ガラス
人は、とても単純。
ある日を持って、人を避ける。
避けられた当の本人は、何もわからない。
一体、何があったの?私の何がいけないの?
何度も吐くまで考えるだろう。
でも、自分自身は、自分。
それに変えられるものは、何もないのだろうと思う。
ただし、これだけは言えると信じていることがある。
他人の目から見た私は、他人にすぎない。勝手な他人のガラス。勝手な他人の妄想で簡単に評価なんて決まってしまう。
不気味で公平と言われるやり方なのだろう。
そのガラス越しで、一体何がわかるというのだろうか。
何も知らないのに、良い顔だけ都合よくできる人間は、一体何者なのか。しっかり考えろと神様を教えているのではないだろうか。
お堅い方達は、そんな能天気言うなとおっしゃるだろう。
だが、数字だけ見てるあなたたちは、一体どうだろう?そちらの方は、コンクリートよりも堅くて、きっと新しい場所に踏み込めないのだなと笑ってあげたい。
私たちは、狭くて冷たいガラスの中で生きている。
割れたらどれだけ自由なのか。割れたらどれだけ不便なのか。
私には、知る由もないのだろう。
きっと誰かが、手を差し伸べることを願って私は今日も生きようか。
ガラス越しでしか物を言えないような人間の言葉は、私にとってみじんこにもならない。お呼びでない。
欲しいのは、ただ拍手だけ。
壇場に上がって、拍手喝采もらって、私はこれから胴体とおさらば。
もう怖くない。さようなら。
あとがき透です。
これは、公開処刑が当たり前のような時代であるヨーロッパの物語を描きました。
少し、現代に似ているのではないかと考えました。救い出せないものとそうでないものがあります。
自信を持って、前に進めるかどうかなんて、結局誰もわからないでしょう。




