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「違います。皆、気を遣っているのですよ。宮殿のご令嬢に。……最初はそうではなかったかもしれませんが」

「……どういうこと?」

 眉をひそめたエリーゼにベルフは問い返した。

「そろそろ辺境にいらして二月ほど経ちますが、どうですか?」

「どうって……そろそろ冬の始まりだけど、まだそこまで冷え込まないわね」

「……そういうことではなく」

 こほん、と咳払いしてベルフは続けた。

「辺境の生活はどうですか、ということです」

「ああ、そういうことね。気に入っているわ。それに、思ったより平穏なのね。もっと日常的に魔物とやりあっているのかと思ったわ」

「そういうわけでもありませんし……それに、冬ですから」

「? 確かに、冬に活動が鈍る生物の魔物もいるけど、そうでない魔物も多いはずよ?」

 少し前にやりあった熊の魔物は、熊の生態を反映して秋に狂暴化していた。熊は冬に冬眠するが魔物になってしまえばそうとも限らないし、もちろん熊以外の魔物は普通に活動している。

「活動が鈍るのは人間です。冬はあまり魔物の領域に攻め込めない。だから平穏なのです」

「…………!?」

「攻め込んでも前線を維持できない季節だから。雪に阻まれて戦闘も拠点の建設もしにくいから。だからです」

「そんな、それって……まるで接敵の機会を、人間側から求めているように聞こえるのだけど……!?」

「そうです。人間が住む領域に迷い込んだ魔物を討つだけなら、本来そこまで危険ではありません。魔物は本能的に魔力の濃い場所を好みますし、人間が増えて自然が減っている場所では魔力も薄いのですから、魔物側にしてみれば攻め込む理由がありません。理由があるのは人間の側……宮殿の都合です。僕たちは帝国の領土を広げるために、国境を拡大するために、危険を負わされて魔物の領域に攻め込まされているのです」

「そんな……!」

 エリーゼは思わず口を手で覆った。攻め込まなければ、迷い込んだ個体を駆除するくらいであれば、犠牲者も……混ざり者も、ずっと少なかったはずなのだ。辺境が危険なイメージを持たれているのも、人間が領分を超えたものを求めて……求めさせられていたからなのだ。

「宮殿が……皇家が領土を拡大したがるから。有力な皇族と繋がりのある一部の竜騎士が手柄を求めるから。魔物退治は危険なものになって、その危険が喧伝されているのです」

「一部の騎士って、一時期ここに来ていたニックのような人のこと!? 立場の弱い竜騎士や兵たちに危険なことをさせて、あたかも竜騎士全体が危険を負っているように見せかけて……そのじつ、自分たちだけは安全なところで評判だけいただいていこうと、そういうことなの!?」

「そうです。彼の背後には、第二皇妃がいます」

「第二皇妃、って……」

 覚えがありすぎる存在だ。エリーゼの婚約者だった第四皇子ジーン、彼の母親だ。

(まさか……こんなところでその名前を聞くとは思わなかったけれど……)

 エリーゼは思わずこめかみを押さえた。

「いちおう聞くのだけど……シグルド様は、そういった繋がりをお持ちではないのよね?」

「ありませんよ。あの方ご自身が皇族に準じる存在ではありますし。……微妙なお立場ではありますが」

 皇族であって皇族でなく、人であって人と言い切れない。辺境伯という地位、竜騎士という立場を宛がわれて辺境に居させられているのも、宮殿では彼を扱いかねるということなのだろう。事実、ジーン皇子は彼の素性を不用意に明かしたが、あまり歓迎されない雰囲気だった。当然だ。皇族の粗探しをしたい人は多いのだから、こんなつつけば何が出るか分からない存在など表沙汰にしたくないに決まっている。

 彼が望めば宮殿を引っ掻き回す存在になれそうだが、彼の気質から考えるにそれを望まないだろう。それに、彼の部下の兵たちの存在もある。シグルドが宮殿や宮殿と繋がりの深いニックの横暴を黙って受け入れているのは、逆らったら部下がひどい目に遭うからなのだろう。……この基地の人たちは、そういう事情を抱えていたのだ。

(……それは誰も、わたくしに説明してくれないわよね……)

 ベルフの言うように、気を遣われている。宮殿のご令嬢に、しかし皇族ではない者に、どうしようもないことを訴えても気に病ませるだけだという判断だろう。

 しかし最初の方、エリーゼが彼らから敵視されていた頃、そうした気遣いはなかったはずだ。でも説明されるわけもなくて……エリーゼは「あちら側」の人間だと思われていたのだ。

(そんな繋がりなどないわよ! と言いたいけれど……もしもわたくしが第四皇子と結婚していたら……そうなってしまったのかしら。婚約者だったというだけでもだいぶ怪しいものね……)

 憎しみさえ向けられていたことにようやく合点がいく。直接的にではなくても、辺境の人々を危険に追いやる側の存在だとみなされていたのだ。

「……そうだったのね」

 ベルフが教えてくれてよかった。……もしかするとこれも、親切心だけではなくて……エリーゼが傷つけばいいと心のどこかで思われているのかもしれないけれど。

 だとしても、そうでなくても、そんなことはどうでもいい。

「ベルフ」

 呼びかけて、彼と目を合わせる。

「わたくしはあなたたちの側に立つわ。宮殿が危険を強いるなら、わたくしもわたくしなりに動いてみる」

「……宮殿に戻れるのですか?」

「さあ? それに宮殿側へのはたらきかけだけではないわ。爆発で魔物を倒したように、現場でも何かできることがあるかもしれないし。あなたたちを無駄死にはさせない」

「……勇ましいことですが、危険です。今際のときに後悔しないでくださいね」

 エリーゼは肩をすくめた。

「後悔は、すると思うわ」

「は?」

「どうしてこんなところでこんなふうに死ぬことになるんだって、思うに違いないもの。でも、それはその時のわたくし。今のわたくしはその危険を呑み込んででも、ここで何かを成し遂げたいと思っているわ。その気持ちも本当」

「………………」

 ベルフは黙っている。エリーゼはサンドイッチの残りをつまんだ。よく噛んで、飲み込む。

 辺境に来たのは勢いでのことだったが、来たいとはずっと思っていた。危険も承知の上、覚悟の上だった。そのうえで選んだのだ。

「だからわたくしも、しっかり食べて、しっかり眠るわ。そして、できるだけのことをするの」

「…………。……エリーゼ様って、けっこう脳筋ですよね……」

「素のわたくしなんてそんなものよ」

「……ふっ」

 思わずといったように笑い、ベルフは表情を少しだけ緩めた。

「そうですね。状況に抗うためにも、僕も食べて動いて眠って、しっかり生きなければ」

「そうよ。生きていれば希望はあるし、死んでも安らぎがあるわ」

「……その慰めもどうかと思いますが、まあいいです」

 ベルフの抱える問題について、部外者のエリーゼがどうこう言えることではない。彼自身が向き合わなければならない問題だ。

 向き合わないという選択肢を取るかもしれない。自然に折り合いがつくのかもしれない。そのあたりはもう、エリーゼの手の届かない領域だ。

 彼のことは彼のこと。そしてエリーゼも、自分のできることをするのだ。

 訓練での疲労に加えて、エリーゼにいろいろと話したことで感情の動きも激しかったからだろう、ベルフがあくびを漏らした。

「そろそろ戻りましょう」

 今夜の彼の眠りが今までよりもわずかなりとも安らかになりますように。そう願いながら、エリーゼはベルフとともにテア・ルルに乗り、基地へ戻った。

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