ユーノの部下。ルーイの世話役。
リフ:ユーフォニア王の騎士。ルーイの口煩い世話役。
アーサー:現ユーフォニア王。ルーイの父。
コリン:ルーイの幼馴染。
ルーイ自身、自分のあまりにも奇抜な行動に驚いていた。まさか生きているうちに戦場を全速力で走る日が来ようとは想像もしていなかったことだ。というか、断固としてそんなことをしたくはなかった。まぁ、戦場にいると言ってもただ闇雲に前に進んでいるだけなのだが。自分が戦場のどの辺にいるのかさえ不明だ。更に言えば、前方のみに意識を集中させているため、視野はほぼ真正面、自分の顔の大きさのみという物凄く狭い範囲だけであり、周りの状況は殆ど把握できていなかった。もし誰かが横やら後ろやらから攻撃してきたとしても避けることはできないだろう。それ以前に、例え視野が三六○度あったとしてもルーイの能力では避けることなど不可能なので、嫌な光景を見ずに済む分、こちらの方がましなのかもしれない。無我夢中で飛び出してからどのくらい経ったかは分からないが、今のところどこにも怪我はなく生きているので、何とか護石の効果が効いているようだった。
とにかく今は一刻も早くユーノを見つけようと、ルーイが右方向に少しだけ方向転換しようとした時、微かにユーノの声が聞こえた。周りは剣を討ち合う嫌な金属音や、爆発音などに支配され、人の声など殆ど聞こえはしない。通常ならば特殊な聴音技術でもない限り、話し声を聞くことなど不可能だろう。しかし、ルーイの場合は格段に耳が良かった。これでも一応音楽の国、ユーフォニアの王子だ。通常の人間よりも細かい音を拾うことが可能だった。そのため、こんな雑音だらけの中でも、ユーノの声を聞くことができたのだ。
ルーイは慌てて声のする方へと方向転換した。
「兄上!お願いですから、きちんと話をしましょう。私に戦う意志はありません!この姿が何よりの証拠です!」
セイランの前に大きく両手を横に広げ、ユーノが立ちはだかった。言葉通り、鎧も武器も身に着けてはいない。
突然のユーノの登場に、セイランが驚いたように動きを止める。
「ユーノ!?貴様、一体何を考えている!ここは戦場だぞ!神聖なこの場にそのような格好で現れるとは、ゲイルシュタインの騎士道をどれだけ踏みにじれば気が済むというのだ!」
セイランはユーノの姿を見ると、まるで汚物でも見るかのような顔をして、声を荒げた。
「それは違う!決してそのようなつもりではありません。しかし、兄上と話をするためにはこうする外……」
慌てて訂正するユーノに向かって、セイランの周りを取り囲むようにして守っていた近衛騎士達が襲いかかる。近衛騎士だけあって、相当の手腕の持ち主ばかりだ。四人同時の素早い攻撃は、いくらユーノであろうと避けきることはできない。
一人、二人、三人とそれでもユーノは体制を崩しつつ何とか避ける。しかし、最後の一人の攻撃だけは、足が地面にとられ避けきることができない。横からの突き上げるような鋭い剣戟がユーノの脇腹を捕らえる―――と、そう思った時、
「止まれ!お前達は手を出すな!引け!」
淀みのないセイランの一声が響く。
その声に、あと数ミリという距離で近衛騎士の攻撃が止まる。
「兄上……!」
ユーノは嬉しそうな声でそう言うと、セイランの方へ向き直り、近づこうとした。しかし、
「勘違いするな。お前を助けたわけではない。お前は私の実の弟だ。身内の汚名は身内がはらすのが筋というものだろう。この私が直接お前に引導をわたしてやろう!」
セイランは近づこうとするユーノを鋭い瞳で牽制すると、剣をユーノへと構えた。
「兄上!聞いてください!私にはなぜ兄上がこのような行動をなさるのか分かりません。わざわざこんな異国の地までやって来て……。一体兄上は何を考えておいでなのですか?」
ユーノはそれでも怯むことなくセイランに食い下がる。一度はセイランの剣に足を止めたユーノだったが、その足は再びゆっくりとセイランに向かって歩き出している。
「分からないのはお前の方だろう、ユーノ!反王国派と通ずるとは……。お前こそ、一体何を考えているのだ!」
セイランは構えた剣を一閃する。と、たったそれだけの行為で大きな風が巻き起こり、無防備なユーノへと風の刃が襲い掛かる。ユーノは怯むことなくその風を真正面から受け止めるが、そのあまりの威力に数メートル後方へと飛ばされてしまう。
「兄上……。あくまでも私を反逆者として扱うおつもりなのですね。そんなに……そんなに私が邪魔なのですか!私に罪を着せてまで、私を排除したいのですか!私は例え兄上が聖王国を裏切ろうとも、そこには何か深い理由があるのだと……そう信じていたのに。兄上さえきちんと話してくだされば、私はきっと、兄上のお力になれたのに……!」
ユーノが起き上がりながらセイランに訴える。その瞳には戸惑いと悲しみの色が滲んでいる。
「私が聖王国を裏切る……だと?何を馬鹿なことを言っているのだ!まさかお前、この期に及んで言い逃れをするつもりか!しかも、よりにもよって私を犯罪者扱いするなど……。お前は本当に騎士の誇りを失い、心根から腐ってしまったのだな……。」
セイランは驚いたようにユーノを見つめた後、悲しそうに目を伏せた。
(こいつら……やっぱりお互いがお互いを反聖王国派を指揮する首謀者だと思ってるんだ。そうじゃないのに。本当は二人とも反聖王国派なんかじゃなくて、この戦いには何の意味もないのに……!どうしよう、何とかしてこのことをユーノに伝えないと。この無意味な戦いを止めさせないと。そうじゃなきゃ、悲しすぎる……!)
声の方に向かって全力疾走してきたセツナは、ようやくユーノの姿が見える場所まで来ていた。何だかとても自分が入り込めるような状況ではなく、その場で様子を伺っていたのだが、この状況はどう見ても良くない。ヒューズが何を考えているのかは分からないが、これは彼が考えたシナリオ通りの状況なのではないだろうか。二人はヒューズによってはめられ、その計画に踊らされているのだ。
「……騎士の誇りを失ったのは兄上の方だ。何を考えているのかは知りませんが、少なくとも、私だけでなく関係のないこの町まで巻き込むなど、間違っています。騎士とはまず、弱き者を守るものではないのですか?昔兄上が……兄上がそう、私に教えてくださったではないですか!」
「私とて、この町を巻き込むような真似はしたくなどなかった。しかし、お前がこの町で暗鬼を使ったりするから、否応なくこの場で捕まえなければならなくなってしまったのではないか!教えを破り、人々を戦いに巻き込んだのはお前の方ではないか!……もういい!これ以上お前と話すことなどない!これ以上私を……私を失望させるな!」
セイランは剣を強く握り締め、今にも泣き出してしまいそうな声を振り絞るようにして、そう言った。そして、ユーノを真正面から見つめると、
「反逆者ユーノ=ゲイルシュタイン!聖王国への反逆罪で、今ここでお前を切る!!」
と叫ぶと同時に剣を振りかざし、ユーノに向かって駆け出した。
セイランは華麗な身のこなしでユーノとの距離を一瞬で縮める。ユーノはその風のようなスピードに反応はできているようだが、いかんせん、今は何の武器も防具も所持してはいない。これでは動きが見えていても攻撃を受けることはできない。例えうまく避けることができたとしても、騎士の力を持ってすれば、剣圧だけでユーノの身体を切り刻むことなど容易いのだ。このままでは、どう考えてもユーノに勝ち目はない。
セイランのピアスが眩い橙色の光を発する。と同時に振りかざす剣も同様に光を発し、今正にユーノを捉える……
《ガキーン》
金属同士がぶつかり合うような重厚な音が辺りに響き渡る。二人がぶつかり合ったその場所は、土埃が巻き上がっており、様子を確認することができない。一体今、何が起こったのか。武器を持っていないユーノがセイランの攻撃を受けることなどできるはずはないのだが、あの音は一体何だったのだろうか。
数秒後、土埃の舞う空間から一つの影が飛び出し、後ろへと弾き飛ばされる。飛ばされた人影は地面に蹲った後、よろよろと起き上がる。その人物はなんとセイランの方だった。セイランは自分が今までいた場所を鋭い瞳で睨みつけると、
「何だお前は……?この力、一体何者だ!」
と叫び、同時に剣を一閃して風を巻き起こす。その風が土埃を吹き飛ばし、隠されていたその場の全貌が明らかになっていく。
「う……。一体何が?何が起こったんだ?」
土ぼこりのカーテンの中から現れたのは無傷のまま佇むユーノの姿だった。驚いたことにユーノはどうやってかセイランの攻撃を防ぎ、逆に相手を弾き飛ばしたのだ。一体ユーノのどこにそんな力が隠されていたのか。
土埃が晴れていくに連れ、もう一つユーノの前に黒い影が佇んでいることが分かる。
ユーノは土埃で霞んだ目を擦ると、状況を確認しようと前方を見上げる。すると…
「な……!?まさか……嘘だろう?」
あり得ないものでも見るような瞳で立ち尽くす。確かに自分の目に映っているものなのだが、ユーノにはそれが幻覚ではないと言い切る自信がまったくないなかった。
「……ルーイ、なのか!」
そう、ユーノの前佇んでいた影はルーイだったのだ。ルーイはユーノを守るように装飾剣を構え立っそいた。その身体からはぼんやりと青色の光が発せられている。ルーイは肩で息をすると、そのままよろりと地面へ倒れ込む。
「ルーイ!なぜだ?なぜ君がここにいる?なぜ、こんな所に……。」
ユーノは倒れ込むルーイの身体を慌てて支えると、力尽きたような青白い顔のルーイをまるで夢でも見ているかのような顔で覗き込んだ。
「何でって…そりゃ、どうしても…伝えないといけないことがあった、から……。まぁ、だからといって、自分の…この行動の意味…は、まったく不明だけど……。」
ルーイは荒い息遣いでそう言うと、弱々しく笑った。
「伝えなければならないこと?私に?このような状況で?そんなもの、今でなくても、後でいくらだって……」
「今じゃなきゃ!今じゃなきゃ…ダメだよ。後でじゃ、意味ないんだ……!」
ルーイはユーノの言葉を遮って言う。
ユーノは今まで見たことのないルーイのその迫力に圧倒されたように押し黙る。
「ユーノ、俺はお前に聞きたい。お前は、お兄さんのこと信じてるんじゃなかったの?」
突然のルーイの言葉に、ユーノは驚いて目を見開く。ユーノにはルーイが何を言いたいのかがさっぱり分からなかった。こんな所までやって来て、伝えたい事とはそんな分かりきった質問なのか。
「……ああ、信じている。当たり前のことだ。お前はそんな分かりきったことを……」
「嘘だね!全然信じてないじゃん。」
ユーノの応えをルーイは間髪いれずに否定した。
「な!何を……!」
「だってそうだろう?俺、お前たちの会話聞いてたんだよ。お前の言葉はお兄さんのこと信じてるって言う奴の発言にはまったく聞こえなかったけど?ヒューズが何て言ったかは知らないけど、お前は、お兄さんが反聖王国派で、自分達に暗鬼をしかけた犯人だって、最初からその前提で話してた。」
ルーイがユーノの瞳をまっすぐに見つめて言う。その言葉に、ユーノは愕然となる。確かに、兄を信じると言っておきながら、自分は彼が犯人だと、心のどこかでそう思っていたのではないか。今まで国中で噂されてきたセイランがユーノを邪魔だと思っているという話や、セイランが反聖王国派か否かを調査するという今回の任務、セイランが反聖王国派と通じていた証拠が見つかったというヒューズからの報告。それらを総合して、無意識にセイランを反逆者だと決め付けてしまっていたのだ。
ユーノは、はっとしたようにルーイを見つめる。
「ユーノ、信じるって決めたなら、その考えを貫き通して見せてよ。己が信念のまま進む。それが騎士ってもんなんでしょう?それでもお前の心に迷いがあるっていうなら、俺が保証するから。お前の考えは間違ってない。お兄さんは反聖王国派なんかじゃないよ。だって、これは全部あいつが、ヒュ……」
ルーイが言葉を続けようとした時、風の刃が突然二人を襲う。ユーノは素早く反応すると、ルーイを抱きかかえたまま後方へと飛び退く。
「お前は何者だ?騎士同士の一対一の戦いを邪魔するなど、言語道断だ!」
怒りに歪んだ顔で、セイランがルーイを睨みつけていた。今の攻撃はセイランによるものだったようだ。
ルーイはセイランの物凄い迫力に、恐ろしさのあまり声が出なくなってしまう。まだユーノに伝えなければならないことが残っているというのに、これでは危険を冒してまでここまで来た意味がなくなってしまう。
ルーイが何とか言葉を続けようと口を開いた時、
「兄上、彼は私の主です。ですから、彼にはこの戦いに干渉する権利がある。」
ユーノがルーイを抱えたまましっかりとそう言った。
「お前の主……だと?」
セイランが怪訝な顔で繰り返す。
「はい。ですから、兄上であろうと彼を傷つけることは許しません。」
ユーノはルーイを降ろすと、自分の後ろに隠すようにしてセイランを睨んだ。
「馬鹿な。お前の主はゲイルシュタイン王国そのものであろう?それが、一個人の騎士になるなど……。あり得ない。」
「父上にも主がいます。私はいずれ父上のように守るべき主を見つけたいと思っていました。命を賭して守りたいと思う人を。私にもようやくその相手が見つかったのです。」
「守りたい者?そのどこの馬の骨とも知れぬ者がか?冗談を言うのも大概にしろ!」
セイランは値踏みするような目でルーイを上から下まで観察すると、小馬鹿にするように鼻で笑った。ルーイは一瞬カチンときたが、だからと言って当然文句を言うことなどできるはずもない。その鋭い瞳に見られているというだけで足が震え、ユーノに掴まりながら立っているだけで精一杯だったのだから。
「冗談などではありません。心無い言葉で、これ以上彼を侮辱することは許さない。」
ユーノは瞳のアメジスト色を更に深くすると、セイランを見据えて強く言った。その瞳は一点の穢れもなく、ユーノの言葉に嘘がないことを証明していた。
「ユーノ……。お前……。本気だということか。……つまり、今回の反逆は全てそいつの命によるものだということか。ならば私が、お前の愚行の原因を取り去ってやろう!」
セイランはそう言うと、再びユーノに向かって襲い掛かる。しかし先程とは違い、その殺気の照準は明らかにユーノの後ろのルーイへと向かっている。
《カーン》
再び金属がぶつかり合う音が響く。セイランの剣をユーノが受けたのだ。武器を持っていないはずのユーノの手には小さな短剣が握られていた。その剣には細かい細工が施され、柄の部分に小さな宝石と、王冠をかぶった鷲の紋章が付けられている。そう、ユーフォニア王国の紋章だ。ユーノはルーイがお守りのように握っていた装飾剣を借り受け、セイランの剣を受けたのだ。
「そのようなただの剣で、騎士の剣を受けきれると思っているのか!そんな物では我らの力に耐え切れず、お前が持つだけでも粉々に大破するぞ!分かったのなら、さっさとそこをどけ!」
二人は互いに剣を押し合いながら互角の攻防を続ける。いや、向かってきたセイランよりも受けるユーノのほうが若干不利だろうか。
「……私はどきません。例えこの剣が壊れ、私の命が尽きようともです。私はルーイを守りきるまで、倒れたりはしない。」ですが、兄上、私はその前にあなたに伝えなければならないことがある。」
ユーノが剣を受ける手に更に力を入れ、真っ直ぐにセイランの瞳を捉える。
「……兄上。貴方が私を理解してくれないのは無理もありません。私達の心は今、離れてしまっているのだから。全て、私が兄上を信じ切れなかったせいですね。……申し訳ありません、兄上。私は信じると言いながら、心のどこかで貴方を疑っていた。共に笑い合い、学び、切磋琢磨してきたかけがえの無い相手だというのに。周囲の言葉に惑わされ、自分の考えまでもが濁ってしまっていた。」
その言葉を受け、セイランの瞳が揺れる。言葉の意図が分からないといった様子だ。
「兄上……いえ、私の決意を示すのであれば……この方法しかありませんね。」
ユーノはそう呟くと、決意したようにセイランを見つめ、大き息を吸い込んだ。そして、
「セイラン=ゲイルシュタイン、我、ユーノ=ゲイルシュタインが騎士の誓いと誇りにかけて問う。反聖王国派を組織し、その首謀者を調査する我々に暗鬼を差し向けたのはお前か!」
そう言うのと同時に、セイランの体ごと思いっきり剣を後方へと弾いた。
受身をとって着地したセイランはまるで信じられないもの見るようにユーノを見つめると、
「お前、その言葉、その騎石の明滅……まさか、『審判』を発動させたと言うのか!?」
と、動揺して叫んだ。
聞き慣れない言葉にルーイはその言葉が何を意味するのかが分からない。ただ、セイランが言うように、眩い橙色の輝きを放っていたユーノのピアスの光が、チカチカと点滅するように光っていることだけは分かった。
「そうです。兄上、白黒はっきりさせましょう。我々は誇り高きゲイルシュタインの騎士です。それならば、相応しい方法がある。兄上、貴方にこの『審判』を受ける覚悟がありますか?もし貴方が自分の身が潔白だと言うのであれば……」
「ゲイルシュタインの騎士、セイラン=ゲイルシュタインはその『審判』を受けよう!そしてお前の問いに対する私の答えは、否だ。」
ユーノの言葉を最後まで聞かずにセイランが言った。と同時にセイランのピアスもユーノ同様明滅する。
二人はお互いに決して目を離すことなく睨み合あった。そして、一瞬の静寂の後、
「ぐっ……」
突然、ユーノが胸を押さえて地面に跪いた。苦しそうに息を荒げ、その口元からは薄っすらと血が流れ出ている。
「ユーノ!何で?突然どうしたんだ!?」
ルーイが慌てて寄り添おうとするが、ユーノはそれを無言で制止すると、セイランに向かって言った。
「やはり、そうですか。」
「当然だ。つまらん戯言を。『審判』まで実行して、こんな分かりきったことを言わせるとは、本当にお前は気でも触れてしまったのだな!その痛みで少しは頭が冷えたか!」
「別に、私は頭がおかしくなったわけではありませんよ。ただ、兄上を信じ切れなかった自分に罰を与えたかった……のかもしれません。」
ユーノはそう言うと力なく笑った。
「任務の内容を他人に漏らすことなど、本来ならあってはならないことなのですが……。兄上、私の今回の任務は、貴方が反聖王国派と通じているか否かを調べることだった。」
ユーノは静かに言った。
「私を……だと?そんな馬鹿な。誰がそのような命令を……」
「宰相閣下です。父上からの直接の命だというので引き受けました。何より、兄上への嫌疑、私以外の者に調べさせることなどできなかった。」
「父上……が?」
「マルムークで反聖王国派の集まりがあると突き止めた我々は、彼らを一網打尽にすべく、ここで張っていた。そこに掛かったのが暗鬼部隊でした。そして再三にわたる調査の結果、兄上が反聖王国派を組織し、暗鬼までもを動かしたという報告が挙がったのです。」
「馬鹿な!?私がそのようなことをするわけがない!第一私は父上の命でお前を……」
セイランは何か言いかけたが、はっとしたように途中で口を噤んでしまう。
「はい。兄上は反聖王国派などではない。それは『審判』で確認済みです。我々の調査は間違っていた。」
申し訳ありませんと、ユーノは深々とセイランに頭を下げた。そして、力強く頭を上げると、
「兄上。私はもう一つ貴方に言いたいことがあります。貴方が信じられないと言うのならそれでも構いません。ですが、どうしても自分の口できちんと言いたい。お願いですから、聞いて……」
「黙れ。これ以上お前の話を聞く時間など、私は持ち合わせていない。私の質問に答えろ。」
せっかくまともに話ができそうになってきたと言うのに、セイランがそれをたった一言で潰してしまう。それでも、ユーノはセイランに自分の無実を伝えようと口を開くが、
「セイラン=ゲイルシュタインが騎士の誓いと誇りにかけて問う。汝、ユーノ=ゲイルシュタインは我がゲイルシュタイン王国を裏切り、聖王国に反旗を翻したか!」
それよりも早く、セイランがユーノに問いかけた。先程ユーノが行ったように、自分の名と相手の名を述べるという問いかけの仕方だ。同時に、セイランのピアスが明滅する。つまり、セイランもユーノと同じように『審判』を発動させたということだ。
「兄上……。」
ユーノがセイランを見つめる。その顔はいつものユーノのものとは少し違っており、兄を見つめる弟の顔だった。
「さぁ、ユーノ!お前に私の『審判』を受ける決意はあるか!受ける気があるのならば、さっさと応えろ!」
「……ありがとうございます、兄上。」
ユーノは噛み締めるように小さくそう呟いた後、大きく息を吸い込んだ。
「ユーノ=ゲイルシュタインは騎士の誓いと誇りにかけ、その『審判』を受ける!」
ユーノのピアスもまた明滅を始める。
「その応えは否だ!!」
よく通る大きな声でユーノが高らかに宣言する。と、同時に今度はセイランが胸を押さえて倒れ込んだ。
「兄上!」
「大丈夫だ。……この痛みはお前の心の痛み、なのだろう?それならば私も、我が戒めとしてそれを受けよう。」
そう言ってセイランが微笑む。初めて見る笑顔だ。先程までの恐ろしい雰囲気が一気に消え去り、初夏の爽やかな太陽のように見る者の心を照らし出す。
ユーノもその笑顔を受け、安心したように表情を緩めると、倒れたセイランの元へ行こうと一歩を踏み出した。とその時、ルーイの視界の隅に、黒い影が映った。
(何だろう?アレ。烏とか?でもこんな所にいるのかな?っていうか……烏とかより全然大きいような……。)
本来ならばとても目で終えるようなスピードではない早さの影をルーイの目が追う。これも護石の効果なのか、細かい動作までも見ることができる。その影はまるで獣のように跳躍したかと思うと、上空に弧を描く。黒い虹の橋が空に架かった.。
ルーイの目がある一点を捕らえる。それは確かに見覚えのあるものなのに、初めて見るようなおぞましい姿をしていた。狂気に満ちたそれは……
「ダメだ!危ない!!」
ルーイは無我夢中でそう叫んでいた。そうしたいとは思っていたが、実際に実行できるとは思ってもみなかった。恐怖のあまり声もでないのだと、そう思っていた。
(嘘!?俺、声ちゃんと出てる!?)
ルーイの言葉を受け、ユーノとセイランの意識が上空へと向かう。
「兄上!!」
ユーノがそう叫ぶのと同時に、
《ドカーン》
ぶつかり合う大きな音と供に、セイランの身体が吹っ飛び、周囲に土埃が舞い上がる。
一瞬のうちに起こったその出来事に、ルーイもユーノも息を飲んで、その場に立ち尽くす。
やがて土埃が晴れ、二つの影が浮かび上がる。
(あれって、やっぱり……)
現れたその姿に、ルーイは自分の認識が正しかったことに気付いた。しかし、その姿をはっきりと捉えた瞬間、ルーイは恐怖のあまり、全身が金縛りにあったように身体の自由を奪われてしまう。あの時捉えた醜悪な表情、渦巻く狂気の正体、それはやはり、
「ヒューズ!!お前……なぜ!?」
ユーノが佇む影に向かって叫んだ。そう、突如現れ、セイランを攻撃したのはヒューズ、その人だったのだ。セイランは寸でのところで?だが。一撃を防いだのか、剣に寄りかかるようにして何とか地面に立膝をついているという状態だ。荒い息遣いでヒューズを見つめ、その額からは今正に流れ落ちたのであろう鮮やかな血が、セイランの左目の視界を奪っていた。
「ユーノ様、お怪我はありませんか?こんな所においでになるとは……。セイラン様は私が捕らえると、そう言ったはずですが?」
ヒューズはユーノを振り返ると、いつも通りの無表情で淡々とそう告げた。
「お前……。兄上は無実だ!捕らえる必要などない。その剣を引け!」
ユーノはそう叫ぶと、セイランとヒューズの間に立ち塞がった。
「無実……ですって?どうしてそのようなことを言うのです。証拠は揃っていると言ったはずです。貴方のご兄弟を信じたいというお気持ちは分かりますが、もう事態は、貴方の感傷を待ってはくれないところまで来てしまっているのですよ。」
「お前は誤解している。兄上は反聖王国派とは通じていなかった。それは既に『審判』によって明らかになっている。我々は何者かによって同士討ちするよう仕組まれたのだ。つまり、この戦いは無意味だということだ。今直ぐ全軍に停止命令を出さなければ。ヒューズ、お前も手伝え。」
「『審判』……ですか。これはまた、随分と古めかしいことをおやりになりましたね。『審判』は互いに騎士の誓いと誇りをかけてその正しさ証明する騎石による特殊能力の一つだ。対象となる相手を指定し、疑わしいと思われる案件の真偽を問う。相手が白であれば自分が、黒であればその相手が、騎石から罰を受ける。そう、身体の内側から全身を犯されるような痛烈な痛みを。どんなにつまらない内容であろうと、身を裂くような痛みを伴うため、今ではこの能力を使う者はほとんどいないはずですが。……本当に貴方はどこまでも騎士らしい方ですね。しかし、見たところセイラン様の動きも芳しくないようだ。ということは……セイラン様も『審判』をお使いになった……ということでしょうか?」
「ああ。我々は互いに無実であることを証明し合った。理解したのであれば早く行動を。一刻も早く、この事実を皆に伝えないと。もしかすると、我々を嵌めた者がどこかで見張っているかもしれない。双方傷ついた状態で敵の攻撃を受けてはひとたまりもない。」
「そうですか……。まったく、私が少し目を離したすきにこれだ。こんなことなら、貴方には最初から眠ってもらっていた方が良かったかもしれませんね。その方が早く済んだ。」
ヒューズがやれやれと大きな溜息を付いた。
「……どういう意味だ?まぁよい。とにかく、お前は我が軍に伝令を。いや、それよりも我々が双方出て呼びかける方が良いか。では、ヒューズは兄上の手当てを……」
「ええ、そうですね。やはりここはセイラン様を討っておく必要がありますね。」
ヒューズがにやりと笑う。ルーイが見た、あの狂気に満ちた顔だ。
「ユーノ!ヒューズを止めろ!こいつが、こいつがこの事件の首謀者だ!!」
ルーイが叫ぶのとほぼ同時にヒューズが跳躍する。その剣の切っ先はまだ体制を立て直せていないセイランに正確に向けられている。
ルーイの声に即座に反応したユーノだったが、弾丸のようなスピードで飛び出したヒューズに間に合う訳がない。ヒューズの凶刃がセイランを襲う。
(ダメだ……!もう間に合わない……!)
ルーイはそう思って目を閉じた。もうこれ以上、誰かが倒れるところなど見たくない。
肉が切れる嫌な音とともに、何かが地面に倒れ込む音が聞こえた。セイランが、ヒューズの剣に倒れたのだ。
(そんな……。こんな結末ってないよ。この人は一つも悪いことなんてしないのに。なのに、何で?何でこんなことになるんだよ。実は何かの物語の中だったりする?俺、本の読みすぎで頭おかしくなったとかじゃ……。)
ルーイは固く瞼を閉じたまま目を開くことができない。目を瞑っていれば、この悲惨な現実が夢になる可能性が高くなるのではないかという虚しい望みと、この惨劇を直視した自分が正気を保てる自信がなかったからだ。
「……まったく、勘弁してくださいよ。また貴方ですか。どれだけ私の邪魔をすれば気が済むというのです?」
自ら視界を奪ったルーイの耳に、ヒューズの忌々しそうな声が聞こえた。
(え……?邪魔ってどういうこと?もしかして誰かが、セイランさんを助けてくれた?)
自分の淡い期待を今度こそ神様が叶えてくれたのかと、ルーイが目を開くと、
「ロブ!!」
ユーノが叫ぶ声と同時に、うつ伏せに地面に倒れ込んだロブの姿が映った。彼の周りにはルーイが今まで見たことがない程鮮やかな赤色が広がっていた。
ルーイは何が起こったのかを一瞬で理解することができなかった。いや、正確には理解しようとうする行為を脳が拒絶したと言った方が正しいかもしれない。目の前に倒れる人物はセイランではなく、ルーイが引きこもり続けてから初めてまともに会話をした人物によく似ていた。しかし、見覚えのある不揃いな栗色の短髪はロブと同じだが、髪の色もこの髪型もよくあるものだし、何より顔が見えないため、それがロブであるという確証はどこにもない。これはきっとロブではないに違いない。ロブであってはいけないのだ。
(誰かな……この人?もしかしてセイランさんの騎士の一人とか?すごいな、やっぱり忠誠心が違うよ。自分の身を挺してまでご主人様を守る……)
ルーイは心の中で必死に否定したが、いくら自分に言い聞かせても分かってしまった。否定する脳に反して全身の感覚が言っている。これはロブだと。怯える自分に最初から最後まで優しく接してくれた、あの悪戯っぽい顔で笑う、ロブその人なのだと。
「嘘だろ……?何で?何でロブがこんな所にいるんだよ。お前はベッドで寝てたはずじゃん。この前の戦いでまだ動けるような身体じゃないはずなのに……。何で?何でいるんだよ!!」
気付いた時にはもう既にルーイはロブのもとへと駆け寄っていた。さっきまで脳は全てを拒絶していたというのに、それを無視して身体だけが動いていた。本来なら、こんな状況で動ける度胸など持ち合わせていないはずなのに、むしろいつもより素早く動けているような気さえする。
慌てて抱きかかえたロブには胸から腹にかけて大きな傷がつけられており、そこから止めどなく血が流れ出ていた。意識を失ってはいるが、辛うじてまだ息はあった。ただ、その傷は急所は外れているようだが、一刻も早く処置を行わなければ命に関わる危険なものだった。
「おや、よく見たら貴方までこんな所にいたんですか?自分からいなくなったようなので、案外賢いところもあるのだと感心したのですが。今ここにいるということは、やはり真の馬鹿だったようですね。まったく、この男といい、貴方といい、今回はろくでもない連中が次から次へと……。本当に虫唾が走りますよ。これ以上は私も我慢の限界だ。貴方も、さっさとこの舞台から退場していただきましょうか。」
ロブを抱き起こすルーイにヒューズが言った。言葉に抑揚はなく、見上げたルーイの瞳に映ったヒューズの表情は、やはりいつものポーカーフェイスだったが、その瞳には間違いなく恐ろしいほどの憎悪が宿っていた。その瞳に射抜かれただけで、ルーイの身体は猛毒に犯されたように内側から侵食される。目は言葉以上に語るとはどこの先人が言った言葉だったろうか。ルーイはその意味を身にしみて感じていた。「お前を殺す」と、ヒューズの瞳は確実にそう言っていた。
ヒューズを見つめたまま恐怖で凍りつくルーイに向かってヒューズは徐に剣を振り上げると、躊躇することなく振り下ろした。が、ルーイを捉えるよりも早く、飛び出したユーノの短剣がヒューズの剣を殴りに弾き返した。
「ヒューズ……!どういつもりだ?なぜ、兄上を……。ロブを……。ルーイの言うように、本当にお前が黒幕なのか?」
ユーノはそのままヒューズに対峙すると、ルーイ達を背に守るように立ち塞がった。精一杯の冷静さを保ってはいるが、その言葉や瞳に、困惑と焦燥の色が滲む。絶対の信頼を置いていたヒューズが、実の兄を殺そうとしたのだ。しかも、それを庇ったロブがその凶刃に倒れてしまった。それにも関わらずヒューズは平然とした様子で、今度はルーイをその手にかけようとしている。数多くの戦場に赴き、その度に目を瞑りたくなるような惨状に遭遇してきたであろうユーノにとっても、これ程心を乱され、打ちひしがれる状況は初めてだろう。夢であって欲しいと強く願っているのはルーイよりもむしろ、ユーノの方ではないだろうか。
「黒幕とは、言い方がよろしくありませんね。まぁ、今回の件では、色々と動かせていただきましたが。それにしても、あの時我々の話を聞いていたのは貴方だったのですね。あまりに小さな気配だったので、野良猫か何かだと思っていましたよ。きちんと確認すればよかった。私としたことが計画成功まで王手ということで、少し気が緩んでいたのやもしれませんね。そうすれば、こんな面倒なことにはならなかったものを。」
ヒューズはルーイに目を向けながら自嘲気味に言った。その瞳に宿る憎悪は無くなるどころかむしろ大きくなっており、ルーイは思わずユーノに隠れるように身を縮めた。
「ヒューズ、なぜなんだ……?お前は、私達が幼い頃よりずっと一緒の乳兄弟ではないか。私はお前のことを本当の兄のように思っていた。それはきっと兄上も同じはずだ。共に遊び、学び、様々な経験を一緒にしてきた。それなのにお前は、私達を、ゲイルシュタインを裏切るのか!」
ルーイの怯えた様子に気付いたユーノは、手にした装飾剣をしっかり握り直し、ヒューズへと向けた。その剣先はぶれる事なくしっかりとヒューズを捉えていたが、真正面からヒューズを見つめる瞳は、まるで縋る様で、きれいなアメジスト色を曇らせていた。
「裏切ったのではありません。私は今でもゲイルシュタイン王国の忠実なる騎士です。国を裏切ることなど、あるわけがない。」
「ではなぜ、こんな恐ろしいことを……?まさか、誰かに脅されてでもいるのか?」
そうであって欲しいと、ユーノの身体全体がそう叫んでいる。
「私が誰かに脅される?そんな馬鹿げたこと、あるわけがないでしょう?私は貴方が最も信頼を置く参謀ですよ?」
これは面白い冗談だとヒューズがくすくす笑う。ルーイにとってはヒューズのこんなにも楽しそうな顔は初めて見るものだった。ルーイの脳裏にセイランを襲ったときのヒューズの狂気に満ちた恐ろしい顔と、ユーノを見る時のどこか穏やかな顔が同時に浮かぶ。どう考えてもとても同一人物とは思えない。そして、今のこの笑い顔だ。一体今、ヒューズは何を思って笑っているのか。
「全て私の意志で行ったことですよ。ユーノ様、貴方を時期国王にするためにね。」
可笑しそうに笑っていたはずのヒューズは急に真剣な顔になると、強い意志を秘めた瞳でユーノを見つめる。
「はっきり言いますが、このままではゲイルシュタイン王国の未来、ひいては騎士の未来はありません。現国王であるマルス陛下は、王でありながら国以外の一個人を主としてお持ちだ。そのせいで、国を空けることも多く、自国の統治が疎かになっている。そのせいでどうです?かつて聖王国を守りし騎士国の中でも、ゲイルシュタインは他とは一線を画するほどの力を持っていたというのに、今では三大騎士国などと呼ばれ、他の二国と同等の扱いに成り下がってしまった。その上、出所も分からないような歴史と格式を持たないぽっとでの傭兵国まで騎士を名乗るようになり、騎士の品格そのものが失われつつある。このままでは真の意味での騎士は完全に滅んでしまうのです。そんなことが許されるはずがない!ゲイルシュタイン王国には創世記から脈々と受け継いできた伝統ある真の騎士国として、騎士の品格と誇りを守る義務があるのです。そのためには、もっとその力を押し出し、騎士の名を汚す三流騎士国を駆逐していく必要がある。そして、それを成し遂げられるのはセイラン様ではなく、ユーノ様、貴方だけだ。貴方は紛れもなく創世時代の騎士の力を継いでいる。そしてその志や信念も理想的な騎士そのものだ。貴方なくして、ゲイルシュタインの繁栄と騎士の未来は守れないのです。……それなのに、古臭い考えに妄執した者達や、利権に目が眩んだ者は、次期王は第一王子であるセイラン様だと言う。前線に出てユーノ様と戦った者達は皆、ユーノ様こそ次期国王に相応しいと分かっていると言うのに。セイラン様もセイラン様で、自分にその器がないと分かっていながら無駄に足掻き、その座をユーノ様に譲ろうともしない。それどころか、陛下が留守中の今、我物顔で国を動かしている。今現在、最もゲイルシュタインと騎士の未来の障害となっているのは、セイラン様、貴方なのですよ。」
ヒューズは強い口調で言うと、セイランを見遣る。セイランは『審判』による傷が癒えないうちに、畳み掛けるようにヒューズから攻撃を受けたため、身体への負担が相当酷い状態なのか、剣にもたれ掛かったまま、微動だにしない。倒れてはいないため、意識はあるのだろうが、果たしてヒューズの言葉自体、聞こえているのかどうかすら怪しかった。
「……ヒューズ、お前はそんなくだらない理由で……?」
ユーノが呆然と呟く。それはヒューズに問いかけている様でもあったが、ただの独り言の様にも聞こえた。ユーノの理解を超えるヒューズの応えに、脳の処理能力が追いついていないのかもしれい。
「くだらなくなどありません!騎士としての自らの存亡を懸けた大問題だ!それなのに貴方は、王になる意思はないと、セイラン様がなればよいなどと仰り、挙句の果てに、こんなどこの誰とも分からない者の騎士になるなどと言う始末……。あり得ない。あり得ませんよ!」
ヒューズは忌々しそうにそう言うと、再びルーイに目を向ける。今度は瞳だけでなく、その全身からルーイが殺したいほど憎くてならないと語っており、その憎悪の意思だけで、本当にルーイを殺してしまえそうだった。それほど、ヒューズの騎士への思いは深く、純粋であるということなのだ。
「私としても、この国を巻き込むことには少々抵抗があります。しかし、誰にもその気がないのであれば私がやるしかないでしょう?私しかゲイルシュタイン王国を、騎士を守れる者がいないのですから。だから、計画を練ったのですよ。貴方達兄弟がお互いに疑い合うように。そうすることで、国内部の邪魔な人間も同時に炙り出す事ができますからね。私の計画は完璧だった。最小限の被害で、最大限の効果を得られるはずだった。……貴方たちさえ現れなければ!」
そう言って、ヒューズはロブとルーイを睨みつける。話が進むに連れてヒューズの口調はどんどん荒くなっていき、その表情もいつものポーカーフェイスから狂気に歪み始めていた。
「本来ならばこの国を内紛の舞台にする予定ではなかった。少しずつセイラン様を追い詰め、しかるべき場所で、その座から降りてもらう予定だった。しかし、邪魔者達によって計画は大いに崩され、今この場で、セイラン様を討ち取らなければならなくなってしまった。まぁ、でもよく考えると、これも必要なことだったのかもしれませんね。やはり第一王子であるセイラン様が生きていては今後再び邪魔にならないとは言い切れませんし、この国はもともと反聖王国派と裏で繋がっているとの黒い噂が多い国でしたから、ここで全て一緒に消してしまうのはむしろ最良の選択と言えるかもしれない。幸運なことに、ここには障害でしかない者も揃っていることですし、一気に綺麗さっぱり大掃除……といきましょうか。それがマルグリットの御意思のようだ。」
ヒューズがにやりと笑う。まるで知らない誰かを見ているようだとユーノは思った。こんな顔で笑うヒューズは知らない。
ヒューズの話をユーノの背中越しに聞いていたルーイは、正直言って心中複雑だった。なぜなら、このヒューズという男があまりにも真っ直ぐだったから。騎士としての誇りと異常なまでのユーノへの傾倒ぶりはヒューズのことをまったく知らないルーイにも手に取るように分かった。そして今、こうして心根を語るヒューズの心には微塵の迷いも感じられない。本当に心の底からこの選択は正しいものであり、他の人々の幸せのために必要なことだと信じている。私利私欲など一切の欠片さえなく、ただ純粋にゲイルシュタインと騎士の未来を思っての行動なのだ。こんなにも純粋で、一途な人間をルーイは彼以外に知らなかった。確かに彼の行動は度が過ぎているし、明らかに周りが見えなくなっていると思うが、どうしても悪い人間だとは思えないのだ。
(こんなのってないよ。ヒューズのやってることは間違ってるし、許されないことだって思う。だけど……今ここに、本当に悪い奴なんていないじゃん。俺には、心の底から憎める奴なんていないよ。一体どうしろっていうんだよ。どうするのが正しい答えになる?……部外者の俺だってこんな気持ちなのに、両方にはさまれたユーノは……。ユーノは今、一体どんな気持ちはなんだろう?)
そっと見遣ったユーノはいつのまにかヒューズに向けた装飾剣をおろし、俯いたまま立ち尽くしていた。その背中がまるで泣いているようで、ルーイは今すぐ駆け寄って力になりたいと思う気持ちと、掛ける言葉さえみつからないのに一体どうするのかという、相反する気持ちを抱え、ただユーノを見つめつることしかできなかった。
「言いたいことはそれだけか……?」
不意に、ユーノが口を開いた。その声は無理に感情を押し殺しているようで、変に低く、小刻みに震える聞き取りにくい声だったが、どこか芯の強さを感じさせる不思議な声音をしていた。
「そうですね……。粗方は。今後の展望については、この戦いで我が軍が勝利を収めてからゆっくりいたしましょうか。」
ヒューズはそう言うと、持っていた剣を握り直し、ユーノへと向ける。
「どうやら貴方はどんなに私が訴えても理解してくれそうにありませんので、今は少し眠っていていただきましょうか。次に目覚めた時、貴方はゲイルシュタインの次期王となっているでしょう。」
「……次に目覚めた時か……。」
ユーノが何かに思いを馳せるように呟く。
願わくば、次に目覚めた時は、今までと変わらない日常が戻っていますように。
ユーノはあり得ない望みを胸に描いた後、静かに口を開いた。
「お前が信じ、誇りに思う騎士として、自分の信念のため……私はお前と戦おう。」
何かを決心するように一度目を瞑った後、真っ直ぐにヒューズを見つめて言ったその言葉には、一切の迷いも憂いもなく、ユーノらしい清廉な強さが込められていた。
「……なぜでしょうか?不思議なことに私の胸は今、少し高鳴っています。騎士として、貴方と真剣に戦えることに喜びを感じているのかも知れません。」
ヒューズがそう言って口元を綻ばせた。それはルーイが今まで見たヒューズの表情の中で一番幼く、こんな顔もできるのかと、妙に切ない気持ちになった。
「そうだな……。その点で言えば、私も同じかもしれない。」
ユーノが困ったように笑う。
二人の間を流れる独特の空気感は、確かに心が通じ合う者同士にしか出せないもので、それがまた、一層ルーイの心を締め付けた。
二人の間に一瞬の沈黙が訪れる。
ルーイが一度瞬きをし、その瞳を開いた時には既に両者の剣がぶつかり合っていた。互いに、間合いを詰め、離れてを繰り返し、その度に剣による打ち合いを続ける。剣がぶつかり合う度に発生する衝撃波のようなものはその度毎に強くなり、どこへ向かうともなく発せられる衝撃波は少しでも掠ったら身体が真っ二つに裂けるほどの威力を持っていた。
気持ちのすれ違いから発生した悲しすぎる戦いは、どんどん激しさを増していく。ルーイはロブに覆いかぶさり、何とか当たらないよう縮こまるので精一杯だった。そして、それが今、ルーイにできる最善の方策でもあった。何しろ騎士同士の戦いだ。一般人が手を出せるものではない。なるべくユーノの邪魔にならないようにすることが唯一、ルーイがユーノのためにできることだった。
それから数分間、互角の打ち合いが続いたが、だんだんとユーノがヒューズに押され始めた。どうやら『審判』での傷が影響しているらしい。時折ユーノが胸を押さえながら苦しそうに眉根を寄せる。更に、ユーノが使用している武器はルーイから受け取った装飾剣であり、殺傷能力はほとんどなく、その上普通の剣とはリーチが違いすぎるため、余計にユーノには負担となっていたのだ。
「どうやら勝負あったようですね。その身体とその剣では、これ以上持たない。違いますか?」
ヒューズが一撃一撃に更に力を乗せながら言う。ユーノはそれを何とか受けきるので精一杯だ。足がもたつき、動きはどんどん鈍くなっていく。
(このままじゃダメだ。ユーノが負けちゃう……!何か、何か方法はないのか?せめて武器だけでもちゃんとしたものに……)
その時、ルーイにふとある一つの考えが浮かんだ。ユーノが持つ装飾剣は刃がついていなが、ユーフォニア鉱石で作られているため強度はかなりのもので、鈍器としてある程度役に立つという理由から、子供の頃からずっと、護身用にと持たされていた物だ。確か柄の部分についている宝石は輝石だったはずだ。ということは、何かしらの力があってもおかしくはない。有事の際は鞘を抜き放つように言われている。今まで引きこもり生活を続けていたため、一応持ってはいたが有事なんてことがあるわけもなく、実際に使ったことは一度もない。効果の程は不明だが、もしこれが本当に護身用として役に立つと言うのなら、有事とは間違いなく今だ。藁にでも縋りたいこの状況では、少なくとも今よりも悪化するということはないだろう。
「ユーノ!鞘を抜け!」
ルーイは躊躇いなく叫んだ。
その声に反応したユーノが、討ちあいの一瞬の隙をついてすばやく鞘を抜く。その瞬間、辺りが光の渦に包まれる。目を開けていることも辛いほどの眩い光に、ヒューズも思わず動きを止める。その光は相反する青と橙が混ざり合う直前のような不思議な色で、ユーノを中心に渦巻くように数秒光った後、ある一点へと収縮し始める。位置的にユーノがもつ騎石のピアスだろう。そして、収縮した光が一気に外に解き放たれるようにもう一度光ると、今までの光が幻でもあったかのように消滅した。
次の瞬間、恐る恐る目を開けたルーイの目に飛び込んできたのは、見慣れないマントを身に着け、光でできたような不思議な剣を携えたユーノだった。
(えぇ!?何あの剣!?もしかしてよく物語に出てくる勇者専用のスペシャルウェポン『光の剣』ってやつ!?すげぇ……!あの装飾剣の真の姿は光の剣だったのか。もっと早く気付いてればよかった……!)
ルーイは目を輝かせた。友達は本だけというルーイにとって、勇者や正義の味方のマストアイテムである『光の剣』が現実に再現されていたのだから無理もない。ルーイが言うところの『光の剣』は装飾剣を基礎にして作られていた。短剣から橙色の光の刃が伸び、一般的に使われる剣とほぼ同程度の長さとなっている。
(うんうん。いいよいいよ。めちゃくちゃいいよ!ユーノが持ってるってのがまた様になってる。俺も欲しいなぁ。……俺が持ったらカッコ悪いかもだけど。にしても……あの変なマントは何なんだ?浮いてるんだけど。剣にもユーノにもまったく不釣合いだし。そもそも必要性が一つも感じられないんだけど。)
ルーイが怪訝な顔でマントを見つめる。マントと言っても、アーサーが身に着けているような王族や高位の騎士が着用する肩留やカフス等の装飾が施された格好の良いものではなく、本当にその辺にあった布を持って来てただ肩に巻いてみましたという程度のお粗末な物だった。生地的もどう見ても薄くて安っぽい。これでは権威の誇示にも防寒にも役に立たない。それ以前に戦場には邪魔以外の何物でもないのではないだろうか。
「これは一体……。剣にマント?……なぜだろう?何だか暖かい……。力が……溢れ出るようだ。」
ユーノが自分の姿を眺めながら、驚いたように呟く。と、突然背後に殺気が迫る。ユーノが振り返ったときには、既にヒューズが眼前に迫っていた。死角からのスピードに乗った攻撃に、自分の身に起こった変化に気をとられていたユーノは反応が遅れる。何とか体を反らすが、その切っ先が脇腹に掠る。と思った時、何かがその攻撃を弾いた。そのまま二人は互いに後方へ飛び退く。
一瞬の出来事に、ルーイには何が起こったのかよく分からなかったが、あの変てこなマントが攻撃を弾いたように見えた。どう考えてもそんなはずはないのだが、ユーノも不思議そうにマントを見つめているので、おそらく間違いないだろう。
「なるほど。そのマント、どうやら不思議な素材でできているようですね。まるで金属でも切ろうとしたような手応えでしたよ。ふふふ……これで貴方は防具と武器の両方を手に入れたということになりますね。やはり騎士ならば正々堂々と勝負しろ。ということですか。」
ヒューズは納得したように呟くと、
「では、ユーノ様。仕切りなおしといきましょうか。正直これ以上時間を掛けている暇はない。町の連中に逃げられては困りますからね。次の一撃で決めましょう。」
と、再びユーノに向けて剣を構える。
ユーノは無言でヒューズに向き直ると、こちらも光の剣を構え、真っ直ぐにヒューズに対峙した。
二人のピアスが光り、全身が暖炉の炎のような暖かい橙色に包まれる。それに呼応するようにユーノの持つ光の剣も輝きを増す。
二人は、互いに目を離すことはなく見つめ合う。言葉などなくても、今この瞬間も何かを語り合っているのだろうか。それとも、ただ単に攻撃を仕掛けるタイミングを計っているだけなのだろうか。
息をするのも忘れて二人の様子を見つめていたルーイの額に、不意に一粒の雨粒が当たった。急に雲が出始めたと思っていたが、ついに雨まで降り出したようだ。
ルーイが空を仰いだその時、まるで示し合わせていたかのように二人が同時に飛び出した。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「ヒューズ!!」
持てる全ての力を剣に乗せ、二人がぶつかり合う。
《ザシュッ》
何かが切れるような音が響き、二人が纏っていた橙色の光が弾けた。
次の瞬間、
「……ユーノ様、やっぱり貴方は騎士の中の騎士だ。それでこそ、私が理想としだ未来の騎士王です。」
ヒューズはそう言うと静かに倒れた。
倒れるヒューズを抱きとめたユーノは、
「……ヒューズ。私は……そんな言葉が欲しいのではないよ。お前はもっと的確に私の欲しい言葉をくれるはずだろう?次は……もっと違う言葉をくれ。約束だ。」
困ったような笑顔でヒューズを見つめるユーノの瞳は、愛しさと切なさを包含した、まるで雨に濡れるスミレのような色を湛えており、そのまま今にも零れ落ちてしまいそうだった。
「ユーノ!お前、大丈夫なのか!?」
戦いを終え、戻ってきたユーノに、ルーイが慌てて尋ねた。
「ああ、私は大丈夫だ。」
「そっか。よかった。あの……それで……」
ヒューズは?と訊こうとして、最後までで言えなかったルーイだったが、その気持ちを正確に汲み取ったユーノは、
「ヒューズなら大丈夫。眠っているだけだ。近くにあった建物に寝かしてある。この剣のおかげだな。不思議なことに、私が切りたいと思わない限り、どんなに力を込めても切れないようだ。ありがとう。私は、君のおかげで大切な人を傷つけずに済んだ。」
そう言って、ユーノは微笑みながら装飾剣をルーイに返した。しかし、その笑顔は寂しそうで、
(ユーノ……。例えヒューズを傷つけていなかったとしても、あんなふうにヒューズに剣を向けたくなんてなかったんだろうな。いっつも無表情なくせに、こんな時だけ無理に笑ってみせて。バレバレだっての。悲しいなら悲しいって言っていいのに。)
ルーイはユーノの作り笑顔を無言で見つめた。本当は泣いてもいいぞと言いたかったが、さすがにそこまで踏み込んだことを言うのも憚られ、結局言えないまま、無言で訴えるという行動に出たのだった。
「それより、ルーイ、ロブはどうだ?大丈夫なのか?それに兄上も……」
ユーノは作り笑顔を消して、険しい顔になるとルーイの腕の中でぐったりとしているロブの様子を伺った。
「それが……。急所は外れてるみたいなんだけど、傷が深くて……。一応止血はしてあるけど、血が……止まらないんだ。早くちゃんと手当てしないと……」
ルーイはロブの状態をユーノに説明する。はっきり言って、今の状態だと相当危なかった。今は騎石の力でかろうじて持っていると言っても過言ではない状況だった。
ユーノもそれを悟ったのか、唇を噛み締めると、
「分かった。とにかく、早くきちんと手当てできる場所へ運ぼう。」
と言ったが、本当は今のこの状況できちんと手当てが出来る場所など存在していないことは分かりきっていた。しかし、それを口にすることはできず、例え嘘でも助かると、そう言わなければ心が折れてしまいそうだったのだ。
「手当てできる場所などどこにあるというのだ?」
不意に背後から、認めたくない現実を突きつける冷酷な声が響いた。
「兄上……!お怪我は?身体は大丈夫なのですか!?」
慌てて振り返ったユーノが驚いたように尋ねる。その声の主は、セイランだったのだ。セイラン自身も『審判』とヒューズの攻撃のせいで相当な深手を負っており、先程までは剣でやっと身体を支えているというような状態だったのだが、どういう訳か今はしっかりとした足取りで、ヒューズから受けた頭の傷も回復しているようだった。
「当然だ。『審判』のせいで外傷の回復まで時間がかかってしまったが、通常に動くくらいなら回復している。お前の方はどうなのだ?『審判』の回復には相当時間がかかる。あの状態で戦うなど、自殺行為以外の何物でもないと思うが。」
セイランが訝しげな表情で尋ねた。口調はきついが、兄として弟のことを心から心配しているのだろう。瞳だけは心配そうにユーノを見つめている。
(こいつらって、見た目とか全然似てないけど、実は似たもの同士なのかも。さすが兄弟ってやつか。二人して表情筋は動かさないで瞳だけで語ってるんだもんな。)
ルーイはそんな二人の様子を見て、妙に納得した。
「私は大丈夫です。よく分かりませんが、あの剣の鞘を抜いた後から、身体がすごく軽いのです。『審判』による傷も既に癒えています。……そうか!ルーイ、もう一度その装飾剣を貸してくれないか?もしかしたらその剣には傷を癒す力があるのかもしれない。」
「え?そうなの?それなら、全然いいから使って。」
「ありがとう。」
ユーノが手渡された装飾剣の鞘を抜き、ロブの身体の上に掲げる。しかし、装飾剣はうんともすんとも言わず、あの時のような眩い光は発生しない。
「くそっ!ダメか……」
ユーノが悔しそうに地面を叩く。いつもの落ち着き払った様子とは違う慌て様に、残された時間が少ないことが伺える。先程と比べても、ロブの顔色は明らかに悪くなっており、止血したはずの布から止めどなく血が滲んできていた。
「……ユーノ様。」
今まで意識を失っていたロブが不意にゆっくりと口を開いた。
「ロブ!!お前、意識が戻ったのか!?傷は?傷はどうなのだ!?」
「あはは……ユーノ様が、そんなふうに取り乱しているところ、俺初めて見ますよ。ちょっと得、したかな。」
「ロブ!こんな時に何をくだらないことを。そんなことよりも傷は……」
「ユーノ様、俺のことは…もういいので、早く行って…この戦いを…止めてください。このままじゃ本当に…手遅れになります。」
ロブは荒い息遣いで、何とか途切れ途切れに言葉を紡ぎだしているといった感じだ。
「俺のことはいいとは……どういう意味だ?よいわけがなかろう!そんなことが許される訳が!」
ロブの様子を見れば、もう助からないということは火を見るよりも明らかだった。ロブは最後の力を振り絞り、ユーノ達に話しかけているのだ。
「ユーノ様、最後の最後に…貴方の役に立てて…俺、嬉しいんです。あんなに貴方を…憎んでいたはずなのに……。自分でも…不思議です。こんなに満たされた気持ちになるなんて。やっぱり俺は…貴方のこと…大好きだったみたい…です。」
ロブはそう言うと弱々しく笑った。
「ロブ……!そんなこと……そんなこと言わないでくれ。私のことは憎んでくれてかまわない!約束しただろう?騎士として戦場で会おうと。その時こそ、この気持ちの決着を付けようと。それまで、それまで私達は……生きなければならないんだ!騎士が約束を違えるなど、許されない大罪だ!」
ユーノはロブの手を力強く握ると、懇願するような瞳で言う。
「そう…でしたね。すみません。俺はやっぱり…最後までダメな騎士だった…みたい…です。でも、今こうしてみて…初めて分かったんです。兄は…戦場で貴方に討たれたけど…そのことを…後悔したりはしていなかったって。……どうかな?兄が本当は…どいう気持ちだったかなんて…俺にはやっぱり…分からないことだけど…少なくとも俺は、後悔してません。騎士として…戦場で散れたことが…誇らしい…。だから、ユーノ様…最後に言わせてください。独りよがりな感情で…貴方に刃を向けたこと…すみません…でした。俺は、貴方と兄…両方の気持ちを…汚してしまったから。」
「そんなことはよいのだ!そんなことは……!だが、お前がもし本当に私に悪いと思っているのなら、生きて……生きてきちんと約束を果たせ!!」
「あはは……。相変わらず…厳しいなぁ、ユーノ…様は。最後くらい、よくやったって褒めて…欲し……」
そこまで言うと、ロブは力尽きたように目を閉じ、動かなくなった。
「ロブ!まさか……!目を開けろ!!開けてくれ……!」
ユーノはロブの肩を掴むと、力いっぱい揺らす。
「止めろ、ユーノ!」
セイランがユーノの腕を掴んで制止する。
「そんなに揺らしては余計に傷に響くのが分からないのか?心配せずとも、まだ死んではいない。失血により気を失っただけだ。まぁ、それも時間の問題ではあるがな。」
セイランはロブからユーノを離すと、冷静に状況を判断した。そして、一度何かを思案するような表情をした後、
「ユーノ、こいつはお前の騎士団の一人で間違いないか?依然見かけた時はまだ見習いだったように思うが。」
突然的外れなことをユーノに尋ねた。
「……ええ、そうです。彼は私の隊の一員です。騎士の宣誓も済ませています。ですがそれが一体何だと……?」
「そうか、それなら私が何とかできるかもしれない。」
セイランは真剣な表情でそう言うと、意識を失い、ピクリとも動かなくなったロブの傷の具合を詳細に調べ始める。
「……!兄上、それは本当ですか!?」
「ああ、こいつは私を庇って倒れたのだからな。私としてもこのまま死なれては堪らない。」
そう言うと、徐に左耳にしていたピアスをはずすと、ロブが付けている右耳のピアスを抜いて、代わりにそれをはめた。通常、輝石は右耳に付けるのだが、騎士で左耳にもピアスをしているということは既に主を持つものの証だ。つまり、セイランは主従の関係を結んだ者からもらった方のピアスをロブにつけたということになる。ゲイルシュタイン王国の第一王子である彼が主従の関係を結ぶ相手とは、もちろんゲイルシュタイン王国そのものになる。国との誓約は王になってからするのが一般的だが、セイランは騎士になったその時から、ゲイルシュタイン王国と誓約を交わしていたのだ。
「誓約の下に請う。汝を守りし騎士に聖なる祝福を。」
セイランがそう唱えると同時に、セイランとロブが身に着けているピアスが橙色の光を発する。その光は暖かくロブの全身を包みこみ、暫く経つとすっと消えていった。
「……どうやらうまくいったようだな。私も初めて使うのであまり自信はなかったが。どうにかなったようだ。」
セイランはロブの様子を確認すると、ふうっと大きく息を吐き出した。
「ほ、本当ですか!兄上!!」
ユーノは信じられないと顔に書きながら叫ぶと、慌ててロブの様子を確認する。ロブの顔には赤みが戻っており、止めどなく滲んでいた血も今は嘘のように止まっていた。
「本当だ!ロブ……!よかった。本当に……よかった……!」
ユーノはロブの手を握り締め、自分の額に当てると、神様に感謝するようなポーズで呟いた。その顔は手に隠れてしまってよく見えなかったが、一瞬、目元に一粒の光が見えた。
(よかった……!何だか分かんないけど、ロブは本当に助かったんだ!)
ルーイもユーノの様子を見て、安心したように微笑んだ。
振り出した雨は時間が経過するごとにその強さを増していく。数時間前までカラフルな色の建物や小さな出店が立ち並び、陽気な顔をした沢山の人々の活気ある声が飛び交っていたマルムークの広場は、倒壊した建物が道を覆い、険しい顔で戦う騎士たちの剣のぶつかり合う音や絶叫が響き渡る地獄へと変化していた。冷たい雨は騎士たちの体力を奪い、視界を狭め、更にその状況を悪化させていた。
少し高くなっている高台までやって来たルーイとユーノは、そこから見える光景に絶句した。ここまで来る間に見た騎士達の戦いも目を覆いたくなるほど恐ろしいものだったが、遠くから見ると、戦いが繰り広げられている広場以外でも、大小様々のいざこざが起きているようで、町のあちらこちで火災も発生しており、逃げ惑う町の人々の悲痛の叫びや、町の人同士で争う怒号など、想定される最悪の事態がマルムークの町全体に起こっていた。
「……なんという惨劇だろう。こんな恐ろしいことになるなんて……。とにかく、皆に状況を説明して、今すぐ戦いを止めさせよう。」
ユーノは耐え切れないと言わんばかりに目を伏せた。
ロブを助けた後、ユーノとセイランは近くにいた騎士達に戦いを止めるように言ったのだが、戦いに集中していた騎士達には二人の言葉はまったく届かなかった。どうしたものかと思案した結果、騎士達全員から見えるこの高台で、終戦の狼煙をあげ、全てが誤解であり、戦う必要などどこにもないことを告げて、戦いを止めさせるということになったのだ。本当はセイランも一緒に来るつもりだったのだが、ロブを助ける際に大量のロウを消費してしまったらしく、ここまで来るほどの体力が残っていなかった。そのため、セイランにはロブとヒューズを守ってもらうように頼み、その場に残ってもらうことにしたのだ。
(うぅぅぅ……何で俺、こんなとこまで来てんだよ?やっぱりロブ達と一緒に居ればよかった。いや、もう伝えることは伝えたわけだし、どこか別の場所に逃げればよかった……)
ルーイは自分の選択ミスを大いに後悔した。ユーノについて行く気など更々なかったのだが、去ろうとしたルーイをユーノが引き留めたのだ。当然、この状況でユーノがルーイを一人にするわけもなく、自分について来るか、ここに残るか、どちらかを選べと言われてしまった。究極の選択を迫られたルーイは、あの場所でセイラン、ヒューズ、ロブの三人と残されてしまうのは微妙すぎるということで、渋々ついて行くことにしたのだ。確かに、気を失っているとはいえ、ルーイを殺したいほど憎んでいるヒューズと、今日初めて出会ったばかりのゲイルシュタイン王国第一王子のセイランに囲まれては、生きた心地などするわけがないだろう。しかし、結局はどちらも地獄であることに代わりはなかったのだから、あの場に残り隙を見てとんずらした方が正しい選択だったように思えてならなかったのだ。
(それにしても……本当に酷いな。騎士同士の戦いって、戦場って、こんなにも恐ろしいものなんだ。……町全体が泣いてる。)
ルーイが改めて戦いの恐ろしさを実感し、身震いした時、横から一本の煙が上がった。ユーノがセイランから受け取った狼煙を上げたのだ。これで皆が戦いの手を止めると一安心した二人だったが、いくら待ってもそのような気配はない。それどころか、聞こえてくる金属音や爆発音、怒号などはより大きくなり、町中のあちらこちらから聞こえるそれらが一つとなって、まるで亡者達の断末魔の叫びのように聞こえる。この音を聞いただけで、心が苛まれ、思考がマイナスの方向へ引き吊り込まれてしまいそうだ。
「何故だ?何故誰も戦いの手を止めようとしない。この休戦の狼煙が見えないわけがなかろう。」
ユーノは焦燥感を隠さずに言うと、
「ゲイルシュタインの騎士達に告げる。全員この狼煙を見ろ!私はゲイルシュタイン王国第二王子、ユーノ=ゲイルシュタインだ。戦いは終わりだ!剣を引け!」
と、一際よく通る声で叫んだ。しかし、ユーノがいくら大きな声で叫んでも、その声は騎士達にまったく届かない。それでもユーノは諦めず、声が掠れるまで叫び続けた。
「何故だ……?どうして誰も気付かない!この場所なら、町のどこからでも狼煙を確認することができるはずだ。私の声だって、皆の声が私に聞こえているのだから、聞こえていないわけがないのに!」
ユーノが悔しそうに拳を握り締める。
(ユーノ……。そうは言っても、この状況じゃ無理だよ。戦いに集中してたら、いくら目立つ狼煙だって気付かないよ。最初から気にするように言われてたならまだしもさ。それに声だって、ユーノには皆の声が聞こえてたとしても、他の人も聞こえてるとは限らないよ。というかむしろ、こんな状況じゃ……どんな音も届かない。)
声が掠れてもなお、叫び続けるユーノを見つめながらルーイは内心、もう駄目だと思っていた。騎士達が狼煙に気付き、ユーノの声に耳を傾けることはほぼ絶望的と言ってもよい。何しろこの空間には音という音が溢れている。しかもそれはただの音ではなく、人々の心を闇に落とすような負の音だ。嬉しいこと、楽しいことに心躍らせるような正の音よりも、負の音の方が人の耳に届きやすいのだ。しかも負の音は、耳から直接脳を冒す。きっと騎士達の心は今、「相手を倒す」ということしか考えていないだろう。何しろ、そうしなければ自分が死んでしまうのだから。この極限状態の中では、とてもこの閉塞された思考から抜け出すことはできないだろう。ユーノの言葉など、入る余地はないのだ。更に、このような場合、往々にして周りなど見えなくなっているため、狼煙に気付くことも難しいのだ。
「くそっ!!このままでは……このままでは町が本当に壊されてしまう。騎士である我々の無意味な内紛に巻き込んでだ。そんなこと、弱き者を守る騎士として、絶対にあってはならないことだ……!それなのに、私達は……。お願いだ。もうこれ以上……この町を巻き込まないでくれ。戦いを……剣を収めてくれ……!頼むから……!!」
ユーノが悲痛の表情でその場にくずおれる。悔しい気持ちをぶつけるように、拳を何度も何度も地面に強く叩きつけたため、ユーノの手からは血が滲み出ていた。
「これ以上やったら、お前の手がどうにかなっちゃうよ。お前が自分を傷つけたって、状況は変わらない。」
ルーイは、そんなユーノの様子を見るに耐えず、思わずその腕に縋り付いていた。ルーイの言った言葉はユーノにとって何の意味も持たないだろう。しかし、他に掛ける言葉も見つからず、まして嘘でもよいから、「諦めないで、呼びかけ続けよう」とはどうしても言えなかったのだ。それがルーイにとってのユーノへの誠意だった。ユーノがどれほど騎士に誇りを持っているかは、今までの行動をみれば痛いほど分かる。その騎士が、守らなければならない対象を、自らの手で壊そうとしているのだ。ユーノにとって、これ程受け入れ難く、悲痛な事実はないだろう。
ルーイの脳裏に、弱き者を守るのは騎士として当然の行為だと言って、自分を救ってくれた時のユーノの顔が浮かぶ。その顔は自信に満ち溢れており、アメジスト色の瞳は優しく、慈愛に満ちていた。それ思うだけで、ルーイの胸は締め付けられるように痛んだ。
(俺だって、この町を壊させたくなんてない。でもこんな状況じゃ……打つ手がないよ。何もできない。もう、どうしようもないんだ。)
ルーイは自分の心に言い聞かせるように何度も無理だと繰り返した。町の崩壊は間逃れないかもしれないが、ここは大人しくどちらかの軍が勝つまで待つしかない。
「そうか……、私が傷つけばよいのか。」
ルーイの言葉を受け、ユーノがハッと気が付いたように呟いた。
「は?何言ってるんだよ。俺はお前が傷ついても何も変わらないって言ったんだよ。」
「いや、変わる。私が投降すれば兄上の軍の勝利が決まり、戦いは終わる。」
ユーノは未だ戦い続ける騎士達を見つめながら静かに言った。
「お前……それって……!?まさか、本気で言ってるんじゃないだろうな?そんなことしたら、自分が首謀者だって、認めるのと同じじゃないか。セイランさんはお前の無実を分かってくれてるって言っても、お前を悪者にしたいと思っている奴が他にいるかもしれない。そしたら、最悪、お前の命だってどうなるか分からないんだぞ!」
ルーイはユーノの考えを一生懸命否定したが、当のユーノは黙ったまま何も応えようとしない。ただ、その瞳には強い決意が宿っており、誰が何を言おうともユーノの意思を変えることはできないということだけは分かった。
「ユーノ……。」
「君はここにいろ。今一人で動くのは危険だ。ここにいれば終戦後、誰かが保護してくれるだろう。」
ユーノはルーイの顔を一度も見ずにそう言うと、立ち上がった。
「……何だよそれ。お前、俺の騎士になるんじゃなかったのかよ。あの時、死ぬまで一緒とかぬかしてなかったっけ?それなのに……それなのにお前は、騎士の誓いを破るつもりなのか!」
ルーイはユーノの背中に向かって叫んだ。本当はこんなことを言う資格など、自分にはないのかもしれないと思ったが、どうしても言わずにはいられなかった。きっと、わざわざ言われなくとも、ユーノは分かっているはずだ。誰よりも誇り高い騎士なのだから。悩みに悩んで、他に何か良い方法がないかと模索して、それでも、こうするしかないのだと、苦渋の末の決断だろう。
(お願いだ、ユーノ。振り向いてくれ……!行かないでくれ……!)
ルーイの言葉に、戦場へと歩みだしていたユーノが足を止める。暫く何かを考えるように立ち止まった後、ユーノがゆっくりと振り返った。
「……すまない。戻ってくる……とは言えない。だが、君への誓いに嘘はない。この心はずっと、お前と供に……。」
ユーノはそう言うと、そっと笑った。
ルーイはその顔から目を逸らすことができず、地面に膝を付いたまま、ただ呆然と眺める。
(何それ?ちょっと酷すぎるんじゃないの?そんな台詞、ずるすぎるだろ?それじゃあ俺、一生お前のこと忘れられないじゃん。……そんな泣きそうな顔で笑ってんじゃねぇよ!)
ユーノが再び歩き出し、ルーイの瞳に映し出されるユーノの背中が小さくなっていく。
(騎士ってこんなにも馬鹿なもんだったのか。違うか?ユーノが馬鹿なのか。一人で悩んで、どうにもならないって分かってても、自分の信じる道を進むことしかできない。全然融通きかなくて、騎士道とか言って、ただ我侭な、独り善がりなだけじゃん。お前なんて、その大層お偉い騎士道とやらを掲げて、自爆でも何でもすればいいんだ……!)
ルーイは拳を握り締めて、思いをぶつけるように地面に叩きつけた。
「って、そう思うのに……。ほっとけない。どうにかしたい……よ。」
許せないのはユーノの行動ではなく、何の役にも立たない自分という存在だ。
《そう強く思うなら、奏でよ。》
突然、ルーイの頭に声が響いた。直接脳に響くようなこの声には聞き覚えがあった。ずっと前に、ほんの二度くらいしか聞いたことがなかったが、それでも、忘れることができなかった声。もう二度と聞くことはないと、聞きたくないと思っていた声だ。
ルーイの瞳に、呪いのように自分の手にはめられた二つの指輪が映る。
「……レンブラントマキアス?」
ルーイは頭に浮かんだ言葉を呟いた。あの不思議なコバルトブルー色の透明なヴァイオリンの名前だ。理由などなかったが、声の主があのヴァイオリンであるという確証がルーイにはあった。
「奏でろって……まさか、俺にヴァイオリンを弾けって意味じゃないよな?……何?それでここにいる全員呪っちまえってこと?」
ルーイの脳裏にコリンとステラの顔が浮かぶ。
《お前がそう望むなら、そうなるだけだ。》
「俺が望むなら?九年前も俺が望んだからああなったって言うのか?……俺はそんなこと、これっぽっちも望んでなかったよ!それでも、コリンは、ステラは不幸になった!俺のヴァイオリンは望むと望まないとに関わらず、人を不幸にするんだよ!そんなもん持ち出して、今何の役に立つって言うんだ!!」
《お前の音楽は世界を調律する。人も自然も、世界の全てを。気持ちを乗せて、奏でよ。》
「意味分かんないよ!答えになってない!」
《では、このまま何もせず、ただ見ていればいい。お前の得意分野だ。》
ふざけるなと言おうとして、顔を上げたルーイの瞳に、再びユーノの姿が映る。その背中はあまりに小さくて、自分を守ってくれたあの大きな背中とはまるで別人のようだった。
ルーイの心のバイブル『孤高なる英雄王ギャラティン』にこんな一節があった。「騎士の戦いはいつだって一人だ。それがどんなに辛い戦いでも、絶対に弱音を吐いたり、涙を見せたりはしない。なぜなら、そうすることが彼の義務であり、願望だから。だがもし、その背中を見て、少しでも寂しいとか、頼りないと貴方が感じるのであれば、それは彼が迷っている証拠に他ならない。しかし、だからと言って、彼を救う方法があるかというと、それはどこにもないのだ。」
「……救う方法がないなんて、そんなの酷すぎる。……俺はそんなのは嫌だ。だって、あいつは一人じゃないじゃん。心は俺と一緒なんだろう?だったら俺は、あいつの心を守らなきゃ。」
ルーイはユーノの背中を見つめながら呟いた。
「……なぁ、レンブラントマキアス。弾いたらどうなる?やっぱりまた、誰かが不幸になるかな?でも、それでも俺……このまま見てるなんてしたくない。何かできるならやってみたい。ははっ……笑えるよな、こんなこと本気で思ってるなんて。自分でも信じらんないよ。」
ルーイは再び指輪に視線を送ると、
「誰かを不幸にするなら照準は俺だ。この約束だけは守ってくれ。」
そう言うとすっと立ち上がった。
(何が起きるかなんて分からない。また誰かが不幸になるかもしれないし、弾いたって何の意味もないかもしれない。でも、今できることがこれしかないなら、やらないわけにはいかない!……コリン、ごめん。)
「レンブラントマキアス。今はお前の口車に乗ってやる。だから、俺の思いをここにいる人達全員に届けろ!」
《お前がそう願うなら。》
「お前、さっきからそればっかじゃん。」
ルーイは小さく溜息を付いた後、祈るように両手を重ね、唱えた。
(本当は怖い……。でも……)
「開錠―――」
ルーイの指輪から青白い光が放たれ、コバルトブルー色の透明なヴァイオリンが現れる。ルーイにとって、もう二度と見ることはないと思っていたはずのヴァイオリンだ。
《さぁ、お前の願いは何だ?》
「この不毛な戦いの終結を。」
ルーイはそう言うと、ヴァイオリンを奏で始める。一切の穢れを洗い流す澄み切った水のような音が溢れ出すのと同時に、淡く光る小さな光の欠片が大地に降り注ぐ。止めどなく湧き出る音は全ての雑音を掻き消し、恵みの水が乾ききった大地に浸透するように、殺伐とした戦場に、マルムークの町中に広がっていく。
(戦いはもうお仕舞いだ。争う必要はもうない。皆の心を塞ぐ、澱みきった負の音は全部流れろ。そして、傷ついた心を、身体を癒す恵みの水を。広がれ、俺の音。届け、俺の……ユーノの気持ち!)
ルーイは精一杯の気持ちを込めてヴァイオリンを奏でた。
ユーフォニアの王城。アーサーはちょうど、リフの説明を聞きながら食後のお茶を飲んでいるところだった。
「この音……。どうやらルーイは無事のようだな。しかもこれは……本当に人生を変える出会いを果たしてしまったらしい。」
アーサーは一瞬驚いた後、嬉しそうに笑いながら呟いた。
「ルーイですって!何か分かったんですか!?」
午後の予定についてアーサーに説明していたリフが身を乗り出して尋ねる。
「あれ?リフには聞こえてないのか?じゃあ、こうすれば聞こえるか?」
アーサーはそう言うと、立ち上がって窓を開けた。
「何ですか?聞こえるとは何の話です?ルーイは……!」
意味が分からないと怪訝そうに言ったリフだったが、耳に届いた微かな音に言葉を止める。
「…………これは、まさか……ルーイのヴァイオリンの音…ですか?」
リフが信じられないというような顔で呟く。
「ああ。この音は間違いなくルーイの音だな。どうやら導かれた先は、戦場なんて危ない所だったようだ。実践でいきなり戦場の調律とは、さすが私の息子だな。」
アーサーが可笑しそうに言う。
「アーサー様!笑い事ではありません!ルーイの身に危険が迫っているのでは!?早く助けに行かなければ!」
リフはそう言うのより早く部屋を飛び出そうとしていた。
「待て待て。大丈夫だ。これで戦いは終わる。それよりも、ルーイが何の戦いに首を突っ込んだかの方が問題だ。もし聖戦などの大きな戦いならば、ユーフォニア王国としても対応を考える必要がでてくるからな。」
「聖戦ですって!あんなものに関わったら碌なことになりませんよ!やはり早く助けに……」
リフが鼻息荒く息巻く。
「まったく、ルーイを一番甘やかしているのは私ではなく、リフだったのか……。とにかく、今はここで待とう。ルーイが帰ってきたときに暖かく迎えてやるのが家族の務めだからな。例えどんな大問題を連れてきても……。」
アーサーはいつまでもぎゃあぎゃあ文句を言っているリフを横目に、まるで愛しいものでも見るような顔で、窓の外の空を眺めた。
「この音は何だ?何て美しい音なのだろう。心が、新しく目覚めるみたいだ。……それに、身体の痛みまでとれていく。」
ユーノは足を止めると、その場に溢れる美しい音に身を任せる。音楽は好きで、よく聴く方だが、今までこんなにも心を動かす音を聞いたことがあるだろうか。凝り固まって取れなくなってしまった心の汚れまで綺麗に溶かしていくようだ。一切の動きを止め、その音に聞き入っていたユーノが目を開けると、その瞳に不思議なヴァイオリンを弾くルーイの姿が映った。
「あれは……ルーイ?この音を奏でているのはルーイなのか?……音楽に神がいるとすれば、このような姿をしているのだろうか。」
ユーノは音の波に揺られながら、神のように眩い輝きを放つルーイを見つめた。
ルーイの気持ちを乗せ、音が広がっていく。その音が浸み込んだ部分から、マルムークの町中を渦巻いていた負の元凶が溶かされていく。その場にいる全てのものを優しく包み込み、痛みや悲しみを洗い流す音の奔流だ。
「あれ……この音なんだ?」
極限状態の中、自分と相手しか見えない真っ暗な闇の中で戦っていた騎士達の心に、色が取り戻される。
「分からない。でも……何て優しい音なんだろう。まるでゆりかごの中で揺れているような……そんな気持ちになる。」
「ああ。暖かくて、傷の痛みも溶けていくみたいだ……。」
「ん?おい!あれを見ろ!終戦の狼煙だ!」
「え!?本当だ!間違いない。狼煙だ!ということは、終ったのか……?」
狼煙に気が付いた騎士達が次々に剣を収めていく。
今までまったく気付きもしなかった騎士達が、まるで魔法にでもかけられたように、戦いを止め、狼煙の上がる丘に注目する。
「信じられない……。戦いが止まった?」
ユーノは夢でも見ているのかと、呆然と周りを見渡した。しかし、マルムークの町中で起きていた騎士同士の戦いや町の人同士の争いなど、この町で起こっていた全ての争いがどうやら嘘のように止まってるようだった。
「なぁ、狼煙の所にいるのはユーノ様じゃないのか?」
「そうだ、ユーノ様だ!ということは、ユーノ様が勝ったのか?」
ユーノの姿に気が付いた騎士達が次々に口を開く。騎士達はまだ、この戦いの結末を知らないのだ。その疑問に答えるように、ユーノは一歩前へ出ると、
「両軍の騎士達に告げる!戦いは終結した。この戦いに勝敗はない。私も兄上も、どちらも無事だ。詳しい話は後に正式な場で発表する。今は全員剣を収め、直ぐに負傷者の手当てを!そして兄上の軍、私の軍と関係なく、ゲイルシュタイン王国軍として巻き込んでしまったマルムークの民を、町を救済して欲しい!」
と全軍に向かって叫んだ。
祈るようなユーノの言葉に、一瞬の沈黙の後、、
「ゲイルシュタインの旗の下に!!」
その言葉を聞いた全員が、一斉に剣を捨て、ユーノの言葉に肯定の意で応えた。
「ルーイ!ありがとう!お前のおかげで戦いを終結することができた。この町を壊さずに澄んだのだ!」
ユーノが全身で嬉しさを表現しながらルーイのもとに駆け寄ってきた。
「ユーノ……。よかった。今度は俺の気持ち、ちゃんと届いたんだ。……本当によかった……」
そこまで言うと、ルーイは力尽きたように、ガクッとユーノへと倒れ込んだ。
「ルーイ!?どうした?大丈夫か?しっかりしろ!」
慌てるユーノの声を頭の隅で聞きながら、ルーイはそのまま意識を失った。
「なぁ、コリン。俺は父さんみたいな立派な音楽家になれんのかな?音楽の国、ユーフォニアに相応しい王様にさ。」
穏やかな午後の日差しが降り注ぐ中庭で、幼いルーイは、ヴァイオリンの練習をしているコリンに問いかけた。
「えぇ?急にずいぶん先の話をするんだね。」
コリンが手を止めておどけた調子で言う。
「だってさ、昨日の父さんの演奏、物凄ごく上手くて、自分があんな風に弾けるようになるのか、めちゃめちゃ自信無くなったんだもん。」
ルーイがふて腐れたように地面を蹴る。
「あぁ、アーサー様は歴代の王様の中でも初代に匹敵するくらい上手いって話だからね。」
「はぁぁぁ。やっぱ無理な気がしてきた。だって俺、特に得意な楽器とかないし。歌も普通だし。」
ルーイが大きな溜息を吐く。
「あはは。大丈夫だよ。ルーイならなれるよ。むしろ、アーサー様より、初代よりずっとずっと凄い王様にさ!」
コリンは両手を一杯に広げて、その凄さを表現する。
「何でそんなことが分かるんだよ!根拠は?」
「根拠?そうだなぁ……。うん!ルーイの音には力があるから。これでどう?」
「それってどう意味?」
「そのままの意味だよ。ルーイの音は直接僕の心に響くんだ。アーサー様より強く。」
「それって、ただのコリンの独断と偏見ってことだろ?全然ダメじゃん!」
そう言うと、ルーイは大げさに項垂れた。
「何言ってるのさ。君が僕になれるかなって聞いたんだよ。僕はなれるって思う。それじゃ不満なの?」
コリンはしかめっ面でルーイを睨みつける。
「え?いや……不満じゃないけどさ……。」
「だったら、ほら。笑って!未来のユーフォニア王がそんな顔してたら、音楽の神様がへそを曲げちゃうよ、ね?」
そう言ってコリンがルーイの頬を無理やり引っ張って笑顔を作らせる。
「痛いよ、コリン。……ちょっと!?痛い!ホントに痛いってば!それ以上やったら……」
「ってマジで痛いんですけど!!ほっぺたとれるわ!!」
ルーイがあまりの激痛に思わず起き上がると、
「おや、やっと起きましたか。もう少しで最高記録更新だったのに。もう少し粘って欲しかったですね。」
目の前にリフがいた。どうやら、途中から夢に連動して本当にリフがルーイのほっぺたを抓っていたらしい。ルーイのほっぺたは真っ赤に腫れ上がっていた。
「リフ……。最高記録更新って、俺のこと起こしたいの?それとも寝かせときたいの?どっちなんだよ。」
ルーイはじっとりとリフを睨んだ。せっかく久しぶりによい気持ちで寝ていたというのに、リフのせいで途中から悪夢に変わってしまった。
「それはもちろん、私なんかに起こされずとも、きちんと起きて、人間らしい立派な生活を送って頂きたいに決まってますよ。」
リフはそう言うと、ルーイの手を引いてベッドから起こす。
「アーサー様がお呼びです。今すぐ着替えてください。」
「えぇ!?またなの?俺、この間の一件でまだ疲れが溜まってるからまた今度に……」
「その一件に関することで、今すぐお話があるそうですよ。貴方が色々とこちらにも迷惑を掛けてくれた例の件のね?」
リフが冷たい笑顔でにっこり笑う。
「……すいません。行きます。」
まだ死にたくなかったルーイは素直に従った。
あのマルムークでの戦いから一週間、ルーイはユーフォニアにあるオンボロ塔に戻って来ていた。ユーノと共に戦いを止めた後、意識を失ってしまったルーイを、ゲイルシュタインの騎士がユーフォニアまで連れて来てくれたのだ。どうやら持っていた装飾剣に刻まれていたユーフォニアの紋章から、ルーイの素性が判明したようだ。まさかと思って連絡をとったところ、本当にユーフォニアの王子様だったのだから、ゲイルシュタインとしても驚きだっただろう。もしルーイにもしものことがあれば、マルムークの町を壊しただけでなく、更に大きな国際問題に発展しかねなかったということになるのだ。
ルーイが意識を取り戻した時、大陸中がゲイルシュタイン王国の話で持ち切りだった。しかしそれは、彼らが内紛によって無関係のマルムークを巻き込んだという汚名ではなく、反聖王国派に支配されそうになっていたマルムークを聖戦によって救った。という名声だった。ソーダスで検索した結果、どうやらあの戦いは内紛ではなく、反聖王国派に乗っ取られたマルムークを解放するための聖戦だったということにされているようだ。追い込まれた反聖王国派が国ごと自爆しようとしたのをセイランとユーノの合同軍で救ったのだそうだ。こうして、ゲイルシュタイン王国は更にその国名を大陸中に轟かせることとなり、もちろん、大活躍だったセイランとユーノの名前もであることは言うまでもない。チラッと見た会見の映像では、セイランがさも自分の手柄のように、苦しい戦いの中、マルムークのため、聖王国のために死力を尽くし、辛くも勝利できたのだと熱弁していた。淡白そうな顔をしていたのに、あそこまで熱く語れるとは、その演技力には脱帽だ。その横でさもつまらなそうに仏頂面で座るユーノの顔がルーイには可笑しくてならなかった。あの性格だ。きっと今回の偽の報道に納得がいってはいないのだろう。しかし、もし本当のことを言ってしまった場合、ゲイルシュタイン王国だけでなく、ひいてはその主国である聖王国まで非難の的にされることになる。今後引き起こされるであろう問題と天秤に掛けると、どう考えても本当のことは言わない方が被害が少なくて済むのだから、彼らの選択は間違いではないのだ。清廉潔白の騎士道には反するかもしれないが、主人を、民を守るという騎士道には反していない。どちらに重きを置くかの問題だ。それに、ゲイルシュタイン王国として、半壊状態のマルムーク復興に全面的に協力し、今後マルムークが他国に攻められるようなことがあれば、支援するという友好協定まで結んだのだから、賠償としては大きすぎるくらいの事をしたことになる。何しろ、ただの貿易国であるマルムークと騎士国、しかも聖王国に連なるゲイルシュタインが対等の協定を結んだのだから、マルムークとしてはこれほど名誉なことはない。きっと、真実を隠すことも、二つ返事で快諾したことだろう。
一時、マルムーク聖戦時、どこからともなく、人々の心を癒し、その傷まで癒す魔法のような音楽が聞こえたという噂がソーダス上を駆け巡ったのだが、どうやらアーサー達が手を打ってくれたようで、戦場伝説的な扱いでそれ以上噂になることはなかった。もし、ユーフォニアまで絡んでいたことが判明すれば、それこそ大問題だったはずだ。何しろ、ユーフォニアは中立を保ち、戦争などの野蛮な事には決して関わらないというのが国のスタンスなのだ。それなにの、戦場に現れた上、どちらかに加担するような行為をするなど、決してあってはならないことだった。
こうして、ルーイの壮大な家出計画は各方面に多大な迷惑をかけただけで終わり、ルーイにとって忘れられない青春の一ページ、いや、徒労に終わっただけの最悪な十六歳の誕生日として心のアルバムに刻まれたのだった。
(あーあ、父さんの話って何だろう?まさか、今回迷惑かけたことを理由に、また親善大使をしろとかって言ってくるんじゃ……!最悪だ!それだけはない!絶対ない!)
ルーイは謁見の間へ向かう廊下の途中、脳裏に浮かんだ恐ろしい考えを打ち消すように頭をぶんぶん振り回した。
「何をしているのですか?まさか、寝すぎで頭が痛いなんて言うのではないでしょうね?」
ルーイの奇行を見ていたリフが呆れたように言った。
「違うよ!だいたい昨日俺が寝たのは夜中の六時なの。それを言うなら寝不足の方だっての!」
「六時ってもう朝じゃないですか。まったく、そんな人間が、よくあの厳しいゲイルシュタイン軍の任務に同行することができましたね?本当に驚きですよ。」
リフがわざと大げさに驚いてみせる。
「ふんっ!俺だって自分でも驚きだよ。今でもあれは夢だったんじゃないかと思うし……。」
ルーイの脳裏に二週間前の出来事が思い浮かんでくる。ロブやヒューズ、セイラン、そしてユーノ顔が。
(あいつ、どうしてるかな?結局あれっきりになっちゃったけど……。まぁ、あいつ色々と忙しそうだし。なんといってもゲイルシュタインの王子様だもんな。もう会うこともないか……。)
ルーイはそう考えると、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
「どうかしましたか?」
難しそうな顔で黙ってしまったルーイの顔をリフが少しだけ心配そうに覗き込んだ。
「別に、何でもないよ。ちょっと嫌なこと思い出しただけ!」
ルーイはそう言うと、そのまま目の前の大きな扉を思いっきり開いた。謁見の間に着いたのだ。
「ルーイ!ちゃんと名乗ってから開けなければダメでしょう?というか、扉は私が開けるのであって、貴方が開けるものでは……」
「いいじゃん別に。どうせ俺が来るって分かってるんだから。で、父さん今度は一体何の用なわけ?親善大使の話なら絶対の絶対にお断りだから!!」
ルーイはリフの小言を途中で遮り、そのままアーサーへ話しかけた。
「おや、ずいぶん行儀の悪い登場だな。私は構わないが、今日は大事なお客様がいらしているのだが。」
アーサーが楽しそうに言う。
(え?お客様だと!?何で!?嫌だ!)
ルーイがお客という言葉に反応して逃げ出そうとした時、
「ルーイ!久しぶり!会いたかったよ!!」
ここ数週間でよく耳に馴染んだ声がルーイの耳に響いた。ルーイにはこの声の持ち主が誰なのかはっきりと分かったが、まさかこんな所にいるわけがないと思い、思わず振り返る。するとそこにいたのは……
「……ユーノ!?何でお前がこんな所にいるんだよ?もしかして幻?」
ルーイの予想通り、そこにいたのはユーノだった。ルーイは自分の目を疑って目をごしごし擦った後、再び見る。が、やはりユーノは変わらずにそこにいた。
「幻などではない。私がここにいるのは当然だろう?何しろ、私は君の騎士だ。この命が尽きるまで一緒にいると誓った。国で少し揉めてしまい、来るのが遅くなってしまった。すまない。」
ユーノはさも当然ですと言わんばかりに言い放った。
「……はぁ?騎士って…お前、それ冗談でしょ?お前は次期ゲイルシュタイン王になるって話だったじゃん。」
ルーイは目が点状態で返答する。
「王になるのは兄上だ。私はもうマルムークで宣誓を果たしている。あの時から私はルーイの騎士だ。」
おかしなことを言うなという顔でユーノが言う。
「いやぁ、私も驚いたよ。まさかルーイがこんな立派な騎士を連れて帰ってくるなんてな。騎士もできたことだし、これでルーイも本当に一人前だな。ゲイルシュタインの騎士、それもあの色々と有名な第二王子様を捕まえるなんて、さすが私の息子!」
アーサーがこれでもかというほど空気の読めない合いの手を入れてくる。
「心配することはないぞ。父上や兄上の了承ならきちんと取ってある。最初は二人も反対していたが、ユーフォニアの王子だと分かったとたん、快く許してくれた。私達の絆を裂く障害は何もない。」
ユーノが嬉しそうに言う。
「私も本当に嬉しいよ。ユーノ君、これからは君がルーイのことを守ってやってくれ。私からもお願いするよ。」
アーサーが立ち上がってユーノと熱い握手を交わす。
「アーサー王、恐縮です。騎士としてまだまだ未熟な点も多いかと存じますが、日々精進し、この力の及ぶ限り、ルーイを守り続けてみせます。」
「そうかそうか!頼もしいな、君は。ルーイには少しもったいないくらいだな。あ、そうだ!これからブランチにする予定なのだが、君もどうかな?今後君が住む部屋など、色々話し合わないといけないことも多いからね。」
「はい!是非ご一緒させていただきます!」
放心状態のルーイをおいて、ユーノとアーサーで勝手に話が進んでいく。
「おい……。ちょっと待て。」
「ルーイ!そんなところで何をぼうっとしている?早くこっちにおいで。ユーノ君もお待ちだ。」
「勝手に話を進めるなって言ってるだろうが!俺はそんなの一度も認めた覚えはないぞ!!」
ルーイが大声で叫ぶが、
「さあ、ユーノ君、食事の間はあっちだ。君は何が好きかな?お肉?それとも魚の方がいいかい?」
「何でも結構です。好き嫌いはありませんので。」
「そうか、偉いなぁ。さすがゲイルシュタインの騎士だ!好き嫌いが激しいルーイとは大違いだ。ルーイは野菜全般ダメだし、肉も牛以外はダメ。魚は生以外食べないしで、その他諸々、嫌いなものだらけなんだよ。本当に我侭で……。」
「そうなのですか?好き嫌いが激しいというのは健康によくありません。ルーイの騎士として、私が食べられるようにしてみせましょう。」
「本当か!それは頼りになるなぁ。」
楽しそうに笑い合いながら二人はルーイからどんどん遠ざかっていく。
「……だから、二人とも人の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ルーイの虚しい絶叫がユーフォニア城内をこだました。
これだから嫌なんだよ。
外に出ると本当に碌な事がない。
面倒な事に巻き込まれて、面倒な人間に出会って、結局そこから抜け出せなくなるんだ。
本当に最悪だ。
だから言ったんだよ。
引きこもり生活を楽しむための一番の方法は、『絶対に外にでないこと』だって。