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「え、師父が!? この基地にいらっしゃるのですか!?」

 エリーゼは思わず声を弾ませた。シグルドが頷く。

「基地ではなく城に滞在していただくことになるが、メルチオ師をお招きする予定だ」

「それは楽しみだわ!」

 少なくとも当分の間、会う機会などないだろうと思っていた。落ち着いたら手紙を書きたいとは思っていたし、宮殿にも仔竜たちを残してきているので、いずれどうにかして外側から状況を打開する手立てを探るつもりだったのだが、気がかりのひとつが向こうからやってきてくれるという。喜ばずにはいられない。

「話したように、私は魔物などについて研究をしているから、前々から師とは連絡を取り合っていた。秋の凱旋式の時くらいしか直接お話をする機会が持てなかったのだが、今回、こちらにお招きしてまとまった時間を割いていただけるようになった。師も辺境で魔物について調べたいと仰っている」

 なるほど、互いの都合が一致したのだ。シグルドは知見を得られるし、メルチオは拠点を得られる。

「特に冬の時期は魔物討伐の頻度が減る。人間の方がついていけないからな。あまり無理をさせて兵数を減らすのは宮殿にとっても都合が悪いから、夏期と同じようにしろとはさすがに言われない」

 エリーゼは口を曲げた。飛び出してきた宮殿が、辺境にまで影を落としていると聞くのは気分が悪い。

(皇子妃になれば……権力を、影響力を持てたのかしら? 今からでも何か、考えてみるべきなのかしら……)

 考えに沈んだエリーゼは、視線を感じて顔を上げた。シグルドがこちらをじっと見つめている。視線が合ってどきりとした。

「……何か?」

「いや……何か、不穏なことを考えていそうだったから」

「……そんなことないわ」

 誤魔化すが、本当にそんなことがなくなってしまっていた。彼の顔を見たとたん、皇子妃になればなどという考えがきれいさっぱり消えてしまったのだ。

 この人の傍にいられる日常が――幸福だと思う。

(そうよ、皇子妃になど無理にならなくても、他にやりようはあるはずよ)

 この日エリーゼの自覚が、少し進んだ。


 それからほどなくして、メルチオが城へやってきた。珈琲を淹れ、寒い中やってきたメルチオを歓迎する。

「そうそう、この味だ」

 メルチオは嬉しそうに飲み、つくづくとエリーゼを眺めた。

「お前さん、なんだか顔色がよくなったようだな」

「そうかしら」

 宮殿では白すぎるほど白い肌がよしとされたから化粧もそれに準じたものになっていたが、ここでは必要最低限、肌を整えるためのものしか施していない。だからかもしれない。

 もちろんそれだけでなく、健康的に食べて寝て起きて動いてという生活ができているからというのもある。訓練で体を動かしているし、自然に触れ合える日常もありがたい。

「冬の間、わしはここに滞在して自分の研究をしつつ、助言もする。そういうことになっている。宮殿の許可が下りてな、来ることができた」

 なるほど、とエリーゼは頷いた。シグルドが皇族に準じる立場を使って宮殿から許可を受けたのだろう。

 ここは帝国の西の辺境だ。北ほどではないが雪が降り、雪に閉ざされて訓練も屋内で行うことを強いられたりする。シグルドの場合はアーグルも伴った訓練をしたいだろうが、冬の間はそれも難しい。外に出ていきにくい季節に研究を進めるのは合理的だ。……魔物討伐について、宮殿からの圧力も少ない季節だということだし。

 そのようにメルチオを迎え、それからエリーゼもたびたびメルチオに時間を取らせてもらったりもした。一人では進めにくい実験に協力してもらったり、彼の意見を仰いだりするためだ。

 あまり外に出られないからか、ふさぎ込みがちなベルフを誘って屋内で訓練したり、相変わらず厨房に出入りしたり、冬を忙しく過ごす。

 そんなある日、シグルドに声をかけられた。

「あの子のことを気にかけてくれて、礼を言う」

「あの子……ベルフのことかしら」

「ああ。凱旋式から戻って以降、なんだか元気がないのだ。体調が悪いようではないのだが……宮殿で嫌なことがあったのかもしれない。あなたと過ごしている間は気が晴れているようだから、ありがたいと思っている」

「わたくしに何かできていればいいのですが……」

 ベルフはまだ幼いが、混ざり者として重い事情を抱えている。シグルドは折り合いをつけたそれが、多感な時期の少年には堪えていることだろう。シグルドの言うように宮殿で何かがあったのだとしたらなおさらだ。

「私の従者として、メルチオ師とのやり取りのために一足早く宮殿に向かわせたのだが……それを今では悔やんでいる。私の目の届かないところで、あの子が傷つけられたのではないかと思うと」

 つらそうにシグルドは言う。従者ではあるが、血がつながっていないのだろうが、弟のようなものなのだろう。ベルフの側もシグルドを慕っているようなので微笑ましい関係だ。

 まさか、とエリーゼは思い至った。

「あの子が森で怪我をしていたのも……単なる事故ではなかったりするのかしら……」

「……本人は、自分の不注意だったの一点張りなのだが……」

 気になるが、そう言われてしまっては追及しにくい。悪いことをしたわけではないのだからなおやりにくい。

「分からないということね。……気にかけておくわ」

 エリーゼに頷き、シグルドは話題を変えた。

「ところで、研究のことなのだが。あなたがよろしければ、メルチオ師のところで話したい」

 ええ、とエリーゼは頷いた。彼が進めている魔物や竜や混ざり者についての研究……その中でも特に、竜の言葉が分かるというシグルドとエリーゼ共通の特徴についての見解。それが深まったのだろう。ずっと気になっていたから、聞かせてもらえるのならありがたい。

 シグルドについてメルチオの滞在部屋へ向かい、迎え入れられるとエリーゼは真っ先に珈琲を淹れた。いい香りが湯気とともに部屋に漂い、窓の外の雪と色合いが溶け合う。冬は珈琲がいっとう美味しい季節だとエリーゼは思っている。寒い外から戻って、かじかんだ手を温めながら飲むのなんて最高だ。メルチオもシグルドも飲みながら表情を緩めている。

 喉を湿し、体が少し温まったところでシグルドが切り出した。

「混ざり者と竜と魔物についてだが。このテーマは師も関心を寄せておられて、恐縮ながら、情報をやり取りさせてもらいつつ進めさせていただいている」

「そんなに謙遜するな。わしの側も助かっておる。一人では限界があるからな、お前さんという貴重なサンプルが増えるのはありがたい」

(サンプル……)

 エリーゼは言葉を差し挟むのを控えた。

 この二人は混ざり者だ。しかもそのことを自分自身で真正面から見つめて、解き明かそうとする強さと知性と……切実さを抱えている。

 特にシグルドは元になった人間が明らかで、特徴的で、サンプルにするには都合がいいだろう。……自分たちをそのように扱えるのはすごいと思う。

「それで、今回研究が進んだきっかけというか理由が……あなただ、エリーゼ」

「わたくし?」

 エリーゼはきょとんとした。混ざり者ではない側のサンプルということなのだろうか。

「そうだ。……あのことを、メルチオ師にお聞かせしてもいいだろうか」

 あのこと、が何を指すのかはすぐに分かった。エリーゼの、シグルドとも共有する秘密――竜の言葉が分かること――だ。

「構いません」

 エリーゼは即答した。

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