23
巨大な魔物を二体も前にして、思わず体が強張る。だが、シグルドが腕に力を込めて、大丈夫だというように安心させてくれた。
(そうよ、わたくしは一人ではないもの。一緒に戦って、一緒に守るのよ)
「みんなを後退させて、アーグルも下げてください。魔物を刺激しないようにそちらを向いたまま、後ずさるように」
立ち向かうしかないはずなのに引けと言ったエリーゼの言葉を、しかしシグルドは疑わず、その通り全員に通達した。どうしてこんなに信頼してくれるのか分からないが、ありがたい。
走る様子はないが、魔物は確実にこちらへ向かってくる。エリーゼは木魔術を使って木の根を動かし、魔物の足元を掬おうとした。もちろん転ばせるには至らなかったが、注意が少しだけそちらへ向かう。その隙に一同はゆっくりと、しかし確実に後退していく。
「シグルド様、風魔術で空気の層を作ってください。わたくしたちのいるこちら側と、魔物たちのいる向こう側を分けていただきたいの」
「空気の流れを作るのでいいんだな? もちろん魔物の侵入を防ぐ効果などないが」
言いながら、早速シグルドは風を操作した。目に見えない空気の層ができ、あちらとこちらが分断される。層とはいっても空気でしかないので腕を突っ込めば通るし石を投げても遮られないが、微細な粒子であれば阻んでくれる。
エリーゼは木魔術を使い、向こう側の空中に細かい木片を大量に舞わせた。木質の種を細かくしたものや、綿毛などもありったけ、そのあたりからかき集める。
層の向こうが薄く茶色になり、霞がかかったようになった。魔物の視界が多少悪くなったが、攻撃されたと判断するようなことではない。たいした刺激にもならず、魔物はとくに急ぐでもなくこちらへ向かってこようとしている。
「みんな、衝撃に備えて! 火矢を放って!」
エリーゼは振り向いて叫んだ。先ほどの兵に視線を向けると、舌打ちしそうな表情のまま、それでも言われた通りに矢を放ってくれた。
火矢は火の粉を振りまいて飛び――魔物を呑み込んで大爆発が起こった。
「……なんだ……!? 今のは……!?」
火矢を射かけた兵が呆然と呟いた。
「やった、成功だわ!」
アーグルの翼にシグルドともども庇われていたエリーゼは、思わずこぶしを握りしめた。もうもうと煙が立つ中、向こう側に立っている影はない。魔物は二体とも地に伏している。
強い火魔術であっても、個人でこの規模の爆発は起こせない。魔術を超えた威力のこの現象には、魔術ではない理屈がある。もちろん再現性もある。空気中に細かい粒子を撒いて引火させると大爆発を引き起こすのだ。魔術は単に魔力を用いてさまざまな現象を引き起こすのみならず、こうした自然界に存在する現象を起こすためにも使われる。
(こういう実用的な研究は、貴族には受けが悪いのだけど……)
魔術でなくてもできることなら魔力を使う必要は無い、むしろそんなことは魔力を使えない下々の者がすることだ、魔力でしかできないことこそが至上だ、そんな風潮が宮殿にはある。
だが有用性までは否定できないため、研究塔のような場所もあるのだが。
(師父と一緒に森で実験したときはあわやの大惨事だったものね……師父の水魔術がなかったらどれだけ延焼していたことか……)
思い出してエリーゼは遠い目になった。熱を防ぎきれなくて赤い髪がさらに赤く縮れたようになってしまったりもしたのだ。一房だけとはいえ、誤魔化すのが大変だった。
目の前で起きた現象に呆然としていたシグルドだったが、皮が黒く焼け焦げながらも魔物がぴくりと動いたのを見て取り、今度こそ風の刃でとどめを刺した。脆くなった毛皮を貫通して刃が首に突き刺さり、魔物が確実に絶命する。唖然としていた兵たちから歓声と安堵の声が上がった。
二体目も、もとから弱っていた三体目もそのように処理し、シグルドはエリーゼに何とも言い難い表情を向けた。
「エリーゼ嬢……こんなことまでご存知だったのか……」
「ええまあ、皇子妃教育の課程にはありませんでしたが」
「あってたまるか……」
力なく言い返し、シグルドは表情を改めて頭を下げた。
「助かった。部下たちを救ってくれて、礼を言う」
「いえそんな、シグルド様の魔術あってこその……」
首を振ったエリーゼが言い終わらないうちに、周りを兵たちがわっと囲んだ。
「やるな、お前! ありがとうな、助かった!」
「宮殿のお嬢様だと見くびっていて悪かった、すまん!」
「え、え!?」
エリーゼは狼狽えた。こんなふうに囲まれるのは初めてだ。ダンスをどうかとか、一緒に夜会を抜け出さないかとか、そんなふうに言い寄られたことは数知れないが、こんな……仲間みたいに。思わず表情がほころぶ。
そこへ、なんだかむっとしたような表情でシグルドが割って入った。
「えっと、シグルド様……?」
「お、嫉妬か?」
「「!?」」
揃って目を見開き、そこをまた笑われてしまう。そんなふうに和やかに勝利を祝っていたところへ、水を差す者がいた。
「よくやった、大戦果だ」
ニックが手を叩いて賞賛しているが、どうもこの人は信用できない。何を言い出すのかとエリーゼは身構えた。
果たしてニックは続けた。
「これならもっと前線を押し進められるな。国境拡大のために励んでくれたまえ」
(何を言っているの……!?)
空々しく言うニックを、兵たちは苦々しい表情で、憎しみを隠しさえせずに睨みつけている。
自由に物が言えない力関係のようなのでエリーゼが代わりに前に出た。
「部外者が何を……」
「いい、エリーゼ嬢。大丈夫だ」
シグルドが遮り、さらに前に出た。
「宮殿の意向は承知している。逆らうつもりもない。ただ、今は兵たちも傷つき疲れている。このままでは前線の維持もできないからここは休ませてやってほしい」
「まあ、いいだろう」
鷹揚さを装うようにニックは頷いた。
シグルドがこの場を収めたが、いったいどういうことなのだろう。
もやもやしたまま、戦果の割には不完全燃焼のまま、エリーゼの初陣は終わった。




