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第四話

ルーイ:音楽の国ユーフォニア王国王子。引きこもりの人間嫌い。

ユーノ:騎士の国ゲイルシュタイン王国第二王子。別名「紅剣の黒い悪魔」

ヒューズ:ユーノの有能な右腕。

ロブ:ユーノの部下。ルーイの世話役。

リフ:ユーフォニア王の騎士。ルーイの口煩い世話役。

コリン:ルーイの幼馴染。

 翌朝、ルーイは無事マルムークの東港を歩いていた。どうやらヒューズに簀巻きにされずに済んだらしい。しかし、いつもより三割増しくらいの挙動不審さで何度も後ろを振り返ったりしている。それというのも、ルーイが無断で宿屋を出てきたからだったりする。

 「私は君の騎士になる!」などという、とち狂ったとしか思えないユーノの発言で、昨晩はそれはもう大変だった。全員が早まるのはよせとユーノを説得したのだが、ユーノの意志は固く、まったく聞き耳を持たなかった。説得が無理だと理解した隊員たちはそれではと、自分たちもユーノについて行くと言い出し、挙句の果てにはルーイのことをマスターなどと呼び出す始末だった。まったく情けない隊員たちだ。実力行使も厭わずユーノを説得するくらいのやる気を見せろよと、ルーイは歯軋りしたのだった。一番期待していたヒューズはと言えば、本来なら怒り狂ってダメだとか止めろとか言うはずなのだが、まったくの無言だった。ただ、その場にある生きとし生けるものの生気を全て奪い尽くすかのような殺気を放ち、部屋の温度を五度ぐらい下げてはいた。噴火直前の火山のように、表面は穏やかに見えて実は中でマグマが煮えたぎっているといった感じだ。ユーノはそんなヒューズの様子にも一切動じていなかったが、間に挟まれたルーイはたまったものではなかった。生きながらにして地獄を体験できるとは……このままでは本当に明日の命の保障はないと確信したルーイは、ユーノから逃げるべく、辺りがまだ暗い早朝に、宿をこっそり抜け出してきたのだった。


 今度こそ迷わず東港に辿り着けるよう、昨日の夜じっくり地図を研究してきたルーイは順調に船着場に到着しつつあった。先にチケットを買う必要があったので、恐る恐る近くのバーに入ろうとしたその時、狭い路地裏から聞き覚えのある声が聞こえてきた。ルーイは慌てて近くの酒樽の間に身を潜めた。結構な素早さだ。本来ぼんやりして周りに気が回らないタイプのルーイだったが、今はユーノの追跡を懸念して体中の神経を尖らせていた。もともとの耳の良さも手伝ってはいたが、だからこそ、聞きとることが出来た小さな声だった。本来ならば例え気付いていたとしても素通りする声にわざわざ隠れたのには理由があった。なぜならばルーイにはその声に木気覚えがあったからだ。しかも、その声の主は今ルーイが会いたくない相手ナンバーワンだ。フードで全身を覆っていて顔などまったく見えないが、全身から放たれる気配、殺気に嫌と言うほど覚えがあった。

(嘘!?あのフードの奴ってヒューズ?あっはははは……まさかね。ってあのだだ漏れの殺気、昨日とまったく一緒じゃん!間違いなくヒューズだよ!マジでか!?ヤバすぎる!何でこんなところにいるんだよ?しかもあのフードって変装?……と、とにかく、今は絶対に気付かれないように息を潜めないと……)

 ルーイはより一層神経を研ぎ澄ませると、空気のようにその場に溶け込んだ。まさかルーイにこんな特技があるとは驚きだ。これもひっそりと塔の中に引きこもり続けた成果の一つなのだろうか。

 

「……ええ。間違いありません。」

「つまり、任務を口実に密かに準備を進めていた……ということか?」

「ええ。手を組んでいるのは前の戦いの首謀者だった南方大陸の連中です。暗鬼連中まで組織下に入れていました。」

 どうやらヒューズは今回の任務の報告をしているようだ。相手の男も同じようにフードを被り、口元の髭だけが見える。傍から見ると二人ともオカルト的な宗教の信奉者のようだ。極秘任務と言っていたし、周りを警戒するのも無理はないが、今度は普通に会って話すことをお勧めしたい。どこからどう見ても只ならぬ雰囲気の二人は、逆に浮いていた。

 二人が話し込んでいるうちにそっと逃げるか、このままいなくなるまで待つかでルーイが悩んでいると、信じられない言葉が飛び込んできた。

「そうか……。証拠は揃っている。決定的ということか……。まさか、あのユーノ様が反聖王国派を組織する首謀者だったとは……残念だ。」

 と、髭の男が残念そうに言たのだ。

 ルーイはあまりの驚きについ声を出しそうになったが、寸でのところで何とか踏み止まった。

(なっ……!あいつ何言ってんだよ?ユーノはそいつらを捕まえた方だろうが。勘違いしてるぞ。ヒューズの奴、さっさと訂正しろよ。)

 ルーイはヒューズに視線をやったが、ヒューズの口から出たのは更に信じられない言葉だった。

「私も残念ですよ。ユーノ様を尊敬していたのに……」

 ヒューズは信じられないといった悩ましげな声を出して、その男の言葉を肯定したのだ。

(ちょっ!?ヒューズ?お前まで何……言ってんだよ。)

 ルーイは愕然となった。ヒューズはこともあろうか、反聖王国派の首謀者がユーノだと肯定したのだ。昨日の一件は南方大陸と繋がりがあると考えられる中央大陸南部の連中の仕業だったはずだ。暗鬼部隊は雇い主を漏らしたりしないので確実な証拠はないが、おそらくユーノの読みに間違いはないだろう。何よりも、狙われたユーノが首謀者のわけがない。ルーイにはヒューズの言葉の意図がさっぱり分からなかったが、とにかくここはヒューズたちの話を最後まで盗み聞きすることにした。


「もし行動を起こされるのなら、今日中がよろしいかと思います。我々は午前中には宿を出発する予定ですから。」

「分かった。すぐにセイラン様に報告しよう。お前の言うとおり、今日中に手を打つ。このまま本国に帰られては、シラを切られてしまうかもしれんしな。反聖王国派の連中が集まっている今こそ、叩きどころだろう。ユーノ様も現行犯では言い訳できまい。それで、反聖王国派の戦力は事前の報告通りで間違いないな?」

「はい。私を抜いた騎士四名及び暗鬼五十名です。そちらの編成はセイラン様の近衛騎士団百五十名で変更はありませんか?」

「ああ。迷いの森側のマルムーク国境付近に待機させている。ユーノ様の力が気がかりだが、こちらも精鋭部隊だ。隊長格数名でかかれば、ユーノ様でも敵いはしないだろう。」

「セイラン様は出撃なさるのですか?」

「……あの方の性格を考えれば、出撃なさるだろうな。自分がユーノ様を捕まえると言ってきかなそうだ。こちらとしてはそれだけは避けたいが……」

「承知いたしました。では、二時間後に。それまで私が宿屋で足止めいたします。」

「頼んだぞ。兵が整い次第向かおう。」

 そう言ってフードの男は周りを確認すると、近くの店の中へと消えていった。

 最後まで話を聞いたルーイだったが、謎は深まるばかりだった。

(何なんだよ?これ何の冗談?暗鬼とユーノは仲間で、聖王国を潰そうとしてるってこと

?それってつまり、ユーノが黒幕で、この前のロブの件も全部糸を引いていたってことだろ?………………あり得ない。あいつがそんなことするはずない。あの瞳は嘘をついているような目じゃなかった。それに、ユーノがロブの気持ちを踏みにじるようなことをするとは思えない。……俺は。………俺は、ユーノを……信じる。)

 ルーイはユーノのアメジスト色の瞳を思い浮かべた。あの時、ロブと戦場での再会を誓った瞳を。今まで人間は嘘つきだと言ってきた自分がこんなことを思うのも甚だおかしかったが、あの時のユーノは信じられると、漠然とルーイは思ったのだ。


 ルーイが湧き上がる疑問と格闘し、あれこれ考えていた時、一人その場に残っていたヒューズの前に誰かが現れる気配がした。

「ヒューズ様、万事うまくいっているようですね。」

 気配は感じるのに声の主の姿はまったく見えなない。声も天から降ってくると言う感じだ。一体今度は何者なのか。さっきの髭男の仲間だろうか。

「ああ。この町には多少の被害がでるかもしれんが、聖戦の犠牲になれるのならば逆に喜ぶべきことだろう。それで……そちらの準備は整っているのだろうな」

 ヒューズが何もない空間に向かって問いかけた。

「ええ、もちろんです。ユーノ様を信奉する選りすぐりの騎士を二百名程用意いたしました。本当は三百名は用意したかったのですが、それだけの騎士が動けばさすがに感づかれるでしょうから。ですが、五十名も上回っていれば問題ないでしょう。こちらにはユーノ様もヒューズ様もいらっしゃいますし……」

「何を言っている。ユーノ様はこの戦いには参加しない。相手はセイラン様なのだぞ。まともに戦うことなどできまい。……少し心許無いが仕方あるまい。セイラン様は私が討とう。いいか、他の騎士には十分に念を押しておけ。その場に居る全員の命を確実に奪えとな。敵だけでなく、この町の人間……その場にいた人間全てだ。町ごと焼いても構わない。目撃者がいては都合が悪いからな。」

「承知いたしました。……それと、これが報告書のデータです。セイラン様が反聖王国派と通じていることが詳細に記載されています。後は、今日……。」

「ああ。計画通り頼むぞ。」

 一瞬辺りの空気が揺れたと思ったら、その何者かの気配は忽然と消えていた。おそらく、ヒューズが見つめる空間にはもう誰もいなくなっているのだろう。

 ヒューズは報告書のデータを見つめて薄っすら笑みを浮かべると、だんだんと明るくなり始めたマルムークの裏路地へと姿を消した。


 何とか最後まで気配を消してやり過ごすことができたルーイは、ヒューズが消えた五分後ぐらいにやっと全身の緊張を解くことができた。あのヒューズに最後まで感づかれなかったことは奇跡に近かった。実際、ヒューズはいつもよりも冷静さを欠いていたので、そのお陰で命拾いしたと言えるだろう。昨日のユーノの発言がまだ尾を引いているのかもしれない。

「はぁ……緊張した。……今の話、どういうことなんだよ。その場にいる全員を殺すって……。町ごと燃やすって……。あいつは本当にそう言ったのか?……一体、ヒューズは何を考えてるんだよ?ユーノはこのことを知ってるのか?それとも……」

 ルーイは混乱する頭を何とか整理したかったのだが、今の話だけでは分からないことが多すぎた。最初のローブ男とヒューズの関係。ヒューズと気配だけの男の関係。この前の暗鬼との戦い。反聖王国派の首謀者とは。考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。ただ一つ言える事は、この町で大規模な戦争が行われようとしているということだ。しかも、その戦いでこの町は確実に火の海になる。ヒューズはこの町ごと消すと、そう言ったのだから。あの男が冗談を言うようには思えない。

(……どうしよう。ユーノに伝えた方がいいのか?でも……そんなことして何になる?もしかしたら、ユーノとヒューズはグルなのかもしれないのに……。)

 ルーイは暫く苦悩した後、

「……早く逃げよう。この町にいると殺される。」

 そう言うと、ラムルカ行きのチケットを求めて、近くにあるバーへと入って行った。


 それから数時間後、ユーノたちの泊まる宿屋ではある騒動が起こっていた。朝食を届けに行ったユーノが、ルーイがいなくなっていることに気付いたのだ。

「ルーイ!どこにいるんだ?ルーイ!」

 ユーノは宿屋中をくまなく探し回ったが、ルーイの姿はどこにもなかった。当然だ。ルーイは五時間以上前にこの宿を逃げ出しているのだから。まだ寝ているのだろうと思って遅くまで声を掛けなかったことが失敗だった。さっさと確認していればもしかしたら捕まえられていたかもしれない。

「一体どうしたのですか?騒々しい。宿の方に迷惑でしょう。」

 ヒューズがいつも通りの無表情な顔でユーノの前に姿を現した。

「ヒューズ!大変なんだ。ルーイがいなくなった。もしかしたら誰かに攫われたのかもしれない。早く捜索をしないと!」

 慌てたようにユーノがヒューズに言う。周りにいる隊員たちも心配そうな表情だ。

「そうですか。ルーイさんが……。しかし、心配する必要はないでしょう。彼は誰かに攫われたわけではないでしょうから。」

 ヒューズは少し考えるようにした後、落ち着き払ってそう言った。本当を言うと、ヒューズはルーイがいなくなったことを既に知っていたりする。実は早朝、皆が気付かないうちにさっさとルーイを闇に葬ろうとしたヒューズだったが、その時は既に宿屋からいなくなっていたのだ。ヒューズにとってはルーイがいなくなった方が都合が良かったので、そのまま放置することにしたのだ。

「なぜそんなことが言える?もしルーイに何かあったら……」

 ユーノがヒューズに喰いかかったが、その言葉を制してヒューズは言った。

「分かりますよ。この宿屋にはルーイ様を含め、四人もの騎士がいたのです。何者かの侵入に気付かないわけがない。彼は自分から宿屋を出たのですよ。ルーイ様の主にはふさわしくないと悟ったのでしょう。ユーノ様も彼のその気持ちを汲んであげてください。あなたはゲイルシュタインの次期王なのですから。あなたの主はゲイルシュタイン王国そのもの。そして、あなた自身が宮廷騎士団の主となるのです。」

「何を言っている。前から言っているが、私は王などにはならない。ゲイルシュタインの次期王は兄上だ。私はルーイの騎士となり、自分が正しいと思う騎士道を貫く。」

 ユーノはヒューズの言葉を迷いなく否定した。表情はいつもと変わらなかったが、ユーノが不機嫌なのは手に取るように分かった。

「そうですか。ですが、そうも言っていられない状況のようですよ。」

 ヒューズは可笑しそうにユーノに言った。

「どういう意味だ?」

「これを見てください。私が独自に部下に調査させていた今回の任務の報告書です。」

 そう言ってヒューズは、今朝裏路地で気配だけの男から受け取ったデータをユーノに見せた。

 それを見たユーノの動きが一瞬止まる。データを慟哭した眼差しで見つめながら、まるで苦しくて仕方がないとでもいうように胸を押さえて呟いた。

「そんな…………ありえない……」

「……お気持ちは分かりますが、真実です。私も信じたくはありませんよ。まさか本当にセイラン様が反聖王国派を……」

「ヒューズ!」

 ユーノはヒューズの言葉を途中で遮った。決定的な言葉を聞きたくないとでも言うかのようだ。

「……しっかりしてください。あなたがそんな様子では困ります。何しろ今正に、彼らがこの国を滅ぼそうと企んでいるのですから。」

 ヒューズはいつもの冷静な様子で静かにそう告げた。

「この国を滅ぼそうとしている?それはどういう意味だ?」

 ユーノは報告書を見つめていた瞳を、慌ててヒューズに向ける。

「そのままの意味ですよ。暗鬼を捕らえられ、我々に気付かれたと悟ったセイラン様が、この国ごとユーノ様を消そうと近衛騎士団を連れ、迫って来ているのです。」

「なっ……!何だと!?」

 ユーノは信じられないといったようにヒューズを呆然と見つめる。隊員たちも驚いたように息を呑んで固まっている。

「嘘ではありません。先ほど確認しました。セイラン様の近衛騎士団百五十です。騎士団長であるアーガン様も確認しました。セイラン様は暗鬼といる我々を逆手にとって、罪を擦り付けようとしているのです。ユーノ様を反聖王国派の首謀者に仕立て上げ、証拠が残るかもしれないこの国ごと葬るつもりなのです。」

「そんな……兄上が……。わ、私には信じられない!兄上がそんなこと……っ!」

「感傷に浸るのは結構ですが、事態は急を要します。我々はセイラン様を迎え撃ち、捕らえる必要があるのです。今後の未来のためにも。あなたが指揮をとれないと言うのなら私がやりましょう。もう既に騎士を二百騎ほどこのマルムークに集めています。例えゲイルシュタインの第一王位継承者であろうと、このような悪魔のごとき行為を許すわけにはいきません。騎士の誇りに掛けても。」

 ヒューズは力強くユーノに言った。

 ユーノはヒューズの言葉を否定することも肯定することもできず、何も応えることが出来ない。

「……分かりました。それでは私が指揮をとりましょう。ただし、あなたには総指揮官として戦場には立ってもらいます。皆あなたを信じ、集まったのですから。あなたなしでは指揮が下がります。……さぁ、あなたたちもぼうっとしていないで、さっさと戦闘準備にかかりなさい。もう時間がありません。一刻を争うのですから。」

 ヒューズは隊員たちにそう命令すると、ユーノに一度目をやっていから、自分も忙しそうに戦いの準備に入った。

 ユーノは、ヒューズも隊員もいなくなった寂しい部屋で、ただ一人、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


「おわっ!ビックリしたなぁもう……お前さん、こんな所で何してんだ?」

 店の裏口に空き瓶を置きに来た太めの男は、そこに幽霊のような雰囲気で小さく膝を抱えて据わっていた何者かにそう声をかけた。あまりにじめっとした様子で座っているので、雨も降っていないのに、そこだけが確実に湿度九十パーセント越えだ。もうそろそろカビも生えてくるのではなかろうか。男か女かも分からないそのジメジメ幽霊は今にも本物の幽霊になるのではないかと思われるくらい思いつめた様子をしていて、人の良いこの男はついつい声をかけずにはいられなかったのだ。

「……まぁ別にいいけど。何があったか知らんが、あんまり思い悩むな?そうだ……ほれ、リンゴやるよ。それ食べたら、さっさとここから移動しな。うちの店にまで負のオーラが着いちまったらかなわねぇからな。」

 質問に答えようとせず、更に俯いてしまったジメジメ幽霊に向かって、太めの男はリンゴを差し出した。

 ジメジメ幽霊は驚いたように顔を上げたが、またすぐに下を向いてしまった。

「……リンゴ、ここに置いとくからよ。じゃあな。」

 太めの男は、一瞬だけ目が合ったそのジメジメ幽霊が、以外にも綺麗な顔をしていたことに少し驚いたが、それ以上は何も言わずに店の中へと消えた。

 太めの男が消えた後、木箱の上に置かれていたリンゴを横目で眺めたその幽霊は、

「俺、もっと紅くて大きなリンゴが好きなんだよね……っていうか柑橘類の方が好き。」

 と、人の好意を無碍にする言葉を臆面もなく呟いた。


 ルーイは悩んでいた。これから自分はどうしたらよいのか。それ以前になぜ自分は未だにここにいるのか。自分の今までの行動も、これからとるべき行動もまったく分からなくなり、無意味にこんな路地裏に蹲っていたりする。あまりに負のオーラを纏いすぎて、さっきはどこかの太目のオヤジに幽霊に間違われたくらいだ。現在時刻は午前九時半を回ったところ。ルーイがこの路地裏で自分の世界にトリップしてから一時間以上が過ぎていた。

 ルーイがラムルカ行きのチケットをなんとか手に入れたのは午前七時。店に入ったは良いが、なかなか店員に話しかけることができず、その時点で既に二時間ぐらい時間を無駄にした。船が出るのは午前に二本、午後に三本であり、ルーイは八時半出発の船に乗ろうとしていたのだが、こうやってうじうじ悩んでいて、結局乗れなかったのだった。

 次の便は十時半。これを逃せば確実に争いに巻き込まれてしまう。既に乗船は開始されている。十分前までに乗り込まなければもう乗船することはできなくなる。

「ぐあぁぁぁっ!もういいじゃん。気にすんな!俺が何したって今の状況は変わらないって。この行動がヒューズの単独だと考えても、ヒューズはユーノを傷つけるつもりはない!……ような気がする……たぶん……。」

 そこまで言ってから、ルーイは頭がおかしくなったようにグシャグシャと髪を掻き乱すと、

「でも、この町はたぶん、いや確実にどうにかなるって!絶対に無事には済まないって!」

 そう叫ぶと、電池が切れた人形のようにピクリとも動かなくなってしまった。

 燃え尽きた英雄よろしく、その状態のまま数十分が経過した。この行動がチケットを手に入れた時からうん千回と繰り返されている。八時半の船のとき同様、十時半も同じように乗り過ごすつもりなのか。

「だぁぁからっ!無理なの。無理無理。絶対無理。俺なんかが悩んでたって無意味なの。さっさと船に乗るぞ。どんだけこの自問自答すれば気が済むんだよ!っていうかもうこんな時間だし。早く行かなきゃっ!」

 急に息を吹き返したように復活したルーイは、勢いよく立ち上がると、船乗り場へと急いだ。

 船乗り場に到着したルーイは思案げに空を仰いだ。朝はこれぞ五月晴れと言うほど気持ちよく晴れていたのに、今は風が強くなり、雲が出始めていた。生暖かい風が頬を掠め、変に明るい空はいかにも何か起こりそうな、そんな怪しい雰囲気を醸し出していた。心なしか町の人々もざわざわとざわめき合っている気がする。

「ちょっと聞きました?何か変な連中が中央広場に向かって歩いているんですって。」

「ああ、私も見ましたよ。大勢で道を占有して感じの悪いったら。しかも頭からフード被ってましたし。あんな連中を中に入れるなんて、国境警備隊は何をやっているのかしら。」

「フード?俺はそんな奴らみてないぞ。俺が見たのは騎士だった。」

「はぁ?騎士だと?そんな連中がこの国に何の用だってんだ?」

「いや、それは分かんねぇけど……でも確かに見たんだよ。」

 あちらこちらで、この町にそぐわない異質な者たちが入り込んできたことを噂している。ついに、騎士がこの町に乗り込んできたのだ。もう一刻の猶予もない。この間見た騎士の戦いを思い出したルーイは身震いした。今度は騎士同士のぶつかり合いだ。しかも両者ともあのゲイルシュタインの騎士だ。この町は数時間後、確実に町としての姿を失っているだろう。

「おい、アンちゃん。いい加減にしてくれよ。雲行も怪しくなってきたし、もう出向すんぞ。」

 ルーイより三倍はガタイのよい初老の船乗が、厳つい顔でルーイに迫った。

「あっ、待ってください。すみません、乗ります。今すぐ乗りますから。」

 ルーイがそう言って慌てて船に乗り込もうとした時、また別の声が耳に飛び込んできた。

「おい、聞いたかよ?変な連中が町を囲んでるんだってよ。国境を越えようとした奴らも出られなかったらしい。」

「なんだそりゃ?国境閉鎖ってことか?理由は何なんだよ?」

「それが、閉鎖してるのは国境警備隊じゃないらしい。……騎士、みたいなんだって……」

「騎士?そんなわけあるか。ここは王国じゃないから王はいない。自警団はいても騎士はいないだろうが。」

「違えよ。この国のじゃねえ。あの橙のピアス……あれはゲイルシュタインの騎士だ。」

「何だよそれ?どういうことだよ?」

 ルーイは冷や汗が背中をつたうのを感じた。

「おおい、アンちゃん。だからさっさとしろや。」

 先ほどの船乗りがタトゥをした屈強そうな右腕をぴくぴくさせながら催促するが、ルーイは俯いたまま動かない。

 その様子を見た老船乗が怒りを露にして文句を言おうとした時、

「……すいません、やっぱりいいです!」

 ルーイは振り絞るような声そう言うと、中央広場に向かって駆け出した。

「はぁ?何だおめぇ、人を待たせておいて。ふざけんなぁ!」

 老船乗が後ろから今にも殴りかかってきそうな声で罵声を飛ばすが、ルーイは振り返りることなく走り続けた。普段のルーイであればその声だけで萎縮して動けなくなってしまっていただろうが、今はそんな声さえも、ルーイの耳には届いていなかった。


 マルムークの中央広場は、陸路や海路を通って輸入された様々な異国の物が売り買いされる、この町で一番活気のある場所だ。小さな出店が犇めき合う広場には、多くの人が集まり、午前中のこの時間ともなれば、どんどん人が増えてくる時間帯だ。しかし今は、広場に向かって集まってくるはずの人々が反対の方向へと大慌てで逃げ出していた。それというのも、我が物顔で広場を占領する異様な連中のせいだった。

 慌てふためく人々の流れに逆流しながら、何とかその異様な軍団が見える場所までやってきたルーイは、目に映る光景に絶句した。

 なんと広場は既に半壊していた。広場に犇めき合うように並ぶおもちゃのような出店の殆どが跡形もなく消え去っている。広場を囲う様に不揃いながらもきれいに配置されていた原色の建物も無残に崩れており、今ではそこが広場であったことすら判断することは難しい。

 灰色の煙が立ち上り、逃げ惑う人々の阿鼻叫喚が響く中、左耳に橙色のピアスを煌めかせた者たちが互いに睨み合っていた。彼らは皆腰に剣を携え、強固な鎧を纏っている。違うところと言えば身に纏う鎧の色くらいだろうか。一方は黒を基調として、ところどころに黄が配色されているもの、もう一方は、白を基調に橙と藍色が配色されているものだ。後者はユーノが身に付けていた鎧とよく似ていた。

 睨み合う彼らの間には計りきれないほどの緊張が迸っている。その場にいるだけで窒息死してしまいそうなだ。

 そこだけ地球の百倍は重力があろうかと錯覚するような空間を一人の男の声が切り裂いた。

「見損なったぞ、ユーノ!ゲイルシュタインの王子たる者が、よもや他の騎士の後ろにその身を隠そうとは。やはり騎士としての誇りそのものを失ってしまったのだな。」

 その声は、ユーノと同じように独特の響きを持って耳に届く。生まれながらにして人の上に立つ者の声だ。

 この状況で臆面もなく発言できる人間だ。よほど空気の読めないお馬鹿さんか、歴戦を潜り抜けてきた猛者に違いない。ルーイは考えられる限りのムキムキマッチョを頭に思い浮かべながら声の主を見た。が、直ぐに自分の想像力のなさを思い知ることになった。ルーイの視線の先には自分が想像したよりも三倍くらいムキムキの猛者がずらっと整列していたのだ。そして、その猛者たちを従える声の主は、スラッとした長身の美青年だった。肩の辺りで切り揃えられた藍色の髪が黄を基調とした鎧に映える。後ろにいるマッチョのせいもあるが、とても戦いを生業とする騎士には見えない。一見すると芸術家もしくは爽やかテニスプレーヤーといったところか。しかし、ムキムキマッチョを従えて堂々と敵陣の前に現すその姿はしなやかな豹を連想させる。話の流れからすると、この青年がユーノを捕まえに来た相手、つまりゲイルシュタイン第一王子であるセイラン皇子その人である。ユーノの実の兄ということだ。ユーノも想像と大分違ったが、セイランはその上をいくかもしれない。セイランのソーダス検索結果は、ユーノに比べると残念な結果であり、騎士大国ゲイルシュタインの次期後継者にはあまり相応しくないというものが多かったのだ。今回の積極的な聖戦興行も留守中の王に代わり彼が指揮をとっているものであり、ルーイの中のイメージとしては弟に勝てない馬鹿王子というイメージだったのだ。しかし、目の前にいる彼は、少なくとも口ばかりのノータリンには見えない。見た目はひ弱だが、内に光る確かな輝きをルーイですら感じ取る取ることができる。

(この人ってユーノの兄貴だよね。全然似てないっていうか、どうすんだよこの状況?ユーノは?いないのか?)

 ルーイが心配そうに辺りを見回した時、

「私はここにいる。」

 雑音の中でも紛れることのない、澄んだ声が響いた。

 ルーイは声の方に振り向いた。もちろん、ルーイだけではない。その場に居る全員がその声の主を見つめている。セイランに負けない圧倒的な存在感で、その声の主はゆっくりと現れた。実際にはゆっくりと歩いているわけではなかったのだが、ルーイにはその光景がなぜだかスローモーションで見えたのだ。周りの時間が止まって見える。その存在感に周りの全てが遠慮しているようだ。人を惹きつける者というのは、存在そのものが普通とは違うのか。

「兄上。これ以上愚かな真似はお止めください。こんな町中にいきなり兵を連れて乗り込んでくるなど、正気の沙汰ではありません。兄上がしたこと……いや、私は兄上を信じます。ですから、兵を……」

 周りの兵を掻き分け、というより、兵たちが自ら道を空けたのだが、そうしてセイランの前までやってきたユーノの言葉を、セイランは遮った。

「何を訳の分からないことを言っている?愚かなのはお前だろう。まぁいい。逃げずに姿を現したことは褒めてやろう。しかし、よくも私の前に平気で顔を出すことができたな。我々ゲイルシュタイン王国を裏切るような真似をしておいて……」

 セイランは苦々しそうに言い、顔を顰めた。

「私がゲイルシュタインを裏切る?兄上……本当に私を……」

 ユーノは苦しげな表情でセイランを見つめた。

「何だ、その顔は?この期に及んで泣き落としでもするつもりではなかろうな。お前のした罪は全て調べが付いているのだぞ。父上がいない間に、お前がこんなことを……聖王国に対する謀反を企むなど……私が今どんな気持ちが分かるか?お前のことを信じた私の気持ちを、お前は踏みにじったのだ!」

「兄上!そんな言葉、私は聞きたくなどありません。こんな茶番……うんざりだ。きちんと話をしましょう。私は、どんな真実でも受け入れる。例えそれがどんなに受け入れがたいことだとしても……ただ、兄上の口から真実がききたいのです!」

 何か話が噛み合っていないようだ。二人とも相手に非があるような言い方をしている。ルーイは今朝のヒューズたちのやり取りを思い出した。この状況から判断すると、裏でヒューズが手を引いているのは間違いない。ヒューズが兄弟同士で争いが起こるように仕向けたと言うことなのだろうか。

「もうよい。お前の戯言など聞きたくもない。これ以上私を失望させないでくれ。……皆の者!これより反逆者、ユーノ=ゲイルシュタインを捕らえる。容赦は無用だ。行け!」

 セイランはユーノを睨みつけた後、自らの持つ長身の美しい剣を抜き放つと、後ろに並ぶムキムキマッチョたちに命令を下した。

「待ってください!兄上!話はまだ……」

「お下がりください。ユーノ様!今のセイラン様に何を言っても無駄です。ここは私にお任せください。全員前へ!ユーノ様を守り、ゲイルシュタイン王国の誇りを守るのだ!」

 一斉に向かってきたムキムキマッチョ軍団など気にもせず、それでもセイランと話をしようとするユーノを、ヒューズが制した。

「ヒューズ、ダメだ。止めてくれっ!仲間同士で戦うなど。それに、こんなところで戦っては町に被害がでてしまう。」

 ユーノの訴えも虚しく、すでに両陣営による戦いの火蓋はきっておとされていた。先ほどまで半壊状態だった広場が一瞬のぶつかり合いで全壊状態に変わる。


 騎士同士のぶつかり合いで巻き起こる突風に飛ばされそうになりながらも、ルーイは何とか瓦礫につかまりながら耐えていた。目を凝らしながら見つめる先にはぼんやりと灯火のような暖かい光がいくつも揺れている。ゲイルシュタインの騎士がその身に纏う橙色の光はこんなにも暖かい色なのに、繰り広げられている戦いはあまりにも残酷だ。目の前に映る光景は幾度となく読んだ物語と同じだというのに、今ルーイが感じるこの心の震えは、その時感じた鼓動とは違い、ドキドキとワクワクによる躍動ではなく、恐怖によって麻酔でも打たれたかのような痺れによるものだった。時折ビリビリと体中に伝わる痛みは、萎縮し、動きが鈍くなってしまった心からの精一杯の救助信号だ。しかし、これ以上この恐ろしい光景を見たくなくて、早く逃げ出したいと思っているのに、ルーイの身体は言うことを聞かない。その場から動くことはおろか、目を閉じることさえもできないのだ。

(俺、何でこんなとこにいるんだろう?)

 こんな状況で自分は一体どうしたらよいのか。それ以前に、何を思ってわざわざこんなところまで来てしまったのか。数分前の自分が何を考えていたのかが理解できない。まさか自殺でもするつもりだったのだろうか。例え死ぬとしてもこんなところで死ぬのだけは御免だったはずなのに。

ルーイは答えの出ない自問自答を繰り返しながら、ただただ目の前に広がる惨劇を見つめていた。と、その時、一つの声がルーイの耳に響いた。

「おい!誰かユーノ様を止めろ!」

「鎧を捨て、武器も持たずに敵陣へと入って行かれたぞ!」

「何だと!?なぜそんな馬鹿なことを!?」

 ユーノが一人、鎧も武器も持たずに敵陣へと乗り込んだ。先程の様子からすると、話し合いで解決するために再びセイランの元へと向かったのだろう。鎧や武器を持たなかったのは、自分の意志を表明するためだ。しかし、相手は本気でユーノを反逆者だと信じている。その行為には何の意味もないように思える。ユーノ自身が生き残る可能性を下げるだけの馬鹿げた行為だ。

 ルーイは拳を強く握ると、思いっきり自分の唇を噛んだ。ルーイの唇から紅い血が滴り落ちる。と同時に身体中に痛みが走り、今まで硬直していた身体の感覚が蘇ってきた。

(前にリフが言ってた方法。痛みで眠気をとるとかって言うのは嘘じゃなかったみたいだな。これで何とか身体が動く。)

 ルーイは握り締めていた手を開き、そのまま動かしながら戻ってきた感覚を確かめた。そして、徐に唇に触れると、滴る血をとって耳の護石へと擦り付けた。

(この前も俺を守ってくれたって話だから、結構消耗激しいかもしれないけど、もう一度だけ俺のこと守って欲しい。ユーノの元に辿り着けるまででいいから……。)

 護石に自分の血をつけるというのは古くから伝わる守護力強化のおまじないだ。

 ルーイは心の中でそう祈った後、懐に隠していたユーフォニアの装飾剣を取り出した。そして、いつも以上の情けない顔で一度戦場を見つめた後、

「こんちきしょうがぁぁぁぁぁ!!」

 そう叫ぶと、両足に全ての力を集中させ、戦場へと駆け出した。

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