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第二話

ルーイ:音楽の国ユーフォニア王国王子。引きこもりの人間嫌い。

ユーノ:騎士の国ゲイルシュタイン王国第二王子。別名「紅剣の黒い悪魔」

ヒューズ:ユーノの有能な右腕。

ロブ:ユーノの部下。ルーイの世話役。

リフ:ユーフォニア王の騎士。ルーイの口煩い世話役。

 ルーイがユーノ隊に拾われてから五日ほど経った。最初は手負いの動物のように、見るもの全てが敵に見えたルーイだったが、だんだんと今の状況にも慣れてきていた。それというのも、小隊の一人であるロブという青年のおかげだった。

 ユーノと出会ったあの最初の日、寒さと空腹に震えながら眠りに入ったルーイが目を覚ますと、目の前にはユーノ隊は居なくなっており、不揃いな栗色の短髪をした一人の青年だけが残されていた。それがロブである。ユーノたちは少し離れた場所を行軍中で、ルーイのお世話係として隊員中一番若く、温和そうなロブが選ばれたそうだ。ロブ一人だったら極端に人と接することを嫌うルーイでも何とか慣れてくれるのではないか、というユーノの配慮によるものだった。実際、ユーノたちが怖くて火にも近付けないし、食事も満足に喉を通らなかったルーイは、このままでは病気で死んでしまうところだっただろう。


「あと二日くらいで森を抜けられますよ!初めて森を抜けるにしては結構いいペースだったんじゃないですかね。」

 森の中を進みながら、ロブが無邪気な笑顔でルーイに話しかけた。ルーイは一瞬その声にビクッとなりながらも、そうですねと相槌を打った。

「大丈夫ですか?ここ五日間ずっと歩きっぱなしですけど、疲れたらいつでも休んで大丈夫ですからね。」

 ロブはにこやかに続けた。ルーイの引きつった愛想笑いは気にしていないようである。

「えっと、大丈夫です、本当に。気を使って下さってありがとうございます。ロブさん……あ、あの……迷いの森を抜けるのに結構時間がかかるんですね。ここはまだ森の奥じゃないって言っていたので、もう少し早く抜けられるかと思ってました……あっ!あの、これ別に不平不満とかではまったくないですから!ホントに、嘘じゃないですホントです、ハイ。」

 ルーイは自分が言った言葉に自分で慌てながら前を歩くロブに言った。

「確かにここはまだ森の奥ではないですけど、迷いの森には違いないんですよ。磁石や電波も使えたり使えなかったりなんで、さっきも言いましたけど、これでもいい方ですよ。」

 ロブはルーイを振り返ってニッと笑った。悪戯っぽい笑顔だ。

(その顔は……。って何考えてんだ。違うだろ、俺!そうじゃなくて、もう四日も歩いてるってことだよ!いくら迷いの森とか言うヤバイ森でも、抜けるだけで六日間もかかるなんてアホかっての!歩く以外になんか移動手段はなかったのかよ。)

 一瞬ロブの笑顔を見て固まったルーイだったが、そうでなんですねと歪んだ笑顔で返事をしながら、心の中で毒づいた。拾ってもらったうえに道案内までしてもらっているというのに、ずうずうしい限りである。しかし九年間も引きこもり生活を続けてきた筋金入りの人間嫌いであるルーイが、こんな風に話せるだけでも実は奇跡に近かった。最初はロブ一人でもビクビク怯えていて、殆ど話しも出来なかったのだが、今では話しながら心の中で毒づけるぐらいの余裕もあるようだ。それというのも、ロブという青年がある人物に少し似ていたからかもしれない。

「わっ!?……」

 天罰が当たったのか、ルーイは張り出していた木の根に躓いて、思いっきり前のめりに倒れそうになった。と、そこを、

「おっと!……ふぅ、大丈夫ですか?」

 ルーイの声に気付いてくれたロブが受け止めてくれた。受身も取れていなかったルーイはロブのおかげでなんとか転倒を免れた。

「す、すみません。ありがとうございます……」

(びびった~。ナイスだロブ!グッジョブ!)

「いえ、怪我が無くて何よりです。でも、気を付けてくださいね。森の中にはまだ危険なところはありますから。本当にルーイさんはほっとくと何をしでかすか分からなくて、目が離せませんね。」

 ロブは悪戯っぽい笑顔を向け、ルーイを安全な場所に立たせてくれた。

『ルーイは本当に何をしでかすか分からないな。一緒にいるこっちがハラハラしちゃうよ。』

 ルーイは昔ある人物に言われた言葉を思い出した。

「ルーイさん大丈夫ですか?もしかして、どこか打ったりしましたか?」

 ルーイが急に黙って下を向いてしまったので、ロブは心配そうにルーイの顔を覗き込んで尋ねた。

「えっ!?あ、すみません。大丈夫です、全然。ロブさんのおかげでどこも打ったりしてませんから。ちょ、ちょっとビックリしただけです。」

 ルーイは慌ててロブから一歩はなれて訂正した。

「それならいいんです。じゃあ、行きましょうか。本当に気を付けてくださいね。」

 ルーイは頷き、もう躓いたりしないように慎重に歩き出した。ロブはルーイを振り返りながらゆっくり進んでいく。その背中を眺めながら、ルーイは思った。

(変なの。こんな所で思い出すなんて……別にロブさんとコリンは全然見た目とか似てないんだけどな……ちょっと、笑い方が似てるかもだけど……)

 ルーイはコリンの少し悪戯っぽい笑顔を思い出して、胸が苦しくなった。


 ルーイには六つ年の離れた幼馴染がいた。彼はルーイが生まれた時からお世話をしてくれている母と言っても過言ではない乳母の息子で、名をコリンといった。周りに年の近い者がいなかったルーイにとって、コリンは唯一の友達であり、殆どいつも一緒に居る親友だった。コリンはヴァイオリニストになることが夢で、ルーイはコリンの演奏を聴くのが大好きだった。特にコリンが弾く『親愛なるマルグリットへ』が好きで、彼の優しい人柄が滲み出た、聴くと心の中に小さな灯がともるような演奏だった。ルーイが楽器の中でも特にヴァイオリンを気に入っていたのは彼の影響が大きかったし、また、もう二度と音楽に携わらないと決意するきっかけになったのも彼が原因だった。


 ユーフォニアの王族は音楽に対しての異常なまでの才能とある不思議な力を持つとされている。彼らは生まれた時からどんな楽器も弾くことができる。そして、音楽を通して人の心を、自然を、この世界に溢れる全てのロウに影響を与えることができるのだ。その真偽は定かではないが、創世神話第十七節にも、彼らが音楽で世界の全てを決めることが出来るという一節があるくらいだ。一年に一度開かれる音楽祭で、王はセイレーンに溢れるロウを調節し、乱れを正す演奏を行う。そのため、ユーフォニアの王族は別名、調律者とも言われる。しかし、彼らが世界のロウを調節できるというのは単なる古い迷信だというのが各国の理解であり、音楽祭での演奏もお祭りの一部にすぎないとされている。


 六歳の誕生日、今日はルーイにとって自分の楽器が決まる特別な日だ。自分の楽器というのは、ロウを操る時に使う調律楽器が決まるということだ。王族はどんな楽器も弾くことが出来たが、自分の能力を最も引き出すことが出来る楽器は個人によって違うのだ。

「何だかドキドキするなー。俺の楽器って何かな?コリンみたくヴァイオリンがいいな。」

 ルーイは隣に座るコリンに無邪気な笑顔で話しかけた。

「ヴァイオリンがいいって、何でだい?ルーイはヴァイオリン弾いたことないだろう?」

 サラサラの栗色の毛をおかっぱにした優しそうな少年が悪戯っぽい笑顔で尋ねる。

「そうだけど……でも、俺コリンが弾くヴァイオリン大好きだもん!俺もあんな演奏がしてみたい!それでいつかコリンと一緒にコンサートを開くんだ!」

「あはは、それは素敵だね。でもそれだったら違う楽器のほうがおもしろいかもしれないよ。それに、調律楽器に決まったら、普段は演奏することなんて殆ど出来なくなるだろう?」

「げっ!?そうだった。じゃあやっぱヴァイオリンはやめて……ドラムとか?」

「ドラムって、また極端だね。」

「そう?俺ドラムも結構好きなんだよね。ズガガガガーンって感じて叩くとすっきりするじゃん?」

「あはは、その表現すごくルーイらしいね。」

「そうだ!ねぇ、コリン。あの曲弾いてよ。緊張でガチガチの俺のためにさ。」

「ガチガチって、僕にはとても緊張してるようには見えないけど。」

「そんなことないよー。こう見えて超緊張してるのっ!」

「ふーん、まぁいいけど。あの曲って『親愛なるマルグリットへ』かい?本当にルーイはあの曲が好きだよね。何で?」

「うーん、自分でもよくは分からないんだけど、何か懐かしい感じがするんだよな……。でも、コリンが弾いたのじゃないと、そういうふうには感じないんだ。心がじーんとするのはコリンのだけ!だから俺はコリンが弾く『親愛なるマルグリットへ』が好き!」

「あはは、すごい殺し文句だね。ルーイ王子にそんなこと言われたら弾かないわけにはいかないな。」

「そうそう、そうなの!ルーイ様たってのお願いなんだからね!」

「あはは、よし!それじゃあ喜んで弾かせていただきましょうか。」

「おう!」

 二人はとても楽しそうに話を続けている。と、そこへプラチナブロンドの美しい青年が現れた。まだ幼さが残るその顔は目が笑っていない恐ろしい笑顔を貼り付けて、二人のもとに襲来した。

「こんな所で油を売っていたんですね。早く城へ戻ってください。もうとっくに準備は終わっているんですからね。あなた待ちなんですよ。」

「うげっ!?リフ!ヤバイ、殺される!」

 ルーイはその顔を見て慌てた。リフがあの笑顔をしている時は相当怒っている時だ。

「分かっているなら、さっさと来てください。今ならまだ、半殺しで勘弁してあげますよ。」

 リフは涼しい顔でそう言い、悲鳴をあげるルーイの首根っこを掴んで連行しようとする。

「待って!まだ俺コリンの演奏きいてない。一曲聴いてからでいいでしょ?」

「ダメです。時間がないと言っているでしょう。これ以上言うなら……ねっ?」

 リフがルーイに向かって微笑みかけた。なんと恐ろしい笑顔なのだろう。こんなに心が凍りつく笑顔を見たのは初めてだ。

「……コリン!助けろっ!」

 ルーイはとっさにコリンに助けを求めた。しかし、関係ありませんという顔でそっぽを向いている。リフはショックを受けるルーイを軽々と抱えあげると、さっさと城へ向かって歩き出した。

「よかったね、ルーイ。僕の好判断で何とか半殺しで済むね!半殺しなら死なないから大丈夫だよ。あ!それと、無事に楽器が決まったら教えてねー。」

 コリンは連行されていくルーイに手を振りながら笑顔で見送った。

「大丈夫じゃない!コリンの薄情者ー!」

 ルーイの断末魔の叫びが響いた。


 城の最上階にある儀式の間。ここは音楽祭のときに王が演奏する城内で最も神聖な場である。六角形型の部屋の壁は前面が特殊ガラス張りで、天井は丸いドーム型をしている。まったく何も置かれていないという殺風景な部屋だが、床だけは不思議な文様が刻まれており、周りからは浮いて見えた。

 城に着いてすぐに儀式用の正装に着替えさせられたルーイは、儀式の間に通された。儀式の間には六角形の壁に一人ずつ、王と共に国を支える有名な音楽家たちが立っており、中央には豪華な装飾が施してある用途不明の杖を持ったアーサーが立っていた。六人の音楽家たちは見届け人の役割を担い、王は執行者の役割を担う。

「これより、選定の儀を執り行う。ルードヴィッヒ=セイレーン=ユーフォニアよ、前へ。」

 見届け人の一人が厳かに言った。儀式の始まりの合図だ。ルーイはさっきまでのふざけた雰囲気ではなく、少し緊張した面持ちでアーサーの前に歩み出て跪いた。

「世界を調律するものよ、今ここに顕現せよ。」

 アーサーはそう言うと、持っていた変てこな杖をルーイの頭の上に掲げた後、トンと床を叩いた。すると床が光り出し、光ったり消えたりの明滅を繰り返し始めた。

 ルーイは立ち上がると、両手を組み祈るようなポーズをとりながら、ここ数日繰り返し練習させられた誓いの言葉を唱えた。

「今ここに誓おう。この世界栄える時も滅びる時も、我が意志、汝の意思のまま共に歩み続けることを。開錠――――――」

 何とか間違えずに言えた様だ。ルーイは少し安堵した。しかし、安心したのも束の間、ルーイが右手の薬指と左手の中指にしている指輪が光り出した。強烈な青い光だ。

(うわっ!?何だコレ?この先のことって俺聞いてないんだけど!?台詞言ったら父さんが楽器を決めてくれるんじゃないの?)

 ルーイは助けを求めるようにアーサーを見た。しかしアーサーは特段慌てた様子もなく、じっとルーイを見ている。周囲に居る六人の見届け人たちも同様だった。

(え!?ちょっと、これ何なの?皆して知らんぷりしてるけど問題ないの?)

 ルーイが慌てている間にもその光はどんどん強くなり、カッと大きな光が弾けると――

 ルーイの手の中に薄いコバルトブルー色のガラスのようなもので作られたヴァイオリンが握られていた。今自分に何が起こったのかルーイにはまったく分からなかった。今まで光っていた指輪は影も形も無く消えていたし、明滅していた床も、今はただの文様が刻まれただけの床に戻っている。

「ルードヴィッヒ=セイレーン=ユーフォニア。今この時より、そのヴァイオリンが汝の心を映すものだ。名を。」

 アーサーが厳かに言った。儀式はまだ続いているようだ。

(……つまり、俺の調律楽器はヴァイオリンってこと?ずいぶん手の込んだ仕掛けだな。こういう演出なら先に言っといてくれよな。父さんも意地が悪いよ。)

「名を。そのヴァイオリンの名を示せ。」

 ルーイが心の中で悪態をついていると、アーサーが先ほどの台詞補足するように言った。

(名を示せって、このヴァイオリンの?何のために?ヴァイオリンってだけじゃダメの?)

 今自分の手に握られているヴァイオリンは、アーサーたちが仕込んだもののはずだ。自分の楽器でもないのに、なぜ今それに名前をつける必要があるのか。ルーイがまたパニック状態になっていると、頭の中に一つの声が響いた。

《レンブラントマキアス……》

(何?今何か聞こえた?こんな状況で空耳?)

「ルードヴィッヒ、名を。」

 突然の空耳にあたふたしている間にも、早くしろと言わんばかりにアーサーが促してくる。周りを見ると、見届け人たちもルーイをじっと睨んでいる。

(やばい!何かみんな怒ってる?もう何でもいいよ。名前なんか思いつかないし。適当にさっき聞こえた空耳でいいや。えっと、確か……)

「……レ、レンブラントマキアス?」

 ルーイはさっき聞こえた空耳を呟いた。結構長めだったので少し間違っているかもしれないが、よしとしよう。

 ルーイがそう呟くと、ヴァイオリンが光った。と同時にヴァイオリンは消え、ルーイの両手に指輪が戻っていた。

 ルーイはもう慣れたのか、今度はさして驚かなかった。どうせこれもアーサーたちが仕込んだ儀式の演出の一つに過ぎないのだろう。ルーイは半眼で自分の手の中を見つめると、指輪に起きたある異変に気が付いた。

(あれ?この指輪さっきと何か違う?これって俺の名前と、……さっき俺が言った名前?)

 今までは何も刻まれてはいなかったはずなのに、左手の薬指の指輪には自分の名前が、右手の中指の指輪にはさっきルーイが言った『レンブラントマキアス』の名前が刻まれていたのだ。それに何となくだが、前よりも少し青みを帯びている気がする。いくらなんでも演出にしては無理がありすぎるのではないかと、ルーイは不思議に思った。自分の名前はさておき、さっき咄嗟に言った名前をこの一瞬の間に彫ったり出来るのだろうか。

「これにて選定の儀を終了する。」

 ルーイが名探偵ばりに推理していると、見届け人の一人がそう言った。どうやらこれで儀式は終了のようだ。見届け人とアーサーが部屋から出て行く。アーサーは去り際にルーイの耳元に囁いた。

「よかったな、ルーイ。その指輪、レンブラントマキアスを大切にな。」

「ちょっ!?ちょっと待ってよ!その指輪って、それどういうことなの?」

ルーイは慌ててアーサーを振り返った。しかし、アーサーはもう部屋から出ようとしている。ルーイは急いでアーサーたちの後を追って、儀式の間から出ようとした。しかし、扉からリフが飛び出してきて止められてしまう。

「何すんだよ、リフ!?」

「いけません!ルーイ様にはまだこの部屋でやることがあります。」

「やること?そんなの聞いてないよ。」

「さっき着替えている時に言いました。寝ぼけたこと言わないでください。」

 リフは冷たく言い放ち、ルーイを捕まえて部屋の中へ連れ戻そうとした。

「ちょっと待ってよ。やることって何なの?」

 ルーイはジタバタしながらリフに訊いた。扉の外にはもうアーサーも見届け人もいなくなっている。せっかくアーサーに色々と訊こうと思っていたのに、リフのせいで台無しだ。

「調律楽器を弾くんですよ。」

「へっ?」

 恨めしそうにリフを睨んでいたルーイだったが、思いがけないリフの台詞にすっとんきょうな声を出した。

「まぁ、最初の音合わせってところですかね。ルーイ様と調律楽器の波長を合わせるためのものですよ。それが終わって初めて選定の儀は終了するんですよ。」

「音合わせって、楽器無いじゃん。それともどこかにあるの?」

「何を仰っているんですか?今さっき調律楽器は決まったでしょう?」

「決まったよ。確かに決まった。でも決まっただけで楽器は持ってないよ。」

「決まったのならあるでしょう。現にあなたは指輪をしているじゃないですか。それなら問題はありませんよね。」

 リフは怪訝そうな顔でルーイを見ている。言っている意味が分からないといった感じだ。しかし、それはルーイも同じで、リフが言っている意味がさっぱり分からなかった。

「いや、言っている意味分かんないし。指輪があるから何なんだよ。これは前から持ってるじゃん。楽器とは関係ないだろう?」

 ルーイのその言葉を聞いて、リフは状況を悟ったようだ。呆れたような顔をすると、ルーイを真っ直ぐ立たせてから、聞き分けの無い子供を正すように言った。

「一体今まで何を学ばれてきたのですか?家庭教師のオーリン様が聞いたら自分を責めて自殺しかねませんよ。いいですか、よく聞いて下さい。あなたがしているその指輪こそが、調律楽器に他ならないんですよ。楽器を決めるというのは、正式にその指輪と契約し、自分に適した楽器に変形させるということです。その証拠に、あなたの指輪には名が刻まれたはずです。それにあなたのロウに反応して色みも少し変化しているのではないですか?」

「!?確かに名前が入ってるよ!俺がさっき適当に言った名前がさ。でも、変だろう?指輪が楽器に変わるなんてありえない。確かにあの変てこなヴァイオリンが指輪に変わったように見えたけど、父さんたちのくだらない演出じゃないの?生まれたときからしてる指輪が今になって急にそんな風になるなんて意味わかんないし。だいたいあのヴァイオリン、ガラスっぽくてあんなんじゃ音とかでないだろ!?」

 ルーイは思っていた疑問を一気に口にした。アーサーもさっき、その指輪、レンブラントマキアスを大切にしろと言っていた。もしかして、本当にこの指輪があのヴァイオリンなのだろうか。

「落ち着いて下さい、ルーイ様。この儀式は神聖なもので、断じて演出などではありません。あなたが生まれた時からしているその指輪は、ユーフォニア王家に代々伝わる指輪です。次期ユーフォニア王が生まれた時につけさせる王位継承の証でもあります。しかし、王位継承といっても実際に王になるのはまだ先の話です。それなのになぜ、生まれた時からその指輪をつけさせるのだと思いますか?それはその指輪に所有者のロウを吸収させて、最も相応しい調律楽器を生成するためです。大体まる五年程で指輪の中のロウと所有者のロウが融合し、調律楽器として形を成せるようになるのです。」

「じゃあ、この指輪が本当にあの変てこなヴァイオリンに変化するって言うのか?ただの指輪なのに?」

「変てこは余計です。あなたの調律楽器なんですからね。それにただの指輪でもありませんよ。生まれた時からしているのに、サイズがずっとぴったりでしょう?」

 ルーイはリフの言葉に愕然とした。確かにそのとおりだ。自分は思っていたよりも馬鹿だったらしい。なぜ今まで何の疑問も持たなかったのか。

 リフはルーイの様子を眺めながら、一度溜息をついてから言った。

「とにかく、分かったのなら調律楽器を弾いてください。そうしなければ儀式は終了しませんから。念のため言っておきますが、指輪から楽器に変えるためには、さっきしたように両手を組んで『開錠』と唱えることです。演奏が終了すれば勝手に指輪に戻りますから。」

 そういうとリフは部屋から出て行こうと踵を返した。

「あ、そうだ。もう一つ。演奏する曲は何でもかまいませんから。」

 一度振り返ると、リフはそう付け加えて部屋から出て行った。

 ルーイは人が誰も居なくなり、よりいっそう殺風景さを増した部屋に一人ポツンと残された。しばらく色々と考えていたルーイだったが、

(仕組みはよく分からないけど、まぁいいか。俺ももう六歳で大人だしね。よしっ!とにかくものは試し、やってみよう。)

 一度自分に渇を入れてから、祈るように両手を組んで唱えた。

「開錠―――」

 すると、指輪が眩い青い光を放ち、薄いコバルトブルーのヴァイオリンが現れた。

「うわっ!ホントに出てきた。ちょっと凄くない?これが俺の楽器、レンブラントマキアスか……」

ルーイは儀式の最中に頭の中で響いた声を思い出した。あの声は何だったのだろうか?適当にノリで名前を決めてしまってよかったのか、少々微妙な気持ちになった。

「と、とにかく。とりあえず弾いてみよう!どうも音が出るようには見えないけど……。何を弾こうかな。」

 ルーイは気を取り直して何を弾くかを考えた。しかし、弾くといってもルーイは一度もヴァイオリンを弾いたことがないはずだ。それで演奏など出来るのだろうか。しかし、ルーイは当然のようにヴァイオリンを構えた。見た目だけなら結構様になっている。

「そうだ!やっぱり弾くならあの曲だよな。俺の一番好きなあの曲。」

 ルーイはそう言うと、まるで弾けることが当たり前かのようにヴァイオリンを引き出した。今まで一度も弾いたことのない人間にはまったく見えない。これが、ユーフォニア王家の血なのだろうか。

ルーイの演奏に合わせるようにヴァイオリンが淡く光り出す。曲は『親愛なるマルグリットへ』だ。

 ルーイが奏でるその曲は今まで聞いたことがないほど美しい音色を醸しだしていた。ヴァイオリンという楽器は確かに美しい音色がするが、このような音だっただろうか。聞いたもの全てに奇跡を起こす様な、そこから世界が生まれ変わる様な、そんな音色だ。

 不思議なことに、ルーイの周りには淡く光る小さな光の欠片が無数に輝き、音が振動するように空気中に広がりながら四方へ飛んでいく。まるで光の雪が舞っているようだった。

(俺の大好きな曲。初めて弾くけど、俺もコリンみたいに誰かの心を暖かくできるかな。そうならいいのに。……届け、コリンに。みんなに届け。うまく弾けているか分からないけど、やっぱり聞いてもらいたいから……)

《いいよ。その願い、叶えよう。君がそう望むなら……》

 突然ルーイの頭にまたあの声が聞こえてきた。

(また空耳?よく分からないけど、でも……うん。一緒に叶えよう。)

 ルーイは祈るようにヴァイオリンを弾いた。この音が届いた全ての人が、幸せな気持ちになれるように。少しでも、暖かな気持ちになれるように。


 先ほどまでルーイがいた儀式の間とは反対側の別棟。城で働く者たちが居住している場所にある、コリンたちが住む部屋にルーイは走ってやってきた。

「コリン!」

 バタンと大きな音を立てて、意気揚々と部屋に乗り込む。しかし、

「あれ?居ない?おかしいなここに居るって聞いたんだけどな。」

 ルーイはキョロキョロと部屋を見回した。しかしコリンの姿はどこにもない。

 ルーイは演奏が終えた後、すぐにコリンのところに行く予定だったのだが、アーサーやリフ、見届け人たちに捕まって足止めをくってしまっていた。彼らは皆一様に、ルーイの演奏が素晴らしかったと褒めてくれ、それはそれで凄く嬉しかったのだが、コリンの感想をいち早く聞きたかったのだ。城の外まで響いていたと言うので、コリンにも演奏は届いたはずだ。自分の演奏をコリンはどう思ってくれただろうか。皆も褒めてくれたし、自分的にもまあまあ上手く弾けたのではないかと思うが、実際に会って感想を聞くまでは不安だった。早くあの悪戯っぽい笑顔に会いたい。

 部屋の中をキョロキョロ探してしていたら、窓の外にコリンの姿が見えた。コリンがいつもヴァイオリンを弾いている中庭だ。ルーイは嬉しそうに部屋を飛び出した。

「コリーン!おーい!ねぇ、俺の演奏……」

 ルーイは走りながらコリンに呼びかけた。

コリンは何やらヴァイオリンを持ちながら覚束ない足取りで中庭を歩いている。何か様子がおかしい。コリンは噴水の前で急に立ち止まると、持っていたヴァイオリンを振り上げ、思いっきり噴水の石の角めがけて振り下ろした。

「なっ!?何してるんだ!やめろ!」

 ルーイは大きな声で叫び、コリンに体当たりした。

コリンは体勢を崩し、そのまま地面に倒れこむ。

「痛って……。っ!ヴァイオリンは!?」

 ヴァイオリンは少しはなれたところに落ちていた。地面にぶつかった衝撃で弦が切れ、少し支柱が曲がってしまったようだが、これならまだ修理可能だ。ルーイはほっと胸を撫で下ろした。

「よかった……って、コリン!お前一体何やってんだよ!これはステラおばさんが買ってくれた大事なヴァイオリンだって言ってたじゃないか!」

ルーイはフラフラと起き上がったコリンに向かって怒鳴った。しかし、コリンは焦点の合わない目でヴァイオリンをチラッと見てから、抑揚の無い声で言った。

「いいんだよ。僕はもう、ヴァイオリンを弾かないから。」

「はぁ?急に何言ってんだよ。またいつもの悪ふざけか?それにしたってやり過ぎだぞ。」

 ルーイは困った奴だという顔でコリンを見た。

 コリンはそれに何も答えない。

 ルーイはヴァイオリンを拾うと、コリンに差し出した。

「ほら。くだらないことは止めて部屋に戻ろう。お前のせいで少し壊れちゃったんだぞ。」

 コリンはそれを思いっきり払った。その衝撃でヴァイオリンがルーイの手から落ちて、再び地面に転がる。

「お前なぁ……」

 ルーイは今度ばかりは本当に怒ったという顔でコリンを殴ろうとした。しかし、

「もう、いらないって言ってるだろう!僕はもう、ヴァイオリニストになるのはやめたんだ!こんなもの、あるだけで目障りなんだよ!」

 コリンの凄まじい剣幕に、その手が止まった。

「……一体急にどうしたんだよ?やめたって、何で急に……」

 ルーイは当惑した。コリンの悲しみと怒りが混ざったようなその表情を見る限り、どうやらおふざけではないようだ。ではなぜ急にこんなことを言い出したのか。コリンはヴァイオリニストになる夢を毎日のように語っていたのだ。それが、急にやめるなどと、ルーイには信じられなかった。

「何でって……。そんなの、君の演奏を聞いたからに決まってるだろう。」

 コリンは静かにそう言った。

「え……。今、何て?よく聞こえな……」

「さっきの君の演奏、素晴らしかったよ。僕は今までヴァイオリンがあんな音を奏でることが出来るって知らなかった。僕には一生やってもあの音は出せない……!僕じゃあんな風には弾けないんだよ!それが分かった今、もうヴァイオリニストになんてなれない。絶望を突きつけられて、それでも夢を語れるほど僕の夢は簡単なものじゃないんだよ!」

 心の中の毒を吐き出すようなその声に、ルーイは呆然と立ち尽くした。コリンは一体何を言っているのか。あまりの衝撃に頭が働かない。ただ一つ言えるのは、自分の演奏が彼を傷付けたということだ。

(何で?どうして?俺はただ、コリンみたいに弾ければって。みんなが暖かな気持ちになれるようにって。そう願って弾いただけだ。それなのに何で?俺の演奏は誰かを不幸にする……。そういうことなのか?)

地面に蹲り声を殺して泣くコリンを、ただ呆然と見つめることしか出来なかった。


「コリン。あの、俺ルーイだけど……。入ってもいい?」

 ルーイは再びコリンの部屋の前に来ていた。結局、昨日は騒ぎを聞きつけてきた他の使用人たちに連れられて、それっきり話せないまま終わってしまったのだ。ルーイはいくら考えてもコリンの言っていた意味が分からないままだった。そこで、一人でグダグダ悩んでいても埒が明かないと、コリンのところに直接行って話をすることにしたのだ。昨日はお互いに混乱していたが、一日経った今なら、冷静に話すことができるに違いない。

「うん、いいよ。入って。」

 ルーイがそっと扉を開けて中に入ると、いつも通りの優しげな表情をしたコリンがいた。しかし、いつもと違ってヴァイオリンを持っていない。この時間はもうヴァイオリンの練習をしている時間のはずだ。

 意気込んできたくせに、何と切り出せばいいのか分からずルーイがモゴモゴしていると、

「昨日はごめんね。変な言い方をしてしまって。もしかしたら、ルーイが気にしてるんじゃないかって心配だったんだ。」

 ルーイが慌ててコリンを見ると、悪戯っぽい笑顔でそう言った。

 いつも通りのコリンの顔を見て、一気に安心したルーイは、

「やっぱり昨日のは嘘だったんだね!コリンがヴァイオリンをやめるわけないもんね!」

 嬉しそうにそう言って、コリンの傍に駆け寄ろうとした。しかし、

「それは嘘じゃないよ。僕はもう、ヴァイオリニストにはならない。」

 コリンはきっぱりとそう言った。昨日の焦点の合わない虚ろな瞳ではなく、断固とした意思が宿る瞳でルーイを見据えている。

 ルーイは駆け寄ろうとしていた足を止め、思わずその場に立ちつくした。

「な、何言ってんだよ。意味分かんないよ。」

「どうして?説明は昨日したはずだよ。僕にはヴァイオリニストになるほどの才能はなかったんだよ。僕のこれからの夢は自分の音楽堂を持つことなんだ。えへへ……。ヴァイオリニストを諦めたくせに、それでもまだ音楽には携わっていたいなんて、やっぱり僕は音楽が大好きみたいだ。」

 コリンはむしろ晴れやかな顔で言っている。もうヴァイオリニストに何の未練もないような顔だ。

 ルーイは何を言ったらよいのか分からず、ただ、嘘だといわんばかりに首を横に振ることしか出来ない。

 黙ってしまったルーイに、コリンは少し困った顔をした後、

「そうだ!おめでとうを言うのを忘れてたね。昨日はお疲れ様、そして調律楽器の決定おめでとう!ルーイの希望通りヴァイオリンになってよかったね。初演奏、本当に素晴らしかったよ。今思い出しても体が震えるくらいだ。あんな演奏、他のどんな有名なヴァイオリニストにも出来ない。ルーイだけが出来る奇跡の魔法だよ!一緒にデュエットするっていう夢は僕にはもう叶えてあげられないけど……そうだな、僕の音楽堂の杮落としをルーイに頼みたいな。……なんて、それはちょっと僕にとって都合が良すぎかな?」

 コリンはまた、悪戯っぽい顔で無邪気に笑っている。

「何だよそれ……。自分一人で納得して、一人だけ悟ったみたいな顔して……。俺はそんなの認めないから!何が新しい夢は、自分の音楽堂を持つことだよ。ふざけんなっ!ずっと前から夢はヴァイオリニストって言ってた奴が、そんな簡単に諦められるわけない!」

 ルーイは自分の体が小刻みに震えているのを感じた。全身の血が逆流して、今にも噴き出してしまいそうだ。

「ルーイ……。僕の中では本当にもう整理が付いているんだ。確かに昨日は取り乱してしまったけど、これからは君が奏でる音楽を一緒に追っていきたいんだ。」

「一緒に追う?じゃあ、やめないでよ……。一緒に弾いてよ……。俺はコリンの演奏が好きだよ。コリンの音楽は人を温かい気持ちにできる。それはコリンが持つ魔法でしょう?絶対、ヴァイオリニストになるべきだよ!」

 ルーイは一生懸命に訴えた。コリンの演奏がどれほど素晴らしいものかを、自分にとってどれだけかけがえのないものなのかを。

「ルーイ、ごめん……。でも、それだけはもうできないんだ。君の音を聞いてしまったら、もう弓を握ることはできない。これは、僕が今まで真剣にヴァイオリンと向き合ってきたからこその、僕なりのプライドなんだ。分かって欲しい。」

 さっきまで困ったような顔をしていたコリンだったが、今は澄んだ瞳でルーイをしっかりと見つめている。

いつも穏やかで、あまり自分の我を通そうとしないコリンだったが、昔からこれだけは譲れないという自分のルールーはしっかりと持っていた。特に、ヴァイオリンのことに関しては、他の誰が言ってもそのルールを曲げるようなことはしないだろう。ルーイはそれを知っていたが、どうしても今回だけは、自分の願いを聞いて欲しいと祈るような気持ちだった。しかしその願いも虚しく、コリンには届かないようだ。それを彼の穏やかな瞳の奥に宿る揺るぎない決意の炎が語っていた。

「はは……。それってやっぱり、俺のせいだってことじゃん……。コリンがヴァイオリンをやめるのは、俺がヴァイオリンを弾いたせいだってことだろ!」

 ルーイはこみ上げてくる感情に、一瞬眩暈がしてよろけた。自分は何て滑稽なのだろう。コリンに届くようになどと思わなければ良かった。あの時祈りを込めて弾いたヴァイオリンは、自分が愛してやまないコリンの音楽を奪うだけの、悪魔の音楽だったのだ。

「本当に、最悪だ……。俺のこの手は、誰かを傷つけ、不幸にすることしか出来ない呪いの手か……。そうか、そうだったんだ……」

「ルーイ……?」

「分かったよ、コリン。本当にごめん。全部俺が悪いんだよね。俺の音楽が悪魔の音楽だから……。俺はもうヴァイオリンを弾かないよ。音楽には、もう二度と関わらない……!」

 そう叫ぶとルーイは走り出した。後ろからコリンが呼ぶ声が聞こえるが、振り返らずに一目散に自分の部屋に向かった。これでも足は速い方だ。コリンには追いつけないだろう。

一気に居住塔から出て、本塔に入ったルーイは途中、大階段の前に来たところで思いっきり転んでしまった。

「痛っ……」

 結構な勢いで転んだので、その場に蹲ってしまうほど痛かったのだろう。倒れたまま一向に起き上がる気配が無い。

「……痛くて、痛くて、もう立ち上がれないよ……」

 ルーイは絞りだすような声で呟き、その場に泣き崩れた。本当に痛いのは体なのか、それとも心なのか。そんなことは分かりきっていたが、ルーイは転んだせいだと自分に言い聞かせた。

 ふと、ルーイの目にあの指輪が映った。自分の名とあのヴァイオリンの名が刻まれた指輪だ。生まれてからずっとしてきた、もう体の一部のような存在だったが、今は見るだけで吐き気がするほどムカムカした。ルーイは指輪を引き抜こうと力をかけたが、指輪はビクともせず、指からまったくはずれない。

(……何でだよ。こんなもの、俺にはもう必要ないのに。……何もかも消えてなくなればいい。この指輪も、この国も、世界中に溢れる音楽も、何もかも消えてなくなれっ……!)

 ルーイは世界に対して呪いの言葉を吐いた。何かを呪えば、それだけ自分に返ってくる。しかし、そんなことはもうどうでも良かった。なにしろ、ルーイが今一番消えてなくなって欲しいのは自分自身以外の何者でもなかったのだから。


 あれから数時間が経ち、ルーイたちは昼食を済ませた後、再び変わり映えのしない森の中を歩いていた。もうこの景色が五日間続いている。いい加減に飽き飽きしてきた。

(あーあ、もううんざりだな。本が読みたい……。ゲームがしたい……。)

 ルーイがそんなことえをぼんやり考えていると、

「あっ、そうだ!これ、忘れないうちに渡しておきますね。」

 ロブはルーイに見た目にはあまりきれいとは言えない防寒用のマントを差し出した。

 ルーイは我に返り、そのマントをじっと見た後、一瞬躊躇しつつも受け取って尋ねた。

「……ありがとうございます。でも、これ何なんですか?」

(うっわ……何だよこの汚いマント。)

「ユーノ様から、ルーイさんに渡すように言われました。何でも午後から雨が降り出して、夕方には雷を伴った土砂降りになるそうで、防寒対策用だそうです。結構暖かいですよ。」

「そ、そうなんですか……本当に申し訳ないです。色々気を使ってもらって……ありがたく使わせていただきますです。ハイ……」

(こんなんいらないっつうの。っていうか、ユーノからって……何か怖いんですけど。)

 ルーイは心とはまったく正反対の感謝の言葉をぎこちなく述べた。

 汚くて嫌だとは、普段もっとボロボロの汚い格好をしている癖にどの口が言えたのか。ルーイはユーノの行動にいちゃもんを付けずにはいられないようだ。

「ユーノ様って本当にお優しいですよね。本当に憧れちゃうな。色々な所に気が回るし、何より俺より三つも年下なのに、すごくお強くて……あの人こそ、騎士の中の騎士って感じですよね!俺もあんな風に強くて優しい騎士になるのが夢なんですよ。」

 ルーイが迷惑そうな顔でマントを見ていると、ロブが嬉しそうな声で意気揚々と言った。

予想外に話しかけられてしまったため、ルーイは情けないことにビクッと震えてしまったが、動揺しながらも何とか切り返した。

「え、えーと、ユーノ様っておいくつなんでしょうか……?ロブさんよりお若いって相当若いってことですよね。あっ!あのこれ、別にロブさんが子供っぽいとかっていう意味じゃありませんから、ホントに、嘘じゃないですホントです、ハイ。」

(はぁー、びびった。いきなり話しかけるだもんな。それにしても、こいつより若いってユーノっていくつ?俺的には二十五か、リフと同じくらいかと思ってたんだけど……)

「ユーノ様は現在十七歳です。まだ十代なのにあの風格!うんうん。ルーイさんが驚いてしまうのも頷けますよ。」

 ロブはルーイのポカーンとした顔を見て、まるで自分のことのように自慢げだ。呆気に取られて話なんて聞いていないルーイそっちのけで、ユーノへの賛美を続けている。

(マジで!?十七?俺と二歳しか違わないの?お、大人っぽすぎだろ!?何食べてればあんな風に背が高くなれるんだ?う、羨ましいぞ……)

 ルーイが、ユーノに何を食べているのか訊いてみるかどうか真剣に悩んでいると、さっきまで心酔しきった顔で何やら語っていたはずのロブが、ずいっと顔を近付け、真剣な顔でルーイに訊いてきた。

「やっぱり、ルーイさんもユーノ様が怖いんですか?」

「うっ……!え、えっと、あの、こ、怖くなんか無いです。全然これっぽっちも。素晴らしい人……です。たぶん……ハイ。」

(いきなり顔を近づけるな!おまえの方が怖いわっ!はぁ……ユーノが怖いかどうかなんて訊くような問題じゃないだろう?だってあいつはあの『紅剣の黒い悪魔』なんだろう。怖いとかそういう以前の問題だよ。こいつ何考えてんだよ。)

 ルーイはいきなり顔を近付けてきたロブに仰け反ったが、ぎやぁ!と叫んで逃げ出しそうになる衝動を何とか抑えて答えた。

「そうですか……やっぱり怖いんですね。ルーイさんの態度を見れば誰にでも分かります。それが分かっているからこそ、ユーノ様はルーイさんを怖がらせないために、こうやってわざわざ別々に移動してますしね。……ユーノ様は、毎日俺に、あなたが体調を壊したりしていないかを聞いてくるんです。そんなに心配ならそばにいれば良いのに。自分があなたを怖がらせてしまうことが、ユーノ様には怖いんですよ。」

 ロブは、ルーイの返事を軽くスルーして辛そうにそう言った。

ルーイは本心が見破られていたことに動揺したが、それよりもロブの言葉が気になって仕方なかった。確かにユーノは出会った時から自分を労わってくれていた。それなのに自分は、ユーノがあの『紅剣の黒い悪魔』だと知っただけで彼の本心を見ようともせずにただ拒絶したのだ。自分はユーノを傷つけてしまったのかもしれない。ルーイの頭の中にあの夜の、自分が恐ろしいかと聞いてきた時の、ユーノの深いアメジスト色の瞳が浮かんだ。

 ルーイが眉をしかめて黙り込んでしまったのを見て、ロブは言った。

「すみません。これじゃルーイさんを責めてるみたいよね。ルーイさんは悪くないですから。ただ、俺は、あの人が他国で言われているような血も涙も無い悪魔なんかじゃないってことを知ってもらいたいだけなんです。確かにあの人は、他国の人が恐れるような一騎当千の力を持っています。でも、その力を無作為に振り回すような人じゃありません……そうだよ、そうなんだよ。……ユーノ様だって、本当は戦いたくなんかなかったはずだ。でも、国のために仕方なく……そうだよ!それが騎士としての務めだから。それがこのセイレーンの平和のために必要なことだから……!」

 ロブの言葉は途中から独り言のようになっていた。どこか焦点の合わない眼差しで、まるで自分にそう言い聞かせているようだった。

 ルーイはロブのあまりの気迫に圧倒されてしまい、話を続けることが躊躇われたが、どこかおかしいロブの様子がひっかかったし、自分でも驚いたことに、もっとユーノについて知りたいと思ってしまったので、なけなしの勇気を振り絞って訊いてみることにした。

「あ、あの……ロブさんはどうしてそこまでユーノさんを、その、信じられるんですか?この前、騎士になったばかりだと言ってましたよね?そんなにユーノさんとの付き合いが長いようにも思えないんですが……あっ!あの、これ別に、よく知りもしないのに適当なこと言うなとかって意味じゃないですから!ホントに、嘘じゃないですホントです、ハイ。」

 ロブはルーイの言葉で我に返ったのか、いつもの人の良さそうな顔で言った。

「確かに、俺は騎士になってまだ一年も経ちません。ユーノ様と同じ隊での任務も初めてです。でも、ユーノ様のことはずっと前から知ってました。何しろ、ユーノ様に憧れて俺は騎士になったんですから。この最近の聖戦で国外でも有名になりましたが、俺たち騎士を志すものにとってはユーノ様はかなり前から有名なんですよ。小さい時からその才能はずば抜けていて、その時の最年少記録である十歳で騎士になったんですから。」

「十歳……。」

(騎士課程ってすごく厳しいんだよな?養成所に入っても半数以上が課程を修了できないって話しだし。しかも、無事課程が終了しても正常に騎石を扱えるかどうかは分からないって、昔リフが言ってたような……)

「凄いですよね。俺十歳のときなんて何考えてたかも覚えてませんよ。きっと、誰かに守ってもらうだけのただの子供だった。……実は俺、七つ上の兄貴がいるんです。兄貴は地元では知らない人がいないくらい強くて、俺はいつも兄貴に守ってもらってました。すっごく自慢の兄貴だったんです。その兄貴が騎士になるために養成所に行ったんですけど、ちょうどその時ユーノ様が養成所にいたんです。」

「え?じゃあ、お兄さんとユーノさんは同期生ってことですか?」

「いや、同期生とは、言わないかな。なにしろ兄貴の入学はユーノ様より四年も前ですから。二人が一緒に学んだのはたったの一年です。兄貴が十九、ユーノ様が九歳の時です。その時兄貴は半分騎士になるのを諦めかけていたそうです。四年もやって芽が出ないんじゃ、そう感じても無理ないですよね。そんな時に入ってきたのがユーノ様です。ゲイルシュタインの幼い王子様と一緒に学ぶなんて、兄貴は面白くなかったんでしょうね、よくユーノ様とぶつかっていたそうです。で、結局ユーノ様は一年で養成所を出て騎士なってしまい、兄貴は残留。十歳も年の離れたガキに先を越されてしまったわけです。兄貴はその後必死になって鍛錬して、めでたく騎士になれたんですけど、あの時ユーノ様に出会わなければ、自分は騎士になれなかったって、いつも言ってました。兄貴曰く、『あいつは今思い出してもめちゃくちゃムカつく、超生意気なクソガキだが、騎士が何たるものなのかを俺に教えてくれたヒーロー』なんだそうです。俺はその話をきいて、いつか俺もユーノ様に会ってみたいとずっと思ってたんです。ゲイルシュタインの騎士になったのもそのためです。騎士になってからのこの一年、ユーノ様は本当に、兄が話してくれたような素晴らしい騎士でした……。騎士を目指してからも、実際になってからも、ユーノ様は俺の中でとても大きな存在なんですよ。何しろ、俺にとってのヒーローだった兄貴のヒーローなんですから……」

 ルーイはロブの話に相槌を打ちながらも、やはり何かおかしいなと不思議に思って聞いていた。さっき少し狂ったようにユーノは悪魔なんかじゃないといっていたこともそうだが、今の話もどこかひっかかった。ユーノが実際にどのような人物なのか自分には分からないが、ロブにとってユーノは間違いなく目指すべき憧れの騎士なのだろう。だがなぜだろう、彼がユーノのことを話す様子は、どこか少し悲しそうな、いや、寂しそうな、なんと表現すればよいのか、とにかく何か違和感があるのだ。

(なんだろう?やっぱり何かひっかかる……って、冷た!)

 突然、ルーイの額にポツッと冷たい水が当たった。

「とっ、大変だ!もう雨が降ってきたか。ルーイさん、そのマントしっかり着といてくださいね。ついつい話しすぎました。雨が強くなる前に少しペース上げましょう。」

 そう言うとロブはまたいつもの爽やかな好青年顔に戻り、足早に森を進み始めた。

 ルーイは仕方なく渡されたマントを身に纏い、先ほど浮かんだロブへの違和感は忘れて、後を追って小走りに走り出した。


 ユーノの予言どおり、夕方になる頃には雨足が相当強くなってきていた。風も強く、木々がガサガサと悲鳴をあげている。地盤の弱い所では崖崩れも起きており、今日はもうこれ以上進むのは危険と判断し、このまま野宿することになった。

 ルーイは雨が避けられるよう、木の陰に立ってぼんやりとロブを待っていた。ロブは今定時報告に来た本隊からの連絡係と打ち合わせ中だ。今日のこの悪天候で何かと話すことが多いのか、いつもより長くかかっていた。

(このマント、汚いけど意外と役に立ったな。これがなかったら寒くて凍死してたかも。まぁ、それは言い過ぎだけど……ってあれ?)

 ルーイはふと、自分の腕に携帯用のソーダスがなくなっていることに気付いた。午後、このマントをもらった時には確かにあったのに。少し急いで小走りに移動したときにどこかに落としたのかもしれない。

(嘘!?落とした?……そうか、あの時だ。木の枝に引っ掛けた時だ。取りに行かなきゃ!)

 ルーイは一応ロブに伝えようとしたが、ロブはまだ連絡係と難しい顔をして話している。なかなか話が終わらない様子を見て、ルーイは舌打ちした。実はルーイは焦っていたのだ。というのも、あの携帯用ソーダスにはルーイにとって大切なデータが入っていたからだ。この森では機械類が使えないのか、ソーダスも動かなかったけれど、これから自分が一人で生きていくためには何よりも必要なデータだった。

(どうしよう、この雨でどこかに流されたりしたら、場所が分からなくなっちゃうよ。あの中にはコリンの演奏データが入っているのに。クソっ……!)

 ルーイは居ても立ってもいられず、今来た道を一人で戻り出した。ロブには何も言っていないが、すぐに戻れば大丈夫だろう。ルーイは心当たりの場所へ急いだ。


 厚いカーテンをひいたような曇天の空には、少し前から雷の音も小さく聞こえ始めていた。まだ雷雲は遠くにいるようだが、ここまでやってくるのは時間の問題のようだ。情けないことにルーイは雷が苦手だったりする。雷の日は耳栓をして布団を頭から被り寝てしまうというのがルーイの対処法だ。土砂降りになって雷が本格化する前に、何としても戻らなければ。一キロ程来た道を戻ったルーイは、低い木々が乱立する茂みをごそごそ掻き分けながら辺りを見回した。確か、針のように尖った葉が生えている低い木だ。その葉っぱにひっかけてソーダスを落としたに違いない。

(うーん……確かこの辺。この痛い葉っぱが刺さって……あ!あった!)

 尖った葉が生えた木から二百メートルくらい離れた位置に、ルーイのソーダスは落ちていた。思ったよりも遠くに落ちている。これはもしかすると……

 ルーイは嬉々としてそこまで駆け寄りソーダスを拾おうとした、とその時、泥濘に足を取られてバランスを崩した拍子に、

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 そのままその部分が崩れた。これはいわゆる土砂崩れというやつだろう。ソーダスが落とした場所と二百メートルも離れた位置に落ちていたのはこのせいだったのだ。今日の天候と、もともとこの辺りの地盤が緩かったこともあり、崩れてしまったのだろう。

 ルーイはもの凄い勢いでどんどん滑っていく。こんなにこの場所が斜めになっているとは思わなかった。まったく止まる気配がない。ルーイは滑る前に何とかソーダスを拾って、大事そうに手のひらの中に包み込んでいた。そのため、手を突いて踏ん張ることも出来ない。まぁ、この状況でそうしてもあまり意味はないだろうが。ただ、葉っぱによる細かい擦り傷を少しは避けることが出来たかもしれない。

 突然目の前に大きな太い木の幹が出現した。このままではルーイとこの幹は正面衝突してしまう。そうなれば、自分は意識を失い、土砂の下敷きになってしまうかもしれない。打ち所が悪ければそのままボックリということもあり得る。どちらにせよ、このままでは本当に命の危険だ。

(嘘!やばい、ぶつかる……!)

 ルーイがどうすることもできずに目を瞑った瞬間……

《ドンっ》

(あれっ?……痛く、ない?)

 確かに幹にぶつかる音がした。しかし、あの太い幹にぶつかったにしては、感じた衝撃は小さかったような気がする。むしろ、誰かの温かい腕に抱きしめられているような気さえする。ルーイが固まったまま思考停止していると、今まで土砂と森だったルーイの視界が急に開け、曇天の空が映った。

(っっっ!!えぇっ……!?)

 立て続けに起こるミラクルに何が起きたのか一瞬分からなかったが、どうやら誰かが自分を抱きかかえて、幹との衝突から守ってくれたようだ。そしてその本の主人公張りのヒーローは、そのまま人間とは思えない跳躍でこの土砂を飛び越えている。

 早鐘を打つ心臓の音を耳の奥で聞きながら、ルーイはそっと自分を抱えるヒーローを見上げた。実は少しだけ心当たりが合ったりするが、確信はない。もし彼なら、自分はこれからどうしたらいいのだろう?

期待と戸惑いを含んだルーイの瞳には、あの美しい金髪とアメジスト色の瞳をもった青年が映っていた。まるで天使が自分を抱きかかえ、羽を広げて飛んでいるようだ。

(あぁ……やっぱりあいつだ。天使の皮を被ったあの悪魔。でも、こうやって助けてくれるなら、実際に天使だろうと、悪魔だろうとどっちでもいいよな……。だって、自分にとってヒーローだってことに間違いはないんだから……)

 ルーイはぼんやりとそんなことを思いながら、そっと目を閉じた。


 ユーノの活躍で何とか土砂崩れから脱出したルーイたちは、更に強くなってきた風雨を避けるために小さな洞窟の中に避難した。ここはさっきまでルーイたちが歩いていた道よりも更に迷いの森の奥に当たる部分だ。この天気では下手に動かず、朝が来るのを待った方が良いとの判断だ。

「君は、馬鹿なのか?こんな天候のときに一人で森を歩くなんて……通常の天候でだって、一人で歩くことは危険なんだぞ!」

 洞窟に着いた途端、ルーイは思いっきりユーノに怒られていた。あまりの慌てようと剣幕だったので、ルーイは更に萎縮してしまい、

「あ、あの、その、えっと、だから……あの……」

 なんて、また意味を成さない言語を発している。

 ユーノはルーイの様子を全身隈なく確認した後尋ねた。

「はぁ……。見たところ怪我はないようだが、どこか痛いところはないな?」

「えっ!?あ、あの、ハイ。ないです、大丈夫です。全然平気です?」

 なぜか最後が疑問系だが、確かにルーイにはこれっぽちも怪我はなかった。あれだけしっかりユーノが庇ってくれたのだ。怪我などあるはずもなかった。それよりむしろ、ユーノのほうが気になった。あの時、確かに幹にぶつかる音はしていた。ということは、ユーノは自分のせいで幹にぶつかったということだ。考え出したら気になって仕方がない。

 ルーイが無言で難しい顔をしているのを見たユーノは、ハッとした顔をした後、すっと静かにルーイから離れた。

「そんなに……、こんな天候の中でも、逃げ出したいくらい嫌だったのか?」

 ルーイから距離をとったユーノが小さな声で訊いた。

 まだ悩んでいたルーイは、一瞬その声を聞き逃しそうになったが、何とか耳に拾った。

「えっ?」

 ルーイが慌てて尋ねると、

「……あと少しでマルムークに到着する。そうしたら、すぐにでも開放する。だから、今は大人しくしていてくれ。この森は本当に危険なんだ。私たちでさえ、何が起こるかわからない。もう少しだけ我慢して欲しい……」

 ユーノはルーイの返事を聞きもせず、勝手に解釈して言った。

「……今夜も……その、悪いが我慢して欲しい。なるべく、君には近寄らないから……」

 ユーノは更にルーイから離れるように後ろに下がった後、ぼそりと言った。いつもはっきりきっぱり物を言うユーノにしては考えられないくらいの歯切れの悪さだ。これではルーイといい勝負である。

 ルーイには後からユーノが言った言葉は、焚き火のパチパチいう音で聞き取ることはできなかった。しかし、ユーノのその表情と行動から、彼が何を言っているのかをだいたい推測することができた。彼は最初の日に自分が怖いかと尋ねた時と同じ瞳をしていた。無表情の整った顔の中に潜む、孤独と悲しみが宿るあのアメジスト色の瞳だ。

 なぜだか分からないが、ルーイは急にイライラしてきた。勝手に人の気持ちを解釈して、一人でうじうじ悩んだあげくに、自分が引いてその相手に合わせるなんて、まったく『紅剣の黒い悪魔』らしくない。いや、今は彼の二つ名などどうでもいいのだ。さっき自分の身も顧みずルーイを颯爽と助けてくれたヒーローは一体どこにいってしまったのか。自分の中のヒーロー像と違うことがイライラするのだ。

(なんだそれ?それは違うだろう?いいよ、孤独なヒーローかっこいいよ!でも、ダメだろ?誰にも理解されなくても、それでも自分を曲げずに凛とした態度をとり続けるのが真の英雄だろ!ギャラティンはそんな顔誰にも見せない!)

 ギャラティンというのはルーイの愛読書『孤高なる英雄王ギャラティン』シリーズの主人公のことである。この家出にも持って行こうと、リュックの中に分厚いハードカバーを百冊詰めるほどの熱愛ぶりである。

「あの。」

 ルーイはきっと怖い顔をして立ち上がると、ルーイから離れたユーノのそばに自分から近付いた。

「何か勘違いしているみたいなので訂正させてもらいますけど、俺は別にあなたたちといるのが耐えられなくて逃げ出したわけじゃありません。ソーダスを落としたから……これにはとても大事なデータが入ってるんです。だからどうしても取り戻したくて一人で飛び出しちゃったんです。それは悪かったと思ってます。」

 そう言って、ルーイは手のひらに握っていたソーダスをユーノの目の前に広げた。

「それから……俺は、特別あなたのこと、話したくもないとか、近寄りたくもないとか思ってるわけじゃありませんから。誰に対してもこうなんです。そういう性格なんです。」

 言いたいことが言えてすっきりしたという顔でルーイは息をついた。今までのビクつきながら小さな声でぼそぼそ話すのではなく、本来のルーイらしい話し方だ。

 その様子を、ユーノは呆気に取られたような顔でぽかーんと見つめている。

「っっっ!!お、俺何言って……」

 ユーノの表情を見て我に返ったルーイは慌てて後ろに飛びのいた。自分は何て事を言ってしまったのだろう。恥ずかしい。というか、ユーノに対して生意気な態度を取り過ぎてしまったのではないだろうか。

「ま、待ってくれ!」

 慌てて飛びのいたルーイの腕をユーノが掴んだ。

ルーイとユーノの距離が一気に近くなった。

 ルーイは自分が引き起こした事態に、パニック状態で声も出ずそのまま固まった。

「あっ!すまない。つい……」

 そう言ってユーノはルーイから手を離した。

「えっ、あ、いや、その、へ、平気ですから……」

 ルーイはユーノから離れるタイミングを失って、そのまま俯くことしかできなかった。

「……本当なのだろうか?」

「えっ?」

 ルーイは顔を上げてユーノを見上げた。

 ユーノは横を向いていて、ルーイと目を合わせないようにしている。

「さっき、君が言ったことは、本当なのだろうか?」

 ルーイはきょとんとした表情で考えた後、サーッと青ざめた表情になり、

「さ、さっきって、さっき……?す、すみません。生意気なこと言って本当にすみませんでした。あの、俺別にユーノさんの態度とかにダメ出ししたわけじゃないですから、あの、その、ほ、ホントですから……」

 ルーイは慌てて弁解した。が、その言葉を遮って、

「違うんだ。そういうことじゃなくて……。私たちのことを…私のことを特別に恐れているわけでは、嫌っているわけではない……そう言っていたのは本当なのだろうか?」

 ユーノのその声は、やはりいつもの凛としたものとは違うようだ。少しずつ、確かめるように訊いてくる。

 ルーイは驚いた顔でもう一度ユーノの無表情な整った横顔を見つめた後、

「……本当です。確かに、最初はあなたがあの『紅剣の黒い悪魔』だって聞いて驚きました。恐いとも思った。でも、実際のあなたは……少なくてもこの何日間、って言っても話したのはすごく少ないけど、その間に俺が感じたあなたは、噂のような人物じゃなかった。……と言うか、俺は人間全般が恐いのであって……」

 最後はやはりいつもどおり歯切れが悪くもごもご言っていたが、そんなことはユーノには気にならなかったらしい。

「……ありがとう。」

 今まで横を向いて、ルーイのことを見ようともしなかったユーノが、今はしっかりとルーイを見つめている。その瞳は美しいアメジスト色だ。

「やっぱり綺麗だ。俺の好きなアメジスト色の瞳……」

「え?今何と……?」

 ルーイはまた、独り言を口にしてしまったようだ。長年一人の生活を続けてきたせいか、どうも独り言が多い。禿げてしまったらどうしよう。

 突然変なことを言われたユーノの顔はいつも通りの無表情だったが、少し照れたような、困ったようなそんな顔をしているようにルーイには見えた。

「え、いや、違うんです。何でもないです。気にしないでください。そうじゃなくて、あの、その……ありがとうございます!その、何度も助けてもらって。まだ、一度もきちんとお礼を言ってなかったと思うし……。だから、ありがとうって言うのは、ユーノさんじゃなくて、俺の方なんです。」

 ルーイは恥ずかしくなってユーノから目を反らした。

(俺、何言っちゃってんの?いきなり綺麗とか、ありえないだろ!こいつは悪魔なの!俺の馬鹿っ!あ゛ぁぁぁぁぁもう一回やっぱ恐いですって訂正した方がいいかな?でもそんなことしたら、今度こそ怒って殺されちゃうかも!?)

 ルーイが赤くなったり青くなったりしていると、急にユーノが苦しそうによろめいた。

「えっ!どうしたんですか?」

 ルーイは慌ててユーノを支える。こんな風に自然に手が出る自分に少し驚きを感じたが、今はそんなことはどうでもよかった。

「もしかして、さっき俺のこと庇って木にぶつかったせいじゃ……、すみません!俺が考えもせずに一人で無茶したから……」

「いや、そうじゃない。少し気が抜けて。……大丈夫だ。これくらいの傷は何でもない。」

「でも、あなたが怪我をしたのは俺のせいだ……。何でわざわざ迎えになんて……俺なんてどうでもいい他人なのに……」

「どうでもよくなどない!あ、急に大きな声で……すまない。だが、君が気に病む必要はどこにもないのだ。私は当然のことをしただけなのだから。私は君を無事にマルムークまで送り届けると言った。その約束を違えるわけにはいかない。それが騎士としての勤めだ。」

 ユーノはルーイが気にしている意味が分からないといった様子だ。騎士というのがどういうものなのかよく分からないが、これほどまで他人に義理立てするものなのだろうか。確かに騎士の誓いは神聖なもので、一度誓いを立てれば何があってもその誓いを守り抜くというのは聞いたことがある。リフもアーサーに誓いを立てているので、何があってもアーサーを裏切ることはないだろう。しかし、ユーノにとってルーイは数日前に会っただけのあかの他人だのはずだ。ルーイはユーノという人物がまた更に分からなくなった。

(何なんだこいつ?騎士として当然っていうけど、それは騎士としてやらなければならない絶対のことなのか?騎士だからやるのか、それとも自分がそうしたいからやるのか。そこにお前の意志はあるのか?)

 考えてもルーイにはその答えは分からない。もしかしたら、ユーノ自身にも分からないことなのかもしれない。

「……ユーノさんには当たり前のことなのかもしれないけど、俺にとってはそうじゃないから……だから、俺は自分を責めるし、あなたに悪いと思う。それは俺の意志だから、きちんと心配させてほしい。」

 ルーイはユーノの顔を見ながら、静かにそう言った。

 ユーノはじっとその瞳を見つめている。

「って、俺また、生意気なこと……!す、すみません。ホントにすみません。ユーノさんに意見したとかじゃないですから、ホントに嘘じゃないです、ホントです、ハイ。」

 ユーノがあまりにもじっとルーイを見つめるので、ルーイはまた青くなってわたわたと訂正をする。普段ならこんなふうに自分の考えを他人に、しかもよりによって『紅剣の黒い悪魔』と言われるような恐ろしい人間に話すようなことは絶対にないはずなのに、さっきから調子が狂いっぱなしだ。

(本当に俺さっきから変だよ。こんなふうにこいつのこと普通に心配して、普通に思ったこと話しちゃって……でも、だってさ。何かいい訳みたいだけど、こいつ全然恐いって雰囲気がないんだもん。それどころか、他の人よりむしろ話やすい……?って馬鹿かっ!そんなわけないだろっ!)

「いや、不思議で……」

「え?」

 ルーイが恒例の自問自答パニック大会を脳内で開催していると、ユーノがゆっくりと口を開いた。

「そんなふうに言われたのは初めてだ。私のことを心配したいなんて。……ふふっ。そうか……。君がそう言うのなら、私は君の意志を尊重しよう。ただ一つ言っておく。私は確かに君を助けるために怪我を負った。しかし、この傷はまったく大したことはない。さっきも言ったように、気が緩んで少しよろめいただけだ。それに、こんな傷くらいで君を守れたのなら、それは私にとっては嬉しいことでさえある。だから気にするな。あ、いや、大いに気にしてよいが、私は大丈夫だ。」

 ユーノはとても真剣に話していたのだが、途中から自分でも言っていることがよく分からなくなっているようだった。悩みながら話すその姿は、とても噂の『紅剣の黒い悪魔』や『不傷の戦王』には見えず、ルーイと二つしか年が違わないだけのただの青年に見えた。ルーイにはそれが可笑しく感じられ、思わず笑ってしまった。

「……ふっ、あはは!何それ。言ってること、よく分かりませんよ?」

「うっ……いや、これは……」

 ユーノは何か反論しようとルーイを見て、そのまま驚いたように急に黙った。

「……?どうしたんですか?」

「笑った……」

「へっ?」

「……初めて笑ってくれた。……とても素敵だ!もっと見せてくれ!」

 ユーノは突然恥ずかしい台詞を真顔で言ってきた。いつも通りの無表情のはずの顔が、ルーイにはどこか微笑んでいるように見える。いや、実際にユーノは少し笑っていたのだ。

 ルーイは真っ赤になると、

「な、何言ってんだ!あ、アホかっての!……って、う、嘘です嘘です。アホは俺ですよね、あはは……」

(何なの急に!その顔は反則だろっ!自分の顔見てから言えっての!お前のほうがよっぽど素敵だっての!って俺こそ恥ずかしいこと言ってる!?何かもう意味分かんないし!)

 二人は暫くの間、他人から見ても恥ずかしいやり取りを続けたのだった。


 《ゴロゴロゴロ……》

 先刻から雷が鳴り始めていた。風はもう悲鳴というか雄叫びのような音に変わり始めている。雨足もどんどん強くなり、今はバケツの水をひっくり返したような土砂降り状態だ。夜になり、気温もぐっと下がった。

 ルーイはユーノからもらったマントを頭から被り、燃え盛る焚き火の前で体を丸めて数多くいる敵の一つと戦っていた。

(くそっ……やっぱり来やがった。今まではなんとか避けてきたのに……何でいまこの状況で来るかな。しかもすっごく規模がでかい気がするのは気のせい?こんなすきっさらしの洞窟の中だからそう感じるのか?)

 敵というのは、ルーイの目の前で焚き火の調節をしながら服を乾かしているユーノではない。もちろん、外で鳴っているあいつだ。

「そのマントも乾かしたほうがいいだろう。こっちに貸してくれないか。」

 ユーノはそう言って手を差し出したが、ルーイは丸まったままピクリとも動かない。

「……ルーイ?聞いているのか?」

 ユーノは怪訝そうにルーイを覗き込んだ。

「えっ!あ、いえ、その……何でしょうか?」

 ルーイは驚いたように顔をあげた。どうやら本当にユーノの言葉を聞いていなかったようだ。この距離で聞いていなかったとは、居眠りでもしていたのか、はたまた話したくなくて耳を塞いででもいたのか。

「……?マント。乾かすからこっちに貸してくれ。」

「えっ!?いいです、いいです、別に濡れてないんで……いや、濡れてるけど別にこのままでいいので……というかないと困ると言いますか……」

 ルーイは歯切れ悪くごにょごにょ言っている。

(何言ってんだよっ!今マントがなくなったら防げる物が何も無くなっちゃうだろ!空気読めよっ!)

「だが、そんな濡れた状態では、風邪を引く。寒いのなら、もっと火に近づくといい。」

 ユーノはそう言って、ルーイのマントを取ろうとする。

「え!いやだから、いいんですって、これはこのままで。本当に大丈夫ですから……」

 ルーイとユーノがマントの取り合いをしている時、外の景色が怪しく光った。

 ルーイはそれを見てビクッと身をすくめる。すると……

《ガラガラドシャーン》

「ぎ、ぎいやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 大きな音が鳴り響いた。瞬間、ルーイが人間の声とは思えない声を上げてユーノに抱きつく。新種の動物の鳴き声かと勘違いそうな程奇妙な声だ。

 今の物凄い雷の音は、どうやら一際大きな雷が近くに落ちたからのようだ。雷の音も恐いが、ルーイの叫び声の方がはっきり言ってよっぽど恐かった。

 ルーイはガタガタ震えながら一生懸命ユーノにしがみついてくる。その間もう゛わ゛ぁなどという変な声を上げ続けている。このままでは喉を痛めそうだ。

 ユーノはルーイに抱きつかれたまま暫く固まっていたが、

「……君は、雷が恐かったのか……だからさっきからずっとこんな濡れたマントを被って身を潜めていたのだな。恐いなら恐いと言ってくれればいいのに……」

 ユーノの言葉にルーイは答えない。雷への恐怖で何も聞こえないようだ。というか、自分の喚き声で何も聞こえないのだろう。

 ユーノは錯乱するルーイを引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。

 それでも、ルーイの混乱はおさまらない。そんなに雷が恐かったのか。十五にもなって本当に情けない限りだ。

 ユーノはそれでもルーイを強く抱きしめ、少し考えた後あるメロディを口ずさみ始めた。

その声はぎこちなく、お世辞にもあまり上手いとは言えないものだったが、不思議なことに錯乱するルーイの耳に届いたようだ。今まで喚き散らしていたルーイだったが、ぴたっと動きを止め、ビックリしたような顔でユーノを見上げた。

「……その曲……」

「え?あ、あぁ、すまない。あまりの下手くそさに驚かせてしまったか?」

「……『親愛なるマルグリットへ』」

 ルーイはユーノの顔を見つめたまま呟いた。

 信じられないというような顔をしている。

「ああ、そうだ。よく分かったな?……昔、兄上がよく歌ってくれたんだ。この曲を聴くとなぜだか分からないが安心して。もしかしたら、君もそうなのではと思って……。だが、私では下手すぎだな。これではちっとも安心できないな。」

 ユーノが恥ずかしそうにルーイを見ると、

「な!?なぜ泣いている?そんなに私の歌が嫌だったか?それとも雷のせいか?……大丈夫だ!私がついている。」

 ルーイは涙を流しながらじっとユーノを見つめていた。

 その涙はとても静かだったが、ルーイの瞳から止めどなく溢れてくる。

 ユーノはどうしたらよいか分からず、困ったようにルーイを見つめた。普段のユーノからは想像できない狼狽ぶりだ。

「違うんだ……。あなたの……あなたのせいじゃない……」

 あたふたするユーノに、ルーイが小さな声で呟いた。ユーノの胸に顔をうずめ、しっかりと抱きくと、

「歌って……。もっと、その曲、歌ってください……」

 消え入りそうな声でそう言った。

 ユーノはルーイの言葉に一瞬驚いたようたが、しがみつくルーイを再び強く抱きしめると、下手くそな『親愛なるマルグリットへ』を歌い出したのだった。


 暖かい日差しが差し込む午後、ルーイは誰かの腕の中で幸せそうにまどろんでいる。この暖かさは日差しなのか、自分の頭を撫でてくれている人の温もりなのか、きっとどちらもなのだろう。その人は優しい声で美しいメロディを口ずさんでいる。ルーイがその曲は何かと尋ねると、その人は花のように微笑んで答えた。『親愛なるマルグリットへ』という題名なのだと。そしてそれは、愛しい人へ捧げる祈りの曲なのだと……。


 ルーイが目を覚ますと、夜はすっかり明けていて、洞窟の外からは明るい日差しが差し込んでいた。昨日までの嵐が嘘のような、穏やかな空気が流れている。

 ルーイは寝起きのぼーっとした頭で昨夜のことを考えた。

(あれ?俺、昨日どうしたんだっけ?確か雷が鳴ってて、すごく恐くて……でも、あの曲が聴こえて……コリンの演奏と似てるけど、でも少し違うような……なんだかすごくほっとする音の……昔どこかで聴いたような、そんな……)

 と、そこまで考えてルーイの思考が停止した。いや、停止したのではなく覚醒したといったほうが正しいか。自分が昨日何をしたのかを一気に思い出した。

(俺、昨日……!うわぁめっちゃ恥ずかしい!ってそうだ、ユーノは……?)

 ルーイががばっと起き上がると、目の前にユーノの顔があった。

「おはよう、ルーイ。何とか眠れたみたいで安心した。気分はどうだ?」

 ユーノは爽やかな顔でルーイに話しかけてきた。しかし、ルーイはそれどころではない。なにせ、彼は今もユーノに抱きかかえられた状態なのだ。

 ルーイは全身真っ赤になると、

「のわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 変な声とともに思いっきりユーノから飛びのいた。ルーイのこれほど機敏な動きは今まで見たことがないと言えるほどの素早さだ。

(何これ!?何の冗談なの?あり得ないだろ?まさか、あの『紅剣の黒い悪魔』の腕の中で一晩熟睡なんて!しかもあの轟音の中で!二大恐怖状況の中でぐっすり朝まで寝てたとか考えられないから!俺の危機管理能力どうなっちゃってんのー!?)

 ルーイは洞窟の壁にへばりついて、信じられないものでも見るような顔で硬直している。

 ユーノはそんな、どこからどう見ても怪しげなルーイの行動をじっと確認すると、

「そんなに、機敏に動けるのなら問題ないな。安心した。では、早急にここから出ようか。ヒューズたちも心配しているだろうし、あまり迷いの森の奥にいるのはよくないからな。」

 顔色一つ変えずにそう言って、外に出る準備をし始めた。


 ルーイたちがお昼より少し前にヒューズたちのもとへ戻ると、ヒューズはこっ酷くユーノを叱った。どうやらユーノ自身もヒューズの制止を振り切ってルーイを助けに来たらしい。ユーノが叱られている様はまるで、アーサーがリフに叱られている時みたいだなと少し微笑ましい気持ちでルーイが見ていると、思いっきりヒューズに睨まれてしまった。あれ程真剣にユーノを叱るのは、ヒューズが彼をとても大切に思っているからなのだろう。ヒューズは感情の感じられない顔で、氷のような瞳で他人を見るが、ユーのに対しだけは違った。それだけはルーイにもよく分かる。ヒューズはユーノのことになると人間らしい感情を表に出すのだ。ユーノを叱る様子はリフのように恐かったが、あの凍てつく眼差しで見られるよりはずっとマシだなとルーイは二人の様子をぼんやり眺めながら思った。

 ロブも相当ルーイを心配してくれたらしく、ルーイがユーノと無事に帰ってくると、一目散に駆け寄り、本当によかったと半泣きになりながらルーイの無事を喜んでくれた。早朝からこの辺一体を全隊員で探してくれていたらしい。隊長であるユーノはともかくとして、ただ成り行きで一緒になったむしろ足手まといなだけのルーイまで真剣に探してくれるなんて、なんて出来た人間たちなのだろうと、思わず人間嫌いのルーイも感動してしまった。まぁ約一名はルーイの事は本当にどうでもよかったようだが、それには目を瞑ることにしよう。騎士というのはルーイのはるか想像を超えた聖人のような人種だったようだ。いや、騎士全般がそうなのではなく、ユーノが、彼の隊が、特別そうなのかもしれない。『紅剣の黒い悪魔』と名高いユーノは、彼自身も、その隊も、知れば知るほど噂とは違うもので、ルーイは驚きの連続だった。一体何を信じればよいのか分からなくなってくる。しかし、ルーイには一つだけ分かっていることがあった。揺ぎ無い一つの真実。

 “人はみな、簡単に誰かを裏切ることができる”

 九年前からの、ルーイの中の絶対の真実だ。これだけは間違いなかった。ルーイは心の中で静かに再確認すると、愛想笑いを浮かべながらロブにすみませんと謝ったのだった。


「はぁ……」

 ルーイは木陰に腰を下ろしながら、深いため息を付いた。

 二人が本隊に合流した後、今回の一件での遅れを取り戻すべく、急ピッチで歩き続けていたユーノ隊だったが、やっと休憩時間がやって来た。

 今までユーノたちとは離れて歩いていたルーイたちだったが、いつまたおかしなことをしでかすか分からないということで、ルーイも本隊と一緒に進行することがヒューズの一存で決まった。一度ヒューズを怒らせてからは、ユーノではなくヒューズが隊の決定権を持ったらしい。ヒューズは息も絶え絶えについて来るルーイの事などまったくおかまいなしに、ひたすら森を進み続けた。

(疲れた……。ヒューズ容赦ねぇ。鬼だね。ってか今睨んだ!?また心の声漏れてた!?)

 ルーイは慌ててヒューズから目を離すと、その横で地図を見ながらヒューズに話しかけているユーノを見た。

(うぅぅぅ……俺ってば本当に恥ずかしい……。昨日のあいつの前での失態といったらないよな。雷が恐いとかって喚き散らすは、泣きながらあいつにすがり付くはで、あげくの果てにあいつの腕の中で朝まで寝こけるなんて……マジで目も当てられないよ。あ゛ぁぁぁぁぁ……今思い出しても顔から火が出そうだし!でもさ、だってさ……。あいつがいきなり歌ったりするからいけないんだよ。よりにもよって『親愛なるマルグリットへ』なんて……っていうかあいつ歌下手すぎ!……でも、凄く暖かくて……まるで昔みたいに安心できたんだよな……)

 ルーイは自分でも気付かないうちに、ユーノに熱烈な視線を送っていたようだ。

その視線に気付いたユーノとルーイはバチッと目が合った。あれだけじっと見ていたら、ユーノでなくても気付くだろう。はっきり言って、ルーイは自分の世界にトリップすることが多すぎる。これでは現実への対処が人より遅くなるのは否めない。

(げっ!目が合った!)

 ルーイは慌てて目を反らしたが、ユーノはヒューズとの話を切り上げると、ルーイのもとに近付いてきた。

(やばい、こっち来ちゃったよ!どうしよう!逃げたほうがいいか?でもどこに!?)

 昨夜のこともあって非常に気まずいルーイは、朝からユーノとは目も合わせず、殆ど会話もしていなかったのだ。今ここに来られても、どう接したらよいのか分からない。

(うぁ……。何言われる?朝から態度が悪いとか?それとも何睨んでるんだとか?)

 ルーイはこれから発せられるユーノの言葉を頭の中でシミュレートして身を硬くした。

 しかし、ユーノから発せられた言葉はルーイが思っていたものとはまったく違い、

「大丈夫か?疲れただろう?すまないな。何とかあと二日でこの森を抜けるためには少し急ぐ必要があるんだ。君には辛いだろう……」

 申し訳なさそうにそう言ってきた。

 ルーイは予想があまりにもはずれてしまったので、拍子抜けした顔でユーノを見つめた。

「ん?どうかしたか?」

「へっ?あ、いえ、あの何でもありません。あはは……。お、俺は大丈夫ですよ。身から出た錆ですし。それに、俺としても早くマルムークに着きたいですし。もっと急いだって全然平気ですから。ホントに、ハイ。あはは……」

 ルーイは引きつった笑いを浮かべてユーノにそう言った。本当はこれ以上ペースを上げられたらルーイにはついて行くことすら難しいだろう。何しろ引きこもりのプーなのだ。ルーイの体力は一般人の三分の一くらいと言っても過言ではなかった。

「……そうか。だが、あまり無理はしないで欲しい。君に何かあったら、私はどうしたらいいか……。水だ。飲むといい。」

 ユーノはルーイに水を差し出した。水は貴重なので、決まったとき以外は飲めないはずだ。つまりユーノは、ルーイのために自分の分の水を飲まないでとっておいてくれたのだ。

 ルーイはさっきの作り笑いを浮かべた引きつた顔ではなく、真顔でしっかりとユーノの顔を見つめた。

 ユーノはそうするのが当然であるかのような顔で水を差し出している。

「……どうしてそんなに優しいんですか?殆ど知りもしない俺なんかのために、自分の水まで差し出して。……それは、騎士として俺を無事に送り届けるって言ったからの行動なの?ユーノさんは使命感で俺の面倒を見てくれているんですか?」

 ルーイはずっと思っていた疑問を口にした。

「優しい?別に私は特別優しいわけではない。使命感なのかは分からないが、そうするのは騎士として……」

「当然のこと?」

 ルーイはユーノの言葉を奪って言った。

「俺はそうは思わない。そこまで献身的なのは騎士の範疇を超えてるよ。俺はあなたの主人でもなんでもないんだよ。それどころか、あなたを悪魔だって言ってた連中と同じ側の人間だ。それなのに、あなたはそんな俺にも騎士だからという理由で当たり前のように手を差し伸べる。あなたのその行為は、俺にはとても奇妙に感じる。」

「……そんなことはない。君が知らないだけで騎士とはみな、そういうものなのだ。」

「本当に?俺はあなたが特別のように見える。俺も何人か騎士を知っているけど、あなたのように、騎士という言葉に縛られている人間はいなかったよ。」

「なっ……!私が騎士という言葉に縛られているだと?」

 ユーノの様子が少し変わった。彼が纏っていた空気が一気に鋭くなった気がした。今の言葉で怒らせてしまったかもしれない。ルーイなど、彼の機嫌を損ねただけでぷちっと殺されてしまうかもしれない。それでも、ルーイは最後まで話し続けずにはいられなかった。盲目的に騎士という言葉を信じている彼に、どうしても伝えたかったから。それが今自分にできる最大限の恩返しなのではないかと思ったからだ。

「そうです。あなたは、騎士という言葉に呑まれている。……ユーノさん、あなたにとって騎士って何ですか?自分より弱い誰かのために献身的に尽くすことが唯一無二の存在意義である虚しいヒーローですか?俺は違うと思う。確かに騎士は弱きを助ける民衆のヒーローだと思う。でもそれ以前に、彼らは自分の守りたいもののためにその力を振るうんだと思う。これだけは絶対に守りたいっていうものなしに、ただ騎士だから力を尽くす。そんな強い思いの伴わない力じゃ、本当の意味では何も守ることなんてできない。少なくとも俺が見てきた騎士は、俺の考えるヒーローは、何よりも大切で何が起こってもそれだけは絶対守りたいっていう何かを持っていた。ユーノさん、あなたにはそれがありますか?」

 ユーノは黙って立ちすくんだまま、ピクリとも動かない。

 ユーノがルーイの言葉をどのように受け取り、今何を考えているのかは分からない。もしかしたら、あまりの怒りに声さえ失っているのかもしれない。

 ルーイは恐怖に震える体を一生懸命に抑えつけながら続けた。もう後戻りできないくらい言いたいことを言ってしまったのだ。これ以上何を言っても変わりはしないだろう。

「あなたはとても立派な騎士だと思う。誰にでも優しい理想の騎士様だ。だけど、今のままでは、本当の騎士じゃないって俺は思います。……きっと、あなたが心から護りたいって思う何かがどこかにあります。あなたの意思でそれを見つけた時、本当の意味での騎士になれるんだって俺は思う……!」

 最後はもうやけくそのようにルーイは言った。

 腹をくくって開き直ってしまうと、意外と平気なもので、むしろ今は清々しい気持ちですらある。ここまで自分の思ったことをはっきり言ったのは引きこもり生活を始めてから初めてのような気がする。しかも相手はあの誰もが恐れる『紅剣の黒い悪魔』だ。

 ユーフォニア一のへタレと自負していたルーイだったが、まだまだ捨てたものもないなと、少し鼻高々になっていると、今まで硬直してピクリとも動かなかったユーノがゆらっと動いた。

 ルーイはその動きに動揺して飛び跳ねた。なんとも頼もしいノミの心臓っぷりだ。

 一体ユーノが次にどんな行為に出るのかと身を硬くして身構えていたルーイだったが、いくら待ってもそんな様子はない。ルーイが恐る恐るユーノを見るとユーノは深いアメジスト色の瞳で、ただじっと、ルーイを見つめていた。

 その瞳があまりに真剣で、澄んでいたので、ルーイは恐怖も忘れてその瞳に釘付けになった。深い深いアメジスト色に吸い込まれてしまいそうだ。

 ルーイはそのまま目を離すことができずにいたが、ヒューズが大きな声でユーノを呼び、二人の無言の見つめ合いは幕を閉じた。ユーノは何も言わずに行ってしまったが、ルーイはその後もしばらくユーノの背中から目を話せずにいた。

(何だったんだろう……。はぁ、やっぱ言いすぎか……っていうか、自分でも何言ってるのか分かんなかったし……。俺本当にどうかしてるわ。こんな風に誰かに物申すなんて……。ここに飛ばされてから少し変だよな。はっ!もしかして、飛ばされた時やっぱり頭打ったとか!?やばいよ!精密検査しなきゃだよ!うわっ、なんか頭痛くなってきたかも。)

 とその時、頭を抱えるルーイの足にユーノが差し出してきた水筒があたった。

 ルーイはその水筒をじっと見つめしばらく考えた後、そっと少しだけ水を飲んだ。

「美味しい……」


 その後もペースを落とさずに進行したユーノ隊は予定通りマルムークへと到着した。

「……ここがマルムークか……」

 独り言のつもりで呟いた言葉にロブが反応した。

「ルーイさんはマルムークに来るのは初めてですか?」

「え!?えっと……そ、そうなんです。」

 これでもう会話は終了のつもりでいたルーイだったが、どうやらロブはまだ話を続けるつもりらしい。

「結構賑やかですよね。俺も初めて来た時はちょっと驚きました。いくら貿易の国だからってこんなに活気に溢れた国だとは思いませんでしたよ。それに、俺の育った国とは建物の形や服装も全然違うし、これぞ異国って感じがしましたよ。ルーイさんが今まで旅してきた国ともやっぱり違うものですか?」

「へっ!?これまで旅した国?あはははは……どうかな?違うかなー?えーっと……」

 ロブの突然の切り込みに、ルーイは引きつった笑顔を浮かべながら曖昧な返答をすることしかできなかった。何しろ、自分は本当は旅人でも何でもないのだから。それどころか、実はユーフォニアから出たことすらなかったりする。他の国と比べられるわけがない。

「ど、独特ではあるんじゃないかなー……。あはははは……」

「やっぱりそうですよね。あの丸っこい玉葱みたいな形の屋根とか、ドア以外の窓がまったくない建物とか、不思議ですよね。着ている服もどう見ても敵の攻撃から身を守れないような薄っぺらな布でできているし。頭には防御用にターバンを巻いているようですが、あれでは矢が当たっても防ぎきれませんよね。」

「いや……防御用って。別に日常生活で矢とか飛んでこないと思いますけど……」

「そんなことありませんよ!私の国では住民はみな鉄入りの鉢巻を巻いてますよ。」

「鉄入りって……。重いんじゃ……」

「最初は重いんですけどね。五歳ぐらいから毎日つけてればなれるってもんですよ。」

「そ、そうなんですか……。はははは……」

 確かにロブが言うとおり、マルムークはユーフォニアとはまったく様子が違っていた。他国を見るのはこれが初めてだが、ロブが不思議だというのだから、ユーフォニアではなくこの国が他とは一風変わった国なのだろう。五階以上ある高い建物は殆どなく、といっても窓がないので何階建てなのかよく分からなのだが、その建物はロブが言うとおり、特徴的な形をしている。建物の色も特徴的で、一つの原色で壁が塗られていおり、玉葱型の屋根は、その色と白の斜めストライプというこれまた変わったものだった。どうやら住宅か店か、何を取り扱う店なのかなどで色が決まっているらしい。服はロブが言うほど不思議でもなかったが、一枚の布を体に巻きつけただけのようなもので、男女問わず同じような形の服を着ていた。ただ、多くの人が頭に巻いている布は、建物の色と同一なので、頭の布を見ればその人の職業が分かるようだった。

(とにかく、これで俺は自由なんだ。この異国情緒溢れまくりの国から、俺の華麗なる楽園への逃避行が始まるんだ!っうおっしゃっ!)

 ルーイは見知らずの国での悠々気ままな生活を想像してガッツポーズをつくった。

「あ、そうだ。今日はもう夜になってしまったので、俺たちがとった宿で休んでください。」

 思いを馳せるルーイに、ロブが思い出したように言った。

「えっ?宿?じゃあ自由になるのは……」

「一応明日、ヒューズ様からお話があった後ってことになりますね。今日はゆっくり休んでください。今まで野宿で大変だったでしょう?」

 ロブはにっこり笑顔だ。

「はぁ……。俺の分まで、ありがとうございます……」

「気にしないでください。これもユーノさまのご配慮ですから。」

(微妙にありがた迷惑なんだよっ!)

 ルーイは相変わらずのひねくれ根性で、心にもない感謝の意を述べたのだった。


 ロブに案内された部屋で、ルーイは明日からの行動を練り始めた。ルーイがソーダスで検索したところ、次はマルムークの東港から出航する東方大陸の玄関口、ラムルカ行きの船に乗る必要がある。東方大陸は最先端の船で行っても、ここから三日はかかるはるか遠方の地だ。普通に行けばユーフォニアから三時間程度で着くマルムークでこさえ、こんなにも違うのだ。東方大陸は異世界も同然に違いない。ルーイは少し不安になったが、全ては今後の楽園生活のためと気合を入れなおした。

 この国に入ってからは携帯用ソーダスも快調に動いている。後は、お金さえ何とかなれば大丈夫だろう。ルーイがせっかく用意した大量の不用品は全て置いてきてしまったのだ。それを収集し直すためにもお金は絶対に必要なものだ。その心配をする前に、目的地まで行くためのお金を心配すべきだとツッコミたくなるが、そこは世間知らずの可愛い奴として大目に見てあげよう。

「よし!とにかく明日になったらまず質屋に行こう。明日からはもうユーノたちとはお別れなんだ……。」

 ルーイはユーノのことが少し気になったが、

「いやいや、せいせいするじゃん!……もう寝よう!やっとぐっすり寝れるんだから、明日に備えてさっさと寝とかないとね!」

 野宿でもぐっすり寝られていたくせに、そう言うと、久々のベッドにダイブした。

「このベッド、全然ふかふかじゃないじゃん……」

 お得意の不平不満を吐いてから、いつものようにさっさと眠りについたのだった。


「あ゛ぁぁぁぁ、もうマジでうざかった。何なのあのしつこさ。あんなに何回も念を押さなくたって情報流したりしないってのっ!……それにしても、ヒューズの顔怖っ……。」

 ルーイはぶつくさと文句を言いながらマルムークの町を闊歩していたが、ヒューズの仮面のような無表情な顔を思い出して身震いした。

 文句を言っておきながら、案の定十時過ぎまで寝こけていたルーイは、ロブに起こされてヒューズのもとへと案内された。そこで、ルーイを連れての行軍が、どれだけ隊にとって、損害だったかなどを延々と聞かされ、更にはこの一週間で見た隊の情報を絶対に外に漏らすなと念を押されたのだった。特にユーノに関する情報は死んでも話すなと言われ、もしルーイが原因でユーノに何かあれば、地獄の果てまで追いかけて制裁を加えるぞという意味合いのことまで言われてしまったのだ。

 ヒューズのユーノへの忠誠ぶりは一緒にいたここ数日間でも手に取るように分かった。ルーイが見る限り、ユーノ隊の面々はみな一様にユーノに憧れと尊敬の念を抱いているようだったが、ヒューズほどユーノにぞっこんラブな者はいなかったように思える。あの忠誠心は異様にさえ思えた。ユーノが騎士を盲目的に信じているのなら、ヒューズはユーノがその対象のようだった。

「……ユーノ、結局最後まで出てこなかったな。やっぱ怒らせたか……」

 ルーイが宿を出る時、ユーノとヒューズ以外の隊員はわざわざ出てきて挨拶をしてくれたのだった。本来なら挨拶をすべきはルーイのはずなのだが、なんとも礼儀正しい隊員たちだ。結局、ヒューズに延々と文句を言われた時もユーノは姿を見せなかったので、ルーイがユーノに意見して以来ずっと会わずに別れてしまったということになる。

 最後に見たユーノの深いアメジスト色の瞳を思い出して、足を止めたルーイだったが、それは忘れることにして、またマルムークの町を歩き出した。


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