第一話
『かの国を侵してはならない。
なぜならば、かの国は武器を持たずとも、すでに勝利を手にしているのだから。
かの国の意思に反してはならない。
なぜならば、かの国の意思はこの世界の意思そのものなのだから。
かの国の奏でる音を聴きのがしてはならない。
なぜならば、その音が、世界の全てを決めるのだから。』
(『創世神話 第十七節』より)
緑に囲まれた自然豊かな島。島を囲む海は穏やかで、きれいなマリンブルーの澄んだ色をしている。その海面には、雲ひとつない青空が映っている。この島は、ユーフォニア王国というセイレーンの小さな島国だ。国土の五分の三が緑に覆われ、豊かな四季をもつこの国は、中央セイレーンの宝石と呼ばれている。その謂れは、国の美しさからだけでなく、島で採れる美しい鉱石、ユーフォニア鉱石からもきている。セイレーンの中央大陸にあるどの国よりも国土は狭いが、その豊かさは、聖王国のそれに匹敵する程である。セイレーンの国々は、それぞれが何かに特化した体制をとり、聖王国と呼ばれるサイグリット王国を中心に構築されている。サイグリットは、この世界、セイレーンを創世した神、マルグリットが建国した国と言われている。聖王国の王族はマルグリットの子孫であり、奇跡を起こす力をもつと言われている。そのため、聖王国は神の代弁者として他国から別格として祭り上げられている。そしてマルグリットともに蔓延る闇を切り裂き、この世界の基を築いたとされる六人の聖人が興した国を六大王国という。ユーフォニアはその六大王国ではないが、セイレーンにおける影響力は同等と言えるだろう。それは、国の豊かさもさることながら、この国が音楽に特化した音楽の国だからである。音楽家を目指す者は必ずユーフォニアで音楽を学ぶのである。セイレーン各国で活躍する宮廷楽士や音楽家は全てユーフォニアの出身である。各国に散らばった宮廷学士や音楽家は一年に一度、一ヶ月間ユーフォニアで開かれる音楽祭に出席する。つまり、その音楽祭は各国の情勢などを伝える場でもあり、ユーフォニア王家は各国の情報をほぼ掌握していると言えるのだ。それゆえに、ユーフォニアはセイレーン内のどの国とも大きな関係を持ち、中央大陸内全ての国と国交を結ぶ唯一の国なのである。また、信憑性は定かではないが、『創世神話第十七節』に記された『侵さざるべきかの国』とはユーフォニアのことであるとする学者が多くいることも、他国がユーフォニアと友好な関係を築こうとする理由の一つでもある。
ユーフォニア王国の中央部に位置するサントの森深く、天高くそびえる古びた塔がある。この塔はユーフォニア王家が所有する史跡である。史跡といっても国民からの認識は、「ただ古いだけの塔」、もしくは「ユーフォニア心霊スポットの一つ」である。ボロボロの外観のせいなのか、「塔に入ったものは異次元に飛ばされて戻ってくることができない」だとか、「塔で自殺した者の霊が夜な夜なすすり泣く声が聞こえる」といった根も葉もない噂があったりする。王城のすぐ隣にあるため、ボロボロ加減がより際立って見える。そのため、好き好んで塔に近付こうとする者は殆どいなかった。そんな曰くありげな塔だったが、実際に中に入って見ると、外見からは想像がつかないほど綺麗な内装をしていることに驚くだろう。いや、それよりも前に、そこに並べられている本の数に圧倒されて、内装にまで気が回らないかもしれない。そう、この塔はただの倒壊寸前の古い塔でも心霊スポットでもなく、最上階を除いて国内外の書籍が並べられている超巨大図書館だったのだ。そしてそこには、幽霊ではなく、れっきとした生きた人間が住みついていたりするのだが、その事実を知る者はこの国でたったの三人しかいなかった。
その三人のうちの一人であるこの国の王、アーサーと、もう一人の既知者である王佐兼騎士のリフが王城で話をいていた。
「ついにこの時が来たな。これからのことを思うと可哀想ではあるが、ユーフォニア王家に生まれた者の宿命だから。しかたない。」
「心配要りませんよ、アーサー様。ルードヴィッヒ様は、見た目よりも、そして自分で思っているよりもずっとお強い方です。それになにより、音楽の神様に愛されし者ですから。」
「ああ、そうだな……。よし、ルーイをここへ呼んでくれ。」
「承知いたしました。」
見た目倒壊寸前のオンボロ、中身超巨大図書館の塔の最上階。ボサボサの黒髪にボロボロの洋服を身にまとった一人の人間が昼下がりの惰眠をむさぼっている。一見すると囚人のようなその人間は、どこからどう見ても不法にこの塔に住みついた浮浪者に見えた。幸せそうにムニャムニャと寝返りを打つその浮浪者は、見た目からでは年齢どころか性別すら判別できない。背格好からすると、あまり発育は良くないタイプの男か、ごく平均的な発育状況の女かといったところである。この塔の最上階より下は本でびっしりだったが、最上階だけは人が暮らせる十分なスペースがあった。大きな窓に囲まれた部屋は、明るい日差しが差し込み、ボロボロの外装からは想像がつかないほど居心地がよい空間が広がっていた。中には小さな机と椅子、簡易なベッド、そしてあまり内装に似つかわしくない最新の電化製品が置かれていた。どうやら電気は通っているようである。小さな円盤状の移動機器もある。これで塔を移動できるようだ。螺旋階段で上るようにはなっているが、この高い塔を階段で上っていたら、一生の五分の一くらいは無駄にしてしまうだろう。これ程の機器がそろえてあるのだ、この分なら水道も通っていると考えてよいだろう。浮浪者が住みつくにはなんとも好条件な物件である。
塔の一番下の階の扉が軋むような古い音を立てて開き、一人の青年が現れた。年の頃は二十代後半だろうか、プラチナブロンドの髪の毛に薄茶色の瞳、顔立ちの整った、いかにも育ちのよさそうな青年である。青年は円盤状移動機器に乗ると、最上階まで音もなく一気に上ってきた。到着すると、青年は迷いなく簡易ベッドまで行くと、美しい微笑を浮かべながら気持ちよさそうに眠る浮浪者に話しかけた。
「起きてください。ルードヴィッヒ様。大事なお話があります。」
ルードヴィッヒとは浮浪者の名前のようだ。浮浪者にしては随分とたいそうな名前である。名前からすると男のようだ。しかしこの青年に様付けで呼ばれるとは一体何者なのか。
「うぅぅぅぅん。もう食べられないよぅ。あと五分たったらまた食べるから……むにゃむにゃ……ごくん。」
ルードヴィッヒと呼ばれた男は少しも起きる様子がなく、イラッとする寝言まで言っている。
「食べてすぐ寝るとどうしようもない人間になってしまいますよ。まぁ今でも、最上級にどうしようもないですけど。」
青年は微笑みを浮かべたまま再度ルードヴィッヒを起こそうと身体を揺さぶる。
「もう五分経っちゃった?そっかー、じゃあ食べるか。むにゃむにゃ……うん。やっぱりこれ最高だよねー。いくらでも……って痛っ!」
幸せそうなセリフを遮って青年がルードヴィッヒの頬を思いっきりつねった。
「急に巨大ガニ出現!?でも大丈夫!巨大だからこそ食べがいがあるってもんでしょ。ではさっそく…………」
それでも起きないルードヴィッヒは、こちらが脱力するような寝言を言っている。
青年はベッドから踵を返し机の方へ徐に歩いていった。つねっても起きる様子がないので、諦めたのかとおもいきや、机の上から数冊の分厚い本を持って、ベッドまで戻ってきた。そして、その本をまだ巨大ガニと格闘中のルードヴィッヒの上に躊躇いもなく落とした。もちろん、眠っているルードヴィッヒがそれを避けられるわけもなく、ドサっという音とともに勢いよく命中した。
「グハッ。い、痛すぎなんですけど。巨大カニバサミブロー半端ねぇ。」
ここまでされてもまだ起きないのだろうか。その様子を見た青年は、更に持ってきた本を落とした。そして、今度は起きたかどうか確認もせずに近くに置いてあった重そうな不気味な猫の置物を落とそうと振り上げた。
「ちょっ、ちょっと待って!起きてる!もう起きてますからって、グハッッ!」
ルードヴィッヒの申告も空しく、青年は無慈悲にも置物を落とした。
「なんだ、起きてたんですか。すみません。気付きませんでした。」
青年はとびきりの微笑を浮かべて臆面もなくそう言った。
「う、嘘つくなよ。絶対気付いてた。だって目あったもん。めっちゃ、あったもん。ゴホッゴホッ…………」
ルードヴィッヒは咳き込みながら、ジト目で青年を睨んだ。
「いやですねぇ、そんなことありませんよ。それに、気付いていたとしても人間の動作はそう簡単には止められないんですよ。」
青年は悪びれる様子もなく言った。
「やっぱり気付いてたんじゃん!っていうか、止められないほど思いっきり落とすってどういうことだよ。はぁ……まあいいよ。それで、今日は何の用?通信じゃなくわざわざリフがこっちまで来るなんて。」
まだ少し痛そうにお腹を擦りながら、ルードヴィッヒは起き上がった。
「今すぐに身支度を整えて王城まで来てもらいます。アーサー様がお呼びです。王城で正式なお話があるそうです。」
リフと呼ばれた少々S気味の青年は、真面目な面持ちになってそう告げた。
「えっ!王城までって、何で?そんなの嫌だよ!俺はここから出たくない。王城なんて特に嫌だ。通信でいいだろう?」
面倒そうにグシャグシャの髪の毛を掻いていたルードヴィッヒは、突然の申し立てに驚いた様子で不満を言った。
「駄目です。正式なお話と言ったでしょう。ただの親子談話ではないのです。ユーフォニア王と王子としての話があるのです。」
リフは強い口調できっぱりと言った。
「そんな……王と王子としてだって?い、嫌だ!絶対嫌だ!俺は行かないっ!」
そう言って、慌ててベッドから飛び出すと、部屋の奥に逃げようとする。そこをすかさずリフが前方を遮った。ルードヴィッヒの行動などお見通しのようだ。それでもまだ逃げようとするルードヴィッヒを捕まえると、
「逃げても無駄です。私も今日は王佐としてここに来ていますから、何が何でも王城まで来てもらいますよ。」
と言い、相手の背筋を凍りつかせる魔性の笑顔を浮かべながら、ルードヴィッヒの身包みをひっぺがした。
「い、嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
塔の中にルードヴィッヒの悲痛な声がこだました。
サントの森に静かに佇む王城。白を基調にした落ち着いた雰囲気の立派な城だ。数本の尖塔に、アーチ状の入り口、花が咲き誇るよく手入れされた庭もある。正面から見ると、後ろの森の形も合わせて見事なシンメトリーになっている。尖塔のてっぺんには、青地に白と金の刺繍で王冠をかぶった鷲が描かれた旗がはためいている。これはユーフォニア王国の国旗だ。城の中には、美しいシャンデリアや絵画が置かれ、外観から想像される豪奢な内装になっている。豪華ではあるが、過美にならない嫌味の無い造りで、そこに住む者のセンスを感じさせる。大小の部屋がいくつもあり、大規模な厨房や騎士が鍛錬を行えるような訓練場も備えている。多くの者が住み込みで働いており、城内の総人員数は相当なものだったが、それほど人がいるようには思えないほど静まり返っていた。実際、今日この城にいるのはたったの三人だけという、恐ろしく低い人口密度だったりする。赤い絨毯の敷かれた、入ってすぐの大きな螺旋階段を上ると、謁見の間があった。大きな窓がいくつもあり、天井と奥の壁には美しい絵が描かれている。その絵は物語になっており、一人の人間が天からヴァイオリンを授かり、地獄のような地上を浄化する。というような内容になっていた。扉から一番奥の部分は他の場所よりも少し高くなっており、そこには豪華な装飾が施された大きな椅子が一つ置かれている。赤いビロードで作られたその椅子はいかにも座り心地が良さそうだ。その椅子に難しい顔で、黒髪に青い瞳の精悍な顔つきの男が腰掛けている。纏う衣装は、白と青を基調にしたシルク地で、ボタンやカフスには、銀色のユーフォニア鉱石が使われている。赤色のマントよく映えている。どこから見てもユーフォニア王アーサーであろうその男は、年の頃は三十代後半から四十代前半くらいに見える。一国をまとめる者としては少し若すぎるようにも思える。ただ、醸し出す雰囲気は貫禄があり、カリスマ性は十分と言えた。
コンコンと謁見の間の扉が叩かれた。
「リフ=シルフィードです。ルードヴィッヒ様をお連れいたしました。」
「ああ、入れ。」
アーサーがそう答えると、ぎゃあぎゃあと煩い喚き声と共に扉が開き、リフと一人の少年が入ってきた。
「嫌だっ!帰る。絶対帰る!話なんて聞かないからな!絶対ろくな事じゃないし!」
そう喚く少年は、リフに抑えられながらジタバタ暴れている。年の頃は十代前半くらいだろうか。アーサーと同じ黒髪に青い瞳で、中性的なきれいな顔をしている。どうやら彼が先ほど塔の最上階にいた浮浪者まがいのようだ。髪ボサボサ、服ボロボロの時からは想像がつかない。今はアーサーと同じようなシルク地の服を着ている。やはり要所要所にユーフォニア鉱石が使われている。一見して違うところといえば、肩に片方だけかかるマントの色が青ということだけだろうか。それにしても人間とはここまで髪型や衣装で変わるものなのか。浮浪者もどきから麗しの王子様に華麗なる大変身である。ただ、リフに首根っこを掴まれ、ぎゃあぎゃあ喚きながらジタバタしているところは、王子としての気品などこれっぽちも感じさせはしないが。
「ルーイ、前へ。」
アーサーが溜め息をつきながら言った。ルーイと言うのはルードヴィッヒの愛称のようだ。ルードヴィッヒなどという大層な響きよりも、ルーイの方がこの我侭そうな少年には合っている。
「ルードヴィッヒ様、いい加減に諦めて大人しくしてください。」
アーサーに呼ばれても暴れていて少しも言うことを聞かないルーイを、リフが嗜める。それでも聞く耳持たないルーイに対し、
「ルードヴィッヒ。こちらへ来なさい。」
と、アーサーが低い声で言った。その声は一瞬で、そこに居るもの全てを無条件で従えさせるような力があった。これが一国の王の貫禄というものなのだろう。今まで暴れていたルーイもビクっと固まると、恐る恐るアーサーの方を見た。
「こちらへ。」
アーサーは真っ直ぐにルーイを見つめ返すと、もう一度そう言った。その瞳には絶大な力が宿っていた。ルーイは渋々前へ進み、アーサーの前へ跪いた。
「お久しぶりです。父上。今日はどういったご用件でしょうか。」
ルーイは姿勢を正し、今までの暴れぶりとは打って変わった様子でそう言った。その様子は王子の気品を感じさせる。最初からそうしろといった感じだ。
「こうして直接会うのは 何年ぶりかな。元気なようで安心したよ。」
アーサーはルーイのその様子を確認してから、ゆっくりと優しい声音でそう言った。先程の威圧感のある声とは対照的な、父として息子に話しかける声だ。
「安心したって、昨日も通信で話したじゃないか。」
アーサーの優しい声に安心したのか、ルーイはジト目でアーサーを見るとそう毒づいた。
「そういうなよ。通信のフォログラフなんかじゃなく、こうして直接会えることに意味があるんだよ。そのために今日はわざわざ城の者を全員休ませたんだしな。」
アーサーは苦笑しながらそう言った。ルーイはフンっと、横を向いているが、その可愛げのない様子も、アーサーにとっては愛しくて堪らないといった感じだ。アーサーは愛しそうに微笑むその顔を悲しげに顰めた後、一度息をつき、ゆっくりとルーイを見つめ直してから、決心したように切り出した。
「ルーイ。今日来てもらったのは大事な話があるからだ。」
また、あの王として力のある声音だ。今までそっぽを向いていたルーイも、不安げな眼差しでアーサーに向き直った。
「再来週にはお前の十六歳の誕生日だな。」
「そうですけど、それがどうかしたんですか。別に誕生日パーティとかはいいですから。」
ルーイは硬い声で、それでも勤めてお茶らけた風に切り返した。
「この国の成人は二十歳だが、十六歳からの四年間は子供から大人になるための準備をする猶予期間になる。この四年間で自分がどう生きるかを決めることになり、この期間、親は子供がすることに関して何も文句は言わない決まりになっている。遊び倒すもよし、放浪の旅にでるもよしだ。既に目標があるなら、それに向かってひたすら勉強するのも良いし、お金を稼ぐのだってよい。どのようにその四年間を使うかは人それぞれだ。」
「それなら俺は、今までどおりあの塔で過ごさせてもらいますよ。そうだ!もうあそこにある本は殆ど読みつくしてしまったので、新しい本を入れてください。そうだな、各国の伝承に関する本がいいかな。あと、ロイターンで夏に発表される最新のヴァーチャルゲームを入れてもらって。それから……」
嬉々として話すルーイを遮って、アーサーは続けた。
「ルーイ、残念だがお前に四年間の猶予期間はない。」
「えっ?」
ルーイは引きつった顔でアーサーを見る。その顔は無表情で感情が読めない。ただ分かるのは、その表情を自分はよく知っているということだけだ。王として、何か重大な決定を下す時の顔だ。例えそれが自分の意に沿わないものであろうとも。ルーイは何度もこの表情を見たことがあった。
「そ、それはどう意味ですか。」
ルーイはゴクッと唾を飲み込んで聞き返した。妙に口の中が乾いてしかたがない。まるで、最終審判を受ける被告人の気分だ。
「お前には、十六歳になったら親善大使となり、各国に外交に行ってもらう。」
ルーイは一瞬、時が止まったような気がした。
(親善大使?各国に行く?今そう言ったのか?聞き間違えだよね?)
ルーイの頭の中は今言われたことへの疑問で一杯だ。あまりに衝撃的な言葉だったので、理解が追いつかない。
「今、何て言いました?俺にはよく分から……」
「お前は二週間後からわが国、ユーフォニア王国の親善大使だ。この決定に変更はない。これはユーフォニア王子としての義務だ。」
アーサーはルーイの言葉を遮って言った。言葉が発せられた瞬間に、この発言は事実として決定したのだ。この声に、王の決定に、嘘偽りはありえない。王の発言は例えそれが事実とは異なったとしても真実となるのだ。
「何で?かしいでしょ?だって……だってあなたは知ってるはずだ。俺が外に出られないって。この城にだって他人が居ると駄目なのに、そんな俺が親善大使?無理に決まってるだろう!他人と接することなんて無理なんだよ!」
ルーイは叫んだ。頭の中は真っ白で、自分でもどうしたらいいのか分からない。足元がふらついてまっすぐ立つことが出来ない。
「ああ、知っている。お前が人との接触を拒み、もう九年間も一人であの塔で生活していることも、お前が人間を恐れているということも。」
「じゃあ何で?分かってるくせに何でなんだよ!無理だよ!俺には絶対に無理だ!」
ルーイはアーサーに縋りついて訴えた。
「無理なのではなく、お前がそれをしようとしないだけだ。人間が怖いから、嫌だから逃げている。そうだろう?」
アーサーは一層力強い言葉でそう言った。ルーイだけでなく、まるで自分自身にもそう言い聞かせているように聞こえる。
「そんな……そんなこと、よく言えたな!俺が昔どんな目にあったか知ってるくせに!」
ルーイはアーサーを睨みつけ、搾り出すような声でそういった。体は震え、その瞳には既に涙が浮かんでいる。
「お前の言いたいことは分かる。あの時、私はお前に何もしてやることはできなかった。そのことが負い目で、今までお前を好き勝手にしすぎた。お前のためには良くなかったのに。だからこれはよい機会でもあるんだよ。もうあの塔の中だけの狭い世界は終わりだ。お前はもっと世界を広げる必要があるんだよ。それがお前のために必要なことなんだ。」
そう言うアーサーの顔はルーイと同じくらい苦渋に満ちていた。アーサー自身も本当はルーイに親善大使などさせたくなかったのだ。可愛い息子が今回の決定をよしとしないことは分かりきっていた。人との接触を拒み、九年間もあの塔に引きこもっていた人間が、急に外に出られるはずもない。しかも親善大使となれば、国の顔として知らない異国の人々と交流しなければならないのだ。人間を恐れ、自分とリフ以外とは話すこともできない彼が、そんなことをするのは不可能だ。何よりルーイが嫌がることをさせたくはなかった。このままルーイの好きにさせ、あの塔で幸せな時間を過ごさせることもできる。嫌がる全てのことから遠ざけ、ぬるま湯の中での安穏な生活を送らせることが。しかしそれでは、人間を恐れ、他者との接触を断ったまま、ルーイの世界はあの塔の中と、自分たちだけになってしまう。今後の彼のためにも、この世界のためにも良くないことは明白だった。今回の決断はアーサーにとっても当事者であるルーイと同等、いや、それ以上に辛いものだったのだ。今の今まで悩み、自分を奮い立たせてやっと決断したことなのだ。
「何が俺のためだよ!ふざけるな!自分のためだろう!父さんは俺なんかよりこの国の方が大切なんだ!」
そう叫ぶルーイは、アーサーの気持ちなど少しも分かってはいないようだ。今まで静かに二人の様子を見守っていたリフは、ルーイの言葉に居ても立ってもいられず口を開いた。
「ルーイ、それは言い過ぎです。アーサー様がどんな想いで…………」
「いいんだ。リフ。」
アーサーはリフの言葉を遮った。
「しかし、それではあまりにもアーサー様が……。」
アーサーの気持ちを一番に理解し、また自分もルーイを弟のように思ってきたリフは、もどかしい気持ちで一杯だった。たぶん、ルーイには今何を言っても通じないだろう。アーサーがどれだけルーイのことを想っているか、リフ自身にも正確に伝える術は無い。それ程、アーサーのルーイに対する想いは大きいのだ。
「ルードヴィッヒ。もう一度言う。十六歳の誕生日から、お前は正式にこの国の親善大使た。当日は就任式も行う予定だ。当然、その時は音楽を披露してもらう事になるだろう。」
アーサーはダメ押しのようにもう一度そう告げた。ルーイは呆然とした表情で立ちつくしている。そんなルーイを悲しげな表情で見つめた後、
「……話はこれで終わりだ。戻ってよい。」
と、ルーイから目をそらしそう言った。
自分がどうやってこの塔に戻ってきたのか、ルーイは覚えていない。ただ、気が付いたら塔の中にいて、月明かりが自分を照らし出していた。あれからもう八時間近くたっているようだ。あの時は、あまりのショックに、あまりの怒りに、あまりの絶望に、体の内側から爆弾で爆破されたような感じがした。周りの音が消え、目の前が真っ暗になり全てが消え失せたのだ。実際、自分はあの時本当に内側から爆破されたのかもしれない。今はもう、悲しみも怒りも、何も感じない。ただ、空っぽだった。体の外側だけが残って、ルーイという人間を構成していた中身は全て掻き消えたのだ。
「もう夜だから寝ないとな……」
ルーイはそう呟くと、おもむろに立ち上がると、シャワーを浴び、寝巻きに着替え、いつもどおり就寝したのだった。
「う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
塔の中にルーイの絶叫が響いた。地上から数十メートルはあるこの塔は最上階まで吹き抜けになっている。このため、ルーイの絶叫は恐ろしく響き、数十秒間はこだまし合っていた。森の中だったから良いものの、これが町中だったら袋叩きものだ。森の中であっても、動植物の皆さんに迷惑をかけたことは間違いないだろう。森の皆さんごめんなさい。
はっきり言ってルーイは自分自身に感心していた。人は何て強い生き物なのだろう。昨日の夜、確かに自分は一度死んだ。体の内側が爆発して死んだのだ。しかし、一度寝て起きたら復活していた。ただデータが修復されただけでなく、アップロードまで済んでいるようだ。昨日は頭が真っ白で、何も聞こえていてなかったはずのことが、今は冷静に思い出すことができる。
「ははは……俺って本当は超高性能マシーンなのかも。」
そう呟いたと同時に、お腹がグーッと鳴った。
「うっわ、やっぱそうなんだ。超速メンテナンスにエネルギー使ったんだよ。」
ルーイは納得したようにうんうんと頷くと、
「なんか食べよ。昨日夜ご飯食べてないしね。」
そういって、キッチンに向かった。
遅めの朝食を済ませた後、すぐさま机に向かったルーイは画面を睨みながらうんうん唸っていた。彼が見ているのはソーダスという通信機器の画面だ。この機械が一つあれば、世界中の情報を入手することができる。彼が持っているのは機械の国ロイターンの最新のものだ。昨日の夜からリフから何回も連絡がきており、おしゃべり通信用の保存件数が一杯になっていた。最新の機種で一杯になってしまうのだから、一体どれだけしつこいんだよと、半ば呆れつつ残されていたメッセージを見たルーイは、リフという人物の恐ろしさを改めて理解した。そのメッセージの内容は、アーサーがどれだけルーイを愛しているかを永遠に語ったうざい以外何物でもないもので、それだけで三時間近くあった。このマメでしつこい男が補佐官なのだ。父は思ったより偉大だったのかもしない。
ルーイが机に向かったのは、リフからのうざい録画を見るためではなかった。己がハイスペックを信じ、自分が置かれた状況、感情、今後の進むべき道について頭をフル回転させて検討したルーイは、一つの考えに行き着いた。それはこの国を出るというものだ。このままでは自分は否応なく親善大使にされてしまう。それならばこの国から逃げ出してしまえばよいのだ。なんて簡単なことなのだろう。ただ、それには一つ問題があった。どこに逃げればよいのかだ。人間大嫌い人間のルーイに他国に頼れる知り合いがいるわけがなかった。そうなると、自力で逃亡先を決めるしかない。しかし、誰とも関わらないで悠々自適に生きていける国などそう簡単にはない。この問題を解決すべく、ルーイはソーダスをフル回転させて調べていたのだ。
「よし、決めた!俺の楽園はここしかない!」
ルーイはそう叫ぶと、バンッと机を叩き勢いよく立ち上がった。最新のソーダスが導き出した、ルーイが入力した百八項目ほどの検索条件に見合う国、それは、『見知らずの国』だった。
見知らずの国、なんでもその国には正式な名前はないらしい、その国を統治する王はいない。最新のソーダスで調べても、その詳細は不明だった。ただ分かっているのは、その国が中央大陸を越え、西方大陸も越えた先にある未開の島々からなるということだけだった。未開の島々といっても、生活に必要な全てのものが手に入り、もちろんソーダスも使える場所らしい。その理由は超が付くBIPがパトロンとなっているためらしい。独立した小さな島の一つ一つが国民一人の家にあたる。つまり、見知らずの国は国とは言っても、相互に影響し合い一つの国として成立している一般的な国とは違い、まったく独立した小さな島の集合体であるということだ。ルーイにとってこれ程素晴らしい国はなかった。他人と関わることなく、何不自由なく生活できるなんて夢の楽園以外の何物でもなかった。
見知らずの国に行くためには相当の時間がかかる。何しろまず、中央大陸を越える必要がある。それには最速でも3日はかかるだろう。とりあえずルーイがすべきことは、この国から出て、中央大陸の南の玄関口、商人の国マルムークに行くことだ。ルーイは早速、華麗なる逃避行の準備を始めたのだった。
お金、携帯用ソーダス、枕、布団、ぬいぐるみ、テーブルセット、キッチン用品など、ルーイは大急ぎで必要だと思われる品々をリュックサックに詰めていく。一部どころか殆どが必要ないと考えられるものばかりだ。テーブルセットやキッチン用品なんて、現地で調達すればよいだろうに。これだからボンボンは……。
「そうだ!あれも絶対持っていかなきゃ!俺の心のバイブル、『孤高なる英雄王ギャラティン』百冊(以下続刊)!これがなきゃ、俺は生きていけないもんね。」
そういってルーイは一冊あれば十分凶器になり得る分厚さの本を、せっせとリュックに詰め始めた。そんな本百冊も抱えて何をするつもりだといった感じだ。百冊で一体何キロになると思っているのだろうか。やはり九年間も引きこもっていた世間知らずのバカ王子には、常識というものはないらしい。そんな物を入れる前に、まず当面の着替えを入れるべきだろう。今着ているボロボロの服はそのままで良いつもりなのか。こんな調子で本当に家出などできるのだろうか。
「よし、これで全部だ。必要なものは全部入れた。あとは……一応この服着替えとくか。」
なんとかその服のまずさに気付いたルーイが服を着替えていると、塔の入り口が開く重たい音がした。その音に気付き、慌てて望遠鏡で下を確認すると人影が見えた。その人影は円盤状の移動用器機に乗って最上階まで来ようとしていた。遠すぎて良く見えないが、あのプラチナブロンドはリフに違いない。というか、この塔に来る者などアーサーかリフ以外にはいないのだ。
「まさか、リフ!?嘘!?やばいよ!こんなところ見つかったら、絶対取り押さえられちゃうよ!そうなったらお仕舞いだ!早く逃げなきゃっ!」
ルーイは慌てて服を着替え終えると、リュックサックを持って立ち上がろうとした。しかし、あまりの重さに立ち上がれない。あれだけ要らないものを詰め込みまくったのだから当然だ。体力の無さそうなルーイに簡単に持ち上げられるわけがない。
「何だコレ!?重すぎだろ!?全然持ち上がらないんですけど!?」
ルーイは今まで甘やかし続けた全筋肉に鞭打って何とか持ち上げようとする。しかし、少しも持ち上がる気配がない。このままではルーイの血管や筋の方がぶちきれそうだ。そうしている間にもリフはどんどん上がってくる。最新の機械というのも考えものだ。
ルーイは持ち上げるのを諦め、引きずることに決めた。リュックの紐を握りズルズルと引きずる。引きずるだけでも一苦労で、筋肉が悲鳴をあげている。男なら潔く諦めて身一つで今すぐ逃げるべきだろう。こういうところが本当にヘタレである。そうこうしているうちについにリフが最上階へ到着した。
「ルーイ、居るんでしょう?隠れていないで出てきてください。昨日のことは確かにショックだったかもしれませんが、全てあなたのためなのです。録画にも残しましたが、アーサー様は本当に心を痛めておいでで……ってルーイ!?あなた、何をしてるんですか!?」
部屋の中に入ってきたリフは、大きなリュックをズルズル引きずっているルーイを見つけると、目を丸くした。一体彼は何をやっているのか。考えられることは一つしかない。
「まさか、あなたここから逃げるつもりですか!?」
リフはルーイを捕まえようと、素早く身を翻し追いかけてきた。さすが王佐兼騎士である。重すぎるリュックを引きずっているルーイなどすぐに捕まえられてしまいそうだ。
「待ちなさい!そちらへ行っても無駄ですよ。ここから出るには私が上がってきた吹き抜けを下に下りる以外に方法はありません!」
リフはそう叫んだ。リフの言うとおり、この塔の出入り口は今リフが入ってきた一階の古びた扉だけなのだ。そして、そこまで行く方法も一つしかない。吹き抜けの部分を通ることだけなのだ。ルーイは今吹き抜けとは反対の壁のほうへ向かって逃げているのである。
「さぁ、もうくだらない追いかけっこはお仕舞いです。馬鹿な考えはもうやめて、こっちへいらっしゃい。」
ルーイはついに壁まで追い込まれてしまった。もうこれ以上逃げることはできない。華麗なる逃避行は荷物を詰めただけで終わってしまったのだ。
「くそっ……」
ルーイは唇をかみ締める。こんな所で自分は捕まってしまうのか。まだ塔の外へすら出ていないのに。いつもなら引きこもっていて塔の外に出たいなどとはこれっぽちも思わないが、今は塔の外の世界が恋しくて仕方ない。
「来るな!俺は、絶対に親善大使なんかにはならないっ!そんなことしなくちゃけないくらいなら、この国を出るんだっ!絶対出るんだっ!」
ルーイはがむしゃらに叫び散らした。
(捕まりたくない!外に出るんだ!俺は見知らずの国で自分だけの楽園を作るんだ!)
ルーイが心の中で強くそう願った時、急にルーイの立つ場所が青く光り始めた。
(何だ?床が光ってる?)
不思議そうにルーイが自分の立つ床を見る。床には今まではなかったはずの紋様が浮かび上がっていた。
(これは文字か?でも、光ってるのっておかしくない?っていうかいきなり浮かび上がってきたし。もしかして超常現象!?何かの呪い!?……いや、待てよ。なんかこれ前にも見たことあるような……)
ルーイがてんぱっている間にもんどん光は強くなっていく。
「ルーイ!?一体これは何なのですか?ふざけたまねはやめなさい!」
「ち、違うよ!俺じゃない!俺にも何がなんだか!?急に床が光って……う、嘘!?何!?何で!?体が吸い込まれ……う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ルーイ!?くっ!」
どんどん光が強くなり、ルーイを中心に半径二メートルくらいが光の渦に包まれたと思ったら、その光はまるで光粒子爆弾のように爆発したのだった。あまりの光にリフは目を開けていることができなかった。ただ、ルーイの叫び声だけが塔にこだましていた。数秒後、やっと光が消え、リフが目を開けると……そこにルーイの姿がはなかった。
「ルーイ!嘘でしょう?消えるなんて……」
リフは呆然とその場に立ち尽くした。今までそこに居た人間が一瞬で消えるなんてありえない。だが、実際にルーイは消えてしまったのだ。先程までものすごい勢いで光っていた場所は、何事もなかったように静まり返っている。ルーイが居た場所に現れた謎の紋様も、今は影も形もない。自分は夢でも見ていたのだろうか。その時、リフの脳裏にハッと一つの考えが浮かんだ。
リフはルーイが消えた場所をじっと睨むと、踵を返してアーサーのもとへ走った。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ルーイの悲鳴が森の中にこだました。目を覚ましたルーイの目に飛び込んできたのは、雲ひとつない空の青と、生い茂る森の緑だった。
(ここはどこだ?俺、確か塔の中に居て……国を出る準備をしていたらリフがやって来て……そうだ!あの時急に床が光ったと思ったら、床の中に吸い込まれたんだ!で、そのまま意識を失ったんだ。)
ルーイは身を起こし、キョロキョロと周りを見渡した。どう見てもここは森の中だ。
(森の中ってことは、ここはサントの森か?何だかよく分からないけど、俺うまく外に出られたってこと?なら、リフが来る前にさっさとこの森から出ないと。)
ルーイは立ち上がり、とにかく森の奥へ逃げようとした。とその時、草むらからガサッと音がして、誰かがこちらに近付いて来るのを感じた。
(ま、まさか、リフ!?もう見つかっちゃったのか!?)
ルーイは慌てて森の奥に走り出した。
「待て、そっちは危険だ!」
草むらから現れた何者かは、ルーイを見るとそう叫んだ。しかし、ルーイはどんどん奥へ入って行こうとする。
「行くなと言っているだろう!」
声の主はルーイを追って走り出した。
ルーイは振り返ることなく全速力で走った。しかしルーイの足が遅いのか、相手の足がもの凄く速いのか、後ろからどんどんその距離を縮められていく。
(やばい!このままじゃ捕まる……)
と、そう思った時、バシッとルーイの腕が摑まれた。ルーイはその反動で思いっきり体勢を崩すと、そのまま地面へとスライディングした。
「痛っ!」
結構な勢いで転んだルーイはその場に蹲った。
「すまないっ!大丈夫か?」
と、追いかけてきた人物が心配そうに声をかけ、ルーイを覗き込んだ。
(リフのやつ、すまないじゃねぇよっ!痛いっつうの!)
ルーイは目を開け、リフに文句を言ってやろうと起き上がった。
「大丈夫じゃ……」
ルーイがギッと睨んだその先に居たのはリフではなく……
(て、天使……?)
ルーイは目を見開いて、そのまま固まってしまった。リフが居るはずの視線の先には、光り輝く金髪に深いアメジスト色の瞳を持つ青年がいたのだ。ルーイからは、ちょうど彼の輝く金色の髪の上に太陽が重なって見え、まるで天使の輪が浮かんでいるように見える。
(すげぇ、俺今天使に会ってる?間違いないよ。髪の毛は目が開けていられない程眩い金髪だし、瞳はこんなにも慈愛に満ちた深いアメジスト色だもん。天使の輪だってあるし。後は背中に羽が……きっと、いきなりの不運に見舞われた俺を助けに現れたんだ!)
ルーイは本気でそんなことを考えていた。何しろ無類の本好きで、あの塔にある何万冊もの本を読破しているルーイは、結構なファンタジーマニアで、夢見る夢男君だったのだ。
「大丈夫か?急に固まって、地面に頭でもぶつけたか?」
ルーイが天使だと思ったその青年は、心配そうにそう声をかけた。妄想の世界に一瞬トリップしていたルーイはハッと意識を取り戻すと、その青年をもう一度しっかりと見た。すると、確かに超がつく美形ではあったが、天使の輪も羽も持ってはいなかった。それどころか、その青年は簡易な鎧を身に纏い、左耳にはピアス、腰には長剣を携えた騎士だった。ルーイはサーと全身の血が引いていくのを感じた。彼はリフではなかった。ましてや自分を助けてくれる天使でも。そう、ルーイが恐れ、避け続けてきた人間だったのだ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ルーイの絶叫が青い空にこだました。
リフはアーサーの自室へと続く長い渡り廊下を足早に歩いていた。アーサーが普段過ごす別城は、城とは完全に別建てになっており、城から続くこの渡り廊下を使う以外に行く方法はなかった。この廊下が何といっても長かった。別城にも玄関を設けるべきだ。焦っているのか、いつもより更に長く感じる。
渡り廊下を抜けると、本城とはまた少し雰囲気の違う内装の部屋が現れた。リフは更に奥へと進み、やっとアーサーの部屋へとたどり着いた。
「アーサー様!ルーイが、ルーイが消えました……」
ノックもせずに勢いよくドアを開けると、リフは間髪入れずに言った。しかし、慌てているリフとは正反対に、アーサーは悠然と椅子に腰掛け、落ち着き払っている。
「そうか。やはりルーイは行ったか。」
「え!?やはりって何ですか?何を知っているんですか!」
アーサーの返答に、何か知っているかもしれないと思っていたリフは詰め寄った。目の前で大事なルーイが消えてしまったのだ。リフにとっては一刻を争う事態だ。一人だけ納得したようなアーサーの態度が歯がゆくて仕方がない。
「リフ、落ち着け。ルーイはたぶん大丈夫だよ。」
アーサーはリフをなだめながらそう言った。
「たぶんって?たぶんでは困るんですよ!」
リフがアーサーに喰いかかる。
「あぁ、悪かった。たぶんじゃなく、大丈夫だ。」
アーサーがリフの目をしっかり見てそう言った。リフはその瞳を見てフッと息を吐いた。アーサーのこの瞳は確信があるときのものだ。信用しても大丈夫だろう。
「……知っていること、洗いざらい話してもらいますよ。」
リフはそう言うと、お得意の目は笑っていない最高の微笑をアーサーに向けた。
「うっ……怖いなぁ。私も詳しいことは分からないんだよ。ただ、ルーイが消えたとき、地面が光っていなかったか?」
「光っていました!床が急に光ったと思ったら、ルーイが消えてしまったんです。」
リフはあの時のもの凄い光を思い出してそういった。あまりの眩しさに目を開けていることができなかったくらいだ。
「そうか、やはりな。それなら、ルーイは行ったんだよ。ルーイが行くべき場所へ。」
アーサーは頷くと意味不明なことを言った。
「行くべき場所?意味がわかりません。説明になってないじゃないですか。」
リフはアーサーを睨みつけた。
「あの塔はただの古い塔ではないんだよ。……導きの塔なんだ。」
「導きの塔?それって…」
「そうだ。あの塔は強い意志に反応して発動する。そして、その者が行くべき場所へと導くんだよ。大方、その時ルーイは逃げようとでもしていたんじゃないか?それをリフに見つかってしまった。ルーイは強く思ったはずだ。ここから逃げたいってね。その強い想いに塔が反応して、ルーイをどこかへ転送したんだよ。」
「強い意志って、そんな曖昧な。」
リフは信じられないという顔でアーサーを見つめた。あのボロボロの塔が噂どおりの心霊スポットだったなんて、悪い冗談にしか聞こえない。どこかに転送とは、一体どこなのか。まさか本当に異次元だったりしたら笑えない。
「おまえはその目で見たのだろう。ルーイが消えたところを。なら、その事実を信じるんだな。それに……私も飛ばされたことがあるしな。」
アーサーは少し可笑しそうにそう呟いた。
「飛ばされたことがある!?アーサー様も!?」
リフはアーサーの思いがけない発言に目を丸くした。まさか、アーサーまで怪奇現象体験者とは、いきなりのカミングアウトである。
「あの塔は王族にしか反応しないんだ。経験者だからこそ言えるが、ルーイは導かれたその先で、きっとかけがえのない出会いを経験するはずだ。」
アーサーは目を細め、何かを懐かしむようにそう言った。遠くを見るその瞳は、幸せそうなのにどこか悲しげな、そんな不思議な色をたたえた瞳だった。
「アーサー様……?」
「いや……、とにかく、今回のことはルーイにとって願ってもない好機になるということだよ。私たちはただ、ルーイが無事に戻ってこられるように願うだけだ。」
「しかし、どこに行ったかも分からないなんて……」
リフはまだ不安そうだ。経験者のアーサーは何か思うところがあるようだが、自分は経験したことがないのだから信じようがない。しかも、頼んでもいないのに塔が人を飛ばすなんておせっかいにも程がある。『導きの塔』なんてそれらしい名前がついてはいるが、迷惑なうえに呪われているヤバイ塔でしかない。この国にはこういった常識では考えられないような不思議なことがよく起こる。特に王族の周りでは。
「はぁ……本当にまだこの国は理解しがたいことだらけのようですね。いいでしょう。アーサー様の言葉を信じましょう。ただし、もしルーイが無事に戻ってこなかったら、あの塔はぶっ壊しますから。もちろん、無責任なことを言ったアーサー様にも責任をとってもらいますから。」
リフは一度溜息をついた後、またあの恐ろしい笑顔をたたえ静かにそう言った。
深い森の中、ルーイは気絶したフリをしながら様子を窺っていた。心の準備もなしに唐突に人間に出会ってしまったルーイは、大絶叫を残してそのまま昏倒してしまったのだった。そして気付いたときには、両手足を縄で縛られた状態で地面に転がされていた。目の前では、気絶する前に見た天使のような青年と、茶色の髪を後ろで一本に結い、切れ長の目をした賢そうな青年が話している。実は五分ほど前から気が付いていたのだが、怖くて目覚めることが出来ず、こうして気絶したフリを続けているのだ。
「まったく、今度は何を拾ってきたのかと思えば、人間とは……理解しかねますね。」
茶髪の青年が呆れたように言った。
「拾い物ではないぞ。迷いの森に入ろうとしていたから止めただけだ。それをお前が捕まえたのだろう。手足まで縛るとは、非人道的だ。今すぐ開放することを要求する。」
天使のような青年が憮然として言った。
二人の青年はルーイを解放するかどうかで先程から言い合いを続けているようだ。
(何かもめてるよ。しかも俺のことっぽいし。ますます起きられないよ。っていうか、ここ何処?こいつら一体何者なんだよ。これってもしかしなくてもヤバイんじゃ……と、とにかく、情報を入手するためにもここは黙って死んだフリだ。俺は屍。俺は屍……)
死んだフリは違うときの対処法だと思うが、ルーイは自分が置かれている結構ヤバ目な自体を把握し、このまま気絶したフリを続行することに決定した。情報の入手と言ってはいるが、それでは何の解決にもならないことは分かりきっている。しかしへタレのルーイではそれで精一杯のようだ。本当に気絶していないだけましと言えるのかもしれない。
「はぁ……不毛な言い争いは止めにしましょう。私は、我々の害になる可能性がある人物を野放しにしてはおけないだけです。危険人物ではないと分かれば解放します。と、言うわけで、話してもらいましょうか?一体あなたが何者で、何をしていたのかを。」
茶髪の青年はそう言ってルーイに振り返った。天使のような青年も同じようにこちらを見ている。
(えっ!?ちょっと待て!もしかして俺が気付いてるのバレてる―――――!?)
茶髪の青年は、気絶したフリをしながら起きようとしないルーイを、つまらなそうな顔で見つめ、
「気絶したフリはもう結構。あなたが五分ほど前から意識を取り戻していることは分かっていますから。さっさと起きて説明してください。私は気が長いほうではありませんので。」
と冷ややかに告げた。その声音はまるで抑揚がなく、無機物のように冷たいものだった。
ルーイは青年のその発言に体が竦み、起き上がろうにも出来なくなっていた。本気でもう一度気絶しそうである。引きこもり生活九年目、もうすぐめでたく十年目突入のルーイにとって、いかにも真面目そうで、おかしなこと言うものなら即斬捨て御免的な雰囲気を醸し出すこの茶髪の青年は、コミュニケーションをとるにはあまりにもハードルが高すぎる人物だった。
そんなルーイの様子を見て、
「ヒューズ、そんな言い方をされたら起き上がろうにも起き上がれない。まったく、お前はもう少し他人へ配慮することを覚えるべきだな。」
と、天使のような青年が言い、ルーイのもとに近付いてきた。
(嘘!?どうしよう!?こっち来る?うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?)
ルーイはあまりの動揺に、もう訳が分からなくなっていた。
ぽんっとルーイの肩に手が置かれる。
「ひぃっ!?」
情けないことこの上ない声を上げて震え上がるルーイを、天使のような青年は戸惑いながら見つめた。その瞳はルーイが最初に天使と勘違いした時と同じように慈愛に満ちた深いアメジスト色をしている。アメジスト色の瞳だからと言って慈愛に満ちているとは限らないと思うが、ルーイの中ではアメジスト色の瞳=慈愛に満ちた人となっているようだ。
(すげぇ、やっぱり綺麗だな……)
ルーイはその瞳を覗き込んで、また固まってしまった。しかし、今度のそれは今までの恐怖から来るものではなかった。
「はっ!?あの、その、すみません!俺、あの、その、えっと……」
自分がつい青年の瞳に見惚れてしまっていたことに気付いたルーイは慌てて目をそらして、訳の分からないことを口走った。
(俺何やってんだ?早く何か言わないと。でも何を言ったらいいかわからないよ……)
「って、え!?何?何で?縄……」
ルーイがパニック状態でグルグルしている間に、天使のような青年はさっさとルーイの手足の縄を解いていた。それに気付いたルーイは、思いがけない青年の行動に更に訳が分からなくなった。対人レベル〇と言ってよいルーイには、処理能力が追いつかない。
「何をしているのです、ユーノ様!まだ彼からは何も聞いていません。縄を解くなど……」
「いいんだ。彼は悪い人間ではない。瞳を見れば分かる。」
ユーノと呼ばれたその天使のような青年は、そんな根拠も何もないことを堂々と言ってのけた。それに対しヒューズという茶髪の青年が、信じられないといった顔で言う。
「また、それですか?あなたのその言葉は一つも信用なりませんよ。そう言って何度騙された思うのです!?」
「私は彼らを信じたのではない。そう感じる自分自身をいつも信じているだけだ。それで後悔したことなどない。」
と、ユーノは誇らしげに言った。あまりの自身ありげな表情と迷いのない言葉に、一瞬こいつカッコイイかも……なんて錯覚しかけてしまうが、
「あなたは後悔していなくても、とばっちりをくらう我々には大迷惑なのですよ。」
その言葉は聞き飽きたと言わんばかりに冷たく返すヒューズの言葉から、ユーノという人物の実態はただのハタ迷惑な自信家というのが正しいのかもしれない。
「とにかく、これは命令だ。縄は解く。」
「……わかりました。」
ルーイの手足から縄が解かれた。しかし、二人のやりとりを思考回路はショート寸前♪でぼんやり眺めていたルーイは、せっかく自由になったのに、その場にへたり込んでピクリとも動くことができないでいた。逃げ出す様子がないことを確認すると、ユーノはルーイの真正面の位置にまわると、アメジスト色の瞳を近づけて言った。
「怯える必要などない。私は君を傷つけたりはしない。騎士に誓ってだ。落ち着いてからでいい、君の事を話してもらいたい。」
いつもなら知らない人間の言うことなど絶対に信じたりしないルーイだったが、なぜだかその時はこの青年の言葉は信用できるような気がした。本当はその理由をルーイは知っていたのだが、そこは気付かなかったことにする。
そうして、少し落ち着きを取り戻したルーイは、どもりながらも少しずつことの経緯を話し始めたのだった。
空には星が瞬き、辺りはすっかり暗くなっていた。もう五月だというのに、夜になるとまだ十分に寒かった。ルーイは焚き火から少し離れたところで丸くなり、肌寒い肩を擦りながら、ゆらゆらと燃え上がる炎をぼーっと見つめていた。
(俺の命も、この炎みたいにゆらゆら揺れて、消えていくんだろうな……)
あれから事情を話したルーイは、結局この一行と行動を共にすることになっていた。事情を話したと言っても、まさか正直に話すわけにはいかなかった。自分は実はユーフォニアの王子で、地面が光ったかと思ったらここまで飛ばされていた。なんてことを誰が信じるというのか。当事者であるルーイですら、今でも信じられないのに、他人が信じるわけがなかった。とりあえず王子であることを隠し、自分はルーイという名の旅人であり、旅の途中で何者かに襲われて、気が付いたらこの森に捨てられていたことにした。それ故に自分にはここがどこなのかも分からないし、襲われた時に持ち物を全て奪われてしまったようで、何も持っていないのだと説明した。どうにか辻褄は合っているのではないかと、テンパリながらも意外と俺ってば機転が利くじゃん!なんてルーイは自惚れていたりした。しかし、ルーイの考えは甘かったようだ。ヒューズは感情が読めない瞳でじーっとルーイを見ると、ユーノを呼び、ルーイには聞こえないようにこそこそと話し始めた。
「私には彼の言うことは信じられません。物取りの犯行にしてはおかしな点が多すぎる。彼の両手には高価そうな指輪がはめられたままでした。腕には最新の携帯用ソーダスもしている。物取りが荷物だけを奪って、これらを放置したまま去るなんてありえません。それに、殺せばいいものをわざわざこんな所に捨てたというのも不思議だ。百歩譲って、どこかのセコイ物取り初心者に気絶させられてここに捨てられたということにしても、彼は旅人ではないでしょう。旅人はあんなに高価な服は着ていない。なにより、あのような軟弱でオドオドしている者が旅人などありえない。大方、どこかの貴族のボンボンが家出でもした途中で、物取りに荷物を奪われたというのが筋でしょう。家出中であるため、多くを語ることができないのですよ。」
ヒューズは見た目どおり、頭の切れる男のようだ。大筋は真実を言い当てている。やはりルーイの浅知恵では通用しないようだ。
「まぁ、確かに旅人には見えないな。ヒューズの言うことは一理ある。だが、それなら尚更、彼をこのまま放っておくわけにはいかない。こんな危険な森で一人にしたら、すぐにでも死んでしまうだろう。無一文のようだし、どこか安全な国まで送り届けてなければ。」
「送り届けるって、我々が今何をしているのか分かっているのですか?隠密調査中なんですよ。あのようなどう考えても足手まといにしかならない者を連れて行くなんて、任務に支障がでますよ。分かっているのですか?」
ヒューズは大反対のようだ。確かに、ルーイのような軟弱、小心者、へタレという三重苦を背負った人間を連れて行くメリットは彼らにはないだろう。ここで別れるのが賢い者の選択だろう。
「分かってはいる。だが、弱い者を守るのは騎士の当然の務めだ。」
ユーノは迷いなくそう言った。ヒューズは唖然としつつも、そう言うだろう事が分かっていたようだ。無機物のような冷たい顔からは想像が出来ない暖かな表情で一瞬微笑み、
「まったく、あなたという人は本当に困った人だ。しょうがありませんね。この部隊はあなたの隊だ。我々はあなたの考えに従いましょう。しかし、もし彼が本当に害になるようなら私の考えで対処させていただきます。」
今まで通りの冷たい表情に戻るとそう告げた。
離れたところから二人のやり取りを固唾を呑んで見守っていたルーイは、ヒューズが見せたその一瞬の暖かい表情を見て思った。
(なんだかあのヒューズって人リフに少し似てるな。喋り方とかさ。あの二人が話してるのって、父さんとリフが話してる時みたいだもん。)
ルーイはアーサーとリフのこと思い出し、少し寂しい気持ちになった。
(二人ともどうしてるかな……リフのやつ、きっと俺が急に消えたから心配してるだろうな。あの時すごく慌ててたもんな。父さんは……)
そこまで考えてルーイはもうこれ以上考えるのをやめた。自分は国を出てきたのだ。もう二人に会うことはないだろう。この状況だって、考えようによってはルーイの望んだとおりだ。場所はどこだか分からないし、捕まってはいるがユーフォニアから出ることが出来たのだ。万々歳ではないか。
ルーイはそっと周囲を見渡した。最初は気付かなかったが、ここに居るのはユーノとヒューズの二人だけではい。他に三人の青年がいた。三人とも左耳にピアス、腰には剣、簡易な鎧という騎士の格好だ。ユーノとヒューズも同様ではあるが、身につけている鎧が他の三人とは少し装飾が異なり、腰の剣も特注のようだった。ユーノが隊長、ヒューズが副隊長といったところか。今までの様子から察するに、彼らはどこかの国の小隊で、何かの任務の最中のようだ。
そんなことを考えていたルーイのもとに話を終えた二人が戻ってきた。ヒューズは相変わらず無機質な冷たい顔でこちらを見下ろしている。
(うっ……この人本当に怖いんですけど。さっきリフに似てるなんて思ったのは間違いだったか。絶対俺のこと邪魔者だと思ってるよ。)
ルーイはビクつきながら二人を伺い見た。自分の話は納得してもらえたのだろうか。
「君の話は分かった。襲われたなんて大変だったろう。」
ユーノはルーイと同じ目線になるようにしゃがみこんで言った。ヒューズよりも好意的のようだ。ルーイに初めて会ったときから優しい言葉をかけてくれる。ただ、ユーノにもあまり表情がなかった。話し方もかたく、騎士らしいといえばそうなのだが、顔と話の内容からでは、彼の本当の気持ちを読み取ることはできなかった。なまじルーイが天使だと勘違いするほど整った美しい顔をしていたので、無表情だと作り物のようで、他人を寄せ付けない雰囲気すら纏っていた。
(このユーノって人も何かなぁ。セリフと表情が合ってないし。二人とも微妙だよな。)
自分の態度が一番微妙なくせによくそんなことが言えたものだ。
「ここがどこだか分からないと言っていたな。ここは迷いの森だ。聞いたことがあるだろう?一度深くまで入ってしまえば、もう二度と森から出ることはできない。磁石も電波も使えない完全な閉鎖空間だ。自殺の名所でもあるな。」
「うえっ!?俺、そんな所に……」
ルーイは思わずぞっとした。もしユーノに出会わなければ、迷いの森で今頃生き倒れていたことだろう。華麗なる逃避行もそこでジ・エンドだ。
「我々はこの森の横を抜けて、マルムークに出る。君の安全のためにも、そこまで一緒に着いてきてもらいたいのだが、かまわないか?」
「え!?マルムーク?ほ、本当にお、俺をマルムークまで連れて行ってく、下さるんでしょうか……」
ビクつきながら話しているので、最後のほうが良く聞き取れない。ろくに人とも話せないなんて、本当にへタレだ。
「あぁ、君さえ良ければ。」
「あ、ありがとうございます。すみません、本当にすみません。ありがとうございます……すみません……」
ルーイにとってはまたとない申し出だった。彼の当面の目的地はマルムークなのだ。迷いの森などに放り出されて、食料も何もないルーイが一人で生きて出られるはずもない。それを彼らが一緒に外まで案内してくれて、その上マルムークまで連れて行ってくれると言うのだ。なんという幸運だろう。
(やっぱ俺、日頃の行いが良過ぎるから、神様が助けてくれるんだな!そうだ!あの光ももしかしたら神様のお導きってやつ?)
「同意してくれたようで安心した。」
ルーイはマルムークに行けるということで天にも昇る気持ちでいた。マルムークに行けるというなら、どんな嫌なことにだって目を瞑れた。本当は人間が嫌いなので、こんな今出会ったばかりの他人と一緒に行動するなんて、たまったものではなかったが、見知らずの国での幸せな今後のためにも我慢することにした。より人生を謳歌するために、神様がくれたちょっとしたスパイスなのだろう。
「そうだ、自己紹介がまだだったな。私はユーノ=ゲイルシュタイン。こっちはヒューズ=スタッカ-トだ。」
その言葉をきいて、ルーイは固まった。
(ん!?ちょっと待て、今なんて言った?ユーノ=ゲイルシュタイン?ゲイルシュタインってあれだよな……ユーノ?え!?まさか……)
「ユーノ様!簡単に自分の名を名乗るのはお止めくださいとあれ程言ったはずですが?あなたの名前は少し有名すぎるのですよ。」
「そうか?悪かったな。だが、騎士たるもの、自分を偽ることは出来ないからな。」
「まぁ、そういう方でしたね。あなたは。」
そんなたわいもないやり取りを二人は続けている。
二人の会話を聞いて、ルーイは確信してしまった。間違いない。彼は、この目の前にいる天使と見紛うばかりに美しい青年は、あの有名な『紅剣の黒い悪魔』だったのだ。
「ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
満点の星空に、本日二度目となるルーイの絶叫がこだました。
ゲイルシュタイン王国。この国は六大王国の一つであり、聖王国に隣接する騎士の国である。騎士の国というのはその名のとおり、騎士を育て、世界各国に輩出することを生業とする国のことである。騎士というと、馬に乗って戦う者を想像するが、セイレーンの騎士は馬に乗って戦う戦士ではない。騎石とよばれる特別な石によって生身でありながら戦車や戦闘機と互角に渡り合える能力を持った者のことを言う。騎石は聖石という、中央大陸から少し離れた南西の島でしか採れない特別な石から作られる。聖石はエネルギーを入れたり出したりできる充電器のような特徴がある。充電器といっても、聖石が扱うのは生命エネルギーであるロウだ。この聖石の特徴を利用し、特別なロウを入れてあるものが騎石だ。騎士は騎石がもつ力を引き出し、自分のロウと共鳴させることによって、飛躍的に身体能力を上げることができるのだ。騎石は厳しい課程を修了し、騎士の洗礼を受けて初めて手にすることができる。左耳につける騎石でできたピアスは騎士の証なのだ。騎士の国はセイレーン内にいくつかあるが、六大王国の三国が特に有名である。この三国の騎士課程は他の国のものとは比べられない程厳しく、無事に課程を修了して騎石を手に入れることができた者はエリート中のエリートということになる。騎士には個人に仕える者と国に仕える者がいるが、各国の王族の個人的な騎士は殆どがこの三国出身である。ちなみに、アーサーの王佐兼騎士であるリフも、この三国の一つであるテトライン出身だ。
三大騎士王国はシェーマン、ゲイルシュタイン、テトラインの三つである。この三国はそれぞれ輩出する騎士に特徴がある。シェーマンは斧を得意とする屈強なパワー重視タイプ、ゲイルシュタインは剣を得意とするスピード・技重視タイプ、そしてテトラインは槍を得意とする両方に均衡の取れたタイプである。扱う武器の違いは建国者の使っていた武器に起因するが、能力の違いは三国の騎石の違いによって生まれる。騎石は騎士の国それぞれが独自に作っているため、同じ騎士でも出身国によって持つ騎石が違うのだ。その製法についての詳細は秘密とされているが、聖石に封入されるロウは各国が持つ国自体のロウなのだ。つまり、国によって騎石に違いが生まれるのはその国の持つロウの違いによるとされている。騎石の素となる聖石は透明な石だが、中に封入されているロウの違いによって色が変化する。シェーマンは黒、ゲイルシュタインは橙、テトラインは赤だ。そのため騎石を見れば、だいたいどこ出身の騎士かが分かるのだ。三国は一国が戸出することなく常に均衡を保って存在している。お互いに睨み合い、協力しながら仲良く?聖王国を守っているというわけだ。
ゲイルシュタイン王国と言えば、今何かと有名な国だったりする。それは今回ゲイルシュタイン王国が聖戦当番だからだ。聖王国は大きな力を持っていると同時に、他国から最も狙われている国と言ってもよい。何しろ聖王国を手に入れれば、セイレーンの頂点に立つも同然なのだから、それを狙う国からいつ戦争を仕掛けられてもおかしくないのだ。そのため聖王国と六大王国は、いつ何時も協力し合いセイレーンをより良い世界にしていこうというマルグリット条約を結び、他国からの攻撃に備えている。しかし、五十年ほど前、北方大陸の六国からなる連合軍によって、聖王国の国土の五分の一が焦土と化す大きな戦争が起こった。ただ条約を結んで守りを固めているだけでは、他国からの侵略に対処しきれないことが明らかになったその時、自分たちも積極的に行動を起こしていくべきだという考えから生まれたのが、聖戦興行である。聖王国を守る立場にある六大王国が、一年毎の当番制で反聖王国と考えられる国に出向き、聖王国の素晴らしさを伝えて仲良くなってしまおう!という壮大な友達百人できるかな?計画がそれである。彼らは、他国との交友を広げる素晴らしい活動だと言っているが、つまりはただの侵略行為だ。聖戦と銘打っている時点で戦いであることを認めているのではないかという疑問が生まれるが、彼らは聖王国の尊さを伝える布教活動だと言い張っている。
今年の聖戦当番であるゲイルシュタインは、就任から三ヶ月で驚くべき成果を挙げていた。既に七つの国を制圧していた。その立役者がゲイルシュタイン王国第二王子、ユーノ=ゲイルシュタインその人である。今までゲイルシュタインは当番になってもあまり積極的な活動はしてこなかった。それが今回このような積極的な活動を行っている理由は、ゲイルシュタイン王が不在であり、国の指揮を一時的に第一王子、セイラン=ゲイルシュタインが行っているからだ。セイランは次期王として自分の名を各国に知らしめる機会を窺っていた。そこで、聖戦興行である。戦いを得意とするゲイルシュタインにとって、聖戦興行は各国にアピールできる絶好の機会と言えるのだ。しかし、有名になったのはセイランではなくユーノの方だった。当然のことながら、セイラン一人で三ヶ月の間に七カ国も制圧できるわけがない。セイラン軍とユーノ軍両軍による功績だった。そして、蓋を開けてみれば、セイランが二カ国、ユーノが五カ国といった内訳だったのだ。実際、戦場でのユーノの活躍は神がかり的だった。どの戦場においても先人を切って突入し、相手の戦車隊を次々に破壊していくその姿は、敵味方を問わず見惚れるほど美しく、その場に居た全員が彼のその姿をその名を記憶したことだろう。そうして付いた名が、味方の間では『不傷の戦王』、敵の間では『紅剣の黒い悪魔』だったのだ。
ユーノ=ゲイルシュタイン。ゲイルシュタイン王国第二王子。以前から騎士としての彼の力は国内で知らない者はいないほどの腕前だったが、ここ数ヶ月の活躍で国外でもその名が知られるものとなった。四月に行ったリーガル国境聖戦で、彼一人で相手国の陸軍隊五百を沈めたことは記憶に新しい。顔色一つ変えずに相手を瞬殺するその姿はまさに悪魔といえる。戦場での彼の剣は敵の血で真っ赤に濡れ、その鎧は返り血で真っ黒に染まっていることから『紅剣の黒い悪魔』との異名が付いた。その能力・功績から、国内外ともにゲイルシュタイン次期王としての呼び声が高い。
これが、ルーイがソーダスで検索したユーノについての記述だ。三ヶ月の間に五カ国もの国を滅ぼした悪魔が、まさか自分の目の前にいるこの美貌の青年だとは、何かの間違いとしか思えない。どんな筋肉隆々の厳つい男なのかと思っていたのに、これでは詐欺である。何しろルーイは最初、彼を天使だと思ったほどだ。その実態が天使の皮を被った悪魔だったとは、世の中は理解できない不思議で満ちているのだなと感心した。一日に二度も世界の不思議に遭遇してしまったルーイは、確実に経験値を百くらいは上げたことだろう。
(俺の命、あと何日?いや、あと何時間?まさか、こんな危険な森で悪魔に出会うなんて……世の中に神なんていないな。っていうか居たとしても人に嫌がらせする疫病神だけだ。まさか齢十五で人生が終わるとは……あ!でも十六歳にならずに済んだら、親善大使にもならなくていいってことじゃん!これはラッキーなのか?ははっ、はははははは……)
ついにルーイの頭はおかしくなったようだ。人間、どうしようもない状況に陥った場合笑うしかないというのは本当らしい。
ルーイが焚き火の炎を見つめながらそんなことを考えていた時、ユーノが近付いてきた。
「そんな所に居ては寒いだろう?もっと火の近くに来るといい。食事も食べていないようだし……」
「ぎゃっ!?」
突然ユーノに声を掛けられたルーイはあまりの驚きに仰け反った。
(うわっ!?何でこんな近くに居るんだよ。何?ついに死刑執行なわけ?)
ルーイは緊張のあまり声が出ず、魚のように口をパクパクさせている。それでも、何とかユーノから離れようと後ろの壁にへばり付いた。
「……そんなに私が恐ろしいか?」
ユーノはルーイの様子を見ると、静かにそう訊いた。
ルーイは何も答えることが出来ない。一瞬の沈黙の後、
「五月といっても夜はまだ冷える。風邪をひかれては困るからな、もっと火の近くに行って、きちんと食事をしろ。」
そう言って、ユーノはルーイとは反対側の一番焚き火から遠い位置に腰を下ろした。
(何だよ、それ……)
ルーイは複雑な気持ちになった。悪魔のはずのユーノは自分を気遣っている。しかも、恐ろしいかと訊いてきたユーノは無表情だったが、その瞳の奥に悲しみが滲んでいる様に感じた。最初に出会った時と変わらない、慈愛に満ちたあのアメジスト色の瞳の奥に。
(俺、何考えてるんだ。あいつは悪魔。天使の皮を被った悪魔なんだ。最初から俺を騙してたんだ。あの瞳に惑わされるな!……そうだよ。人間は皆嘘つきで、平気で人を裏切る。あの時嫌って程思い知ったはずだ。俺はもう、誰も信じたりしない……)
ルーイは体を更に丸めて、ゆらゆらと揺れる焚き火の炎を見つめた。ルーイが見ているのは焚き火の炎なのか、それとも自分の中に燃える黒い炎なのか。それはルーイ自身にも分からなかった。




