第3話 偽られた死(後編)
蒼嶺たちは、医局へと向かった。
この医局の中に、死体安置所があるのだ。
医局に到着すると、小太りの男が彼を出迎えた。
「蒼嶺様。どうされたのですか?」
この男こそが、検死を行った医官だった。
名は保俊明。
性格は穏やかで、後宮内でも評判がいい。
普段は医者として勤めているが、事件が起きた時は検死官を兼任することになっている。
「俊明殿。申し訳ないが、馬如影の死体を改めて確認したい」
蒼嶺がそう告げると、俊明は目を見開いた。
「それは既に済んだのでは……」
「もう一度、どうしても確認しなければならないことがあるのだ」
「しかし、既に犯人は捕まっております。これ以上の調査は必要ないかと」
俊明の言葉は、どこか言い訳がましいものだった。
声も震えている。
それを受け、蒼嶺は再確認の必要を確信した。
「遺体はまだ埋葬されていないだろう?」
「それはそうですが」
「手間をかけるが、頼む」
掖廷における蒼嶺の地位は、非常に高い。
医局の人間と言えども、蒼嶺に言われれば、俊明は断れない。
彼は苦し気に応える。
「分かりました。それでは、ご案内します」
×××
死体安置所は薄暗い場所であり、他の部屋よりもひんやりとしている。
当然のことながら、死体は腐敗する。
その腐敗の速度を緩くするために、日の当たらない涼しい場所に安置してあるのだ。
俊明は、医局に勤める下級宦官たちに命じて、馬如影の遺体を明るい部屋に移動させた。
蒼嶺と花鈴は、その横に立っている。これから改めて検死を行うことになる。
「あまり見ていて気持ちのいいものではないぞ」
蒼嶺は一応、花鈴に忠告をした。
「分かっています」
俊明は遺体にかぶせていた麻布を取り去る。
出てきたのは、苦悶の表情を見せる宦官の姿。
死体とはいえ、生前の彼の姿とは似ても似つかなかった。
生前の彼は、快活な策謀家といった雰囲気の人間だった。
巨大な権力を使ってやりたい放題であり、皇帝でさえ彼を制御するのは難しかった。
だから厄介なのだ。
動機の面で考えると、容疑者が多くなりすぎる。
――さて、この少女はなにか見つけられるだろうか。
蒼嶺はあまり期待せずに、花鈴を見ていた。
遺体の悍ましさに音を上げるかもしれない。
そう思っていたのだが――彼女に動揺する様子は見られなかった。
これまでと変わらぬ表情で、遺体を見ている。
「状態は悪くありませんね」
花鈴の言うとおり、遺体の腐敗はあまり進んでいなかった。
腐敗が進めば、ひどい悪臭が伴うことになる。
今回はそこまでではなかったことに、少しだけ安心した。
花鈴は死体の顎を上げ、首元を見えやすくする。
馬如影の首には、縄で絞めつけられた痕があった。昨日の朝に確認した時と変わらない。
「蒼嶺様。ご覧ください。二種類の策条痕がございます」
「そうだな」
「斜めについているものは、深く、周囲が赤黒くなっています。対して、横になっているものは、浅く、色も薄い」
「それは、何を意味する?」
蒼嶺が尋ねた。
だが、花鈴はその問いに応えず俊明を見る。
「俊明様。貴方は何故、他殺だと考えたのですか?」
花鈴が尋ねる。
その声色は淡々としたものだった。
だが、どこか責めるような意図が含まれていた。
それに対し、俊明は苦し気に応える。
「絞殺というのは、自殺と他殺の区別がつきやすいものです。自殺の場合は、斜めに痕がつきます。他殺の場合は、平行に痕が付きます。今回の場合、両方の痕がついています。ですから、自殺に見せかけた他殺だと判断しました」
それを聞いた蒼嶺は、頭に痛みを感じた。
何かあるのだ。
彼は何かを誤魔化している。
そう確信した。
花鈴も同じ考えだったらしく――。
「本当にそうお考えですか?」
淡々とした声で尋ねた。
その言葉は、確実に俊明を追い詰めている。
俊明は慌てて言葉を加えた。
「他にも理由はあります。遺体の背中側に、痣のようなものが広い範囲に出来ています。これは『死斑』というもので、血液の循環が止まったことで、下の方に血液が溜まって現れるものです。これが背中側にあるということは、死後、あおむけになっていたということを意味します。自殺の場合は、死斑は下半身に現れるのです」
「ふむ」
昨日の朝、蒼嶺も死斑を確認していた。
確かに、死斑は背中側に集中していた。
そして、それは一日たった今でも変わらない。
「確かに、死斑は背中にあるな」
蒼嶺がそう言うと、俊明はほっとした様子を見せた。
だが、蒼嶺は納得していない。
何故なら――花鈴が全く動じていないからだ。
そのような反論は想定内とでも言わんばかりの態度である。
「花鈴。君はどう考える」
「そうですね。結論から言ってしまえば――これは『自殺』です」
「自殺?」
俊明の見立てでは、他殺ということになっていた。
蒼嶺も、他殺であるということは疑っていなかった。
疑っていたのは、犯人が少年宦官であるということだけ。
他に真犯人がいて、少年宦官はそれを庇っているのだと考えていた。
だが、これが自殺だというのであれば――。
全てがひっくり返る。
「花鈴。確かなのか?」
「はい」
「根拠を教えてくれ」
「根拠はいくつかあります。まず、自ら首を吊ると、策条痕は斜めにつきます。人が絞殺しようとしたときは、横につきます。ですが、色は薄くなるのです。それが今回起きたことです」
「つまり、首をつって死んでいた人間を後から首を絞めたということか」
順番が逆だったのだ。
自殺に見せかけた殺人ではなく。
殺人に見せかけた自殺だった。
「それに、この宦官の首元には、索状痕以外の傷がありません。絞殺されそうになった人間は、縄を外そうとします。そのため、首をかきむしるような跡がつくことが多いのです」
言われてみれば、納得できた。
首を絞められ、殺されそうになれば、無抵抗というわけには行かないだろう。
何とかして、縄から逃れようとするはずだ。
「だが、死斑はどうなる?」
「死斑は循環しなくなった血液が重力によって一部に集まることで発生するものです。ですから、首つりをした場合、下半身に出来ることになります。それは事実です。ですが、死斑が定着するまでに死後8時間程度はかかります。死亡してからそれほど時間が経過していない時に遺体を見つけて、遺体を横にしておけば、背中側に死斑が出来ることになります」
俊明を見ると、身体が奮えていた。
これほど分かりやすい反応を示されては、彼の検死を疑わないわけには行かない。
「俊明。彼女の言葉に対して異議はあるか?」
「……ありません。ですが! 誓って! 誓って、虚偽の結果を導いたのではありません! これは私の見識不足によるものでございます! そもそも! そもそも、自殺を他殺に見せかける理由がありません!」
必死の形相で俊明は言う。
その言葉を聞くたびに、蒼嶺は眉を顰めた。
これがただの虚言であることは明らかだ。
だが、それを証明する術がない。
蒼嶺は花鈴を見る。
「花鈴、何かあるか?」
「確かに、俊明様が偽装する理由はないように思えます。私の知る限りでは、俊明様には益のないことかと」
俊明の表情が一気に明るくなる。
だが――。
「ですが、理由のある何者かから頼まれたのであれば、話は別です。その何者かは、馬如影に自殺されると困る人物だった。だから、検死を行う医官を巻き込んで、殺人に見せかけようとした。疑念を抱かれる前に事態を終わらせるために、犯人まで用意した。そう考えられます」
花鈴の言葉により、俊明の表情が絶望に染まった。
本当に嘘のつけない人間らしい。
これで事実は固まった。
だが、まだ分からないことがある。
「馬如影が自殺すると、誰が困るというのだ?」
「それは、蒼嶺様が一番ご存じのはずです」
言われて気づいた。
蒼嶺は、後宮内での犯罪行為を取り締まる立場の人間だ。
当然、宮廷規則は全て頭に入っている。
そして――。
この規則では、自殺も罪となっているのだ。
宦官が自殺をした場合、その死体は野に打ち捨てられることになる。
だが、それで終わりではない。その咎は、一族を含む関係者に及ぶことになるのだ。
死んだ馬如影は上級宦官である。
権力を使い、多くの人間に便宜を払い、彼らから対価を受け取ってきた。
それ程までに巨大なつながりを作り上げてきたのだ。
馬如影が自殺ということになれば、彼らもただでは済まない。
「全ては、自殺による罰を免れる為か」
「おそらく、発見者が工作をしたのでしょう。検視官殿は、それに騙されたふりをした。あるいは、真実を偽るよう依頼を受けた」
俊明は答えなかった。
それが、もっとも雄弁な回答でもあった。
馬如影は後宮内で最も強大な権力を持つ宦官だ。
彼の関係者に偽装を要求されれば、断ることは難しいだろう。
花鈴は蒼嶺を見ながら告げる。
「これで、真実は明らかになったと思います。これをどう処理するかは、蒼嶺様次第です」
花鈴はそう言って、蒼嶺を見た。
だが、蒼嶺は言葉を返すことが出来なかった。
真実を知り、彼は平静を保てなくなっていた。
額には汗がにじみ出て、視線も定まらない。
「大丈夫ですか?」
花鈴が、顔を覗き込んでくる。
気が付けば、立っているのも難しくなっていた。
それに気づいた花鈴が、蒼嶺の身体を支える。
「蒼嶺様。少し休まれては?」
「いや、いい」
蒼嶺は歯を食いしばる。
花鈴に告げられた事実は、蒼嶺にとって衝撃的なものだった。
少なくとも、彼が望んでいたものではなかった。
だが、ここで倒れるわけには行かない。
一番の正念場は逃してしまった。
これ以上、事態に置いて行かれるわけには行かない。
蒼嶺は数回深呼吸をした。
すると、少しだけ体調が回復した。
ふらつきながらも、歩けるようにはなった。
「済まない。心配をかけたな」
「特に心配はしていませんが」
花鈴の物言いに、蒼嶺から小さな笑みがこぼれる。
「掖廷まで付き添いましょうか?」
「いや、不要だ。君は蘭昭儀のところに戻ってくれ。君には助けられた。この礼は必ずする」
そう言って、蒼嶺は歩き出した。
真実が明らかになった今、彼には考えなければいけないことがあった。
いや、すでに結論は出ている。後は、決意をするだけだった。
それは、残酷な決意だった。
だが、それこそが蒼嶺の望みでもあった。
×××
蒼嶺と分かれた後、花鈴は蘭露宮に戻ってきた。
そこでは、蘭昭儀が帰りを待っていた。
今の彼女には、蒼嶺と会った時のような妖艶さはない。
美しくはあるが、ただ美しいだけの人間だった。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。どうなりました?」
「一区切りはつきました。とりあえず、自殺という結論になりました」
「自殺となると、騒がしくなるわね」
「はい。馬如影の関係者は、後宮内に沢山います。ですから、多くの人が罰を受けることになります。それを踏まえたうえでどう処理するかは、蒼嶺様次第です」
「そう。蒼嶺様は?」
「掖廷に戻られました。ただ、顔色は悪くなっていました。自殺という結論に達した後、額に発汗があり、視線も定まっていませんでした」
「無理もないわね」
蘭昭儀の声に、驚きはなかった。
まるで、全て知っていたかのように平然としている。
「ちなみに、最後に『この礼は必ずする』と仰っていました」
「それはよかったわ。ところで――花鈴は、どうなると思う? 蒼嶺様は、真実を明らかにするかしら?」
「聞くまでもないでしょう」
ためらうことなく、花鈴は答えた。
「それもそうね。とにかく、これで一区切り。花鈴、もう止めていいわよ」
蘭昭儀がそう告げると、花鈴の表情が柔らかくなった。
張り付けたような無表情が、リラックスしたものへと変わっている。
「あー、疲れたー」
「お疲れ様です。ところで花鈴、今日は『月餅』がありますよ」
「月餅!」
花鈴は、花の咲いたような笑顔を浮かべた。
月餅とは、小麦粉で作った生地に餡を入れ、それを焼いたものだ。
後宮内でも甘味は貴重なものであり、下級の宮女の手に渡ることはほとんどない。
だが、蘭昭儀の下には、これまで相談に乗ってきた役人たちから様々な贈り物が届く。
そのため、花鈴は頻繁に甘味にありつくことが出来た。
蘭昭儀は月餅を二つに割り、先に口をつけた。
「どうですか?」
「……大変なことを忘れていたわ」
「何でしょう?」
「月餅は極めて水分の少ないお菓子。美味しくいただくためには、お茶が必要よ」
「今すぐ準備します!」
花鈴は茶を沸かし、それぞれの茶碗に入れた。
蘭昭儀はそれを一口飲み、満足げに頬を緩める。
「花鈴、食べていいわよ」
「いただきます」
花鈴は月餅を口に含んだ。
皮に包まれた餡の甘みが口中に広がる。
口の中の水分が奪われたところで、お茶を一口。
その苦みが、甘みをより引き立たせた。
「これぞ究極の月餅の楽しみ方ですね!」
「お茶を用意しただけだけどね」
「ここに来てから、美味しいものをたくさん食べられるようになりました」
「それに関しては、本当によかったわ」
二人は主従関係にありながら、本当の姉妹のように話をした。
この後宮には、様々なしがらみがある。
少しでも気を抜けば、陰謀に絡めとられてしまうことになるだろう。
だが、この時だけは、心を安らげることが出来た。
それからしばらくの間、二人は談笑した。
そして、その会話が落ち着いた頃――花鈴は、掖廷令の方角を見た。
既に蒼嶺は、この事件についての対応を決めていることだろう。
花鈴たちの考え通りであれば、これから大変なことになる。
相当上手く立ち回らなければ、蒼嶺が潰されてしまうことになるだろう。
「今回の事件は、いい『切欠』になったと思います。蒼嶺様とのつながりも出来ました」
花鈴が真剣な声音で言った。
それに、蘭昭儀が応える。
「ええ。これで、私達の計画も、一歩前に進んだわ」
「そうですね。ですが――」
花鈴は目を細め、蒼嶺のことを考える。
彼は予想通りの決断をするだろう。
問題は、その先にある。
蘭昭儀と花鈴の計画は、真実の先に存在するのだ。
花鈴は告げる。
「果たして、蒼嶺様は、真相にたどり着けるでしょうか?」
ようやく、真実が明らかになりました。
ここで折り返し地点となります。
よろしければ、お気に入り登録、星での評価をお願いします。
それでは、後半をお楽しみください。




