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(タバサ視点)
「奥様、お手紙が届いております」
侍女に声をかけられ、タバサは疲れた顔を上げた。
「分かったわ。そこに置いておいてちょうだい」
誰からだろう。この、ままならない状況を一時でも忘れさせてくれるような良い便りであるといいのだが。
封筒を裏返して差出人を確かめ……タバサは血相を変えた。
エリーゼ。忌々しいあの子からの手紙だ。
(わざわざ手紙を寄越すなんて……何のつもり?)
正直に言って、読みたくない。だが、読まないのもそれはそれで気になるし、負けたような気がして癪だ。
顔をしかめて封を切り、文面を読んで……タバサは引きつった叫び声を上げた。
「奥様!?」
「お母様!?」
侍女と、近くにいたらしいリリアが駆け寄ってくる。セオドアも怯えたような顔で部屋の入り口からこちらをうかがっている。
忠実な侍女と、愛しい娘に息子。大切なはずの周りの人たちの顔を……タバサは恐怖と嫌悪に引きつった顔で見返した。
自分自身をも厭うように顔を歪ませ……タバサはそのまま意識を手放した。
(シグルド視点)
「……それは、何というか……」
「ちょっとした意趣返しよ。でも、わたくしは何も、嘘を伝えたわけではないわ。本当のことを伝えてあげただけよ」
エリーゼはすました顔で答えた。
あの後で、彼女が手紙を出したいというから手配したのだが、まさか家族へそんなことを書き送っていたとは。
「混ざり者への差別意識を持たないなら、別にどうということもない内容だもの。むしろ、いち早く重大な情報を得たことでその後の動き方も変わってくるでしょうし、親思いの娘の親切心として受け取っていただきたいわね?」
「…………ずいぶん親切な嫌がらせだな?」
「わたくしがされたことに対するお返しとしては、本当にずいぶん親切だと思うわ。これを嫌がらせと受け取るなら、そういう意識があるというだけのことよ」
シグルドは苦笑した。「そういう意識」は宮殿に蔓延している。染まっていない者などまずいないだろう。エリーゼが稀有な例外というだけだ。
(第四皇子もニックもそうだったしな……)
捕らえて牢に突っ込んでおいた二人は、交渉材料として宮殿に引き渡した。ずいぶんと衝撃を受けて憔悴した顔をしていたが、別に健康を損なってはいなかったはずだ。……体はともかく、心は分からないが。シグルドの聞くところ、その後は二人とも療養中という名目で表舞台に出ていないという。第四皇子はエリーゼの妹との婚約も破棄したそうで、彼が立ち直れる未来があるのか、それはシグルドのあずかり知らぬことだ。
エリーゼの妹リリアに対する同情心など欠片もない。その弟セオドアも、母のタバサについても同様だ。エリーゼを利用して苦しめ、さんざん混ざり者を馬鹿にしてきた者へ、当然の報いだと思う。いい気味だと思ってしまう。シグルドが手を下すまでもなく、エリーゼは自分の手でやり返して片を付けた。それが小気味いい。
第二皇妃については、本当に体調を崩して臥せっているそうだ。愛息子の見舞いさえ受け付けず、周りの者すべてを拒絶して弱っているらしい。彼女にはさんざんな目に遭わされたから、こちらも当然の報いだ。
「宮殿の人のことよりも、ベルフや師父のことよ。彼らにとってもこの真実は救いになってよかったわ。ベルフはさらに前向きになれているし、師父の屈託も解消する方向に向かっているし、言うことないわ」
そう言うエリーゼ自身は、本当に差別意識がないのだ。貴族階級に生まれたのに、よくぞこんなふうに育ったものだとつくづく感心する。彼女の生来の資質と、実の親から愛されたことによるものだろう。
彼女のことを知れば知るほど――惹かれていく。
実はシグルドは、彼女のことを前々から知っていた。メルチオを通して、風変わりな令嬢がいることを聞いていたのだ。
混ざり者であるメルチオに怯えるどころか懐き、研究塔に出入りして実用的な魔術を考案し、目を瞠るような成果さえ出しているのだと、メルチオは語っていた。仕方ないなと嘆息するような調子で、しかし可愛がっていることを隠しもせずに。
だから三頭の魔物の事件のとき、彼女の作戦を信頼したのだ。信頼する師のお墨付きで、自分自身で彼女と話したり接したりもして、信頼できると。それしか方法がない局面だったとはいえ、信頼は本物だった。破れかぶれで一か八かに賭けたわけではなかった。
彼女が仔竜の境遇に心を痛め、痛めるだけでなく改善すべく動いていたのも知っている。
知れば知るほど気になって……あの夜会のとき、婚約破棄された彼女を思わず庇ってしまった。……そんな必要などなさそうだったが、体が動いてしまったのだ。彼女は一人で何とでもしただろうが、彼女のために動かずにはいられなかったのだ。
しかもその後……誰が想像できるだろう。元婚約者に、決闘を申し込むなどと。その時は驚いて心配したが、杞憂だった。後から思い返して、思わず笑ってしまう。
彼女が望むかたちで辺境に連れて来られたことは、シグルドにとってこの上ない幸いだった。混ざり者の自分には手の届かない高根の花が、社交界の華が、赤薔薇の中の赤薔薇が、いっとき自分の傍で咲いてくれる。それ以上のことは望まなかった。
正直なところ、魔物討伐に同行したいと言われたときは困った。彼女の望みは叶えてあげたいし、彼女の強さは知っていたが、危険にさらしたくなかった。いずれ宮殿に帰ってしまうだろうが、それが早まるのも避けたかった。基地ではなく城で、安全に過ごしていてほしかった。
しかし彼女はそれを望まなかった。可憐な外見に反する破天荒さで魔物を倒し、ベルフと仲良くなり、シグルドの心も……いつしか素直にさせていた。
彼女を宮殿に返したくない。いつまでも傍にいてほしい。困難に、ともに立ち向かってほしい。そう望んでしまっていた。
だが、そう願ってしまうたびに、自分に言い聞かせてきた。お前は混ざり者なのだから。望んで拒絶されて傷ついてもいいのかと。
彼女には言えない。シグルドが初代皇帝の血筋についての仮説を確かめたかった理由の一つに、もしかしたら彼女が自分と同じ混ざり者なのではないか、自分と同じところへ来てくれるのではないか、そうした邪な期待があったことを。
いざ確かめてみると、今度は逆の懸念が出てきてしまった。彼女は混ざり者に偏見がないように見えるが、いざ自分が混ざり者であると知らされたとき……どんな反応をするのか。嫌がられたら平気でいられる自信などないし、傷つかれたら平静でいられる理由などない。彼女に知らせていいのか、躊躇って悩んだ。
人は、かわいそうな境遇の者に同情することはわりあい簡単にできる。上から憐れめばいいだけだからだ。
だが、いざ自分もその境遇になったときに……そんなことを欠片も気に留めずに笑っていられるなんて、誰が想像できただろう。偏見も何も、彼女にはなかったのだ。シグルドの心配はすべて杞憂だった。
そんな彼女を見たとき、シグルドは完敗を悟った。もう、いさぎよく気持ちを認めるしかないと。
「エリーゼ嬢」
表情を改め、シグルドは彼女の視線をとらえた。
「あなたが宮殿に戻らない選択をしたことがすごく嬉しかった。これからもここに……私の傍にいてほしい。ただ一人の相手として……ずっと」
シグルドの求愛に、エリーゼは赤い瞳を瞬かせ……頬を赤らめて、はにかんで頷いた。
その時シグルドは心底から実感した。……彼女が「赤薔薇の中の赤薔薇」と呼ばれる理由を。




