第1話 洗濯場での噂話
第1章分で完結としていましたが、評価をいただいていましたので連載を再開しました。
第2章は全7話の予定です。
【軽い登場人物紹介】
蒼嶺 :後宮内で警吏を務める宦官。19歳。見目麗しい外見であり、優秀。
律安 :後宮内で警吏を務める宦官。24歳。体格が良い。蒼嶺と仲が良い(自称)。
蘭昭儀:妃賓の一人。「蘭」が名前で「昭儀」というのは、妃賓の地位の一つ。25歳。
(本名は蘭雪瑛。地の文では、雪瑛と表記されます)
花鈴 :蘭昭儀の下で働く宮女。16歳。滅ぼされた民族である辰嘉族の姫。
璃燈国への復讐を計画している。
【第2章から出てくる人物】
蘇賢妃:本名は蘇玄清。「蘇」が名前で「賢妃」というのは、妃賓の地位の一つ。23歳。
北方の朔狼族の姫であり、璃燈国との友好関係樹立のため後宮入りした。
令辰 :宦官。裸の状態で遺体として発見された。
杜麗芳:尚服局の長。体格が良く迫力のある女性。45歳。
季節は初春。
早朝はまだ寒さが厳しく、布団から出るのが辛い時期だ。
花鈴は夜明け前に目を覚ました。
近くから、呻き声が聞こえてきたのだ。
花鈴は素早く身を起こし、雪瑛の側に行く。
雪瑛は眉間にしわを寄せ、苦しげに見悶えていた。
呼吸は荒く、身体は指先まで強張っている。
彼女は時折、こうして悪夢にうなされることがあった。
花鈴は、雪瑛の手を握る。
それでも、彼女は苦しそうに身を悶えさせた。
こうなったら、目を覚まさせた方がいいだろう。
「雪瑛」
花鈴は声をかけながら、肩に手を添えて身体を揺らした。
しばらくして、雪瑛がゆっくりと瞼を開く。
額には、汗がにじみ出ている。
まだ夢と現実の区別がついていないのか、不思議そうに中空に視線を彷徨わせていた。
「雪瑛、大丈夫ですか?」
「……宵蘊?」
「はい」
雪瑛は、花鈴に握られている自分の手を見た。
それで大体の事情は察したようだ。
「……あの子の夢を見ました」
あの子、というのは雪瑛の弟だ。
名は蘭緋月。
花鈴――辰宵蘊の婚約者でもあった。
勇敢な青年であり、璃燈国が攻めてきた時、先頭に立って対応に当たった。
そして、そこで無惨に殺害された。
「目の前で、首を斬られて……」
「それは夢です。悪夢に過ぎません。私が側にいるから、落ち着いてください」
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません。そのために私がいるのです。まだ朝には早いですから、もう少し休みましょう。私も隣にいます」
「……申し訳ありません」
「ですから、謝る必要はありません。ここでの貴女は蘭昭儀であり、私は宮女の花鈴です。役目を果たしたいのであれば、謝罪はなし。よろしいですね?」
「……はい」
花鈴は、雪瑛の隣で横になった。
すぐ側に感じる体温が、どこか懐かしい。
婚約者であった緋月だけでなく、蘭家とは幼いころから親しくしていた。
蘭家に泊まりに行くことも多かった。
よく、寝かしつけてもらったものだ。
――今は立場が逆になってしまったな。
そんな思いが旨をよぎる。
同時に、嫌な予感がしていた。
雪瑛が悪夢を見ると、その後に面倒事が起きることが多い。
緋月は、そういう巫術を持っていた。
もしかしたら、姉である雪瑛にもその片鱗があるのかもしれない。
――一応警戒しておくか。
そんなことを考えながら、花鈴は目を閉じた。
×××
その日、花鈴は洗濯場へと出向いた。
後宮での洗濯は下級宮女の仕事だ。
強制ではないが、それぞれの妃賓は、配下から人員を出すことが慣例となっている。
花鈴も週に二回、この場所で洗濯をさせられていた。
水は冷たく、手は荒れる。
同じ姿勢を取り続ければ足腰も痛くなる。
誰かに感謝されることもない。
日が差さない今日のような日は、ただの苦行だった。
だが、花鈴にはここで果たすべき役目があった。
洗濯場に集まるのは下級宮女たち。
その口は羽よりも軽く、些細な噂話が自然と飛び交うことになる。
それは貴重な情報源だ。組み合わせることで後宮内の様相が見えてくる。
今日も、新しい噂話が流れていた。
曰く――『静影宮で全裸の宦官の死体が見つかった』というのだ。
また、奇怪な事件が起きたものである。
だが、事件の裏には常に思惑があるものだ。
それを先んじて知ることが出来れば、利用価値が出るかもしれない。
花鈴は噂話をしている宮女に近づいた。
薄茶の衣を着た地味な風貌で、洗濯の手つきはおぼつかない。
見覚えのない顔だ。
「初めまして。蘭露宮の宮女、花鈴です」
「静影宮の宮女、柳娘です! よろしくね」
柳娘は快活に言った。
年齢は二十代半ばくらいだろう。
年齢の割に、子供のように明るい口調をしている。
束ねた髪には、わずかに赤みがあった。
これは、北方の民に多い特徴だ。
静影宮といえば、蘇賢妃の住む宮だ。
その蘇賢妃も北方民族出身だった。
後宮入りの際に連れてきたのだろう。
「賢妃様のところの宮女だったのですね。でも、大丈夫なのですか?」
「何が?」
「静影宮は、蘇賢妃の宮です。そこで起きたことを賢妃に仕える貴女が話してしまって、後で罰せられたりしませんか?」
「大丈夫だよ。だって、もう皆知っていることだから」
柳娘は、一切の逡巡なしに答えた。
何も考えていないのか、しっかりと線引きをしているのか。
いずれにせよ、情報を引き出す好機だ。
花鈴は柔らかい口調で続けた。
「そうでしたか。よろしければ、その話を詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」
「いいけど。その話し方、何とかならない?」
「話し方……何か失礼でもありましたか?」
「もう少し気さくに話してほしいんだけど」
「生憎、言葉遣いについては蘭昭儀に厳しく指導をされております」
これは嘘だ。
実際のところは、こちらのほうが楽なだけだ。
雪瑛以外と対等に話すのは、どうにも落ち着かない。
柳娘も、それ以上追及せず、肩をすくめた。
「まぁ、いいや。それで、事件の話だったね」
「はい」
「早朝に、静影宮にある庭園で死体が見つかったんだよ。その死体は宦官のもので、服を着ていなかったんだ」
「服を着ていなかったというのは、全てですか?」
「そう、全て。身体にまとう布は一切なかった」
「死因は?」
「頭を石で殴られたみたいだよ。遺体の側に、血の付いた石が置いてあった」
「そうでしたか」
柳娘は花鈴の顔を覗き込む。
「何か分かったの?」
「いえ、ただ聞いただけですので」
「そう? なんだか、色々考えてそうな顔をしていたから」
「……そうですね。少し思うところはあります。ですが、私は部外者です。それに、これ以上知ってしまえば、それを言いふらしたくなってしまうかもしれません。柳娘も気を付けた方がいいですよ。場合によっては、首になってしまうかもしれません」
「物理的に?」
「ええ、物理的に」
柳娘はくすくすと笑った。
「ねぇ、花鈴。私達はいい友達になれると思うんだけど」
「何よりです」
「今度、蘭露宮に行ってもいい?」
上手くやれば、柳娘はいい情報源になる。
そうでなくとも、賢妃との接点は確保しておきたい。
彼女の提案は、花鈴にとってありがたいものだった。
「それでは、蘭昭儀に確認しておきます」
花鈴は、軽い気持ちでそう答えた。
この出会いが、後々に及ぼす影響など、知る由もなかった。




