勇者サポートセンター:業務日報
コール音は、鐘の音に似ている。
だがここに鳴り響くそれは、祝福ではない。クレームの予兆だ。
私は、使い古されて合皮の剥げかけたヘッドセットを装着し、感情を排した定型文を口にする。
「はい、こちら異世界転生者専用サポート窓口、勇者サポートセンター。担当オペレーター、小林が承ります」
名乗るたび、ほんの少しだけ胸が疼く。
――元勇者。
かつて私は、聖剣を振るい、魔王を倒した。
世界を救い、姫と結ばれ、王城で祝福されるはずだった。だがエンディングの瞬間、世界は光に包まれ、私は“こちら側”に回収された。
それがこの組織、勇者サポートセンター。
無数に発生する異世界転生者のトラブル対応を行う、神の視座をもった裏方の部署だ。窓の外には星も月もなく、ただ淡いグリッド線が走る虚無が広がっている。
着信ランプが赤く点滅する。
「お電話ありがとうございます。どういったご用件でしょうか」
『ステータス初期値、バグってるんですけど!? 俺だけ“器用さ1”って何!? 絶対ミスですよね!?』
若い男の声。背景に聞こえるのは、素人くさい軌道で木剣が空を切る音。
初期ステータス系クレーム。頻出だ。
「お客様の転生IDをお願いします」
『ID? えっと、あーこれか。TR-99871-β。』
指先が、かつての抜刀の速度でキーボードを叩く。画面に表示されたログを確認。
「確認しました。お客様は“努力型成長ルート”に設定されています。初期値は低いですが、成長補正が通常の3.2倍です」
『いや聞いてない! チートって言われたから来たのに!』
「“努力がチート級”という意味合いになります」
沈黙。
『……地味じゃない?』
「大変申し上げにくいのですが、派手さ重視の“無双テンプレート”は現在キャンセル待ちでして。現在、異世界側の魔王軍もコンプライアンス遵守のため、理不尽なまでの弱体化は認められておりません」
最近、無双志望者が増えすぎた。供給が追いついていない。
『じゃあ再抽選できません?』
「申し訳ございません。一度ログインされた世界の再抽選は、世界崩壊リスクがあるため不可となっております。その器用さ1も、十年後には神の領域に至る数値です」
長い溜息のあと、通話は切れた。
次の着信。
「はい、勇者サポートセンターです」
『ヒロインが出てきません』
落ち着いた、しかしどこか縋るような女性の声だ。
「詳しくお聞かせください」
『転生して三年目です。村を救い、盗賊を倒し、ギルドランクも上げました。でも運命的な出会いがない。仕様ですか?』
画面を確認する。
彼女の世界線には、ヒロインフラグが“遅延設定”されていた。
「お客様は“自己確立優先ルート”です。恋愛イベントはレベル35以降に解放予定です」
『今いくつだと思います?』
「……34ですね。あと経験値、400ほど足りません」
『一年待ちました。酒場での出会いも、森での救出劇も、何もなかった』
声に滲む疲労。かつて私も、レベル上げの最中に孤独に耐えかねて焚き火に話しかけた夜があった。
私は少しだけ定型文から外れた。
「焦らなくても大丈夫です。あなたの世界では、“対等な相手”しかヒロインになりません。今はその人が、あなたに追いつこうと必死に成長中です」
数秒の沈黙。
『……本当?』
「私自身の元勇者としての経験則です。守るだけの関係は、エンディング後に脆いものですから」
嘘ではない。
私の世界でも、姫は最後まで戦えなかった。守られる存在だった。だから、私が消えたあとの彼女を思うと、今でも奥歯が鳴る。
だが彼女は違う。ログによれば、未来のヒロイン候補は、現在魔王軍の幹部と戦いながら、その強靭な魂を磨き上げている。
彼女がレベル35になる頃、二人は背中を預け合える、同じ高さに立つ。
『……じゃあ、もう少し頑張ります。次のレベルアップ、楽しみにしてます』
通話終了。
私は椅子にもたれた。肩が凝っている。
画面の端に、内部通知が点滅する。
未処理案件:1
内容:元勇者 小林 世界未帰還エラー
それは、私自身のログだった。
私の世界は、魔王討伐後に停止している。
エンディングが正常に処理されなかった。
姫はどうなったのか。あの国は。
私はまだ、知らない。
着信が鳴る。
今度は内線だ。
「小林、応答して」
上司――“世界管理AI”の声。冷たく、しかし僅かにノイズの混じった声。
「はい」
「本日の対応件数、基準値を超過。評価は良好。だが一件、あなたに特別案件を割り振る」
画面が強制的に切り替わる。
案件:世界未帰還エラー
対象:元勇者 小林
止まっていたはずの心臓が、痛いほど跳ねた。
「……私の、ですか」
「是正措置として、一時帰還を許可する。ただし制限付きだ」
「制限?」
「あなたは“物語の外側の存在”として帰還する。干渉は最小限。物理接触不可。発声不可。観測のみ」
観測。
触れられない。
話せない。
ただ見るだけ。
「それでも構いません。行かせてください」
即答だった。
「承認。転送準備を開始。座標固定……ログ・アウト」
足元が光る。
久しぶりに感じる、あの世界の匂い。
空気に混じる魔力の残滓。湿った石畳の冷たさ。
視界が開ける。
王城のバルコニー。
かつて、魔王を倒したあとに二人で夜明けを待つはずだった場所。
夜風が吹いている。
そして――
姫がいた。
いや、もう姫ではない。
ドレスを脱ぎ捨て、王冠を戴き、重厚な剣を腰に差した女王。
その瞳に宿っていた、かつての儚さは消え失せ、国を背負う覚悟が、鋼のような鋭さとなって彼女を包んでいた。
彼女は一人、私が消えた空の彼方を見上げていた。
「……あなたは、ここへ帰らなかったのね」
独り言。
だが私は答えられない。私の手は、彼女の肩をすり抜ける。
彼女は、私の気配を感じたのか、ふと静かに微笑んだ。その微笑みは、かつて私が見たどの表情よりも美しく、そして孤独だった。
「でも大丈夫。あなたが守った世界は、私が守るから。あなたが隣にいなくても、私はもう、泣いたりはしないわ」
胸が締めつけられる。
私は、いなくてもよかったのかもしれない。
いや。
いなくても、世界は回る。
英雄が消えたあとに、人々が自分の足で立ち上がる。
それこそが、勇者が成すべき「本当の救済」だったのだ。
視界がフェードアウトする。
再び、無機質なセンターの椅子。
「観測終了。どうだった」
AIの声。
「……問題ありません。世界は正常稼働中です。エラーは解消されました」
「了解。あなたは引き続きオペレーター業務に従事せよ。次の入電だ」
私は少しだけ震える指でヘッドセットを直す。
着信ランプが激しく点滅している。
「はい、勇者サポートセンターです」
『魔王が強すぎるんですが!? これ絶対クリア無理でしょ!?』
思わず、慈しむような笑みがこぼれた。
「安心してください。倒せますよ」
『本当に!?』
「ええ。あなたが諦めなければ。……その先には、あなたが思っているよりもずっと強い、素敵な明日が待っていますから」
私はもう、剣を握らない。
だが代わりに、物語の裏側で、迷える背中にそっと火を灯す。
鳴り止まないコール音の向こうで、今日も誰かが勇者になる。
それでいい。
私は元勇者。
今は、誰かの物語を支える、ただのサポート担当だ。




