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 急ぎ戻ってなんとか事なきを得、エリーゼは安堵の息をついた。

 テア・ルルを帰す予定時刻は過ぎてしまっていたが、ちょっとした事故で怪我をしてしまい、時間に間に合わなかったという言い訳が使えたのだ。少年を手当てしたときにローブに血が付着したのだが、それが話に信憑性を与えた。竜が人間を傷つけたら大問題なので、テア・ルルの牙や爪から人間の血液の反応が出ないかを軽く調べられたのだが、もちろん反応は無かった。時間もたいして過ぎていなかったので、今後は注意するようにと言われただけで済んだ。

(いちおう、嘘ではないしね……)

 怪我をしたのがエリーゼではないというだけだ。もちろん中庭の騎士はそう取っただろうし、エリーゼもわざと誤解を招くように曖昧な言い方をしたのだが。

 仔竜の門限超過はそれで済んだのだが、エリーゼの方はそうはいかなかった。

「どこへ行っていたの?」

 腰に手を当て、眉を吊り上げて詰問するのはタバサ――エリーゼの母だ。エリーゼの実母は父の第一夫人であり、タバサは第二夫人であるため血は繋がっていないのだが、母親という立場にあるのは確かだ。宮殿内にある家族用の滞在部屋に戻ったとたんのことだった。

 エリーゼの亡父は宮中伯という地位にあり、必要があれば夜遅くでも皇帝のもとに参じることがあったため、宮殿に部屋を賜っている。父亡き今、宮殿に無理して滞在し続ける必要はないのだが――宮殿に隣接した街にタウンハウスを構えているのだから尚更だ――タバサは頑なに居を移そうとしない。父との思い出を大事にしたいというより、宮殿から離れたくないがためだ。娘と息子をよりよい相手に嫁がせようと、宮殿で行われるさまざまな集まりに出席したりさせたりするのに都合がいいがためだ。

 別に、そのこと自体を悪く思ったりはしない。タバサの娘と息子はすなわちエリーゼの妹と弟であるし、半分とはいえ血の繋がった弟妹にはもちろん幸せになってほしいと思っている。

(でも、まだ十四歳と十二歳なのに……そこまで必死になるような年齢ではないと思うのに……)

 父が亡くなって後ろ盾をなくしたとはいえ、ちょっと必死過ぎるのではないか。エリーゼが内心そんなふうに思っていることが伝わっているのか、タバサはエリーゼに当たりが強い。

(悪い人ではないのだけどね)

「ちょっと、聞いてるの!」

「……。研究塔ですわ」

「研究塔! またあんなところに出入りして! それよりももっと行くべきところがあるでしょう!? お姉ちゃんなのだから、妹と弟のために交友関係を広めておいてあげないと!」

(あんなところ、ね)

 研究塔は貴族たちから悪いイメージを持たれている。混ざり者が研究員になっていることも、許せない人は本当に許せないらしい。

 だがもちろんエリーゼは、研究塔への出入りを止めるつもりはない。窮屈な宮殿暮らし――この母たちと一緒なら、窮屈さはタウンハウス暮らしでもたいして変わらなさそうだが――の中で、数少ない気晴らしになっているのに。

 それに、仔竜たちのこともある。宮殿住まいだからこそ時間を捻出できている面もあるのだ。大事なことだから、万が一タバサが家族ぐるみで宮殿を出ると決めたとしても、エリーゼは皇子の婚約者という立場を盾にして宮殿に残るつもりだ。

「混ざり者だなんて、おぞましい。醜い異形の部分を隠して普通の人間のふりをしているなんて。化け物どうしは化け物同士、せめてひっそりと生きていればいいものを……どうして一人前に人間と結婚したりする者もいるのかしらね?」

(前言撤回。悪い人ではないと思いたかったけれど……)

 こんなにあからさまな差別意識を出されると色々と反論したくなる。だが、これは宮殿の貴族として一般的な意見だ。母親という立場にあるから余計にそう思うのだろうか、混ざり者がただびとと結ばれることに強い忌避感と危機感を持っているようだ。

 混ざり者は魔物の要素を持つとはいえ人間なので、体の基本的な機能は人間と変わらない。魔力が高いことと、人によって生活に不便が出たりすることを除けばたたびとと同じだ。子供をもうけることもある。ただびととの婚姻を繰り返して混ざり者の血が限りなく薄くなればただびとと区別がつかなくなるのではないか、などと囁かれており、それがいっそう恐怖に拍車をかけている。

(ただびとと区別がつかないなら、それはもうただびとでいいのではないかと思うのだけど。そもそも混ざり者だのと区別することからしておかしいのよ)

 エリーゼはそう思うのだが、主張したところで無駄なので黙っている。

「お言葉ですが、お母様。わたくしはなるべく交友関係を広げて、宮殿で一定の影響力を保つように心がけておりますが」

 混ざり者の悪口をこれ以上聞いていたくなくて、エリーゼは話題を戻した。客観的に見て、「赤薔薇の中の赤薔薇」とも「完璧令嬢」とも言われるエリーゼの影響力は強い。交友関係ももちろんだ。

 タバサはエリーゼをじろりと睨んだ。

「それは認めますけれど、可愛げがないのではなくて? ジーン皇子殿下にいつ愛想をつかされるか冷や冷やしますわ」

 なるほど、研究塔に行くのではなく皇子の傍に侍って、気に入られるようにして、立場を固めておきなさいということを言いたかったのか。理解したが、したくない。そのジーン皇子は、夜な夜なあちこちの夜会に出かけたり、若者たちでつるんで羽目を外したり、女性に言い寄ったり、「交友関係を広め」ることに余念がない。ジーン皇子の行状は有名だから、エリーゼが飽きて捨てられ、婚約者の座を失うのではないかとタバサは案じているようだ。

 エリーゼは肩をすくめた。

「愛想をつかされることはありませんわ」

「美しさと寵の深さにあぐらをかいていると痛い目を見るのではなくて?」

 エリーゼは吹き出しそうになった。ジーン皇子は見目だけは良くて美女を侍らせているから、エリーゼの見目にたいして感銘を受けてくれているわけではない。寵の深さなど、そもそもどこにもない。

「殿下はわたくしではなく、ご自身のことがお好きなのですわ。それなりに美しくて自分を立ててくれる者であれば、別にわたくしでなくてもよろしいのです。母君のご意向を汲んでわたくしにしておいているだけですわ」

 エリーゼは言った。タバサは唖然としている。

「もしもわたくしが殿下の愛情を泣いて求めて縋って、いじらしい様子を見せたら……たぶん殿下の自尊心が満たされて、少しは気持ちを向けていただける気がするのですが」

 もちろん程度を弁えて、あくまで乞い求める立場で、下手に出なければならない。高圧的に、どうして別の女と仲良くするの!? などと言うのは逆効果だ。そのあたりの機微や駆け引きについて、エリーゼは社交界の華として嫌というほど見知ってきている。

 そのエリーゼから見て、ジーン皇子は単純で浅はかだ。転がすのは簡単そうだが、自分のプライドや良識を捨ててそんなことをしたくはない。淑やかに美しく微笑みながら自分の思う通りに他人を動かすなんて……しないに越したことはない。

「…………」

 タバサは黙っている。とても皇子の婚約者とは思えないエリーゼの言葉に驚いているのかもしれない。どうやって叱ろうか考えあぐねているのかもしれない。

 何でもいいが、隙ありだ。これ以上のことを詮索される前に、エリーゼは自室へと急いだ。

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