呼び出し
昼休みの鐘が鳴った瞬間、元気な声が教室に響いた。
「ロゼッター!」
ミレーユだった。
教室は違うが、今ではすっかり顔馴染みである。
「今日も購買行く?」
「行く」
「いい加減飽きない?」
「パンがうまい」
「毎日それ言ってる」
ミレーユは呆れたように笑った。
学院の購買で売られている焼きたてのパンは本当に美味しい。毎日食べても飽きない。
ミレーユはロゼッタの斜め後ろに視線をよこす。
窓際の席ではギルベルトが本を読んでいた。一人で静かに休み時間を過ごすのが彼の日課だ。
はじめは様々な女子生徒が彼に話しかけに行っていたが、ギルベルトの反応が悪いため、徐々に声をかける女子生徒は減っていった。
「ねえ、ギルベルトは?」
「行かない」
「だよね~」
ミレーユは即答した。
「絶対そう言うと思った」
ギルベルトは返事の代わりにページをめくる。
入学から一週間。朝は決まった時間に寮を出て授業を受け、昼はミレーユたちと騒がしく過ごし、放課後は寮へ帰る。
そんな学院生活にも、少しずつ慣れ始めていた。
そして何より――授業は、二人が思っていたよりも面白かった。
基礎魔法実技では様々な属性の魔法を学ぶ。
歴史学では知らない人間達の物語を聞く。
数学では予測を知った。
それでもまだまだ知らないことばかりだった。
人間は不思議だ。
空を飛べないくせに星を調べる。
爪も牙もないくせに魔獣を研究する。
それなのに、なぜかそれが面白い。
ただ一つ。
どうしても慣れないものがあった。
アーヴィン・クロウ。
授業そのものは嫌いではない。説明はわかりやすいし、質問にも答えてくれる。
強面だが生徒たちからの評判も良かった。
だがロゼッタは落ち着かなかった。
教室へ入ってくるだけで緊張する。声を聞くだけで背筋が伸びる。
理由はわからない。けれど本能が警戒していた。
あの日、入学式で感じた圧力を忘れられない。
ギルベルトも同じだった。
授業中こそ普段通りだが、アーヴィンが近くを通ると僅かに表情が硬くなる。本人は隠しているつもりらしい。
だがロゼッタにはわかった。
だから空界現象学の課題が出された時も、二人は妙に真面目に取り組んだ。
数日が過ぎる。
いつもと変わらない学院生活だった。
だから放課後、名前を呼ばれた時は心臓が跳ねた。
教室の扉が開く。学院職員が顔を覗かせた。
「ロゼッタ・エヴァンス、ギルベルト・エヴァンス。アーヴィン先生がお呼びです」
一瞬。
教室が静まり返った。
「研究棟の執務室まで来るようにとのことです」
職員はそれだけ伝えると去っていく。
そして。
「えっ」
誰かが声を漏らした。
「アーヴィン先生?」
「何したんだよお前ら」
教室が一気に騒がしくなる。
ロゼッタは目をぱちぱちさせた。
「私たち、何もしてないぞ」
「本当に?」
ミレーユが疑いの目を向ける。
「してない」
「絶対?」
「してないって!」
少し自信がなくなってきた。
学院という場所はよくわからない。
知らないうちに何かやらかした可能性もある。
「空界現象学の課題じゃない?」
クラスメイトの一人が言った。
「どうせ変なこと書いたんでしょう~?」
「書いてない……と思うけど」
ロゼッタはギルベルトを見る。
「書いた?」
「わからない」
短い返事だった。
だが表情は硬い。ギルベルトはかなり緊張しているようだ。
「まあ……行くしかないか」
立ち上がる。
ギルベルトも静かに本を閉じた。
二人が教室を出ようとした時だった。
「待って」
ミレーユが駆け寄ってくる。
「終わったら怒られた内容教えてね」
「なんで怒られる前提なの」
ロゼッタは少し笑った。
緊張が和らぐ。
「生きてたらな」
ギルベルトが小さく肩をすくめる。
冗談のつもりなのか、本気なのかは分からなかった。
二人は並んで研究棟の奥へ向かう。他の棟に比べて少し古めかしい建物だ。
上級生の研究室では、水晶に映し出された映像と地図を見比べながら、何かを記録している様子が見えた。
黒板には複雑な数式が並び、それを囲んだ生徒たちが低い声で議論を続けている。
どうやら空界現象の発生地点と、そこに残る“痕跡”を解析しているらしい。
研究室の廊下を抜け、教職員用のエリアへと入る。
アーヴィン・クロウの名札が下がっている執務室の扉をノックすると、すぐに低い声が返る。
「入れ」
二人は顔を見合わせることもなく扉を開けた。
中は、整っているとは言い難い部屋だった。
資料の山が机を埋め、その隙間からさらに紙束が床へと崩れ落ちている。壁際の棚もほとんどが書類で埋まっていて、どれが未整理なのかすら分からない。
紙とインク、それに微かに残る煙草の匂いが混ざり合い、独特の空気を作っていた。
窓際の机にはアーヴィンが座っている。
片手で煙草を挟みながら、二人の方をまっすぐ見た。
軽く机を指で叩くと、部屋の隅に置かれていた椅子が二つ、音もなく滑るように動き、二人の前に並んだ。
「そこに座れ」
言葉は短いのに、拒否する余地はなかった。
ギルベルトは傍から見たらめちゃくちゃ陰キャです。




