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 辺りに緊張が走った。かなり近い、それも複数の声を聞いてニックもさすがに続きの言葉を呑み込んだ。

「撤退は止めだ! 陣形を立て直せ、この場で迎え撃つ!」

 シグルドが声を張った。魔物が来る方向を睨みつけ、振り向かずにエリーゼに言う。

「エリーゼ嬢はそのまま後ろにいてくれ! 従者は護衛としてそのまま付けてくれていていいから!」

「それは駄目です! わたくしはここにいますから、侍従の方たちもシグルド様の指揮下に入ってください!」

 断固として言い返す。この状況で戦力を遊ばせておける余裕などないのは素人にだって分かる。

 シグルドはエリーゼの言葉を容れて頷いた。侍従たちが離れていく。言い争う時間が惜しいというのもあるだろうが、そう思わせたエリーゼの目論見通りだ。こんな状況で自分がお荷物になどなってはいられない。

 巨大な熊の魔物が新たに二体、ゆっくりと姿を現した。普通の熊でさえ厄介な敵なのに、魔物と化して強大な魔力を放っているものが合計で三体、厄介きわまりない。うち一体は息絶え絶えといった様子だが、残りの二体に手間取っているうちに回復されたら非常にまずい。このあたりは人間が住んでいる範囲ぎりぎりといったところだから自然が少ないぶん魔力が薄く、魔物の回復力は弱まっているが、放っておくと自己再生して回復してしまう。

 この場にいる兵士は十数人ほど、みなそれぞれに疲労の色が見える。救いはシグルドの竜アーグルが意気軒高であることくらいか。

 竜は魔物と同じく、魔力の濃いところで元気になる。魔力の多い魔物の肉を問題なく食べられるくらい豊富な魔力を体に備えている。魔物に対する攻撃性の高さを見ても魔物の一種と見まがうほどで、その攻撃性を人間に向けないのは人間にとって都合がいいのだが……

(……ううん、そんなことを考えては駄目。竜に失礼だもの。それに、そんな余計なことを考えている場合でもないし)

 エリーゼは首を振って思考を切り替えた。

 ともかくも、いくら竜が魔物に対して獰猛だといっても、三体の魔物を相手にするのは荷が重すぎる。アーグルの背に乗ったシグルドは風の刃を放って二体の足止めをしようとしているが、ほとんど威嚇にもなっていない。悠々と、狙いを定めて、こちらへ向かってきている。

 こちらでも兵たちが持ち場についてそれぞれの武器を構え、衝突に備えているが、そういえばベルフの姿がない。シグルドの従者なのだから近くにいるかと思ったし、いざとなれば彼の強い魔力を当てにしようと思っていたのでエリーゼは辺りを素早く見回した。

 少し後方に、ベルフはすぐに見つかった。どうやら魔物の爪で負傷したらしい兵の手当てに追われている。自身の水魔術で患部を洗い流し、圧迫して止血しようとしている。

 その手際の良さと水魔術の扱いの正確さに、エリーゼが森で彼を見つけたときは弱り切った状態だったのだと今更ながらに思った。少しくらいの怪我なら自分で手当てしてなんとかしてしまえそうなのに、それもできないくらいだったのだから。

 ともかくも、彼の援護は当てにできない。負傷者は他にもいる。彼らを抱えて逃げるのも難しいだろうし、ここで迎え撃つしかないのだ。

 覚悟を固めたエリーゼに、しかしシグルドはちらりとこちらを振り返って言った。

「あなたは逃げなさい。そのくらいの時間は稼げるはずだから」

 シグルドの後方で構える兵たちも覚悟を固めた様子だ。負傷者を含む少人数で三体を相手取るのは勝算が低いのだろう。兵の一人がエリーゼを振り返って吐き捨てるように言った。

「その目によく焼き付けておけ、宮殿のご令嬢。俺たちを殺すのはお前だ」

「…………」

 憎しみのこもった視線を、エリーゼは言い返さずに受け止めた。命がけで戦っている兵たちに対して、安全な宮殿でぬくぬくと暮らしている魔力持ちの貴族の一員であることを考えれば、そう詰られても無理はない。

「ベルフ、お前も行け。俺たちはもう大丈夫だから」

 治療を受けていた兵がベルフを労った。と見せかけて、それは年端もいかない少年を死地へと送り出す言葉だ。混ざり者として高い魔力を振るってこい、危険を引き受けてこい、命を賭けて、と。

(兵として、その判断が間違っているとは言えないけれど……人間として間違っているでしょう!? なにもかもが気に入らない、むしゃくしゃするわ!)

 エリーゼは進み出た。こちらへ憎しみの視線を向けた兵に言う。

「先ほど、魔物に対して火矢を放っていたのはあなたね? もう一回、射てほしいの。わたくしが合図したら放って」

「はあ!? ぴんぴんした魔物に真正面から放って当たるものか!」

「魔物に当てることが目的ではなく、そちらへ飛ばしてくれるだけでいいから」

「何だってんだ、いったい……」

「彼女の言う通りにしろ」

 シグルドが助け舟を出した。相変わらずこちらへは顔を向けず、近づいてきている二体の魔物の方から目を逸らさないが、こちらのやりとりは把握しているらしい。それにしてもどうしてエリーゼの味方をしてくれたのか分からないが、ありがたい。

「シグルド様。わたくしを信じて、わたくしの言う通りにしてくださる?」

 エリーゼは声を張った。どうせこのままではここは壊滅する。竜を駆れるシグルドは生き残れるかもしれないが、怪我をした人などを筆頭に、どれだけ犠牲が出るか分からない。ベルフを先に行かせたとて、やられる順番が多少変わるだけのことだ。そんなことにはさせない。

 シグルドは振り返り、エリーゼの目を見返した。少し距離があるが確かに視線が絡まった。シグルドは頷いた。

 魔術を使う彼ならよく分かっているだろう。魔力や魔術はそこまで万能なものではないと。無傷の魔物を複数相手取るには厳しいと。なにせ魔物は魔力の塊のようなもの、いくら人間基準で強い魔力がある者であっても、真正面から立ち向かうのは分が悪い。

(でも、人間には知恵がある。技術もあるのよ)

 シグルドは頷かざるを得ないだろう。負傷者を抱えて素早い撤退は不可能だし、なぜか上から物を言う竜騎士に足止めされてしまったし、ここでやり合うしかない。それには通常の方法では不可能だろうと分かっているからだ。

 エリーゼは伊達に研究塔に出入りしていたわけではない。実践的な形で魔術を磨き、考案もしている。

 シグルドの方に手を伸ばすと、意を汲んで引き寄せてくれた。風がエリーゼの体をふわりと運び、アーグルの背に、彼の腕の中に納まる。

「後方に留まっていてくれるようなことを聞いた気がしたのだがな」

「あの時あの場では後方にいましたわ。状況が変わっただけです」

 緊張感をほぐすように軽くやりとりをする。魔物がいよいよ近い。茂みを掻き分け、巨体がぬっと全身を現した。

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