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竜たちは迷いなく飛んでいく。
問題の魔物はどこなのか、聞かなくても分かる。轟くような吠え声が響いてくる。
「竜の魔物が出ることは多くないが、ひとたび出てしまったら迅速に討伐しなければならない。放置すると甚大な被害をもたらしかねないからだ。少人数で挑むのは無謀だが、状況を判断するためにも今はとにかく急ぎたいのだが……」
シグルドの視線を感じ、エリーゼは顔を上に向けた。
「無謀ではないかもしれませんよ? シグルド様は強い魔力をお持ちですし、師父もいらっしゃいます」
「……そうだな」
(かわいそうだけど、魔物になってしまったら討伐するしかない。全力で挑むわ)
エリーゼは前を向いた。
時を置かず、冬空を穿って炎が飛んできた。
「!?」
アーグルは危なげなく避けた。攻撃元からはまだ距離があるとはいえ、二人を乗せているのに安定性がある。経験を積んだ強さだ。しかしシグルドは声に深刻さを滲ませた。
「……まずいな、かなり攻撃的になっている。雪が降っているのは幸いかもしれないな」
竜がふるう直接的な力だけでなく、間接的な被害も脅威だ。竜の吹く炎で山火事が起こり、山ひとつが丸ごと焼けたなどという例さえある。
冬は空気が乾燥しがちな季節だから、火事が恐ろしい。雪だからと山火事が起きないわけではないが、少しでも抑制力になっていたらありがたい。
視界の悪い灰色の空に、黒い大きな影が舞った。
「いたわ、大きい!」
魔物と化した竜は普通の竜よりも二回りは大きくて獰猛そうだった。太い尾を振っただけで空気がたわむような感覚がする。
「これがダルグね!? アーグル、人間の気配はある!?」
エリーゼの問いに、アーグルは否と答えた。
「人間、いない。気配がない」
「……分かったわ、ありがとう」
すでに手遅れなのか、それとも逃げおおせたのか。ともかくも近くにニックはいないらしい。いたら救助を最優先に考えるべきだが、それなら魔物の対処だけを考えればいい。……だけとは言っても、おおごとすぎるのだが。
「竜を……竜の魔物を相手にする場合、知っておかなければならないことがある」
エリーゼに説明してくれようとするシグルドはつらそうだ。魔物化したとはいえ竜を倒しにかからないといけないのは堪える。エリーゼもだ。
「首を落としたり心の臓を貫いたりすれば絶命するのは他の魔物と変わらないが、鱗が強靭で、体も強い魔力を帯びていて、なかなか刃が通らない。また、顎の下に鱗が逆さに生えた場所があり、そこが弱点なのは普通の竜と変わらないが、狙うのが難しすぎる」
その他の体の構造はたとえば蜥蜴などと変わらないのだが、とシグルドは付け加える。
「蜥蜴なら低温に弱かったり……しませんよね……」
雪空の下で暴れ狂う竜を見ながら、言葉が尻すぼみになる。
「体に強い魔力を帯びているからな。普通の竜もそうだが」
たしかにアーグルは寒い中で元気だ。テア・ルルも時折寒そうにしながらも元気にしている。成長して魔力が安定すれば寒さも平気になるということだろう。竜の中庭が温室だったのは仔竜を寒さから守るためというのもありそうだ。もちろん閉じ込めるという意味合いが一番大きいのだが。
人間も魔力を通せば体が強化される。竜はさらにその度合いが強そうだ。乗り手が風の影響を受けにくいのも、竜の魔力で一緒に守られているからだ。
「その魔力を枯らすのは難しそうだし……」
「その前に辺りが焼け野原になるだろうな」
こちらは少人数で、まだ攻撃も加えていないというのに、ダルグは爛々とした目をこちらに向けている。気まぐれに炎を吹きながら、戯れのようにこちらにも攻撃を向けてくる。
この現状ですら危ないのに、本気になったらどうなるのか。想像するだに恐ろしい。
メルチオもテア・ルルを駆り、近づきすぎず遠ざかりすぎずの距離を飛んでいる。
隙が無くて、攻撃の糸口がつかめない。
「あれを持っていれば……いや、詮無いことだな」
シグルドが首を振り、エリーゼに言った。
「いざとなったらあなたのことは逃がしたいが……」
「できません、そんなこと!」
「言うと思った」
ちらりとシグルドは笑ったようだった。
「それなら、勝たなければな!」
こちらが意思を固めたのが分かったのだろうか。遊び半分に火を吹いたり尾を振り回したりしていたダルグがこちらへ向かってきた。
(――速い!)
体の大きさを感じさせない素早い動きで、加速しながらこちらへ突っ込んでくる。
風圧だけで吹き飛ばされそうな勢いだ。事実、アーグルもテア・ルルもその風をうまく翼に受けてそれぞれ別の方向へ躱した。
躱したが、肌にびりびりとくる。重量のある塊が魔力を纏って高速で抜けていったのだから当然だ。ただ飛ぶだけの竜体が凶器になっている。
ついでのように振られた尾が木に直撃した。悲鳴のような音を立てて幹が裂け、大木が倒れる。もちろんダルグは気に留めたそぶりもない。
(あれが人間だったらひとたまりもない……)
エリーゼの背筋が寒くなった。
ダルグはくるりと身軽に空中で姿勢を変え、メルチオに狙いを定めて炎を吹いた。戦力が少ない方から片付けようとしたのか、直線的に炎がメルチオとテア・ルルに襲い掛かる。
「舐めるな!」
メルチオが辺りの雪を巻き上げ、真っ向から打ち合った。彼の水魔術だ。白髪が揺れ、首筋の青い鱗がきらめく。
人間から強力な魔術が返ってきたことが楽しかったのだろうか、ダルグは嬉々として炎を強めた。メルチオの顔が苦悶に歪む。
(――どうしよう! どう援護したらいい!?)
エリーゼが手を出しかねている中、シグルドが魔術を放った。何をしたとも見えないが、炎の勢いが急激に弱まる。
「シグルド様!」
「竜は可燃性の吐息に魔力で点火させて炎とするが、燃え続けるためには空気に含まれる要素が必要だ。それをあの炎の周りから除いた」
シグルドは冷静に答えた。
「すごい……」
何ということもないように彼は言うが、相当繊細な操作が必要だろう。しかも、あの規模でそれを行ったのだ。空気をどかすだけなら――それでもすごいが――すぐ新しい空気が吹き込んで入れ替わってしまうだけだからだ。
急に勢いをなくした自分の炎に、ダルグは苛立ったように躍起になって勢いを取り戻そうとした、力んで火を吹くが、弱々しいそれはメルチオに届かない。
そのあたりでダルグはようやく、シグルドが何かをしているらしいことを察したようだった。首がぐるりとこちらを向き、炎の弱々しさを補うように大音声の吠え声を放った。
「っく!」
シグルドが風を操って音の勢いを弱めてくれたが、それでも耳を貫いて頭を殴るような音量だった。差すように頭が痛む。
その隙にダルグが炎の勢いを取り戻し、体ごと突っ込み、角で突き、尾を振り回してこちらを執拗に狙った。
魔物と化した竜に対して、人間を二人も乗せたアーグルは分が悪すぎる。かろうじて保っているが、攻勢に出る余裕などない。
しかも限界が近く、避けようとしたのが間に合わず、炎をまともに受けそうになった、そこへエリーゼが木をたわませて強引にアーグルの体を炎の範囲から押し出した。
「助かった! 助かった!」
「こんな方法しか取れなくてごめんなさい!」
大枝をはじくような形でアーグルを打ったのだ、魔力を帯びた体だから血を流してこそいないものの、かなり痛かっただろう。
謝罪を込めてアーグルの首に触れると、アーグルが分かっていると言わんばかりに優しく身を震わせた。
アーグルは疲労困憊だ。テア・ルルも動きが鈍い。
エリーゼは焦りを募らせた。緊張を強いられる中、作戦など何も思い浮かばない。
アーグルが体制を立て直して再び舞い上がろうとしたところに、ダルグが炎を吹き出した。同時に自身も姿勢を低くして回り込み、こちらの逃げ場をなくしにかかる。
(――逃げきれない!)




