第4話 手遅れ
人と話していると、時折頭痛が起きる。
幼少期から、蒼嶺には、そんなことがあった。
最初は、その原因が何なのかは分からなかった。
ただの体調不良だとばかり思っていた。
だが、しばらくすると、その規則性に気づいた。
頭痛の原因は、彼の出自にあった。
彼の母親は、辰嘉族という部族の出だった。
璃燈国の北部に存在したその部族は、『巫術』と呼ばれる不思議な術を使うことが出来た。
巫術の種類は様々だ。
肉体に影響を与えるもの。
精神に影響を与えるもの。
彼らは、それらを上手く使い、助け合いながら生きてきた。
そんな中、璃燈国の皇帝『景琮』が、辰嘉族の族長の娘を後宮に入れたいと書面を送ってきた。
その目的は、辰嘉族という脅威との摩擦を避けること。
巫術というものは、それだけ強力なものだった。
他方で、辰嘉族も問題を抱えていた。
彼らの住む土地は寒冷な環境であり、食料の生産量が安定しないのだ。
璃燈国との関係がよくなれば、外部から食料を手に入れることも出来る。
今より生活がよくなることを期待して、辰嘉族は景琮の申出に応じた。
族長の娘――蒼美は後宮に入り、徳妃となった。
徳妃というのは、皇后に継ぐ四妃の一つだ。
蒼美を徳妃につけるというのは、それだけ辰嘉族を重要視していることを意味する。
しばらくの間、蒼美は後宮内で平和に暮らしていた。
辰嘉族と璃燈国の関係も良好であり、何一つ問題がないように思われた。
蒼美が後宮に入ってから二年後には景琮との間に子供も生まれた。
その名は瑾璋という。
瑾璋は、皇帝の長嫡子となった。
次期皇帝になる可能性も十分にあった。
そうなれば、辰嘉族の重要性は増すことになる。
だが――。
後宮は陰謀渦巻く場である。
後継者争いは、常に火種として存在する。
また、辰嘉族を快く思っていない者も多くいる。
蒼美が策謀の渦に刈り取られるのは、最初から決まっていたようなものだった。
そして、皇帝は陰謀から蒼美を守れるような聡明な人間ではなかった。
×××
その悲劇が起きたのは、瑾璋が八歳の時だった。
策謀の中心となったのは、宦官たちだった。
この国の実権は、彼ら宦官が握っていた。
彼らは、異民族との間に生まれた子が皇帝になることを許さなかった。
そのため、蒼美を陥れ、その地位を剥奪する計画を立てていた。
その計画に利用されたのが、息子である瑾璋だった。
彼には、巫術の才があった。
それを利用しようとしたのだ。
『能力は、その民族同士の子にしか現れない』
いつしか後宮内で、そんな噂がまことしやかに流れるようになった。
実際のところ、そのような事実はない。
辰嘉族の者でも、巫術が使えない場合がある。
逆に、辰嘉族以外の血が入っても、巫術の才を持つ者もいる。
完全なる流説だった。
だが、皇帝は信じた。
弁舌巧みな宦官が、皇帝を言いくるめたのだ。
怒り狂った皇帝は、蒼美を問い詰めた。
彼女は必至になって否定したが、無駄だった。
無実を訴える言葉を、宦官たちは押さえつけ、皇帝の耳に入らないようにした。
仮に入ったとしても、即座にそれを否定した。
皇帝は彼女を拷問にかけた。
その拷問により、蒼美は尊厳を奪われた。
心身ともに傷つき、抵抗する気力も失った。
だが、息子への愛だけは変わらなかった。
ある日、地下牢で倒れている彼女を見に来た皇帝に対し、彼女は尋ねた。
「瑾璋は、どうなったのですか?」
「アレへの罰はこれから考える」
「では、殺してやってください。こうなってしまえば、生きているのは何よりも辛いこと。どうか、お慈悲をもって殺してください」
蒼美は頭を床に擦り付けながらそう言った。
だから、皇帝は瑾璋を殺さないことにした。
何よりも辛い目にあわせることにしたのだ。
それが、蒼美の狙いだった。
瑾璋には、生きていて欲しかった。
だが、命乞いをすれば、皇帝は蒼美の目の前で瑾璋を殺害しただろう。
だから、敢えて『殺してくれ』と告げたのだ。
その後、蒼美は衰弱して命を落とした。
葬儀は行われず、その遺体は野に打ち捨てられた。
瑾璋については、腐刑とされた。
腐刑というのは、生殖能力を奪う刑罰だ。
刃物で生殖器を切り離し、宦官とするのだ。
それは、想像を絶する苦痛を伴うものだった。
身体の一部を切り離されたうえ、消毒も不十分。
特に、瑾璋に対する施術を行う際は、刃が潰れかけたものを使われた。
その場で命を失わなかったのは、奇跡とも言える。
処置を終えた瑾璋は『蚕室』と呼ばれる隔離場所へと移された。
そこでは、常に呻き声が上がっていた。
傷口の腐敗や感染症により死亡した者も少なくない。
瑾璋も感染症により、一時は生死の境をさまよった。
それを乗り越えた後も、凄まじい痛みが全身を駆け巡った。
百日ほどで、彼は蚕室から出た。
地獄から生還したのだ。
それは、奇跡としか言いようがない。
だが、地獄を出た彼を待っていたのは、また別の地獄だった。
×××
腐刑に処せられた際、瑾璋は皇帝の息子という地位を失った。
同時に、名も奪われていた。
そのため、彼は自らに『蒼嶺』という新たな名をつけた。
皇帝の嫡子という身分を失い腐刑に処せられた彼は、ただの下級宦官でしかなかった。
下級宦官の扱いは、非常に劣悪なものだ。
上の人間に気に入られなければ、食事をまともに得ることが出来ない。
上級宦官の玩具にされた挙句、命を失う者も少なくない。
死にたいと思ったことは、何度もあった。
だが、彼は死ななかった。
まだ、死ねなかった。
それはひとえに、復讐のためだ。
皇帝に嘘を唆した宦官。
そして、それを鵜呑みにした皇帝。
彼らへの復讐を遂げるまでは、死ぬわけには行かなかった。
×××
宦官になってから、十年が経過した。
蒼嶺は劣悪な環境下で、なんとか生き残っていた。
燃え上がる復讐心を糧にして職務に励み、少しずつ立場も上になってきた。
この調子で上に行き、いずれは復讐を果たすつもりでいた。
そんな中、辰嘉族には悲劇が起きることとなる。
辰嘉族に対する『民族浄化』である。
その切欠となったのは、辰嘉族が外部との交流を始めたことにあった。
これまで、辰嘉族は閉鎖的な部族であり、他部族との交流はほとんどなかった。
だが、十年前に蒼美が衰弱死させられたことで、辰嘉族と璃燈国の関係は悪化していた。
辰嘉族は璃燈国に対抗するため、他部族との連携を強めようとした。
人的交流も増えてきて、他民族との間に子が出来ることもあった。
それが『ある事実』を浮かび上がらせた。
辰嘉族と他部族との間に生まれた子の中に、巫術を使える者が出てきたのだ。
それは、無視できない数にまで及んだ。
その事実は璃燈国にまで伝わった。
蒼美が殺されたのは、彼女の不貞が疑われたからだ。
その根拠となったのは『辰嘉族と他部族との間に生まれた子には、巫術の才が現れない』という虚構だった。
それが否定されたのだ。
結果、当時の判断が誤りだったと認定された。
蒼美を処刑したことも、瑾璋を腐刑に処したことも誤りだった。
だが、それで蒼嶺の立場が回復することはなかった。
腐刑が行われた後、瑾璋と蒼嶺が同一人物であるという記録は残されなかった。
そのため、瑾璋がまだ生きていることを知る者はいなかった。
蒼嶺も、皇帝の息子という立場に戻りたいとは思わなかった。
皇帝は母を見殺しにした男だ。
復讐の対象であり身内だとは思っていない。
他方で――。
皇帝に嘘を吹き込んだ宦官だが、彼は失脚しなかった。
徳妃を冤罪で殺すきっかけを作った男なのだから、拷問の上処刑というのが妥当なところだろう。
だが、彼は生き残った。
傷一つつくことなく、その地位に居座った。
それだけ、彼の持つ権力は強大だったのだ。彼を処罰することは、皇帝にも出来なかった。
それどころか、当時の嘘を誤魔化すべく、その宦官は更なる策謀を巡らせていた。
『他部族との間の子にも能力が受け継がれるのであれば、能力が流出し、皇帝に牙をむく可能性がございます』
皇帝に対し、そう進言したのだ。
当初、皇帝は辰嘉族への攻撃に消極的だった。
流石の皇帝も、誤解の末に蒼美を処刑したことに自責の念を抱いていたのだ。
その腕、今後は辰嘉族まで滅ぼすというのは、あまりに卑怯で情けない事のように思われた。
だが、武官たちが早期の先制攻撃を主張した。
辰嘉族が反乱でも起こそうものなら、武官では対抗できないかもしれない。
彼らは常に辰嘉族を恐れていた。
更に言えば、彼らが最も恐れていたのは、その地位を奪われることだった。
辰嘉族が武官になったら、巫術によって多くの手柄を上げることになるだろう。
そうなれば、璃燈国の武官たちは、辰嘉族に今の地位を奪われてしまうかもしれない。
そんな不安があった。
その不安を煽ったのは、例によってこの宦官だった。
彼は武官を煽り、多数の宦官を味方につけた上で皇帝に辰嘉族討伐を迫った。
その結果、皇帝は璃燈国軍による辰嘉族討伐を決定せざるをえなくなった。
辰嘉族の浄化は、滞りなく行われた。
辰嘉族には、巫術を使うことが出来る者が多くいる。
だが、戦いに向いたものの数は限られている。
戦いに向いた能力を持っていたとしても、数には勝てない。
辰嘉族の人口はわずか五百人弱。
それに対して派遣された璃燈国軍の数は、五千を超えていた。
結果、辰嘉族は滅んだ。
辰嘉族だけではなく、その血を引く者も虐殺の対象となった。
国中に広がった混血の辰嘉族も虐殺された。
その生き残りがどれほどいるのかは分かっていない。
×××
辰嘉族の虐殺から、二年が経過した。
あの時のことを蒼嶺は未だに後悔している。
当時、蒼嶺は後宮にいた。
そこは、皇帝に最も近い場所だ。
彼の地位を利用すれば、何とか皇帝に近づくことが出来たかもしれない。
そして、皇帝と宦官に復讐を遂げることが出来ていたら、辰嘉族は滅びずに済んだのかもしれない。
だが、既に手遅れだ。
母親は衰弱死させられ、辰嘉族は滅ぼされた。
今の彼に出来ることは、復讐だけだった。
復讐の対象となる人間を出来る限り苦しませて殺すことだった。
特に苦しませたいのは、全ての原因を作った宦官だった。
その宦官の名は馬如影。
今回の事件で死亡した男だ。
結局、蒼嶺は、復讐を遂げることが出来なかった。
自ら手を下す前に、馬如影は死んでしまった。
それを知った時は、愕然とした。
絞殺などという楽な方法で死んでほしくなかった。
苦しみぬいたうえで、死んでほしかった。
また手遅れになってしまったと思いたくなかった。
だから――。
「私が殺しました」
少年宦官の『嘘』を聞いた時、期待してしまった。
真実は別のところにあるのではないか。
あの男は、本当は苦しみぬいたうえで死んだのではないか。
それを知りたかった。
だから、真相を調べていた。
だが、後悔した。
『これは自殺です』
花鈴により、真実が明らかになってしまった。
それは、疑いようのないものだった。
馬如影は自殺していた。
首つり自殺という、もっとも苦しまない方法で死んだ。
母を衰弱死させ、蒼嶺を腐刑に処せしめた宦官。
恨んでも恨み切れないあの男が、あっさりと死んでしまった。
そう考えると、平静ではいられなかった。
そして、蒼嶺はほの暗い決意をした。
『これをどう処理するかは、蒼嶺様次第です』
あの時の、花鈴の言葉を思い出す。
彼女は、蒼嶺がどう判断すると思ったのだろうか。
だが、関係ない。
既に結論は出ている。
馬如影は、蒼美や辰嘉族を殺害することでその地位を得た。
ならば、彼が便宜を図ることで利益を得た者も同罪だ。
楽に死んだ馬如影の分まで苦しませてやらねばならない。
だから――。
「馬如影は自殺だ。これから、徹底的に関係者を処分する」
蒼嶺は選んだ。
馬如影の関係者に慈悲を与える気はない。
仮に対象者たちが抵抗してきたとしても、命がけで処分を行うつもりだった。
実際、そこまでやっても出来るかは分からない。
彼の復讐は、一生かけて続いていく。
――そのはずだった。
後半スタートです。残り三話。最後までお楽しみください。




