第2話 裸の宦官事件
蒼嶺が花鈴に対して忠誠を誓ってから、一か月が経過した。
あの日以来、彼は花鈴と顔を合わせていない。
宦官といえども、理由もなく妃賓の宮に行くことは憚られる。
会って言葉を交わすには、何らかの“名目”が必要だった。
それを思いつかないまま、蒼嶺は以前と変わらぬ生活に戻っていた。
大量の報告書に目を通し、不備がないかを確認する。
見落としがあれば、後処理が面倒なことになる。気を抜けない作業だ。
それが終われば、自身が担当する事件の調査――なのだが、それについては、一区切りついていた。
馬如影の事件に関する膨大な量の後処理が、ようやく終わったのだ。
ここしばらく働き詰めで、他のことを考える余裕がなかった。
そろそろ、花鈴に会いに行くための方法を考えたい。
それに、少しばかり休みが欲しかった。
そんなことを考えていた矢先――。
蒼嶺のもとへ、一人の宦官が近寄ってきていた。
宦官にしては筋肉質な身体つきをしているその男は沈律安という。
『蒼嶺と最も親しい人間』を自称しているが、蒼嶺はそれを認めていない。
律安は、気味が悪いほどに愛想のよい笑顔を浮かべ――。
「手伝ってくれ」
両手を合わせて懇願してきた。
蒼嶺は、その姿を冷めた目で見ていた。
律安が蒼嶺を頼るのは珍しいことではない。
むしろ、頼りっぱなしと言ってもいいくらいだ。
「断る」
蒼嶺は即答した。
折角出来た空き時間に、新しい仕事をねじ込まれたくない。
それに、花鈴と継続的に会う方法を考えなければならないのだ。
律安が抱えている仕事については、察しがついていた。
それは、非常に厄介で手間取りそうなものだった。
『裸の宦官事件』
事件の発覚は今朝のこと。
掖廷令所属の宦官である蕭令辰の死体が発見されたのだ。
場所は、蘇賢妃が管理する静影宮の庭園。
死因は、頭を殴られたことによる脳挫傷と思われた。
そして――。
異様なことに、その遺体は衣類を一切身に着けていなかった。
宦官とはいえ、全裸の男が賢妃の宮内で見つかったのだ。
真相が分からなければ、賢妃の悪評につながりかねない。
早期の解決が求められる大問題であり、掖廷令は即座に調査及び解決を命じられた。
つまりは、非常に繊細で厄介な事件なのだ。
失敗しようものなら、彼らの首が飛びかねない。
職責的にも、物理的にも。
「今回の事件は、静影宮で起きた。真相が明らかにならなければ、蘇賢妃に悪評がたちかねない。つまり、責任重大ってことだ」
「お前のことを信じて任せたのだろう。励むがよい」
「無理だ! 俺だけだと、絶対に無理だ!」
「少しは調査をしてから頼め!」
「断る! こういう事件の調査は初動が大切なんだ。だったら、俺がやるべきことは、初手蒼嶺召喚だ!」
律安は再び両手を合わせて懇願した。
蒼嶺は、この男のこういうところが苦手だった。
律安は、他人に頼るのが上手い。
気が付けば周囲を巻き込んでいるが、それが嫌悪感にはつながることはない。
そういう人間関係の構築が上手いのだ。
それは、蒼嶺には到底真似できそうにない技術だった。
「頼む! 賢妃からも『然るべき対処』を求められているんだ」
「それは、そうだろうな」
賢妃としては、真相が明らかになってもらわなければ困るのだろう。
然るべき対処が出来なかった場合、律安がどうなるかは分からない。
「それで、手伝ってくれるか!?」
蒼嶺は考える。
この事件は、上からも下からも圧力がかかっている。
失敗すれば、掖廷令全体が批判されることになる。
その不利益は、少なからず蒼嶺にも及ぶことになるだろう。
それは、長期的に見れば、花鈴の計画に支障をきたすかもしれない。
だから、不本意ではあるが――。
「仕方がない」
「恩に着る! というわけで、早速蘭昭儀に相談に行ってくれ」
「……は?」
「困った時の蘭昭儀だ。お前も、この前助けてもらっただろ?」
「断る。あの方に頼るのは最後の手段だ」
まずは自力での調査だ。
何でもかんでも雪瑛に頼り、負担を増やしてはいけない。
同志として、せめてそれくらいの配慮はしなければならない。
蒼嶺はそう考えていた。
考えてはいたのだが――。
××
翌日――蒼嶺と律安は、完全に行き詰っていた。
出来る限りの調査はしたのだ。
被害者である令辰の仕事内容を調べ、居室を調べ、死体検案書を読み込んだ。
掖廷令の者たちにも協力を求めた。
巫術を使って、聞き込みもした。
それでも、分かったことは、この事件に『尚服局』が“確実に関わっている”という程度。
具体的に何が起きたのか――事件の全容は不明のままだ。
「こうなったら、仕方がないだろ。蘭昭儀のところに行って、助言を貰ってきてくれ」
満身創痍の律安が、机に突っ伏したまま言った。
二人とも夜を徹して調査を続けていた。
だが、このまま進めていても、状況が好転することはないだろう。
「分かった。確かに、今回の事件は蘭昭儀の助けが必要だ。だが、お前は行かないのか」
「気を使ってやっているんだよ。分からないか?」
「どういうことだ?」
「あの嬢ちゃんと会えるだろ。俺が一緒に居たら話せないこともあるだろう」
その言葉に、蒼嶺は狼狽した。
花鈴との『秘密の関係』を見抜かれたように思えたのだ。
璃燈国への復讐――そのための同志。
だが、すぐに律安が下世話な勘繰りをしているだけだと気づいた。
「ちなみに、菓子も用意してあるぞ」
「ああ、またか」
確かに、雪瑛に渡せる礼は、それくらいしかなかった。
形の残らない、食べれば消えるもの。
形が残るものを送って、皇帝の機嫌を損ねたらただでは済まない。
雪瑛は、皇帝にお気に入りなのだ。
これまで、四妃を差し置いて皇帝の渡りが何度もあったという。
そのあたりについて、詳しい話は聞いていない。
雪瑛もきっと聞かれたくはないだろう。
ともあれ――。
蒼嶺は、菓子の入った箱を受け取った。
それと同時に、ふと疑問が沸き上がった。
「律安、これはいつ用意した?」
「昨日のうちに手配しておいた。抜かりはないぜ!」
つまり、こうなることは見越していたというわけだ。
実際、調査は行き詰まり、短期間での解決は不可能に近い。
律安の行動は正しく、反論の余地はない。
ないのだが、納得しがたいものがあった。
「それでは、行ってくる」
「ああ、頼む。俺は寝る!」
――やはり、一度殴っておこうか。
蒼嶺は本気でそう思った。




