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 老人はエリーゼをじろりと睨んだ。

「それで、今日は何の用だ? わしの研究を邪魔しに来よって」

「しいて言うなら、邪魔することが用ですわ。師父、今日の食事は召し上がりました? 差し入れをどうぞ」

 威圧にも動じずに流しながら、エリーゼは腕に下げていたバスケットを手渡す。老人――メルチオはしかめっ面のまま、それでも素直に受け取った。

 彼の表情が怒っているようなのはいつものことだ。内心では別に怒っていないし、こちらを邪険にするような態度を取りつつも本心から邪魔に思っているわけではない。長い付き合いのエリーゼはそのあたりのことをよく知っている。また彼は瞬時に深く集中できる性質で、それを妨げられたからといって研究の能率はさほど落ちたりしない。むしろ集中しすぎて食事を抜く方が問題だ。水分を取るのは半ば無意識に癖で行えるようなのだが、食べることについては放っておくと何日でも忘れてしまう。

「弟子として、師父を気遣うのは当然ですものね」

「弟子を取った覚えなどないのだがな」

 言いつつ、メルチオはバスケットを開けた。添えておいたナプキンを取り出して指を拭く。乾いた普通の紙ナプキンだが、彼が指を拭った部分が少し染みになってしんなりとした。彼が魔術を使い、指を拭くのと同時に指先から水を生み出したのだ。水属性の魔力を持つ彼には造作もないことだ。

「やっぱり便利ですね、水魔術。汎用性が高くて」

「人体と水は切っても切り離せないものだからな。人体などと混ざり者のわしが言うのもおこがましい話だが」

「いいえ、人体は人体ですし、混ざり者などという蔑称は人が勝手につけただけのもの。そんなことを言う人は辺境に放り出して性根を鍛え直してやりたいですわ」

「……相変わらず過激だな。その見た目で」

 憤然とするエリーゼに、メルチオは嘆息するようにした。華やかな美貌に、棘を隠した内面。社交会では前者を押し出すが、研究塔ではエリーゼも少し気を緩めて後者を滲ませることもある。

(だいたい、混ざり者って……言い方に悪意がありすぎるのよ。生まれた存在に罪はないのに)

 そもそも、魔物とそれ以外の動物とを見分ける明確な基準は無い。区別としては繁殖方法があり、魔物は捕食によって数を増やす。捕食した相手の特徴を備えた次代を生み出すのだ。

 見た目からは判別がつかないものもあり、しかし繁殖を見れば明らかに魔物と分かる、人間を含む通常の動物と似ているようでまったく似ていない存在であるがゆえに、いつの時代も魔物は人の強い忌避感を掻き立てる。

 つまり、「混ざり者」とは……魔物に食われて生まれた、魔物の要素が混ざった人間。そしてその子孫を指すのだ。

 メルチオは事あるごとに自分を「混ざり者」と卑下するが、自分からそうやってへりくだってみせる必要性があるくらい、人々の「混ざり者」への嫌悪感は強い。エリーゼ自身はまったくそんな意識がないのだが――「混ざり者」が何かを知る前にメルチオと知己になり、彼の心が普通の人間となんら変わりないものであることを知っている――、こうした考えは、とくに宮殿では異端だ。

 辺境でも事情はそれほど変わらないのだが、魔物の脅威にさらされる辺境では「混ざり者」の数も多くなる。近しい者が魔物に捕食され、その結果として生まれた「混ざり者」がその者の生まれ変わりのように感じて複雑な感情を抱くような場合も多々ある。

 それに加えて、「混ざり者」は魔力が強い。魔物が魔力の塊のようなものだから当然といえば当然だが、魔物から生まれた者でありながら魔物に対する強い対抗力を持つのだ。魔物との戦いが続く辺境にあって、その力は軽視しがたいものだ。竜に乗って華々しく戦う竜騎士たちだけでなく、混ざり者をはじめとする魔力持ちたちも辺境で日々戦っている。

 もちろん戦うばかりでなく、このメルチオのように研究に従事する者もいる。宮殿において「混ざり者」の居場所は、研究塔などごく一部の場所だけだ。宮殿を牛耳る支配層には入れないし、使用人としても人目につく仕事に従事することもできない。伝染するものではないが忌避されるため、料理人やお針子などとして食べたり身につけたりするものを扱うことも嫌がられる。

(……馬鹿馬鹿しい)

 思いつつ、エリーゼは珈琲を淹れた。帝国南部で栽培される豆を煎って粉砕して抽出する飲み物はメルチオの好物で、いつもここに備えてある。エリーゼもメルチオも火魔術を使えないが、あらかじめ描かれた魔法陣が熱源になってくれる。水も魔法陣から湧き出るのでメルチオの手を煩わせるまでもない。お湯を沸かして粉砕した豆に注ぎ、濾過して供する。そのままでも充分おいしいが、さらに香りを加えておく。エリーゼの木属性魔力はこうしたことにも応用できる。

 黙々とサンドイッチを頬張るメルチオの前に珈琲を出し、自分も飲む。作法など気にせず気を許した相手と飲む飲み物が一番おいしいと思う。もちろん昼間のお茶会でお喋りをした令嬢たちにも含むところはないが、上辺だけの付き合いしかしていないので気を許すも何もない。

 メルチオには気を許しているし、エリーゼの異能がどういったものであるかを調べる際にも力を貸してもらった――エリーゼがというより父が前面に立った――関係だが、能力自体については明かしていない。信頼できる相手だとは思うのだが、分かち合うのはまた別だろうと思ってしまう。

「……なんだ?」

「いえ。わたくしの作ったサンドイッチがお気に召したのなら嬉しいのですが」

 答えると、メルチオはむせて目を白黒させた。

「……!? お前さんが作ったのか!? 作らせたのでなく!?」

「作ったと言うほど多くのことをしたわけではありませんが。パンにバターを塗って、野菜の水分量を調整して、肉や卵やソースと合わせて挟んだだけです」

「……それにしたって貴族令嬢のすることではなかろうて。お前さんは何でもないことのようにさらりと言ったが、野菜の水分調整など繊細な魔力操作が必要だろう。サンドイッチなのにサラダみたいに食べ応えがあったのはそのせいか」

 実際は、それだけではない。水分だけでなく栄養分も調整している。切り口から壊れていってしまう栄養分を元に戻してそれ以上失われないようにしたり、肉や卵やソースに合うように香りと食感を含めたバランスを整えたりもしている。すべて木魔術の応用だ。魔術の練習と、ついでに気晴らし――手を動かして物を形にしていく作業に没頭すると気が晴れる――も兼ねている。

 そのあたりを薄々察したらしいメルチオが、食べ終えてナプキンで指を拭いながら、呆れと感嘆の混ざった溜息を零した。

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