妖精の森
俺は小さな町の剣の道場の家に生まれた。
父さんは昔剣豪と呼ばれるほど有名な剣士だった。
父さんは剣を愛していたから、家を道場にかえて常に剣の修行をしていた。
そんな父さんを慕って門下生が集まって、家にはいつも木剣を振り回す人達で溢れていた。
俺には兄さんが二人いて、二人とも父さんの才能と性格をすごく濃く受け継いでいて、強く逞しく育っていた。
でも、俺は父さんの才能と性格を全く受け継いでいなかった。
更にいうと剣の修行は嫌いだし、戦いそのものにも興味が持てなかった。
いくらその事を訴えても父さん達には俺の気持ちは届かなかった。
なぜならば父さんも、二人の兄さん達も、門下生の人達も、脳みそが筋肉で出来てるような人達だったからだ。
家から少し離れた所にじいちゃんが住んでいて、俺は修行に耐えられなくなるとじいちゃんの所に逃げた。
剣や戦いに興味がない事は、父さんや兄さん達には信じてもらえなかったけど、じいちゃんはわかってくれた。
「おまえは優しいんだ。それで良いんだよ」
と認めてもくれていた。
俺が十四歳の時、じいちゃんが死んだ。
じいちゃんが死んでからは地獄だった。
一年後のある日、修行中に俺はついに耐えられなくなって爆発した。
「俺は剣なんて嫌いなんだよ! 剣士になんてなりたくないんだよ!」
道場に俺の声が響き渡った。
皆が修行の手を止めて俺に注目しだした。
「ほう・・・・では何になりたいんだ?」
父さんの声は静かで落ち着いていた。
「そ、それは・・・・・・・・・魔法使いだよ」
魔法使いになりたかったわけじゃない。というか一瞬も憧れた事もない。
父さんの静かだが重圧のある問いかけに、特にないよとは言えなかっただけだ。何か言わなければと思って浮かんだのが魔法使いだっただけだった。
「魔法使いか・・・・」
父さんは顎に指を当てて考えこんだ。
「魔法剣士という職業もあるな」
長兄が誰に言うでもなくつぶやいた。
「ふむ・・・・よかろう。魔法使いになるのを許そう」
俺はただ不満を爆発させただけだったんだけど、思わぬ方向に人生の扉が開いた。
でもすぐに問題が出てきた。どうやって魔法使いになるかだ。
町には魔法の学校があったけど、今から入ったら当然一年生からで、自分より遥かに年下と机を並べて授業を受けるのは恥ずかしかった。
町から少し離れた所に高名な魔法使いが住んでいたけど、弟子に同世代の性格の合わない人がいたから弟子入りしたくなかった。
昔じいちゃんから妖精の森で妖精から魔法を習った者がいる、と聞いたのを思い出した。
妖精の森は町の近くにあるミュアルの森の事で、別名迷いの森と呼ばれていた。
町の人たちは迷いの森を恐れていたから、木材を加工するために入り口付近に入る事はあっても森深くに行く事はなかった。もちろん俺も近づいた事はなかった。
でも、あれだけの人前で啖呵を切ったのだから今更引けなかった。
妖精の森を探してなかったら、高名な魔法使いの弟子にしてもらおうと思った。性格の合わない同世代と過ごすのは嫌だけど魔法学校よりはマシだった。
でも俺は妖精の森を探し当てる事が出来た。
そして妖精から魔法を習う事も出来た。
といっても俺はそもそも一流の魔法使いとか目指していなかったから、のんびりと魔法を覚えた。実家での日々のきつい剣の修行の反動から、妖精の森では自由気ままに、ゆるゆると過ごした。
そして十五年の歳月が流れた。
久しぶりに町に戻ってみると俺は衝撃を受けた。
窓ガラスに映った自分の顔が老けていたからだ。
妖精の森では、俺は歳は取らず、時間は人間の世界と比べて非常にゆっくりであると思っていた。
だって昔じいちゃんがそう言っていたから。俺はじいちゃんの言葉を心から信じていた。
でも妖精の森の時間はゆっくりではなく普通に流れていて、俺もきちんと歳を取っていて、三十歳になっていた。
父さんや兄さん達が心配しているかもしれないと思った。だって十五年も音信不通だったから。妖精の森に行くと誰にも言ってなかった。だって時間の進み方が違うと思ってたから。
でも、そうはなってなかった。
俺は魔法使いになるために、世界を周る武者修行の旅に出たと父さん達に思われていた。
俺が妖精の森に行く時に、俺が町を出て行く所を見ていた人がいたんだ。
俺の前には行商人の一団が歩いていて、町を出て彼らは右の道に行って、俺は妖精の森のある左の道に行った。
でも俺が町を出て行く所を見ていた人は俺が町を出る所までしか見てなかった。その人には俺が行商人の一団を追うようにして行くように見えていた。
俺がいなくなって最初は町中を探していた兄さん達がその話を聞いた時、俺が行商人についていって世界を周る武者修行の旅に出たのだと解釈したんだ。
「魔法使いになるというのはどうやら本気だったようだな。あいつも中々やるじゃないか」
そう思って何も心配していなかった。
確かに今の俺の格好は武者修行をしてきたような格好でもあった。
髪は長くボサボサで服はボロボロだった。昔の服は体が大きくなったので着れなくなったから、上着とズボンを切って張り合わせて魔法使いのローブのように作り変えていた。それを何度も洗って着ていたから良い感じにボロボロにもなってて、武者修行感をかもし出てもいた。
「父さん、兄さん達も、久しぶり・・・・」
「おう、ミカネル! 久しいな! よく帰った! 世界を周った魔法の腕前見せてみろ!」
「え?」
挨拶の後、すぐに立ち合う事になった。
そして俺はすぐにボコボコにされた。
「遅い! 遅すぎる! 魔法を発動させるのにどれほど時間がかかるのだ? そのくせ威力も並だ! 全くもってダメだ!」
俺は妖精から魔法を習っていたけど、魔法使いになる事よりのんびり生きる方を優先していた。
実家じゃ朝起きてすぐに訓練が始まる。
ランニング五キロ、素振り千本を三セット、全身の筋トレ、朝飯前にこれだけやる。その後は午前も午後も剣の稽古、稽古、稽古・・・・これを毎日だった。雨が降ろうが雪が積もろうが関係ない。
でも妖精の森だと好きなだけ寝れた。どんなに遅くに起きても誰にも何も言われなかった。
妖精から魔法を習うよりも、妖精の仕事を手伝ったり、妖精とお喋りする方が長かったし、楽しかった。
十五歳までに作られた基礎体力は、妖精の森での十五年のゆるい生活で失っていた。学校での勉強が卒業後ほとんど残っていないのと一緒だ。
「もう一度、武者修行して鍛えなおしてこい!」
俺は家を追い出された。
そもそも強くなりたいとか、一流の魔法使いになりたいとか、そういう志もやる気もない俺が、これから武者修行したとて強くも一流にもなれるわけがないよ。
でもこのまま家にいてまた剣の修行というのはもっと嫌だったし、そうしなくて良いと考えると少し気が楽だった。
皆も元気そうだったし・・・・まあ、あの人たちが元気でないわけなんかないか・・・・
冒険者にでもなってみようかな?
せっかく魔法を覚えたんだし、一人じゃモンスター退治みたいな仕事をこなせるとは思えないけど、仲間がいれば何とかなるんじゃないか?
気持ちを切り換えて町の外れにあるギルドに行った。
でも、全然相手にされなかった。
俺は全系統の魔法をバンラス良くマスターしてたけど、レベル的にはすべて中くらいだった。このレベルの魔法使いはざらにいた。
そして妖精から習った魔法そのものをバカにされた。
俺が妖精から習った魔法は旧式の魔法だった。旧式の魔法は発動するまで現代の魔法より倍以上の時間がかかった。
パーティを組むなら当然連携が重要になってくるから魔法の発動時間は早ければ早いほど使い勝手が良い。それでも威力があればまだ使い道がありえそうだけど、威力は今の魔法と同等のものが半分で、もう半分は劣っていた。
父さんが指摘した通り、俺の魔法は使えなかった。
俺がなぜこの事に気づかなかったというと妖精の森ではこれが普通だったからだ。
実家にいた頃は剣だけを日々振らされていて、魔法の存在は知ってたけど魔法に古いとか新しいとかあるなんて全く知らなかった。
「あのね、あんたいつの時代の魔法使ってんの? 旧式の魔法なんて学校の歴史の授業で教わるものだけだと思ってたよ! 実際使ってるやつなんて始めて見たわ!」
眉毛の細い、手首などにアクセリーをつけた魔法使い風の男が人を小ばかにした表情で言った。
体は細いのに胸元がV字に開いたシャツを着ていた。歳は俺より大分下に見えた。
「それにあんたオッサンのくせに実戦経験もゼロなんだろ? よく冒険者になろうと思ったな! その勇気はすげえわ!」
それを聞いた周りの奴らがゲラゲラと声を立てて笑った。
「帰んな! ここはあんたのような役に立たねえオッサンのくる所じゃねんだよ!」
悔しかったけど俺は何も言い返す事が出来なかった。
俺は妖精の森に帰った。
俺は荒れた。
「何だよ、あいつら、ちっくしょう!」
俺は木のマグカップに入った水を一気に飲み干した。
「飲みすぎだぞミカネル。もういい加減やめないか」
木の妖精のモックさんが心配そうな顔で言った。
モックさんは胴体が丸太でそこから枝が伸びて手足になっていた。
木に魂が宿った木の妖精だった。
今は目や口はあるけど以前はなかったそうだ。
「いいじゃんか、ただの水なんだし・・・・」
こういう時、普通は酒を飲むのだろうけど俺には金がなかった。だから水を、酒を飲むような感じで飲んでいた。
「俺にはもう何も・・・何もないんだよ!」
俺は陶器のケトルに直接口をつけて水を飲んだ。
「ああ! ミカネル! やっぱり戻ってきたんだ!」
花の妖精のイヴマリアがケラケラ笑いながらやってきた。
俺の周りを楽しそうに飛び回った。
イヴマリアは花の妖精だ。
身長が20センチメートルくらいで、背中に半透明の羽が四枚あるけど、それ以外の見た目は人間の女子とほとんど変わらなかった。
緩やかにウェーブのかかった桃色の髪を白い紐でポニーテールに結っていて、瞳の色は紫色だった。白を基調として所々に赤色が入った服、膝まである赤いストラップの靴を履いていた。
妖精は大きく分けて二種類ある。
一つはさっき話したモックさんみたく、木や花とかそのものに魂が宿るタイプ。もう一つはイヴマリアのように花から産まれたタイプで、花や木から産まれた妖精は人間とほとんどかわらない見た目をしていた。
ちなみにセンチメートルとは俺の世界の単位じゃない。俺の前世で使われていた単位だ。
俺はイヴマリアから顔を背けた。
今はイヴマリアと話しをしたくなかった。
「ちょっと~ 何か言いなさいよ~」
イヴマリアが俺の頬を右手でグイグイと押してきた。
「ちょ、やめろよ!」
俺は嫌そうにイヴマリアをにらんだ。
「何、その態度! 生意気よ! あなたに魔法を教えてやったのは誰?」
イヴマリアは腰に手を当てて言った。
イヴマリアは俺の魔法の師匠だった。
「師匠・・・・」
「あなたをこの森に入れてあげたのは誰?」
「師匠・・・・」
俺がそう言うとイヴマリアは勝ち誇ったように笑った。
十五年前、俺が妖精の森に初めてやってきた時、森の入り口の手前にイヴマリアがいた。
俺はイヴマリアに弟子になりたいと言った。イヴマリアは俺の弟子入りを受け入れた。それから俺達の師弟関係が始まった。
これは後ですぐにわかった事なんだけど、イヴマリアはバランスよく魔法は使えるけどどれも最低ランクの魔法だけだった。
だから一年でイヴマリアから教わる事はなくなったし、その後、魔法使いとしての実力も抜く事も出来たんだけど、イヴマリアはこの師弟の関係は一生続くと言い張った。
今思えばもっと色んな妖精に会ってそれぞれの力量を見てから弟子入りを志願すれば良かったんだけど、当時の俺は妖精の森にたどり着けた喜びと、妖精を初めて見てテンションが上がっていたため、弟子入りを志願してしまったんだ。
そもそもイヴマリアを最初に見かけた時、こんな超マウント女子だとも思わなかった。むしろ逆な感じに見えた。
でもイヴマリアに全く世話になっていない事もなかった。
俺は人よりも物覚えが良い方ではなかったから、簡単な低レベルの魔法でもマスターするのに時間がかかった。
そんな俺に付き合ってくれたのは事実であったし感謝もしていたので、俺は彼女に頭が上がらなかった。
だから皆はイヴマリアの事をイヴと呼ぶけど、俺だけは師匠と呼んでいた。
でもイヴマリアは何であの時妖精の森の入り口の手前にいたんだろう? あそこには何もないのに・・・・・
俺は木のコップに水を注いで飲んだ。
「ミカネル、もういい加減水飲むのやめなよ」
モックさんが心配そうな顔で言った。
水を飲んで酔っ払うわけでもないし、上手くもないし、モックさんの優しさを無視するようで嫌でもあったが、今の俺は飲まずにはいられなかった。
「ああ! あなた泣いてたでしょ?」
森に入って人目がなくなると、自然と涙がにじんできた。
ギルドで言われた事を思い出した。
オッサン・・・・
三十代・・・・十代や二十代からはオッサンと呼ばれ、四十代や五十代からは若造と呼ばれる微妙な年代・・・・「そうだよ、俺はオッサンだよ、何か文句あんのか?」とオッサンと呼ばれても全く意に返さない強者もいけるど俺は気にするタイプだったようだ。この歳になって初めてわかった。
オッサンだけでも十分傷つくっていうのに、役に立たないとまで言われた。
そりゃ俺の魔法は使えないのかもしれないけど、あんな言い方しなくたって良いじゃないか・・・・
「ほら、これって涙の跡だよね?」
イヴマリアが俺の頬にあった涙の後を手でなぞった。
「やめろよ!」
俺は頭を振り払って言った。
今日のイヴマリアはやけに絡んでくる。
俺が妖精の森を出て行く時はあんなにそっけなかったのに。
「何~ その言い方~ お師匠様にはもっと柔らかい言葉を使いなさいっていつも言ってるでしょ?」
「まあまあ、イヴマリア。今日は良いじゃないか。それよりおかえりミカネル」
「ヒバさん・・・・」
ヒバさんは俺の真の師匠と言える人だった。
俺がイヴマリアから教わった魔法以外のすべての魔法はこの人から教わったんだ。
ヒバさんは木から産まれた妖精だから人間とほとんど姿がかわらなかった。人間の中年男性のような顔立ちと背格好をしてた。身長も160センチくらいで俺と10センチしか変わらない。
俺はヒバさんを師匠と呼ぼうとしたのだけど、そんなに優れた人じゃないからと言って呼ばせなかった。妖精の森の皆からの信頼も厚かった。
「話は聞いたよ・・・・色々と残念だったねミカネル・・・・・でもおまえは自分が傷つけられても誰も傷つけなかった。何かを壊して八つ当たりする事もなかった。偉かったぞミカネル・・・・おまえはやっぱり優しい子だよ」
ヒバさんは俺のじいちゃんによく似ていた。
「ヒバさん・・・・俺、泣きそうだよ」
ヒバさんの優しい言葉に俺の目にはみるみる涙がたまっていった。
「さっきからもう泣いてるよね」
「だから、おまえうるさいんだよ!」
「ああああ! おまえって言った! 私はお師匠様なのに!」
イヴマリアが俺に飛びかかろうとしたのをヒバさんが手で制してくれた。
「イヴマリア! イヴマリア! やめないか。今日だけは大目にみてあげなよ」
「ダメ~! 絶対ダメー!」
イヴマリアはヒバさんの手をかいくぐると、俺のほっぺたをひっぱった。
「いだだだだだだ!」
周囲の木々がザワザワと動き出した。
風で木々が揺れるわけがない。
ここは妖精の森といっても地下にあるのだから。
木の妖精の子供が上を見上げてポツリと言った。
「長老様?」
皆も、俺もそうだと思った。




