第6話 賢妃(前編)
犯人と名指しされた宦官――梁祁安は、あっさりと罪を認めた。
衆人環視の中で、己の性癖と性欲を綴った詩を朗読され、心の均衡が崩れてしまったのだろう。
羞恥と混乱が、彼の抵抗力を根こそぎ奪っていた。
祁安は、かなり以前から令辰と深い仲にあったという。
互いの職務についても、手を組んでいた。
祁安は令辰に軽微な不正な情報を漏らし、令辰は祁安に調査予定を漏らしていた。
つまりは、不正行為の共犯だ。
翌日――。
律安は、静影宮へ報告に向かった。
協力者ということで、蒼嶺と雪瑛も同行している。
ちなみに、花鈴は蘭露宮で留守番だ。
門を入ると、そこには殺風景な庭園が広がっていた。
他の宮には少なからず自然があるのだが、この静影宮にはそれがなかった。
令辰の遺体の服が剥ぎ取られていたのも、これが原因――泥がつくような場所がなかったからだ。
「律安さん、この静影宮では、自然のものを排除しているのですか?」
雪瑛が小声で尋ねた。
「蘇賢妃は外から来た方です。味方が少なく、庭の手入れをしてくれる者もいない。ですから、落ち葉が出るものや手入れが必要なものは極力と入れないようにしているのです」
「そうでしたか……」
雪瑛は気の毒そうな表情を浮かべた。
「ま、今のが表向きの理由ですね」
「他に理由があるのですか?」
「遮蔽物が少なければ、賊が隠れる場所がなくなります。賢妃なりの護身術なのだと俺は思っています。俺に言わせれば、蘭昭儀ももう少し気を付けた方がよろしいかと思います」
「ええ、では、律安さんにお願いできますか?」
「俺は別の宮の担当になっています。ただ、蒼嶺でしたら問題ないと思いますよ。あいつは、筋肉こそ隆々とはいかないものの、武道にはかなりの心得があります。それに、最近は花鈴さんのことを妙に気にしているようで――」
「律安」
ふざけた調子で話す律安を、蒼嶺がたしなめた。
余計なことを言うな、言わんばかりの勢いで睨みつける。
「もう二度と、お前の仕事は手伝わない」
「そんなことを言って、また手伝ってくれるんだろ。そんなお前が大好きだぜ」
「気味が悪い」
蒼嶺は迷惑そうに縋りつく律安を押し放していた。
少し歩くと、蘇賢妃の住む屋敷へ到着した。
屋敷の中も、あまり豪奢なものとは言えなかった。
置かれている屏風や調度品も、質は悪くないが年季が入っている。
後宮内での賢妃の扱いは、あまりよくないらしい。
そんな屋敷の中でも、唯一豪奢と言えるものがあった。
それは朔狼族の巨大な旗だった。
これだけは、鮮やかな色を発している。
その隣には、璃燈国の国旗もあった。
それはまるで、両者が対等であることを主張するかのようだった。
××
蒼嶺たちは、謁見の間で、蘇賢妃に拝謁した。
賢妃は、非常に威圧的な女性だった。
屋敷や庭とは対照的に、衣装や装飾品は豪華なものばかり。
衣装には銀糸の緻密な刺繍が入念に施されており、結い上げられた髪には、金色で緻密な文様の簪が三つ付けられていた。
化粧のせいなのか、その表情はどこか冷たく他者を寄せ付けないような印象を与えている。
蘇賢妃の前で、律安は事件の経緯を余すとことなく語った。
その報告を聞いた蘇賢妃はというと――微かに笑った。
「律安、良い働きで会った。そして、面白いことを聞かせてもらった。まさか、そのような方法で犯人を探し出すとは。報告書は是非陛下に読んでいただかなければならないな」
「はい、その通りです」
「面白い部分を余すところなく書き記せ。陛下の退屈を紛らわすことが出来るだろう」
「畏まりました」
律安が答えると、賢妃は目を細めた。
「さて、尚服局にはどのような処罰が下されるのか」
集団で死体を遺棄したのだ。
尚服局にも重い罰が課されるだろう。
その判断は、報告書を読んだ皇帝を交えて、上層部で行われることになる。
そのはずだった。
だが、そこに横やりが入った。
賢妃の侍女が慌てた様子で、部屋の中に入ってきた。
「賢妃様」
「来客中だぞ」
「申し訳ありません。ただ、尚服令の杜麗芳様がいらっしゃっています。今すぐお話をしたいとのことです」
「……そうか。よい、通せ。律安にも同席してもらおう」
「畏まりました」
侍女に案内され、恰幅の良い女性が入ってきた。
彼女こそが杜麗芳――尚服局の長だ。年齢は四十代だろうか。
しっかりとした目鼻立ちで、目力も強く唇が厚い。武官のような逞しい体躯をしている。
彼女は形だけの拱手をして、賢妃の前に跪いた。そこに敬意はない。彼女は堂々と声を上げる。
「蘇賢妃、それに蘭昭儀もいらっしゃいましたか」
「何用だ?」
「謝罪に参りました。今回のことは、私の不徳の致すところでございます。申し訳ありません」
「お前からの謝罪は不要だ。本題が他にあるのだろう?」
賢妃は淡々と告げた。
「話が速くて助かります。つきましては、この事件――なかったことにしてはいただけないでしょうか?」
「何だと?」
「私としても、今後も賢妃様とは良好な関係を築いていきたいと考えております。ですが、このような事件があったとなれば、信頼関係を維持することが難しくなります」
尚服局は妃賓の衣装や装飾品の管理をする部門だ。
大ごとにならない範囲で嫌がらせをすることなど容易い。
実際、これまでもそうされてきた。
質の悪い布や地味な装飾品を回されていた。
蘇賢妃は璃燈国の民ではない。
そのため、後宮内では軽んじられている。
尚服局を敵に回せば、その扱いは更に悪くなるだろう。
「そもそも今回の件は、掖廷令の宦官が発端となります。罰を下すのであれば、掖廷令の方にも及ぶことでしょう」
「ふむ……」
賢妃は数秒沈黙し、考え込んだ。
「だが、無罪放免というわけにも行くまい。少なくとも、静影宮に死体を持ち込んだ宦官一名には厳正なる処罰を与えたい。私の目の前で、犯人である梁祁安の処刑をすること。それが条件だ。それが達成されなければ、私はこの報告書を陛下に直接お持ちする」
「畏まりました。それでは、今後ともよい関係を築いてまいりましょう」
そう言って、麗芳は去っていった。
その堂々たる態度は、ここでの交渉を勝ち誇るかのようだった。
多大な迷惑をかけられながらも、事件を“なかったこと”にされてしまった。
これは事実上、賢妃の敗北という形になる。
だが、賢妃に悔しがる気配はなかった。
それどころか、面白そうに麗芳を見送っていた。
麗芳が出て行くと、律安が声をかける。
「賢妃様、よろしいのですか?」
「ああ、よい。それよりも――今回の調査だ。律安、よくやってくれた。それに、蒼嶺にも後で褒美を取らせよう」
「ありがとうございます」
「蘭昭儀にも、感謝を。其方にも、褒美を与えなければならないな。何か望みはあるか?」
蒼嶺は、横目で雪瑛を見る。
この質問は、本当に欲しいものを聞いているわけではない。
質問に対してどう答えるか――それにより、蘭雪瑛という人間を見極めようとしているのだ。
下手な答えをすれば、敵対することになりかねない。
雪瑛は、一歩前に出て、静かに頭を下げた。
「では、一つお願いがございます」
「何だ?」
「そちらの侍女をされている柳娘さんについてです。私の侍女の花鈴が親しくなったようなのです。ですから、柳娘さんには、是非気軽に蘭露宮へいらしていただきたいと思います。その為の便宜を図っていただければ、光栄でございます」
「侍女のためか。お前自身の望みはないのか?」
「ございません。このような場にいられる時点で、私は果報者にございます。これ以上を望めば、罰が当たります」
「欲のない奴だ」
賢妃は黙ったまま、雪瑛を見ていた。
宮女を一人、遊びに行かせるだけ――賢妃にとって特に損のない話であるはずだ。
その沈黙には、何かを計るような気配があった。
「分かった。いいだろう。柳娘を蘭露宮に向かわせる」
「ありがとうございます」
雪瑛は、微笑みながら頭を下げた。
「それでは、改めて――よい働きだった」
こうして、賢妃との謁見は終わった。
××
静影宮からの帰り、蒼嶺たちは街路を歩きながら話をしていた。
話題は勿論、先程の尚服令杜麗芳の傲岸不遜な要求についてだ。
「結局、あれだけの事件を起こしておきながら、尚服局にお咎めなしということか」
蒼嶺は憤慨を隠さなかった。
彼は彼で、尚服局に対して思うところがあるのだ。
不正だらけであることは分かっているが、その証拠を掴ませない。
私腹を肥やしていく彼らを止めることが出来ない。
そんな蒼嶺に対し、律安が軽い調子で告げる。
「その代わり、掖廷令にもお咎めなしだ。ここは受け入れるしかないだろう」
「だが――」
蒼嶺は歯噛みする。
「蒼嶺さん、仕方がありません」
今度は、雪瑛が声をかけた。
「それよりも、今はするべきことを考えるべきかと」
「するべきこと……」
「成功報酬、楽しみにしていますよ」
「分かっています」
事件解決の折には、成功報酬として継続的に菓子を持って行くことになっていた。
それは、花鈴たちと定期的に接触するための口実だ。
もっとも、菓子自体を楽しみにしているのも事実なのである。
「それじゃあ、俺は先に行くぜ」
律安は軽く手を振り、掖廷令の方へ歩いていった。
蒼嶺は雪瑛と一緒に蘭露宮へと歩いていく。
「それにしても、蘭昭儀の要求には驚かされました。柳娘が蘭露宮に来るのを許してほしい、とはどういう意図があってのものなのですか?」
「花鈴からの指示だったのですよ」
「そうなのですか」
意外だった。
花鈴らしくない行動のように思われた。
だとすれば、何か裏があるのかもしれない。
その内容は、一体どんなものなのだろうか――。
蒼嶺は黙って考え始める。
すると、雪瑛が揶揄うように尋ねる。
「あら、嫉妬ですか?」
「何の話でしょう?」
「照れなくてもいいのですよ」
「そんなことよりも――花鈴は、何を考えているのでしょう? 友人を欲しがる性格とは思えません」
「さぁ。それについては、聞いていません。気になるようでしたら、本人に直接聞いてみてはどうですか?」
「……そうですね」
蒼嶺は短く返事をした。
こうして、事件はひとまずの解決を見せた。
闇に葬られたとはいえ――賢妃は尚服局に貸しを作ることが出来た。
この事件が皇帝に報告されないのは片手落ちではある。
だが、ここが落としどころなのだろう。
事件は闇に葬られ、明日からも変わらぬ日常が続いていく。
本来ならば、そうなるはずだった。
だが、この日の深夜――誰も気づかぬところで、事態は着々と進行していた。
××
遺体を遺棄した犯人である梁祁安は、その身を拘束されていた。
同僚たちからは蔑まれ、侮辱された。
特に、杜麗芳の怒りは、凄まじいものだった。
「出来る限り惨たらしく殺してやろう。そうすれば、蘇賢妃も満足するだろう。それと、お前には故郷に家族がいたな。ただで済むとは思わぬことだ」
彼女はそう言い捨てていった。
その言葉は、ただの脅しではない。
麗芳であれば、それは確実に実行に移される。
祁安は、打ちひしがれていた。
彼に出来ることは、賢妃の前で殺されることだけ。
それでも、故郷の家族は救えない。
己の身を潰すほどの後悔にさいなまされていた。
だが――。
そんな彼の下に、女性の声が聞こえてきた。
牢の前に、一人の宮女がいたのだ。
暗くて顔は分からない。
彼女は、牢の中に小刀を投げ入れた。
「取引をしましょう」
宮女は淡々とした口調で言った。
そして、その取引内容を告げる――。




