第4話 蒲公英(たんぽぽ)
雪瑛が最後の一つを食べ終えると、蒼嶺は本題に入った。
調査協力の依頼をしようとしている『裸の宦官事件』についてだ。
「後宮内で、宦官の死体が見つかった。その件については、知っていたか?」
「静影宮の庭園でしたね。洗濯場でそこの宮女から噂を聞きました」
「この事件の解決のために、力を貸してもらいたい」
蒼嶺としては、協力は秘密裏にしてもらうつもりだった。
解決できなかったとしても、それで花鈴たちに迷惑をかけるわけには行かない。
花鈴は腕を組み、少しの間、思案するように視線を落とした。
そして、蒼嶺に視線を戻して「報酬はありますか?」と尋ねた。
「報酬?」
「調査を求められたのは、律安様なのですよね? 私達が協力したとして、何か報酬は得られるのでしょうか?」
「精々、菓子の差し入れ程度かと」
「……それは好都合ですね」
花鈴の口端がわずかに上がる。
「蒼嶺様。この事件が解決したら、成功報酬として、定期的に私たちに菓子を持ってくることを要求します」
「俺が?」
「ええ、そうです。事件の担当が律安様だとしても、私達に依頼をするのは蒼嶺様です。でしたら、蒼嶺様に用意していただくのが”筋”かと」
「定期的に、というのは?」
「勿論、菓子自体も魅力的ですが、定期連絡のための口実となります。そうですね、形式としては『蘭昭儀が軽口でそう要求したが、根が真面目な蒼嶺様は本当に定期的に菓子を持って蘭露宮を訪れている』ということにしましょう」
「分かりました」
これは、蒼嶺にとってもありがたい提案だった。
この一か月、どのような口実で蘭露宮を訪ねようかずっと考えていたのだ。
解決策を用意してもらえたのは、僥倖だ。
「勿論、菓子も楽しみにしています。とても楽しみにしています。そのことは忘れないようにしてください」
「はい――でななかった。ああ、分かった」
「それでは、事件についての話に移りましょう。死体が見つかった静影宮は、蘇賢妃の宮でしたね」
「そうだ。知っているだろうが――蘇賢妃は、朔狼族の方であり、璃燈国との間に友好関係を築くために後宮入りされた」
それは、蒼嶺の母である蒼美と同じような境遇だった。
そのことに思うところはあるが、事件との直接の関係はない。
蒼嶺は説明を続ける。
「死亡したのは、令辰という名の宦官だ。年齢は三十一歳。出身は蒲陽。昨日の早朝に、裸の状態で死んでいるのを静影宮の女官が発見し、掖廷令に報告があった。遺体の頭部には石で殴られた痕があり、それが死因だと思われる。一応、検死に出してある」
「そうですか」
「俺と律安は調査を始めた。まず、本人の仕事の確認から。彼は『尚服局』の調査をしていた」
尚服局というのは、主に服飾に関する管理を扱う部局だ。
高価な絹や色糸、それに装飾品がここに集められることになる。
それらは金銭的価値がとても高く、それだけ不正が起こりやすい場所となっている。
「あそこはただでさえ、証拠が掴みにくい場所だ。担当している役人の中にも、これまで全く成果が上がっていない者もいる。その中では、令辰は優秀だったようだ。何度か横領を見つけて、告発もしている」
「それは大したものですね」
「何度も潜入調査をしていたそうだ」
花鈴の眉がわずかに動く。
「それは、可能なのですか?」
これは当然の疑問だ。
尚服局では、大体二百五十人程度の宦官と宮女が仕事をしている。
数は多いが、紛れ込むのは難しいだろう。
「俺も、そのようなことが可能だとは思えなかった。だが、本人は潜入調査をしていると周りに漏らしていたそうだ。その場に溶け込む達人だったのだろうか」
「それが事実なら、惜しい人材をなくしたものですね。もっとも、仮に尚服局の者に殺されたというのであれば、潜入が失敗したということになるのでしょうが。尚服局の調査はどうなりました?」
「巫術を使って、三十人ほど話をした。事件に関わっている宦官が五名いた。これで、尚服局が関わっていることは確定ということでいいだろう。だが、殺人の直接の犯人を見つけることは出来なかった」
「分かりました。では、犯人は尚服局の誰かという前提で考えてみましょう」
花鈴は、机をたたきながら、思考を整理するように言葉を続けた。
「令辰は尚服局の調査を行っていた。そこで不正の情報を掴んだ。その情報を基にして更に調査を進めていたところ、都合の悪い尚服局の人間に見つかり殺害されてしまった」
「俺たちもそう考えている」
「では、続きを聞かせてください。調査したのは、それだけではないのですよね?」
「俺たちは、本人の居室を調べた。特に変わったところは無く、新しい情報は得られなかった。ただ、そこで少しだけ気になるものが出てきた」
蒼嶺は懐から一枚の紙を取り出した。
質の良い高級品だが、細かく折り目がついている。
普通は、このような高級紙をこのように扱ったりはしない。
「これは、令辰の机の引き出しに入っていたものだ」
花鈴は差し出された紙を開いて、中身を確認する。
――蓮公英
茎は手折られ 花咲くことなし。
嘆けども 芽はなお死なず、
息吹は 日ごとに強まりゆく。
種を播くこと 叶わずとも、
ともに 綿毛を飛ばさん。
「……なんです、これ?」
花鈴の眉が、僅かに寄った。
そこに書かれていたのは、奇妙な詩だった。
「まさに、それだ。俺も律安も、同じように思った。お世辞にもうまいものとは思えない。蒲公英の力強さを描いただけ――とも思えない。支離滅裂なもの。出来が良くないから、人に見られないように小さく折りたたんでおいた。最初はそう考えていた」
「違うのですか?」
「文字が誤っているのだ。たんぽぽは『蓮』ではなく『蒲』の文字を使う。そして、『蒲』という文字は、令辰の出身地である蒲陽に使われている。間違えるとは考えにくい」
「つまり、別人が書いたというわけですね」
「その通りだ。令辰が過去に作成した公文書と筆跡を照らし合わせた。同一人物のものとは思えなかった」
花鈴は紙を両手で押さえながら、改めて目を通した。
「確かに、蒲公英の詩としては不自然ですね。蒲公英は、茎が折れたら終わりです。『芽はなお死なず』とありますが、意味が通りません。これは、暗号なのではないですか?」
「暗号……」
だとしたら、読み解かなければならない。
ここに尚服局の不正について書かれているのかもしれない。
もしそうであれば、事件の核心に迫る手掛かりになり得る。
「『尚服局』に関係するもので、蒲公英に例えられるようなものはありますか?」
「蒲公英と言えば、黄色。黄色と言えば、皇帝しか使うことが許されてない色。皇帝に関する何かが横流しされている、あるいは、皇帝のための何かに細工がされている」
「絞り込めませんね」
蒼嶺と花鈴は、謎の詩を前に唸っていた。
その横で、雪瑛がそれを手にとった。
すると、何かに気づいたかのように目を開き、次第に苦々しい笑みが浮かんできた。
「あらあら、まあまあ」
「蘭昭儀、何か分かったのですか?」
蒼嶺が尋ねた。
謎解きは花鈴の役割だったはずだ。
だから、花鈴と話を進めていたのだが――どうやら、雪瑛のほうが何かに気づいたらしい。
「これ、蒲公英の詩ではないわね」
「ええ。ですから、何かの暗号だと――」
「あら、そうね。言い方が悪かったわ。ごめんなさい」
可愛らしく首をかしげる。巫術を使っていなくとも、その仕草には人を惹きつける力があった。
「それで、どういうことなのですか?」
「これは、恋文だわ」
「……恋文?」
「恋文というよりは――うん、あれね。一言で言ってしまえば、“あれ”ね」
「あれ?」
そこまで言われても、蒼嶺は理解できなかった。
彼には教養があったが、その教養を生かすにはこの手紙の内容は“品がなさ過ぎた”のだ。
「まず、考えるべきは『折れた茎』が何を示すかということ。蒼嶺さんは、折れた茎と言われて何を連想するかしら?」
「折れた茎……」
雪瑛のヒントを基に考える。
すると“浅ましい発想”が頭の中に浮かんだ。
それは、宦官になるために切断されたもの。
すなわち――。
「『宝』ですか」
「ええ、そうね」
後宮に入るためには、男性は男性器を切り取り宦官になる必要がある。
切り取られたものは『宝』と呼ばれ、大切に保管される。
「そして、そう考えれば、他の文言も解釈できるわね。『芽はなお死なず』というのは、性欲が失われていないということ。『息吹』も同じね。『綿毛を飛ばす』というのは、その発散ととらえられるのではないかしら。つまり、これは『宦官になったが、性欲は残っている。日々昂るそれを君にぶつけたい』ということを描いたものなのよ」
蒼嶺はもう一度目を通す。
言われてみれば、そうとも読み取れる。
むしろ、そう読むことで詩が下手なことに説明がつく。
「つまり、これは他の宦官が亡くなった方にあてて書いた恋文――というか、性欲を主張する文なのよ」
「何て阿呆なものを……」
蒼嶺は項垂れた。
他方で、花鈴は雪瑛の考えを基にして、考えを詰めていった。
「これが蘭昭儀の言うとおりのものだったとして、相手は誰だ?」
「そうですね……」
蒼嶺は心当たりを考える。
掖廷令の中で聞き込みをした限りでは、そのような相手は見当たらなかった。
これだけの騒ぎになっているのだ。
本人のために黙っているにしても、全員が、というわけには行かないだろう。
「令辰に関して、そのような噂は聞いていません。掖廷令の中にはいないと思います。だから――相手は、尚服局にいるのかもしれません。だから、危険な潜入捜査をすることが出来ていた」
「いや、それでも潜入捜査は難しいだろう。そもそも、捜査をしていなかったのではないか。ただ逢引に行っていただけ。仕事としての実績を作るために、軽微な横領についての情報を貰い、それを報告していた」
「あり得ます」
むしろ、そうとしか思えなかった。
尚服局への潜入など、どう考えても不可能だ。
互いに長い付き合いの者も多いだろうし、何よりあそこには几帳面で強権的な長がいる。
尚服令――杜麗芳。
彼女の監視の目から逃れることは出来ないだろう。
「そう考えると、どれくらいに絞り込める?」
「尚服局には、全部で二百五十人程度いたはずです。その中でも、宦官は五十人。大分絞り込めました」
だが、まだ足りない。
この五十人の中から一人を見つけ出さなければならないのだ。
その為の方法を考える必要がある。
「とりあえず、目途はつきましたね」
「あとは絞り込むだけだ」
「では、そのための調査をしましょう。遺体は検死所でしたね?」
「ああ、そうだ」
「それでは、行きましょう」
花鈴はそう告げ、立ち上がった。
そんな彼女を、雪瑛は面白そうに見ていた。
「蘭昭儀? どうかしましたか?」
「ここでの花鈴と蒼嶺さんを見ていると面白くて」
「何がです?」
「ずっと前から息の合った相棒って感じがして――なんだか、嬉しくなってしまったわ」
雪瑛は優しい笑みを浮かべながら言った。
だが、蒼嶺はそう思えていなかった。
今の時点で、花鈴の世話になりっぱなし。
花鈴に対して、何もしてやれていない。
――何か、俺に出来ることを見つけないと。
蒼嶺の中に、静かな焦りが生まれていた。
×××
蒼嶺は、花鈴と一緒に検死局に向かった。
そこには、見慣れない検死官がいた。
先日、花鈴が検死官の不正を暴いたため、前任者は左遷させられてしまったのだ。
そのことを知っているためか、新しい検死官は二人に対して過剰なほど丁寧だった。
蒼嶺が「令辰の遺体を見せてください」と告げると、すぐに用意してくれた。
遺体の状況は悪くなかった。
早朝に見つかったこと、早期に涼しい場所に移されたことから、腐敗もあまり進んでいない。
遺体を明るい場所に移し、まずは全体を軽く観察する。
掖廷令の文官にしては、筋肉がついている。
顔つきは精悍だが、蒼嶺に比べれば数段劣る。
「それでは、改めて死体を確認します。まず、検死官さんの所見を聞かせてください」
花鈴は検死官に尋ねた。
検死官は、下級女官の花鈴が何故そんなことを尋ねるのかと疑問に思ったようだ。
だが、素直に答えてくれた。
「死因は脳挫傷です。ただし、石で殴られたことによる死亡ではないと考えています」
「違うのですか?」
「こちらを見てください」
検死官は、頭部の傷口周辺を指示した。
殴られた部分が陥没しており、そこから出血していた。
また、その周辺では、広い範囲で内出血が起きている。
「傷口の周辺で、内出血が広い範囲で出ています。これは、石などの鋭い鈍器で殴られたものではなく、平面に頭をぶつけたものだと考えます」
つまり、死因は平面に頭をぶつけたこと、ということになる。
陥没部分については、後から石で頭を傷つけたのだ。
「平面――つまり、地面や壁に頭をぶつけたというわけですね」
「そうだと思います」
そうなれば、色々と事情が変わってくる。
何故犯人は、被害者の頭を地面や壁にぶつけたのか。
最初から石で殴ればいいものを。
花鈴は傷口以外の部位も観察していた。
誰かに襲われたのであれば、抵抗の痕が残るはずだ。
だが、打撲根は見当たらない。
代わりに、身体の数か所に”歯形”がついていた。
「これ、人の歯形でしょうか」
「そうでしょうね。でも、新しいものではないようです」
花鈴の問いに、検死官が答えた。
人の歯形――それが何を意味するものなのか。
蒼嶺には分からなかった。
――花鈴には分かっているのだろうか。
花鈴の様子からは、それはうかがえない。
「これが死因に直結する可能性はありますか?」
「まず、あり得ません」
「そうですよね」
歯形については、ひとまず置いておくことにした。
他にも身体の細かい所を観察していく。特に、指先は重要だ。
「爪の間に、砂が入っていますね。既に乾燥していますが、泥のある場所で地面に手をついたようです」
花鈴が蒼嶺に視線を向ける。
「死体発見現場には石が敷かれていて、このように指に泥が入り込むのは不自然です。やはり、殺害現場は静影宮ではありませんね。何者かが運び込んだ可能性が高いと思います」
花鈴は静かに息を吸う。
頭の中で、推理を組み立てているのだろう。
「蒼嶺様。仮説が出来ました。被害者は殺されたのではなく、事故で死んだ可能性が高いと思います」
「事故……」
「被害者は逢引場所に行くために、壁を乗り越えていったのではないでしょうか。そして、そこから落ちて、頭を打った。そこは、雨でぬれた土だらけであり、動こうとしたが、助けを求めることは出来なかった。だから、爪に泥が入っていた」
「筋は通る。それなら、服が脱がされていた理由も説明がつく。服が泥だらけになってしまっていたら、石が敷かれている『陰穏園』で死体が発見されたときに違和感が出てしまう。そこで殺されたのではないことが分かってします」
「そういうことだと思います。問題は、それをしたのは誰かということです」
「特定する方法はあるのか?」
「地道に調べていけば、いずれ分かるのではないかと思います。ですが、賢妃からは早期の解決を求められているのですよね?」
「そうだ」
「では、今回は裏技を使うことにしましょう」
「何をするんだ?」
花鈴は面白げに笑みを浮かべる。
そしてその裏技を告げる。
「犯人に自白していただきます」




